「怒る妻たち」2012年2月8日(水)

昨年の秋の日本での旅で、「結婚以来怒っていました」「足蹴にされる、踏み

つけられている」というテーマで書きました。年が明けてこの寒波に襲われてい
る日本で、そのテーマが出てきたご夫妻を逆に訪ねています。それも先週雪に閉
じ込められたことで「踏みつけられている妻」のことで、迎えに来てくれたご夫
妻と続きを話すことができました。次の訪問地で「足蹴にされている」という発
言が出てきたときのことを思い起こすことになりました。

そしてそのような会話を導くことになった「結婚以来怒っていました」と言わ
れたご夫妻を最後に訪ねることになりました。その言葉が出てきたときの思いを
語ってくれました。それはそうなっている自分に怒っているという意味合いであ
ることを語ってくれました。そのことを記事に書いたときに、一人の牧師からす
ぐにレスポンスをいただきました。思い当たることがあって「今回のテーマは、
私にとって最も大事なテーマなので、ちょっと書きます」と言って、以下の文面
を送ってくれました。どのようなタイミングで出したらよいのか様子を見ていま
した。このご夫妻も読んでくださって、喜んでくれました。本人たちの了解をい
ただいていますので、お分かちできればと思います。

「私は、牧会上での失敗の後、妻と毎晩、夕食後、外を歩いて会話をしまし
た。妻がそれを望みました。子供の前で喧嘩はできないので、外を歩くしかな
かったのです。妻に責められ、私が必死に妻の痛みを聞き、うなずき、あやま
り、というパタンを毎晩繰り返し、20分~30分間歩きました。もっと長時間
になることもありました。私にとっては辛い時間でした。妻にとっては、生きて
いくために、どうしても必要な時間でした。内容は、どうしても同じ話題になり
ます。何度も責められます。

夕食後に妻と外を歩くことが、1ヶ月間続きました。今までの結婚生活にはな
かった、交わりのスタイルでした。それが、1年続き、3年続き、5年たった
頃、新しい任地への移動となりました。こちらの来ても、ほとんど毎晩、妻と共
に歩いています。気づいたら10年になりました。

今は、幸せな結婚になれたと、妻はとても喜んでいます。何が、鍵だったのか
と最近分かりました。一緒にウォーキングしたことです。一緒に歩くということ
は、<妻だけと向き合う>ということを意味しています。

妻との人格的な交わりは、質に到達する前に、量が必要だと分かりました。ま
た、妻と向き合うことは、継続しなければならない、という事にも気づきまし
た。一度や二度の心の深いつながりだけでは、心の通じ合う交わりは維持できま
せんでした。大事なことは、続けること。ディボーションのように、続けること
に意味があると分かりました。

すべてを失い、最も大事なものを得ました。それで良かったと今は心から言え
ます。つまり、男として、牧師としての成果や業績よりも妻と心が通じ合える関
係でいられる事のほうが価値あることだと分かりました。外的な奉仕や仕事は、
必ずスペアがあります。他の人でもできます。でも、夫の代わりは世界に誰もい
ないと気づきました。妻との関係が変えられたことによって私と主との関係が、
徐々にですが、本質的な部分が変わり始めているように思えます。

ですから、今は幸せです。妻ほど素敵な人はいません。妻を心から尊敬してい
ます。妻なしには、私は存在しません。妻なしに、私の働きもありません。これ
からも、妻と歩き続けます。」

上沼昌雄記

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「「怒る妻たち」2012年2月8日(水)」への3件のフィードバック

  1. この世の中には、素敵な男性、素敵な夫婦がいるものだと思わされました。牧会上の失意のあとで、妻の怒りのこころや進言を受け止める柔軟さ、謙虚さ、忍耐。。
    妻との交わりを感謝しこの上ない宝を感じる心を本当にすばらしいことだとおもって楽しく美しく読ませていただきました。

    楽しみな金曜の朝です。
    チャックスミスのメッセージにこころを傾けています。

    チャックスミスの重厚な声が礼拝堂に響いています。
    空気が一つになっています。神への信頼と牧師への尊敬がそんな空気を作り出しています。地味な教会を包む美しい空気をすごいと思って感心しています。

    詩篇121篇です。
    私は山に向かって目を上げる。私の助けはどこから来るだろうか。
    私の助けは天地を造られた主から来る。

    たくさんの問題を積み上げた後にどうにかしてくれと長い手紙をよこしてくる友人がいるといいます。
    それは失礼だと言っています。
    私にはそんな問題を解決する力などないと言っています。
    真の問題解決は神と祈りにあるのだと静かに語っています。
    天地万物を造られた神様があなたを助けたがっているといっています。

    シンプルな説教なのに力があります。
    何度か聞いているのに自分を問われ、気づかされます。
    神以外のことにこころをとらわれ、神を忘れ、神から引き離され、人をおそれ、状況を恐れ、穴倉にすとんと落ちてしまう自分、どろどろとしている自分を発見するのです。

    そういう発見をいつも楽しいと思います。自分の姿を見つめさせられるほど
    おもしろく感謝なことはないとおもいます。

    周囲に助けてもらいながら自分を掘る作業をゆっくり続けています。

  2. 吉川恭子さんへ
    チャック・スミスの説教は確かにシンプルですが、幾重にも織りなす響きが、私たちの心の幾重にも覆われたおおいを通り越していくようです。会衆を観ていてもそのように感じます。みことばを読むことで、そこに御霊の響きが浸透していくのでしょう。そんな響きが吉川さんのうちに届き、響いていることを感じます。
    まだ寒い日々が続きますので、ご自愛ください。
    上沼

    1. 「怒る妻たち」を投稿からずいぶんたった今 読んでいます。

      すこし人間関係のごたごたが重なって、人に対して怒りながら
      その怒りが今回初めてではなく、以前も同じような形ででてきたことを思い出し、人の責任というよりは、自分の中の闇が取り扱われているように思いました。
      そしてカウンセラーの方に分かち合いました。

      そうです。それはあなたの中のお母さんに対する憤りが別の形で
      噴出しているのです。と指摘を受けました。
      妙に納得しています。

      怒りを聴くというのは大変なことです。自分の怒りをどう扱ったら
      いいのか、瞬間にはわかりません。

      でも怒りには何か本質的なうめきが入っています。
      満たされなかった思いが入っています。
      満たされない思いを人は別のかたちで昇華しようとします。

      過剰にがんばったり
      大事な事から目をそむけたり。

      お母さんに対する怒りにこころを傾けるように。
      そうすることで
      また新たな自由が始まると
      教えてもらいました。

      妻の心によりそった先生をすばらしいと思います。

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