こちらのテレビ番組で、Dr. Phil というカンセリングをそのまま聴衆の前で行っているのを見せるものがあります。まさにDr. フィルが、難しいというか複雑な問題を持った人たちとステージで語り合いながら、問題点を明確にし、方向を示していくもので、結構人気があるようです。この一、二週間の間で、二つのケースを取り扱っているのを観ることになりました。他人事のようなのですが、ここの女性たちが観ているのに加わってみたのです。
二つとも Domestic Violence DV, 家庭内暴力のケースです。一つは夫が妻と子どもに暴力を振るってきたケースで、もう一つは妻が夫とその母親に暴力を振るってきたケースです。最初のケースは背筋が寒くなる思いがし、後のケースはただ悲しい思いがしました。思い出す度にその感情がよみがえってきます。それにしても、確かにどちらも極端な面もあるのですが、それを隠さないでテレビにまで出してくると言うのは、文化の比較をしようがないので分からないのですが、やはりアメリカなのでしょうか。しかし、見えないところでは日本でも深く浸透いるように思えて仕方がありません。
最初のケースで、Dr. フィルが何とか夫の心の中に入ろうとしているのですが、上手にというか巧みに逃れて、妻のせいにしているのが分かります。もちろんその妻もそんな夫の暴力を許してしまう面があるのですが、そこに冷徹に入っていくこの男性に多少手こずっているようでした。しかし、この男性が、妻の連れ子のお嬢さんに手を出し、それもそのお嬢さんのせいにしていたときには、Dr. フィルもかなりあからさまに怒りを出してこの男性を非難していました。
そんなやり取りを観ながら、スコット・ペックの『平気でうそをつく人たち』の本を思い出していました。決して自分の虚偽を認めないで、すべてを他人のせいにしてしまう邪悪さ、自分の虚偽を認めるぐらいなら死んだほうがましだと思う傲慢さ、そんな冷徹さをこの男性のうちに感じて、背筋が寒くなったのです。スコット・ペックは、そこに悪の根源のようなものを認めています。そのような人はどこにでもいて、どこででも出会う人だと言います。教会でも、牧師のなかでも。
最近よく取り上げているイギリスの新約学者のN.T. ライトが、実は2006年に「Evil and the Justice of God 悪と神の義」という本を書いていて、そこでもスコット・ペックのこの本が取り上げられています。神の義はどうなっているのだろうかと、鋭い問いを投げかけ、イエスの神の国の福音との関わりで、真剣に取り上げています。もしかして、表面上は教会に行っている家庭内でも起こっていることだからです。
二番目のケースは、この女性のどうにもならない怒りが夫に向けられ、その母親にまで向けられてしまったのですが、Dr. フィルは優しく巧みに、この女性の家庭環境、すなわちその両親の間のことにまで触れていくのです。そして紛うことなく、その父親が母親に暴力を振るってきたのです。当然その子である、この女性にも暴力を振るっていたのです。同席していたこの女性の母親に、Dr. フィルは遠慮なく聞いていきます。あなたはどちらの側に立っていたのかと。当然この女性は母親にも深い怒りを持っていたのです。
そして、ただ夫にその怒りを向ける以外なかったのです。加害者であるこの女性は被害者でもあるのです。何とも悲しい思いにさせらます。それでも、Dr. フィルはこの女性に、もしあなたがこの悪の連鎖を断ち切らなければ、あなたの子どもたちが同じことをし、同じことを受けることになる、どうしますかと優しく促すのです。当然それは厳しいことです。離婚のことにまで遠慮なく触れていきます。このような番組はまさにアメリカ的なのでしょうが、問題は日本でも深く潜伏しています。ほんの一部だけが表面化しているだけです。しかも私たちの内部でも起こっています。そのままにしておくことはできません。
すでに十戒で言われている、父の咎を3代4代まで受け継がせてしまう罪の性質を断ち切る作業が求められます。今までの生涯に積み重なってきたことで、大変な決断が求められることですが、それをしなければ悪はさらに増大し、浸透していくのです。まさにキリストの愛と赦しで、悪の連鎖を断ち切る厳しい務めが求められます。イエスが主の祈りで赦しを語り、実際に自分を十字架にかけた人たちの赦しを父なる神に願ったのです。この赦しの福音を浸透させていく責任があります。たじろぐと同時に、厳粛な思いにさせられます。
上沼昌雄記