「神の御子の復活」2012年4月2日(月)

ローマ書の初めで、パウロが福音を定義しています。「御子に関することです。御子は、肉によればダビデの子孫として生まれ、聖い御霊によれば、死者の中からの復活により、大能によって公に神の御子として示された方、私たちの主イエス・キリストです。」(1:3,4)すなわち、復活が、ダビデの子孫であるイエスを神の御子と認めることになったと、パウロは言うのです。同じダビデの子孫として生まれたパウロが、復活を認めているユダヤ人の考えのなかで、その復活が具体的にイエスにおいてなされたことで、ユダヤ人が待ち望んでいたメシア、神の御子であると認めたのです。取りも直さず、それが、パウロが語った福音なのです。

多分この箇所が中心になっていて、「神の御子の復活」というタイトルの本を書いている人がいます。イギリスの新約学者で、歴史家でもあるN.T. Wrightで、The Resurrection of the Son of God という800ページ以上にわたる大著です。受難週とイースターを控えて、思い切ってこの本を紐解いています。「多分」というのは、とても全部を読み切ることは無理だからです。ただこれだけのページを割いて、キリストの復活のことに集中していることに敬意を覚えます。すべてを把握することは短期間では無理なのですが、ページをめくりながら、何となくこの著者の息吹が伝わってきます。意気込みみたいなものが、限られたページしか開いていないのですが、飛び出してきます。

N.T. ライトをあえて歴史家と記したのは、イエスの復活の記事を歴史家として綿密に調べ上げ、イエスの復活を歴史的事実と結論づけているからです。「歴史」の意味を歴史的に、すなわち、啓蒙思想下での歴史観とも比較しながら捉え直そうともしているのです。その歴史感覚は当然現代を理解する驚異的な手がかりにもなっています。なんと言っても、ライト自身がどこかで言っているのですが、紀元一世紀のユダヤ思想の歴史家なのです。すなわち、ダビデの子孫として生まれていることが、同時のユダヤ教と異教の世界でどのような意味があり、そのなかで「復活」がどのようなインパクトを持ってくるのかを、また歴史家として提示しているのです。800ページという大著が狭く感じるほどです。

当然パウロにとって、ダビデの子孫として生まれたイエスが復活したと言うことが、どのようなインパクトを与えたのか、特に第一コリント15章を中心に200ページにわたって取り扱っています。その関わりのローマ書に関しての記述を拾い読みしても、パウロの福音理解がその初めで示されているように、復活が大きな意味をもっていることが分かります。その辺をライトは丁寧に紐解いていきます。当時のユダヤ人にとって、当然パウロにとって、それは旧約から続いている、創造と、契約と、神の国と、神殿という基本的な考えに深く結びついているからです。その結びつきを離れて簡単に復活を、クリスチャンが死んだら天国に行ける切符のようにとることに注意を与えています。それはギリシャ的な思考に影響された西洋の教会の理解であると歴史的にみているからです。また、十字架と義認論を中心にして福音を捉える西洋の教会の救済論にも偏りをみています。十字架と復活、さらに当然、受肉と十字架と復活を一つのまとまりを持った救済のわざとみていくことで、初めて聖書全体の神の救済のわざが浮かび上がってくるからです。

クリスマスが単に救い主の誕生のお祝いに終わらないように、イースターも単に救い主の復活のお祝いで終わらないのです。十字架と義認論が前面に出てきているために、クリスマスもイースターもその場限りになってしまいます。人は義認論だけでは行き詰まってしまいます。神の御子が、人としてダビデの子孫として生まれ、私たちの全人類のために十字架にかかり、三日目に死人のうちよりよみがえってくださったことで、アダム以来、肉の弱さのゆえにできなくなってきたことを、創造者であり、アブラハムの神がしてくださったのです。律法が成就され、契約が満たされる道が開かれたのです。ユダヤ人であるパウロが、神の約束の成就と、神の国の新しい希望と新天新地の望みに生きる力をいただいたのです。それがローマ書にも貫かれているパウロ自身をも生かした福音です。

この800ページの大著は10年前の2002年に書かれたのですが、ライトのうちに同じ望みが力になっていることが分かります。オックスホード大学などでの教授の後に、英国国教会のビショップとして奉仕をし、今は著作と講演活動に励んでいます。その力の源泉が分かります。もう一度新しい視点で聖書を捉え直していく情熱に満ちています。受難週とイースターを迎えるなかで、この大著に触れる機会をいただき、2000年以上前の神の御子の復活を、さらにその前の天地創造以来の関わりで思い巡らす手がかりをいただいています。

上沼昌雄記

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「「神の御子の復活」2012年4月2日(月)」への1件のフィードバック

  1. ライトが歴史家である。受肉と復活を綿密に捉え、西洋の啓蒙思想下の教会の歴史を捉えなおしている。もう一度新しい視点で聖書を捉えなおして行く情熱に満ちている。その情熱に先生ご自身が感動を持ってこの受難週を迎えていらっしゃる。

    その流れがこの日本にも伝わってきています。

    私の家族に関する先生のお祈りと励ましを深く感謝しています。
    アメリカからの温かいエールが一つ一つのお言葉が大きな励ましです。

    不思議とこの春、家族のいろいろな破れが露呈してきて、それは父にとどまらず、夫との関係、七歳の娘との関係でも、自分の破れが少しずつですが教え
    られています。

    課題に出会い、課題の大きさに圧倒されています。そんな時「祈りましょう。神様に課題を持っていきましょう。
    焦らないで、ゆっくりと‥」と声をかけます。

    神様には膨大な時間がおありになる‥そのことが焦る自分の慰めとなっています。

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