「ストーリーを聞く」2012年6月5日(火)

礼拝の後の午後の一時、緑に囲まれた川波をある医師ご夫妻ともう一人の牧師と散歩しました。不思議な感じのする茶室で喉を潤していたときに、「医者の仕事は患者さんのストーリーを聞くことですよ」と、突然の感じで出てきました。突然ではないのかも知れません。前回の「ストーリーが出てきた」のことを話していたのかも知れません。ただ言われた内容が何とも驚きであったのでそのように感じたのだと思います。ストーリーを聞くことが医者の仕事?!

ある患者さんのことを話してくれました。内科の診察に来たのですが、両目の視力が極端に違うので、そのことを聞いたらば、うつむいていた60歳の男性が正面を向いて「俺はこれだから」と言って、極度の斜視で、人生いまに至るまで、人に顔を向ける仕事を避けてきたことを話し出したのです。斜視であることは見てすぐ分かることですが、その人は自分の人生を語り出したのです。話を聞いてくれる医師がそこにいたのです。そして、紹介をいただいてこの方は斜視を直すことができました。

「病気には意味があるのです」と医師は言うのです。何とも不思議なことです。人生の意味を妨げ、失わせるのが病気のように思えます。到底病気に意味があるとは思えないのです。確かに病気で人生を考えることになります。それでも何か否定的な気持ちになります。意味があるとすれば、少しでも積極的なものを期待します。病気に意味がある?!

「医者の仕事は患者のストーリーを聞くことです」と聞いて、「病気には意味がある」ということが少し結びついてきました。病気にはストーリーが詰まっています。生活環境、食生活、家系と遺伝、性別、年齢と、病気に至る人生のすべてが背景にあります。それを聞き出すことが医者の仕事と明言するのです。あたかも病気がストーリーを吐き出させるかのようです。

あらゆる可能な検査に回して、その結果だけを見て、患者の診断を考える傾向が強いのでしょうか。現代科学の進歩とともに、その医療技術の枠だけで患者を診てしまう傾向が強いのでしょうか。患者のストーリーは二の次になってしまうのでしょうか。領域が違うので分からないのですが、牧会の世界でも似たようなことが起こっているように思えて仕方がありません。

聖書から教えと命題を引き出して、それを適用していくことが、聖書の正しい理解のように思われています。そのための言語理解の技術は、現代科学の一つとして同じように進歩してきています。そしてそれが可能であり、そうすることが聖書的な理解ということで、西洋の教会はこの2千年の歩みを続けています。ですから、ストーリーを聞くこと、それはまさに牧師の仕事であるべきなのに、聞いているようで、何とか聖書の教えに人を導くことに思いが向いてしまいます。その教えだけが聖書的で、個々人のストーリーは、聖書からの離れてしまうような感覚を与えるのです。

イエスはあのベテスダの池で38年煩っていた病人に、「伏せているのを見、それがもう長い間のことなのを知って」、その上で彼に話しかけているのです。この男のストーリーを聞き出しているのです。そして、イエスのいやしのストーリーは、神の全世界の回復のストーリーに結びついています。医者が病人のストーリーを聞くことは、神の回復のストーリーに結びつくことです。医者ルカはイエスをそのように見ているようです。

上沼昌雄記

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「「ストーリーを聞く」2012年6月5日(火)」への2件のフィードバック

  1. ああ、すばらしいお医者さんだと感じました。
    患者のストーリーを聴くことですよ。それが仕事なんですよ。というすばらしい言葉です。患者さんも幸せです。そばで働く方も御家族もきっと幸せなことでしょう。上沼先生がこのようなエッセイで分かち合ってくださって光がこちらにも届いてきました。

    今、父が電話の向こうで、母との出会い物語をずっと話してくれます。
    恋愛時代に交し合ったたくさんの手紙を押入れから出して、それで父自身が井戸掘りをしています。

    こんなことがあったのかねぇといいながら懐かしそうに、母との思い出を再構
    築しています。そうして2人の歩みが決して悲しいことばかりではなかったと川のような流れをもう一度たどっているのです。父の歴史であり、母の歴史です。私の知らなかった私の生まれる前のストーリーです。
    ときどき合いの手を入れながら、その2人の物語に耳を傾け、私も慰められています。

    父と母は大恋愛だったように感じています。母は父をとても頼って頼って生きていたとわかります。父はそんな母の姿を若い頃はそんなに気づかないまま、母が亡くなって初めて自分も母を頼りにしていたのだということを痛感しています。

    私はそういう中で生を受けたのだと少しホッとしています。

    途中に家族の中に
    父の単身赴任と母の発病いう大変つらい歴史が
    織り込まれて、娘の自分としては
    どうしてもその傷を乗り越えられないまま長い時間が過ぎました。

    しかし、このごろやっと、神様を知らなかったわたしの家族の中にも確かに神様はいらして今もいらしてこれからも導いてくださるのだという希望が見えています。
    この長く決して乗り越えられることはないと思えた壁に、もう母が自死してしまい、何の希望も見出せないと、クリスチャンでありながらどこか失望していた私の心に、小さな穴が開き始めました。

    その穴からやさしい光が差し込んで、いまわたしが
    長い間とらわれて誰にも打ち明けられず握り締めていた心の闇がゆっくり溶けているような感じがしています。

    そこまで神様の光は届こうとしておられ
    ずっと待っていたのだと不思議な感覚で
    その光を喜んでいます。

    1. 吉川さん
      まさに御霊が吉川さんのためにとりなしていてくださり、神が豊かに導いていてくださることを知ることができます。お父様にとっていやしの時なのでしょう。ご家族に温かい光が差し込んでいることを感謝しています。
      上沼 2012/06/13

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