「日本はいつになったら、、、?」2012年6月13日(水)

大阪での奉仕をすでに一度終えていることをお話ししたら、Bさんはお元気ですかということから始まって、Bさんはいくつになられたの?と聞いてこられました。それで82,3歳だと思いますと返事をしたところ、Bさんも年をとられたね!と言われました。それで、先生はおいくつなのですか?と聞きましたら、笑みを浮かべ、102歳! 気恥ずかしいという返事が返ってきました。

そんなことで102歳の大村晴雄先生の訪問が始まりました。 前橋在住の小泉さんのドライブで宇都宮の施設に伺いました。すでに寝たきりですが、私たちの訪問を待っていてくれました。 耳元で大きな声で話せば通じます。先生の語ることも注意して聞けば聞き取ることができます。それでも先生の方から話を続けることは以前ほど楽でないようなので、こちらから問いかけながら会話を続けました。

施設に入られても聖書研究会と、ヘーゲル研究会を続けておられました。数年前に伺ったときに、イザヤ書の6章のことで私に質問を向けてこられたので覚えていましたので、何章まで来たのですか?と伺いました。12章と言われ、感慨深げに、私の切なる願いは、もう一度この目が見えるようになってイザヤ書の学びを続けること!と言われました。ヘーゲルにしても、聖書にしても言葉に対しての特別の関心を持たれていますが、神のことばに対しての姿勢には際だったものがあります。一段抜け出たものがあります。その姿勢にずっと惹かれてきました。

さらに、日本人の心の奥底にあるドロドロしたものについて、先生の言われたことをよく覚えていますとお伝えしました。そうしたら、目をぎょっと見開いてあたかも見えるかのように、上沼さん、小泉さん!! 日本はいつになったらキリスト教国になるのかね?と真顔で聞いてこられました。先生の真剣勝負に、私たちは言葉を失ってしまいました。ただ何とか、先生は希望を持っていますか?と伺いましたら、ないねという返事でした。

大村先生がいわゆる欧米の意味でのキリスト教国ということを言っているのではないことは明らかです。 日本プロテスタント史を振り返って、どうしたものかね?と嘆いているのです。 韓国の教会のことも言い添えます。ただこの日本が神の国に少しでも近くなることを切に願っています。その気迫に接して言葉を失ってしまいました。

自分自身の老後のことを心配し、同年の友人と話しても老後のことが話題になり、自分を教えてくれた先輩の牧師も老後のことに思いがとらわれていることを知らされ、当然それは心配の種であることは間違いないのですが、それよりも日本の宣教のことに思いが向けられているとは言い難いのです。それだけでなく、そのようなこと自体がすでに日本の宣教の停滞を招いているしるしなのかも知れないのです。

大村晴雄著『日本プロテスタント小史』(いのちのことば社)を読み返す必要がありそうです。先生の嘆きの理由が分かるかも知れません。同時にそれを乗り越えるものが日本に求められています。キリストの十字架の血、殉教者の血かも知れません。

上沼昌雄記

広告

「「日本はいつになったら、、、?」2012年6月13日(水)」への2件のフィードバック

  1. 大村晴雄先生の訪問の道筋を読ませていただきました。

    大村晴雄先生のライフワークとはいったい何であり、上沼先生か゛大村先生の何を受け継ごうとされているのかをすこし知りたい思いました。

    そして2008年の神学モノローグ「大村先生の『近世哲学』をよむ」をたどりました。

    牧師が教会をだめにしてしまうケースがある。。という厳しい現状がありました。福音主義神学が聖書の絶対性を論理性で結論付けてしまう危うさがかかれておりました。

    論理性を明確にすればよいという啓蒙思想の残滓の除去が大切とありました。

    まだその入り口に立ったばかりで、神学の歴史の流れというものはわかりません。でも私はいい牧師に出会ってきたのかも知れないという気がしています。
    教会で、もとの教会から逃げるようにして学びに来ておられる方のこころを聞くことがあります。その方が何年が学びを続けられるうちに、自分の中の梁というものにも気づかれていきます。

    近況です。
    栄聖書教会ではアメリカのグレースフェローシッブ教会のメンバーをお招きして、信じているはずの私たちの側のゆがみを見つめるというセミナーが一週間ずっとありました。

    聖書を捉える私たちの側の傷、トラウマや、ものの味方のずれ、一方的な思い
    そんなこちらの土台を光をたどって見つめる。。そんないい機会に恵まれました。

    アメリカの方々の深みに迫る証、ストーリーに慰められるものがありました。
    私に関しては、家族の自死のことをストーリーとして分かち合うことはこの一年数か月できませんでした。
    しかし、この機会がいい意味で自分の心の破れとなって、表に出てきました。
    それですこし楽になっています。

    父の日がありました。
    父に花束と共に小さな手紙を添えました。元自衛官であった父もときどき電話の向こうで泣きます。。
    現役自衛官である弟も「裏庭の紫陽花がきれいに咲きました」と少しずつこころを開いています。

    そういうストーリーの流れ、感情の流れが闇に届く光のおかげで、上沼先生や
    末松先生御夫妻のとの豊かな出会いのおかげで実現しているのをうれしく感じています。

    その背後に大村先生がおられたのですね。。感謝いたします。

  2. 吉川さんのご指摘、「大村晴雄先生のライフワークとはいったい何であり、上沼先生か゛大村先生の何を受け継ごうとされているの」という文章を、ずっと考えています。言い方を変えると、日本に来るたびにほとんど大村晴雄先生に会いに行くようにしていますが、何がそうさせているか、自分でも知りたく思います。ただ何かがあって、それがどこかで吉川さんの心にまで届いているようで、しかもそこに末松先生ご夫妻も含まれているようで、うれしく、温かい気持ちをいただいています。吉川さんのご家族にまでその思いが届いていることを主に感謝しています。日本は梅雨の最中ですが、ご自愛ください。上沼 2012/06/26

コメントを残す

以下に詳細を記入するか、アイコンをクリックしてログインしてください。

WordPress.com ロゴ

WordPress.com アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Twitter 画像

Twitter アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Facebook の写真

Facebook アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Google+ フォト

Google+ アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

%s と連携中