「父の日・父の日!!」2012年6月22日(金)

3年ほど前に宇治での牧師セミナーで父親のことを取り上げました。その折りに一人の牧師が、祈りに山に入ってそのまま召された牧師の父親のことを話し始めました。その日は聖日であったのですが、礼拝の時間になっても現れないので、探し出したところ、いつも行っている山にまだ暗いうちに一人で入り、聖書にうずくまるようにしていたところを発見されたのです。33歳の若さでした。その時に9歳であった方がいま牧師になって、不思議なことに他の牧師たちの前で話をしてくれたのです。

話の中身にも興味を示されたのですが、そのことを話しているこの牧師にも惹かれるところがあって、さらにいくつか聞いてみました。9歳で父をそのように亡くし、自分を筆頭に5人の男の子が残され、大変の思いをしてお母様が育ててこらました。ただ話を聞きながら、この牧師のなかには肉の父を失った分だけ、霊の父、父なる神との親密な交わりがあるように感じました。また、召される前にこの牧師の父親の伝道のことが映画になって作られているというので、DVD化されたものを送っていただきました。

この牧師の生い立ちというより、そのことでいただいている特別な信仰形態にこちらが関心を示していることに、この牧師も関心を持ってくれたようで、多少の交流が始まりました。この2月に、翻訳のことでお話しを確認できればと思って、京都との境にある大阪の島本町の教会に伺いました。その帰りの車の中で、自分たちの教会に来てくださるのでしたらいつでも歓迎ですと言われ、午後には彦根の教会でもお願いしますと、何の疑いもなしに招いてくれました。

それで祈り考えているなかで、この6月に日本に伺うときにその第3聖日は「父の日」で、その日にこの牧師と共演するかたちで「父の日」の礼拝を守ることができればと思い提案をしてみました。この牧師自身はすでに自分なりに受け止めているのですが、他の4名の弟さんたちとお母様のことを、多少心配されました。特にお母さんには別の思いがあるような話しぶりでした。それでも引き受けてくださり、先日の「父の日」を迎えました。

初めにこの牧師が父親を失った悲しみと、なぜですかという神との葛藤を分かち合ってくれました。自転車に乗りたくてもそれを買うお金もない。近所のお父さんがその子どもに自転車乗りを教えていることをうらやまし思ったことなどを話してくれました。その後に私はパウロの父親に関する二つのことを紹介しました。一つは「父たちよ、あなたがたも、子どもたちをおこらせてはなりません」という意味合いと、そのパウロが2回も神に向かって「アバ、父よ」と叫んでいることの意味合いを語りました。父に返り、子とされていることに含まれる救いの豊かさを、この牧師にも観ていますと、話を終えました。もう一度この牧師が出てきて祈りと招きをもって礼拝を終えました。

昼食後に男性だけが25名ほど集まってくれました。男性集会では説教はしないという方針で、自分たちの父親のことを分かち合うことをしました。紙を二つに折って、右と左に分けて、自分の父親のことでよかったことと、いやだったことを書いていただきました。そして一人ずつ分かち合っていただきました。そこに何の抵抗もなしに、男性たちが自分の心の中の父親のことを語ってくれたのです。それはこの牧師によってすでに養われているこことの現れなのだと分かりました。最後に「父への手紙」を書いていただきました。それは分かち合うことなく、各自の「父の日」のまとめとしました。

そしてこれから彦根に行きますと、この牧師のドライブで出発しました。車中も男性集会の話の続きをしました。3時半の礼拝ということですが、すでに賛美が始まっていて、私たちの到着に合わせてメッセージとなりました。この牧師は先のDVDのさわりを見せてから話を始め、その後私が立って、最後をまたこの牧師に締めくくっていただきました。島本の集会も彦根の集会も大勢の人が集っています。何か引き付けるものがあります。毎回のメッセージだけで二つの教会の霊的な状態を導いているものがこの牧師にあります。その何かのあるものは、父を失い、父なる神を見いだし、その親密な交わりから出ているように思います。その牧師と「父の日」の礼拝を共演することができました。父なる神の特別な計らいをいただきました。

上沼昌雄記

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“「父の日・父の日!!」2012年6月22日(金)” への 1 件のフィードバック

  1. 『父の日、父の日!』を読ませていただきました。

    主の光をたどって、自分の父への思いを語ることのできるこの彦根の牧師先生の豊かさを思っています。

    悲しみの体験ゆえに、天の父とのつながりが深くなっていったとのところに大変惹かれるものがります。

    彦根にこんなすばらしい方がいらっしゃることをうれしく思いました。結婚前に滋賀県長浜で七年間過ごし、中学校の教師として少し彦根に勤務していましたのでなおさらうれしくなりました。

    牧師の豊かさが信徒の豊かさとなり
    光が広がっているところが
    とてもうれしいと思っています。

    大村先生の豊かさが
    上沼先生の豊かさとなり
    上沼先生の豊かさが
    訪れる教会の男性の豊かさとなって
    いるところを本当にうれしく思っています。

    主人が
    栄聖書教会の第一礼拝に継続して通うようになり
    喜びの表情が
    広がっています。
    末松先生御夫妻の
    霊性の豊かさが主人のうめきにも届いているようです。

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