「ある終戦―タラワの戦い」2012年8月13日(月)

昨年4月25日付のこの欄で「一老兵士の死」という記事を書きました。98歳で召された元アメリカ海兵隊員で、1943年11月のタラワの戦いでの日本兵の遺品を持っていた方についてでした。未亡人を通して日本の遺族に返して欲しいと言うことで、厚生労働省の担当の課にお願いしていました。今年になって日章旗と鉢巻きがそれぞれの遺族に返還されたという通知をいただきました。それぞれ名前が書かれていて、戦地も明確であったので、遺族の調査はそれほど困難でなかったようです。しかも、すでに69年前のことですが、それぞれ戦死された方の弟さん、奥様と言うことで、直接の遺族の方であったので驚いています。

どのような思いでご遺族の方々が69年前と、今に至るまでの時を過ごされたのか、多少知り得たらばと思うのですが、厚生労働省としてはすでに自分たちの責任は終わったので、それ以上のこちらかの問い合わせには一切返事がありませんでした。突然遺品が返還されて驚いているのでしょうか。すでに69年前のことなのでそのまま忘れていたいことなのでしょうか。遺品を長い間所有していた元海兵隊員の思いを身近に感じてきましたので、遺族の方々の思いを多少でも知り得たらばという願いがあります。それは余計なことなのだろうか、そのまま静かにしておいた方がよいことなのだろうか、と自問をしています。

しかし幸い、「一老兵士の死」の記事をホームページで観てくださった方がおります。この方のお祖父様がタラワの戦いで亡くなっていると言うことです。この方のお父様は当時2歳でした。ご家族が直接にタラワのあの戦いに関わっているのです。そんな家族の歩みを確認する必要を感じられて、2年前に厚生労働省主催の慰霊巡拝の旅にタラワを訪ねています。その旅をネット(http://www7.ocn.ne.jp/~yagiko/)で紹介しています。この方が今回の遺品の返還のことに関心を示してくれました。そしてご遺族の方々との間のことでできることがあればと言う申し出で、現在この方を通してご遺族の方々との連絡が取れるかどうか、問い合わせているところです。

この方の紹介もあって、タラワの戦いについて、日本側とアメリカ側のそれぞれの立場で書かれた本を読んでいます。太平洋上の珊瑚礁に囲まれた小さな島で、1943年11月21日から24日まで攻防戦が繰り広げられました。すでに日本軍はミッドウェー海戦で敗北し、司令官山本五十六を失っていました。アメリカ軍の進出を阻止するための玉砕戦となりました。アメリカ海兵隊も千人の戦死者を出しています。ある場合には白兵戦にもなったようです。どのような思いで両方の若者が戦ったのか、想像を超えていることですが、現実に私たちの歴史に起こったことです。

私の生まれる前に起こったことです。生まれたときは硫黄島の戦いの終わりのころです。そして終戦を迎えました。そのまま戦後を生きてきたことになります。そして不思議に今タラワの戦いに関わることになっています。その歴史的意味を論じることも、戦争そのものの是非を問うことも課題としていただいています。それでも今私にできることは、69年前のタラワの戦いに参戦した両軍の兵士とその遺族への思いを振り返えることだけです。ひとりひとりの兵士とその遺族の思いは消すことができないからです。私なりに迎えている終戦記念日です。

上沼昌雄記

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「「ある終戦―タラワの戦い」2012年8月13日(月)」への2件のフィードバック

  1. 上沼先生の最近のブログから2度、殉教という言葉を読まされている。
    自身と他者にあてての言葉だったのだろうが、毎回、どきっとさせられる。
    ただ、私みたいな自堕落なクリスチャンには殉教という役回りは到底廻ってはこないのだが、少しばかり考えさせられた。
    ここに書く事は殉教という事ではないのだが、生き残った事への恥、生かされている事の苦悩と辱めを受けながらも生きた証言者の事を書いてみる。
    そして、彼らの取った大胆な行動も書く。

    「私はけして反ユダヤ主義な人間ではない」

    ユダヤ人の思想家ハンナ・アーレントはアドルフ・アイヒマンのこの言葉に対して明確な言葉で「悪の陳腐」と報いた。聡明なアーレントならではの応え方である。
    しかし、僕はアーレントほど聡明じゃないので、アイヒマンの言葉に狼狽え、奈落の底に突き落とされた様な感覚を受けてしまった。
    それ以降、この言葉がきっかけとなってユダヤ人問題、ホロコーストを積極的に研究してきた。
    アーレントは、人間のなかでの思考という営みを位置づけ、意味を求めて思考に向かう人間の活動が人間らしく生きることの中核的な意味を持つ営みだと強調している。そして、アイヒマンのような巨大な悪の行為がことによれば何も考えないということと結びついているのではないかという形で、思考あるいは哲学することの意味が探られたと言っていて僕の興味をかき立てた。

    戦後、アイヒマンは南米アルゼンチンで逃亡生活を送っていた。しかし、イスラエルの秘密情報機関「モサド」の秘密工作チームによって1960年5月11日に誘拐・逮捕され、一晩の内にイスラエルへ輸送される。
    この「アイヒマン拉致事件」は、イスラエル政府がアルゼンチン政府に対して正式な外交的手続きを踏んだものではなかった。
    そのため、アルゼンチン政府は「主権侵害」と猛抗議し、国連提訴など、解決まで2ヶ月間もめた。アイヒマン裁判を取材したハンナ・アーレントは、その裁判を「ベングリオンが演出したショーだった」と手厳しく批判した。
    アーレント女史の鋭い心眼である。

    僕はアーレントの書いた「エルサレムのアイヒマン」(初出は米国の雑誌ニューヨーカー)を読んで以降ユダヤ人問題、ホロコーストを研究するようになるのだが、いまだにアイヒマンの言った矛盾される言葉に動かされている。
    それらはぞっとするほど痛切で、憂鬱な言葉に聞こえてきた。
    アイヒマンは法廷に出される尋問の最後で、「子供に会わせて欲しい」と嘆願した。
    「子供は私にとりかけがえのないもの」と放つが、彼は女、子供を含む600万のユダヤ人を意味も無く虐殺していた。
    そして法廷台の前で、「自分は、命令されてやった」と答え、「私はけして反ユダヤ主義の人間ではない」と放つ!
    恐ろしく矛盾する言葉、その矛盾する言葉の衝撃を僕は身を持って体感する。
    言葉が直接、僕自身に降りてきたのだった。
    それは過去に教会から追い出された経緯があり、その時に老牧師から「二度と教会に来るな!」と耳打ちされたからである。
    名誉牧師との称号を持つ人だが、他人にも彼の妻にも聴こえない小声で「二度と教会に顔を出すな!」と忠告し耳打ちしてきた。
    そして以後「二度と教会に来るな!」の言葉とアイヒマンの「私はけして反ユダヤ主義な人間ではない」が重複しオーバーラップされてしまっている。
    老牧師は説教で自分の罪は許されたとしているが、僕の罪は許される事なく、僕から教会を奪い拒否してきた。
    矛盾する言葉の双方を聞き、自身は許されて人を許さない牧師の元を去って行く。
    しかし、僕の信仰を彼は奪う事は出来なかった。
    自分は許されて人は許さないとする、その罪の認識のなさで昇天して、最後の審判の時になんて言うのか聞いておきたいと思う。
    果たしてその牧師はヨブ記38章から始まる神権限のように神から叱責されて行くのだろうか?
    神の前でしらじらしくアイヒマンのように「私はけして反ユダヤ主義な人間ではない」と偽証するのだろうか?
    それを思うと陳腐さゆえ情けなくなった。

    ホロコースト生存者たちは初めのころ、イスラエル生まれの若者たちに「サボン」と呼ばれた。
    「サボン」とはヘブライ語で「石鹸」を意味している。
    ガス室をシャワー室と偽り、死の直前の犠牲者に石鹸を配布したというナチスの行為を連想させる言葉だ!
    イスラエルの作家アモス・エロンは「サボンという単語は次第に、臆病者とか意気地なしを意味するようになった。また、“石鹸で洗う”と動詞で使うと、相手を破滅するという意味合いを持った」と書いている。
    一方、ほとんどのホロコースト生存者は、自分たちの忌まわしい経験について何も触れたくないし、何も語りたくないと考えていた。
    加えて、イスラエル社会にも生存者から真剣に話を聞こうとする雰囲気はなかった。
    この結果、多くのホロコースト生存者は自らの経験についてかたくなに沈黙を守るようになった。また、一部の者はポーランド語やドイツ語風の名前をヘブライ語風に変えたり、腕に彫られた入れ墨を手術で消した。

    そうした忌まわしさが自身に染み付きつきまとい彼らは身を隠すように自身の中で葬り去ろ懸命になっていった。
    自身が受けた忌まわしさを隠そうとする反面、アウシュヴィッツの恥と汚れを語ろうとする人たちも出てきた。
    ヴィクトール・フランクルの「夜と霧」、プリモ・レヴィーの「これでも人間か?(邦題は戦争は終わらない)、エリ・ヴィゼールの「夜」に旧ルーマニア領ツエルノフィッツ主出身でギムナジウム出の詩人パウル・ツエランなどである。
    そこに戦後、ナチス戦犯を追いかけたサイモン・ヴィーゼンタール夫妻が登場する。
    ユダヤ人の彼らはシオニスト組織を結成してナチス党員だった戦争犯罪人に揺さぶりをかけ、時に犯罪ぎりぎりの行為に手を貸し、または犯罪行為に加担してまでも彼らを法廷に引きずり出して行く。
    ドイツがナチの戦犯に対して法廷闘争を行なわないとしても、彼らはフランスレジスタンスに働きかけてパリの法廷に戦犯を引きずり出して行く。
    サイモン・ヴィーゼンタールを一躍、名高いものにしたのは、上記に上げた1960年の「アイヒマン事件」である。
    サイモン・ヴィーゼンタールは、アイヒマンの過去から、1945年5月の失踪までの経過を克明に調べあげ、失踪の足どりを執拗に追って、そして、アイヒマンが、リカルド・クレメントという偽名で南米アルゼンチンのブエノスアイレスに生存している事実を突き止める。
    この情報を、同じくアイヒマンを追っているイスラエルの秘密情報機関「モサド」に通報したのである。
    アイヒマン逮捕(拉致)の知らせは全世界を驚かせ、イスラエルで裁判にかけられたアイヒマンは、1962年5月に絞首刑に処せられる。
    その他にも、フランスカトリックの教会にかくまわれた戦犯を探し出すため、求道者を偽り秘密主義の教会内部へと潜入して教会の献金を使い南米に逃がした(ラッツラン)戦犯の所在を確かめて探し出し、公衆の面前に突き出して行く。
    彼らの行動は毎年5月のドイツ終戦記念に合わせて、ヒストリー・チャンネルが世界97カ国に向けセミドキュメントな形式で5シリーズを放送している。
    なので、ホロコースト、及びユダヤ人問題に興味のある方は必見かもしれない。

    そして1961年に連合軍による占領時代が終わると、サイモン・ヴィーゼンタールは、オーストリアのウィーンに、「ナチ体制下のユダヤ人犠牲者連盟・記録センター」を設立した。この記録センターには、約2万2500名の元ナチスに関する情報が納められているという。サイモン・ヴィーゼンタールの組織は、民間の情報収集機関のため、逮捕の権限はないが、戦争犯罪人についての情報を収集し、犯罪の証拠を発掘し、関係当局にしかるべき情報を提供する活動に限られている。
    この組織の運営費は、全世界に散らばっているユダヤ人からの寄付によって賄われている。

    そして近年、サボンと呼ばれたユダヤ人達の多くが証言台に立ち始めて行く。
    忌まわしい過去と自身が受けた試練の数々が、確実に暴露され始めた。
    1985年にフランスの映画作家クロード・ランズマンは9時間半の大作映画を公開する。
    「ショアー」である。
    サボンと呼ばれる、ユダヤ人のインタヴューだけで9時間半の映画は構成されている。
    これはハリウッドの映画のような娯楽大作ではない。SFXもCGの特殊効果もなく、ただ単にサボンと呼ばれた強制収容所経験者のユダヤ人達の証言をドキュメントの手法で映像に記録している。NYのアーテイスト、アンデイー・ウオホールの作品、「エンパイア」のように永遠とエンパイア・ステイトビルが固定カメラで8時間も撮られたわけでもなく、同じウオホールの「スリープ」の様に眠る男が6時間映像に流れるのでもない。
    これらは映画評論家のステイーブ・コッホいわく、見ないで噂だけを聞くにとどめたい映画だそうだが、ランズマンのショアーは噂だけにとどめてはイケナイ映画だ!
    ヴィクトール・フランクルの「夜と霧」の最後のページに載せられた残酷な強制収容所の実態を写す画像は一切出てこない。
    そのかわり彼らの言葉で強制収容所がどんなものかフラッシュバックされる。
    経験した事のない人も、経験した事のある人も、すべてである。
    言葉の一つひとつが、個人の脳内で過酷で残忍な強制収容所の実態を映像化して行くのである。
    正直、9時間半をいっきに見れるだけの気力は、最初の数分で打ち砕かれる。
    なので、私はDVDを何度も分割して見た。
    インタヴューがあまりにリアルで辛辣で、ぞっとするほど痛切で憂鬱で見ている方は言葉を真摯に受け止めてしまい、時に言葉を失ってしまい、彼らの言葉が脳内でリピートされ何度も繰り返されるのである。
    その反響があまりに凄まじいので、見る者を中々先に進ませてはくれぬ。
    強制収容所でのユダヤ人は無力だったのだが、彼らは生き残った恥をして無力ではない事を感じ始め、生き残った事の恥を語ってくる。
    毎回、自身監督の映画で、ユダヤ人としての恥をセルフパロデイーの皮肉でさらす、ウッデイー・アレンごときではない。(しかしアレンは、戦後、多く出た日本未公開のホロコーストフィルムの熱心な研究者で重要なフィルムを自身のアーカイブコレクションとして所蔵している。)
    その生き残った事への恥がフィルムに生命のパワーを与えているかのようにも感じる。
    あの強制収容所に確かに神は居たのだともとれるニアンスでの証言が意識せずに出て来るのは奇跡に近い。
    燐在とかいうものではなく、わざとらしくもなく、主がおられた事を言葉の何処かに秘め現しているかのようにである。
    ステイーブン・スピルバーグが撮った「シンドラーのリスト」はドラマであるが、記録映画「ショアー」はドラマの様にはなかなか先へと進まない何かが沢山に詰まって訴えてくる。それが強烈なのだ!
    ランズマンのショアーはドラマではない脚色されない現実の言葉が映像に記録されている。
    ナーバスにならざるを得ない。彼らの記憶がショアーを見るものを蝕んで行き、途中、何度か、わかったからもういいとさえ悲鳴を上げた!
    ポップコーンとコーラを飲んでみる映画ではない。
    どんなに悲しくとも、サボンの彼らは生きている事の恥、生かされ生き残った事を恥として、涙の一滴もこぼれる事無く、映像は無惨に進むが、9時間半を見終えたあとの感想は、何か清々しく感情に芽生えるであろう、いばらのトゲの部分が奇麗に落ちたかのようだった。
    話しは変わるが、ユダヤ人の戯曲家リリアン・ヘルマンは戦後、アメリカで流行ったマッカーシズム(赤狩り)の対象となった。
    彼女はマッカーシーの公聴会で、「私はその時代の流行に合わせて意思のスタイルを変えるつもりは毛頭無い!」と証言しマッカーシーに半旗を翻しハリウッド社会から職を奪われる。亭主のダシール・ハメットも証言拒否で投獄され、夫妻は生きる事の恥を味わう事になるのだが、この生き方が後世の僕らに何故か勇気を与える。
    ショアーで証言するユダヤ人達もヘルマンと同じで、生き残った恥をして勇気を与えて来る。

    1977年には、サイモン・ヴィーゼンタールの業績を称えて、アメリカ、ロスアンゼルスに「サイモン・ヴィーゼンタールセンター(略式SWC)が設立された。
    センターが運営する「寛容の博物館(Museum of Tolerance)」は、非ユダヤ人を中心とする学生に、ナチスのユダヤ人迫害を理解してもらうためのガイド・コースが設けられていて、博物館を訪れた人々は、館内の資料や展示によって、ナチスの残虐さについて理解を深めることができるように作られている。このセンターは、ナチ戦犯の追跡調査ばかりでなく、「啓蒙組織」としての顔も持っている。「サイモン・ヴィーゼンタール・センター(SWC)」は、ニューヨーク、シカゴ、ワシントン、トロント、パリ、エルサレムにもオフィスを開設しているが、昨今、日本で政党も持つある大手宗教団体と結託したり、韓国で合同結婚式を行なう教団を賞賛したりと意味不明の事ばかりが取りざたされてジャーナリズムからもアカデミズムの連中からも評判は悪い。
    そして1995年1月に、日本のジャーナリズム界を震撼させる事件が起きた。
    この事件は、アウシュヴィッツのガス室に疑問を投げかける記事が、雑誌『マルコポーロ』(文藝春秋社)に載ったのがきっかけだった。
    この記事のことを知った、アメリカのユダヤ人組織「サイモン・ヴィーゼンタール・センター(SWC)」は、ロサンゼルス駐在日本領事の駐米大使に抗議し、更にその後、イスラエル大使館とともに文藝春秋社に抗議した。それにより当時の編集長花田氏は解任され雑誌マルコポーロは廃刊へと結論付けられる。
    当時、マルコポーロ編集部内では内密にSWCとの会合が持たれた。
    その密談の内容を週刊朝日がすっぱ抜く記事を掲載した。これは読むとかなり衝撃的である。
    と同時に、ユダヤ人の強硬さというのも伺い知れて、文春の編集者がもらした言葉にユダヤ人が何故、嫌われる原因が何処にあるかも垣間みれた。

    そして日本の戦争責任について、アブラハム・クーパーは、1999年4月26日付の『ロサンゼルス・タイムズ』紙に次のような記事を載せている。
    「ナチス・ドイツの大量虐殺をおこなった犯罪者を追及したサイモン・ヴィーゼンタールのようなナチ・ハンターがいなかったらどうだろう。もしアメリカがその恐ろしい実験結果と引き換えにアウシュヴィッツの虐殺医師ヨーゼフ・メンゲレを免責したらどうだろう。あるいは、戦後のドイツがナチスの息のかかった上層部の医師を国立医療センターに配属したり、主要な医学校の学部長にしたり、新しいドイツ防衛軍の軍医総監に任命したらどうだろう。
    そんなことはありえない、と皆さんは言われるだろうか。二流の作り話か三流小説だと思われるだろうか。しかし、そうではない。今申し上げたことはまさに戦後の日本の反省なき幹部の犯罪者たちの現実なのです。彼らの行為はその残虐性と堕落の程度においてナチス・ドイツに決して劣るものではない。そして、信じがたいことだが、私は最近日本の戦争犯罪者から誘われて彼の家を訪問し戦時中の役割を満足げに話すのを聞いてきた。
    ドイツはメンゲレらによる恐怖に正面から立ち向かって戦後、黒い十字架を背負う事になるのだが日本は自己感染した健忘症から目を覚まさなければならない。東京で開催される国際歴史委員会によって修正主義と軍国主義の宣伝がなくなり、嘘のない歴史の真実の追究がおこなわれることを希望する。そうならないと日本の隣人アジア諸国が、日本は過去の戦争から教訓を学びとり、信頼に値する国家となったという確信ができるまでには相当の時間がかかるだろう。
    中立国だと宣言していたスウェーデンやスイスでさえも第二次世界大戦を省みてその過ちを見る勇気を持つにいたったのである。日本はスウェーデンやスイスよりも罪が軽いと言えるだろうか。日本は国連の常任理事国の席を希望しているが、東京が国際的な政治と経済においてリーダーシップを望むのであれば、それにふさわしい道徳的責任を世界に果たさなければならないだろう。」(省略箇所あり)

    最近評判の悪きSWCなのだが、しかし、サイモン・ヴィーゼンタール夫妻が過去に取った行動は賞賛に値すると僕は見ている。
    彼らの行動は時に殉教も覚悟したのだろう。
    殉教という言葉と生き残った事への恥を語るのは、相反することなのだろうが、どちらかを選べと神に言われたら僕としては生き残った事への生き恥を晒す方が自分に向いていると思う。作家、村上春樹はイスラエルの受賞の席で、硬い壁と柔らかい卵の立場を解いていた。
    僕は元々が反体制派(よくこんなヤツを神は容認してクリスチャンにしたと今でも思っている)であるので、村上春樹がいうような柔らかい卵の立場にある、なので生きながら葬られて生き残った事への恥をさらす人生もあってしかりだとユダヤ人の証言を見て思った。
    そして、「私はけして反ユダヤ主義の人間ではない」と、しらじらしく偽証できないことも十分に知っている。

    で、話し変わって、最近DV(ドメステイック・バイオレンス)で評判がた落ちのメル・ギブソン監督(映画「パッション」)はユダヤ人の歴史を題材にしたシナリオ「The Story of The Maocabees」を映画化するという、脚本家のエスター・ハスに原稿を依頼したが、それがユダヤ人をキリスト教徒に改宗させる為の映画だと知って驚愕したという。
    出来上がった映画をみてみたいのだが、彼のアンチセミテイズムは果たしてどうなることやら、、、。

  2. ハンナ・アーレントが「悪の陳腐」と言い切ったのは痛快であり、深い悲しみでもあります。教会にでも当てはまります。それを経験されているのが分かります。9時間半の「ショアー」は何時かしっかり観たいものです。本は読みましたが。どの活動も政治的になると暴力をともなってきます。Susan Neiman “Evil in Modern Thoughtは結構レヴィナスに沿っているようです。感謝と祈り。上沼

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