「心の巣窟」2012年11月8日(木)

今回の札幌の滞在は、道内の旅行がなくて、ほぼ一週間藤野福音キリスト教会の2階に泊めていただき、当教会と市内の教会で奉仕することになりました。今年度で一応の定年退職で退くことになっている小林基人牧師ご夫婦に、食事こと、送り迎えと、大変お世話になりました。同時にご夫妻との会話を楽しむことになりました。かなり前になりますが、「ある牧師夫婦の絶妙な会話」という記事を書いたことがあります。何とも言えないお二人のやり取りに、こちらも勝手に突っ込みを入れて、やり取りのバランスを崩すことを楽しんでもいました。

そのような雰囲気のなかに、札幌に来て入ることになり、どこかで自分の「心の故郷」に帰った気分になりました。お互いの過去も知っていて、それでも互いに受け入れ、信頼し合っているというか、心を開いていることでいただける自由を楽しむことができます。変な緊張も、遠慮をもいらないのです。ありがたい交わりです。

そんな緊張もなかったこともあったのかも知れませんが、小林牧師とある意見の食い違いが出てきて、しばらく議論をすることになりました。奥様はニコニコしながらか、内心は心配しながらか、黙って聞いていてくれました。大したことはないといえばその通りなのですが、ただ45年ほど前にこの札幌の下宿で同じような議論をして、口角泡を飛ばしてやりやったことを思い出しました。

小林牧師もミニストリーの20周年記念誌にその時のことを記しています。「2年間重なった下宿生活の大半は、青春の疾風怒濤の時代だったのでしょうか、訳のわからない議論に明け暮れていました。」さらに続けています。「信仰一途な頑固者(?)の上沼さんは、私が小説を読んだり音楽を聴いたりするフマニスト的なことが気にさわったようで、私がベートーベンの『熱情ソナタ』を聴いていた時、『キリストの他に慰めがあっていいのか!』と名言を吐かれました。」

そんな恨みをもあってか、いまだに遠慮無しに心にあることを言い合うことができます。それでまた奥様の手料理で食事をいただいているときに、「心の故郷」に帰ったような気がしていますと言いましたら、「心の故郷」ではなくて、「心の巣窟」ではないですかと半分真顔で言い返してきました。奥様も合点が行かれたような笑みを浮かべていました。盗人や悪党たちの「巣窟」ですと説明をしてくれました。

言われてみれば、その後45年、恵みと赦しと祝福を信じていても、同時にどこかでわざわいをも引き込んでしまうところがあって、人を傷つけ、悲しめて来たことがあります。心に住みつく罪は、思いに反しても、自分のなかに巣を作っているのです。「心の故郷」に帰ることは、残念ながら「心の巣窟」に戻ることをも意味しています。小林牧師のいつもの冗談の一つなのかも知れませんが、どこかで真実をついています。そうなので、ただ赦しをいただいて生きていることを確認します。「心の巣窟」が少しでも光をいただいていることを願うのです。

上沼昌雄記

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「「心の巣窟」2012年11月8日(木)」への1件のフィードバック

  1. こころをゆるして語り合える友人がいるというのは大切な宝ですね。
    巣窟ということばを出せる間柄、受け止めることのできる間柄というのはすばらしいなと思いました。

    友人にいただいた小林純一著『創造的に生きる』を読んでいます。
    自分自身の平和を作るというところを少し読みました。

    自分自身の真の姿に向き合い続ける、その闘いを続けていくことが
    自分自身との平和を作ることにつながると書いてありました。
    ああそうだなと納得してしまいました。

    主人が少しずつですが日常でおこっている事、職場で起こっている事
    そこで感じた思いを
    自由に語ってくれます。なるべく説教しないように聴いています。
    娘も自由に語ってくれます。
    家族が感じたことを出せるようになっているのはなかなかうれしいものです。。

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