「牧師の本棚」2012年11月6日(火)

今回初めて九州の熊本に伺いました。阿蘇山の麓の肥後大津という3万人ほどの町にある大津キリスト教会です。この5月に伺った大阪島本の教会の豊田信行先生の紹介です。阿蘇山の麓で良い働きをされているということで、牧師の米村英二先生にお会したくなりました。豊田先生の教会で米村先生の十戒について書かれた本を手に入れ読むことになりました。十戒の教えと生活と歴史上の賢人の教えとが何とも見事に調和されていて、引き込まれる思いをいただきました。

駅に先生ご夫妻が出迎えてくれました。踏切を横切っても5分もかからないところに教会がありました。地元に定着し、こちらも温かく迎えてくれるような雰囲気の会堂でした。2階の牧師住居の一室の畳の部屋に案内されました。その廊下には本棚がずらっと並んでいました。荷物を置いてふすまを開け、目の前に鎮座している本棚の本に対面することになりました。十戒についての本を読んだときに、歴史上の人物の人生訓のようなものが見事にブレンドして語られている不思議な感覚がよみがえってきました。

ABC順に本が並んでいるのですが、書棚は一見聖書と関係がないと思われる本が入りきれないほどに置かれています。ふすまを開けたところには『国家は誰が守るのか』とか、『大英帝国衰亡史』とか、『西田幾多郎の妻』とか、『二宮金次郎の一生』という本が、牧師の本棚にふさわしい(?)かたちで置かれています。米村先生の本を読んでいたので、ここからあのようなメッセージが出てきているのが分かりました。一見聖書と関係がないように思われる本が、米村先生のなかではみことばの下に見事に調和されているのです。出入りするごとに何度も立ち止まり本棚を眺めることになりました。

歴史上の人物で、真剣に生きた人、まじめに人生を考えてきた人の人生訓に米村先生が真剣に対面していることが分かります。そこから語られることは聞く人にも、読む人にも聖書の世界に自然に引き込まれていくのだと思います。そのような読書のなかで、先生は最終的に内村鑑三に導かれたと言われます。内村鑑三全集、著作集は全部そろっています。そしてよく読んでいます。また、良くここまで集め、揃えたものだと関心をしています。古本屋でといわれるのですが、この町に古本屋もあるわけでもないしと、思わされたのです。

熊本の2週間後に札幌に行きますとお話しをしました。先生が顧問をされている札幌のもう一つの聖書学院の学院長先生に会ってくださいと言うことになりました。話が通じて先週の金曜日に伺いました。同時に3時間目が空いているので何か講義をしてくださいと言うことになり、哲学概論のような話をしました。お昼をいただいて、このあとどこに行かれるのですかと問われましたので、北大の正門の向こうにある古本屋に寄る予定ですと話しました。そうしましたら先生たちが、米村先生は札幌に講義に来られて、良く古本屋に行っていましたと伝えてくれました。それで分かりました。米村先生のあの本棚の本は、そのように日本中の古本屋を歩いて集めてこられたのです。それが伝道と牧会に生きているのです。

伺ったところどころで、牧師の書棚、本棚を眺めるのは楽しいものです。それでもこれほど聖書と関係がないと思われる本が、当たり前に置いてあると、正直驚きです。先生の本を少し読んでいたので、なるほどと思わされるのですが、その膨大な本の量と読書の幅が聖書の世界に生かされているので、納得する以上に、そのように結びつけられる強靱な精神力に敬服させられます。

ただその熊本の牧師の本棚が、札幌にも結びついていることに不思議な導きを感じている次第です。

上沼昌雄記

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