「照らされない闇」2013年2月4日(月)

 2007年6月13日付のウイークリー瞑想で「照ら 
された闇」という記事を書きました(以下に添付)。ポートランド 
の日本人教会の聖書塾で 「魂の暗夜ー心の闇を見つめて、闇 
の中で神に出会うために」というテーマで、分かち合う時を持ちまし 
た。 小さいときの経験、戦争の時の記憶、父親のこと、結婚 
生活のこと、鬱になったこと、閉じこもっていたときのこと、 
分かち合いながら輝いている顔を今でも思い出します。それはまさ 
に「照らされた闇」でした。

 そのなかで「母が病気であったことで小学3年生の時の記憶 
がないこと」と語ってくださったご婦人と、先週不思議なかたちで 
メールのやり取りが始まりました。お会いしたことがないのですが 
ウイークリー瞑想を読んでいてくださる別のご婦人が、この方のお 
宅に立ち寄って、ウイークリー瞑想の話になったということです。 
闇のことを分かち合う授業に参加していていたというので、その時 
の「照らされた闇」を送りました。

 その返信で、お母様が病気であったために両親と離れて暮らさな 
ければならなかった時のことを記してくださりました。その時のこ 
とを語ったことで「照らされた闇」を体験したのです。「 先 
生の講義の時まで私の闇が何であるか考えてもいなかった私に、闇 
の原因を何も見えないはずの暗闇の中で見出したことは驚きであ 
り、またその闇の中に光を見出した時の安堵は今も忘れられません。」 
「 しかし私はその後、時には暗闇体験をしています。今はも 
う真っ暗闇ではありませんので時々行ったり来たりして光を楽しん 
でいますが、、、今私と共にいる神がいると信じているからできる 
ことかもしれませんね。」「今の私の心には時には影ができても、 
全く光の届かない闇がないことを感謝しています。」

 2008年に拙書『闇を住処とする私、やみを隠れ家とする 
神』を出しました。当時「闇」のテーマで集会を、できるところで 
していました。二つの集会で、「もうやめてくれ」と怒りだした人 
のことを覚えています。ひとりの方は参加者のご主人で未信者の方 
でした。もうひとりは牧師でした。未信者のご主人は、しかし、怒 
りだしたことで、その説明をし出したのです。不思議なことでそれ 
で、何がその人の闇なのかは分からないのですが、その方の心のど 
こかに穴が空いて、何か重苦しい空気が除かれて、その場が明るく 
なったのです。

 もうひとりの牧師は、ある地域の牧師会の研修会でのことでし 
た。とりまとめてくれた牧師も、闇のことに関心があって研修会の 
テーマとしてくれたのです。現実には、自分たちの思いとは関係な 
しに多くの牧師は、自分の闇に直面しなければならなかったので 
す。ともかくその必要性をお話しして、自分の闇のことを分かち合 
う時を持ちました。その牧師は最後の方になっていたのですが、ご 
自分の順番になったときに、このようなテーマは取り上げない方が 
よいと言って怒りを表されたのです。それでも同じように、その理 
由を説明しだしたのです。そこでご自分が抱えている苦悩を、多分 
思いがけなく、吐露されたのです。それに触れたくはなかったの 
に、語り出したら出てきてしまったのです。

 この牧師の心にも穴が空きました。しかしどこかで重苦しい空気 
は除かれないで、その場は霞かかったままでした。それは、他のほ 
とんどの牧師たちに戸惑いを与えたからです。それまで自分のこと 
を語ってきた牧師たちの顔には、どこかで闇がそのまま覆っていた 
のです。牧師研修会に来て自分の心の闇を語るように言われてため 
らっていた顔、自分の心に闇があってもこんな場所で出したらどう 
なるのかという心配していた顔、こんなテーマは牧師会で取り上げ 
るべきでないと思っているような顔、それでもこの牧師が怒りを出 
してくれたので安心したような顔、すでに数年前のことなのです 
が、その時の何とも言えない暗い雰囲気がよみがえってきます。そ 
れはまさに「照らされない闇」でした。

 その時の牧師たちの心に、いま何かが残っているのか、知るすべ 
もありません。そのまま押さえ込んで、そんな時はなかったかのよ 
うに、今までどおりの牧会をされているのか、知るよしもありませ 
ん。闇は闇のままに留まっているのかも知れません。もしそうだと 
したら、光である神を信じていることが牧会者としてどのような意 
味をもってくるのか問われます。教会員も、それぞれ自分のなかに 
闇を抱えたままになってしまいます。

 その時の牧師たちを非難しているのではありません。ただ「照ら 
されない闇」を抱えたままでは、信仰も伝道もどこかで漂ってしま 
うからです。「照らされた闇」のウイークリー瞑想の最後にも紹介 
したのですが、秋田の牧師たちの会合に参加してくれた、現在山形 
で牧会している坂本献一牧師の体験が語っているとおりだからです。

 「上沼さんは繰り返し『闇に入っていくことができるのは、光の 
存在を信じるからだ』 、、、と語ります 。、、そし 
て、それは逆の表現を採るならば、『闇を直視できないのは、光の 
存在を信じていないから』と言えるはずです。私は、これが今日の 
教会に対するひとつの挑戦だと感じています。、、 結局のと 
ころ『信仰がない』ということに行き着いてしまうように思うのです。」

上沼昌雄記
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「「照らされない闇」2013年2月4日(月)」への3件のフィードバック

  1. 『照らされた闇』と『照らされない闇』の二つを読ませていただきました。

    二つの学びの情景が浮かびます。なんとも重い雰囲気も伝わってきます。
    届こうとしている光を受け付けることができず、光そのものを怒りでもってはねのけてしまう空気はとても残念なことだなあと思っています。

    先日9日、母の三回忌が無事終わりました。
    母の死から二年の月日が流れました。

    法要のあと夕食の時間に
    心優しい弟が、母の人生を赤ちゃんの時からの
    ずっと写真で振り返る演出をしてくれました。

    その写真を見ながら、昭和一ケタの世代がぽつりぽつりと自分の人生を振り返っています。
    戦争のこと、子ども時代に十分に食べることができず、親にも甘えることができなかったこと、疎開のこと、失われた青春。
    突然夫や子どもに先立たれたこと。
    実につらい記憶が母の写真と共にあぶりだされてきました。
    涙をながし、苦労の多かったそれぞれの自分の人生を振り返っていました。

    弟はクリスチャンであるわたしをよくみています。じっとそっと見ています。母とわたしの中にあった苦しみもそれとなく知っています。家出して長い間連絡を取らなかった過去のことも知っています。

    母の葬儀にわたしがかけつけてきたことを本当によかったといっています。
    そのあとのわたしのゆっくりとした変容ををじっと見ています。

    わたしが今ではあかるくあっさりと父と喧嘩したり、ユーモアを交えて
    おもしろい掛け合いの会話をするので、弟も多分驚いていると思っています。私自身がそのことを一番喜んでいます。父を励まそうとわざとしているのではなく光があるから、さわやかに生きることができます。

    父は娘がゆったりのんびり生きていると怒り出します。「お前のしつけがなっていない」とわたしにも怒りだします。

    父は生まれてすぐ、親から離されて子どもに恵まれなかった自分の兄夫婦の養子として出されました。
    やさしい養父母でしたが、どこか本当の両親でなかったことが今でもとても寂しいようです。

    ですから、わたしが娘をかわいがっていたり、娘がマイペースで生きていると、とても腹がたってくるようです。自分もそうしたいのにできなかったという怒りが出てくるのです。

    わたしは父のめぐまれなかった子ども時代を知っていて、怒りがどこから出ているのか、だいたい予想ができるので、毅然とした態度で父と接します。
    そしてさわやかに喧嘩します。

    あとで「何であんなことでおこったのかなぁ。。」といって頭をかいている父を見ているとおもしろくなります。

    光があるから父とおもしろい喧嘩ができます。
    光がわたしの家族をまもっていてくれているととても感謝しています。

  2. 『照らされない闇』を一ヶ月たって再び読んでいます。

    前半の女性の言葉は深みに満ちています。神様につながっている平安が
    満ち満ちてこちらにも静かに伝わってきます。

    井戸掘りをしています。
    しばらく自分の中ではお休みにしていたのですが、
    思いがけない形で始まりました。

    大分・玖珠に住む母の一番上の姉が三回忌のお礼にお菓子を贈ってくれました。
    キリシタン大名の大友宗麟公のお菓子です。大友宗麟と父親のなんともいえない悲しい歴史を知ることとなりました。

    母は祖父をとても慕っていたので、祖父と祖母のルーツを知りたくなりました。
    祖父と祖母は京都で出会っています。京都大学出の祖父と老舗のお嬢様の祖母が出会っています。

    戦争の悲しい影が若い二人にのしかかります。
    疎開のため、祖父の故郷、大分の山の中、玖珠に家族で逃げることとなりました。
    京都の人間が九州の田舎に住むということは大変な苦労であったと思います。栄養失調で母の姉は死んでいます。祖父も仕事での人間関係がうまくいかず、アルコールに依存し、祖母は誇り高いお嬢様でしたが、以前にもまして
    プライドの高い女性となって行きました。

    母はそんな闇を背負って生まれ、育ちました。苦しかっただろうと思います。
    母のプライドの高さは祖母譲りです。しかし、そこにはなんともつらい戦争の歴史が織り込まれています。

    母との和解が続いています。母がけっして私を甘やかさなかったのには
    悲しい歴史のわけがあります。

    そういう井戸掘りがゆっくりゆっくりとすすんでいて、母に対するコンプレックスの感情がゆっくり解けてきています。

    しばらくはその作業を大事にしたいと思っています。

    静かな光がまた奥へと届いてきました。

  3. 吉川恭子さん、静かな光がゆっくりと吉川さんの心の奥に届いているのが分かります。その光で温められている心が浮かんできます。温められた心はお父様と弟さんにも伝わっているようです。福音の光をいただいてることが吉川さんのなかに実現していることが伝わってきて、うれしい限りです。感謝と祈り。上沼

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