「レムナント」2013年3月6日(水)

 過ぎる土曜日に高校の時の友に、サクラメントとサンフランシス 
コの間にあるディビスという大学町で会いました。実はこの友に誘 
われて故郷前橋で、当時宣教師たちが持っていたバイブルクラスに 
英会話のために出席するようになり信仰を持ったのです。友は英語 
が上達して一年間高校生留学でミネソタ州にきています。こちらは 
一年浪人をして、同じ大学に行くことになりました。友の専門は生 
化学、こちらは神学校とそれぞれの歩みをして、数年前に全く偶然 
のように、高崎駅の新幹線乗り換え口で会ったのです。

 私たちの間にもうひとりの友がいて、よく3人で一緒に遊び 
ました。礼拝にも一緒に参加しました。友は今でももうひとりの友 
と会っているということで、次の日本訪問のときに、3人で一 
緒になりました。それぞれ専門の分野を持っていて、それで全くい 
い年になっているのですが、何とか3人とも仕事を続けること 
ができています。そんな自分たちの状態を何の気なしに「それでは 
我々はみなレムナントだ」と言いました。聖書に出てくる「残りの 
者」のイメージが浮かんだのです。そうしたら友が「何を言ってい 
るのだ、それは俺の専門だ」ということで、会話というか、交流が 
面白いところに展開することになったのです。

 友に会いに出かける前に妻に彼の専門はレムナントだと伝えたの 
ですが、私の説明では意味が通じないので、実際に会って友に説明 
をしていただくことになりました。そのディビスにあのみくにレス 
トランのお店があるのです。その野外のパティオで特性のロールを 
食べながらの会話となりました。どうも体にあるレムナント、すな 
わち残りのもの(者)を、飢餓状態になったときに体がそれを食べ 
てエネルギーにするというのです。多少専門用語を使って説明して 
くれ、妻も納得したようです。友はその研究を大きな製薬会社で続 
け、実用化したようです。今は独立してコンサルタントとしてボス 
トンに何度も来ているというのです。カリフォルニア大学ディビス 
校もその関係で時々立ち寄るようです。

 レムナント、「残りの者」は、聖書の中心的なテーマではないの 
でしょうが、同時に聖書の流れの全体を知る大切なテーマのようで 
す。正直、レヴィナスというユダヤ人哲学者のものを読み、いま一 
世紀のユダヤ教を背景に聖書全体を説明しているイギリスの新約学者N.T. 
ライトのものを読んでいくなかで、その意味合いがより鮮明になっ 
てきています。神に背き続けている神の民を神がさばく、それでも 
「残りの者・レムナント」をしっかりと残しておくのです。エルサ 
レムと神殿の崩壊と、バビロン捕囚です。捕囚の民は、神のさばき 
の結果であり、同時に神の民の救いの手だてなのです。後にエルサ 
レムに帰還して神殿を再建します。

 預言者エレミアを通して神は言われます。「しかし、わたしは、 
わたしの群れの残りの者(レムナント)を、わたしが追い散らした 
すべての国から集め、もとの牧場に帰らせる。彼らは多くの子を生 
んでふえよう。」(エレミア書23:3)

 友にこの神の不思議な取り扱いを話すことになりました。レムナ 
ントという用語はまさに聖書の世界からきているのです。最初にこ 
の用語を使うことになった研究者も聖書を知っているか、もしかし 
てユダヤ系かも知れないとなりました。どうも最初は「スケルト 
ン・骸骨」と名付けようとしたらしいです。それがレムナントに落 
ち着いたのです。

 友は自分の専門のレムナントが、しかも仲間の間では「ミス 
ター・レムナント」と呼ばれていると言うことですが、その意味合 
いが聖書からきていることに考え深そうでした。なんと言ってもこ 
のレムナントのことで、お互いの専門分野を分かち合いながら、カ 
リフォルニアの空の下で、高校と大学以来、今回は妻も加えてこの 
ように語り合える不思議な導きに思いを新たにしました。

 そしてどうもあのパウロも、自分がベニヤミン族の出身であるこ 
とにレムナントのしるしを読んでいるようです。しかも、そこに民 
族を越えた意味合いを含めることで、神の救いのわざが全人類と全 
世界に及んでいくことを確信して書いたのが、ローマ書と言えます。11 
章の始めで自分の出身を語って、預言者エリヤのときに残された民 
のことを引き合いに出して言うのです。「それと同じように、今 
も、恵みの選びによって残された者がいます。」(ローマ書11: 
5)

 恵みの選びによるレムナント、その残りの者を通して神の救いと 
恵みが、他の人に、全世界に及んでいくのです。その流れに組み込 
まれています。「レムナント・残りの者」で、回り回って戻ってき 
た友との交流です。

上沼昌雄記
広告

「「レムナント」2013年3月6日(水)」への1件のフィードバック

  1. 『レムナント』を読ませていただきました。
    重厚な響きです。なんというか、痛みのなかの希望も感じます。

    今は少しずつ、葉室麟さんの歴史小説を読んでいます。読んでいますといってもとてもゆっくりとです。黒田官兵衛をあつかった小説です。神様の御計画を「風」で表現します。

    戦国時代の神の民が神の国実現のために奔走いたします。
    しかし、本当に迫害が強くえげつなく窮地の連続です。
    絶望もあり、そこに何の実も実らない。。そんな虚脱感さえ伝わってきます。

    そんな中にやはり残りの民がいるのです。時代の見方、視点がどこか違うのです。過酷な状況を摂理として見ることのできる高い見地があるのです。

    葉室麟さんの視点がいいなとおもって読んでいます。

    私はいまはたくさんの悲嘆感情があふれています。それで自然だと受け止めています。
    その感情に自分自身翻弄され、時に苦しみながらも、時々、ふとそれは遺族として通らなければならない大切なプロセスの時なんだと上からの知恵で思わされるので、安心しています。
    その感情をどこか心の隅でじっと眺めている存在があります。もうひとりの自分であったり、神様であったりします。

    カウンセラーの方は感情を出すことを進めてくださいます。
    感情を出すよりも理性的に対処してしまう、私の性格とか傾向をよくご存知だからです。自衛官の家族で育ったからでしょうか。。

    とても眺められないほど強い悲嘆が押し寄せてくるときにも、神様がそばにいるので、そのときはつらくても、後ですっきりします。
    とても守られている感じがします。

    感謝しています。

コメントを残す

以下に詳細を記入するか、アイコンをクリックしてログインしてください。

WordPress.com ロゴ

WordPress.com アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Twitter 画像

Twitter アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Facebook の写真

Facebook アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Google+ フォト

Google+ アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

%s と連携中