「聖餐式」2013年5月23日(木)

 この5月2日で104歳になられた大村晴雄先生 
を、昨年の11月にお訪ねした同じメンバーで、過ぎる月曜日 
に宇都宮の施設に訪問しました。石神稔牧師が聖餐式の準備をして 
きてくれました。前回の聖餐式も大変喜ばれたという、別の訪問者 
からの報告も聞くことができました。

 寝たままですが、大村先生は顔つやも良く、すでに聖餐式の心備 
えをしているようでした。石神牧師が聖餐式の準備をしているとき 
に、大村先生に話しかけました。今朝から待っていたと言われまし 
た。それだけしっかりしたものを感じることができました。また、 
息子さんに聖書を読んでもらって勉強していると、前回の会話 
(「上沼さん、いま何を勉強しているの?」2012年11月16 
日)の続きをご自分の方から話されました。

 耳元に語りかける石神牧師の文語訳での式文にじっと耳を傾けて 
いました。そして、アーメンとはっきりと合唱されました。それが 
信仰者として当然であるかのようにアーメンと言われました。むし 
ろこちらの方がつられるほど力強いものでした。多少心配をしたの 
ですが、パンもぶどう液もご自分で召し上がりました。もちろん自 
分で飲み込めるかどうかヘルパーさんに確認をしていたのですが、 
それも当然であるかのように、渡されたパンとぶどう液を召し上が 
りました。

 賛美歌291番「主にまかせよ、ながみを」を一緒に賛美しま 
した。大村先生はすでに目が見えないので歌集を追うことはできな 
かったのですが、私たちの賛美に大きな声で合唱されました。それ 
も当然であるかのように、大声で歌われたので、こちらがつられる 
ほどでした。

 そして恵みを感謝するようにうなずきながら、しばらく沈黙の世 
界に入られました。パンとぶどう液にあずかることで、キリストの 
死と新しい契約によって生かされている事実をゆっくりと味わって 
いるのが分かります。過去のことがいま大村先生のなかに実現して 
いて、その事実に動かされているかのようでした。聖書の過去の出 
来事が生きているのです。キリストの事実はそのようなものなので 
す。その現実を見ることになりました。

 その後、小泉一太郎氏の奥様が作られたおまんじゅうとお茶を美 
味しそうに召し上がっていました。前回は私たちに何を勉強してい 
るのかと聞かれたのですが、今回はご自分が勉強していることから 
疑問に思っていることを聞かれて来られました。創世記1章と 
2章のこと、真理と永遠のことを聞いて来られたのです。 そ 
の質問を、私たちの来訪に合わせて、ずっと考えられておられたよ 
うです。 石神牧師が宿題として受け止めてくれましたので 
ホッとしました。

 前回の訪問の時よりしっかりとされているようで、驚きと同時 
に、もたもたしている私たちの方が励まされたことでした。それ 
は、キリストの現実を聖餐式で確認をされて、御霊の思いが大村先 
生を支配しているからなのだろうなと思わされます。何かことばを 
失うような、まさにこれが聖餐式なのだと実感させられました。

上沼昌雄記
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