「大村先生を勉強しています」2013年10月1日(火)

 過ぎる9月26日(木)に大村晴雄先生を宇 
都宮の施設に、いつものように石神牧師、小泉氏とともにお訪ねし 
ました。どのような質問が先生から出てくるのか3人ともびく 
びくしながら部屋に入りました。丁度施設の拡張工事中でコンク 
リートの突貫工事のすごい音が部屋のすぐ外で聞こえてきて、先生 
と話ができるのか心配になりました。

 先生は満で103歳です。今までの会話では数えを使ってこら 
れたようなのでそのまま104歳としますが、信じられないほど 
顔つやも良く、すでに私たちを持っていてくださったようです。先 
生の耳元でしっかりと話をするとどうにか通じるようです。また先 
生の口元に耳を付けると先生の声を聞き取ることができます。どう 
も先生には工事の騒音は聞こえていないようです。私たちの方も集 
中すると何とか会話ができます。

 石神牧師が執り行う聖餐式の式文にはじっと耳を傾けているよう 
です。アーメンに、しっかりとアーメンと応えています。渡された 
パンとぶどう液には、堅く手を握って何度もアーメン、アーメンと 
感謝を持って応えていました。ただキリストの割かれた肉と流され 
た血のゆえに神を知ることの絶大な恵にしたっているようです。あ 
たかもルターがいう十字架の神学のその際だった信仰のゆえに知る 
ことができる神の恵みのなかに先生がいるようです。その姿を覗っ 
ているだけでこちらも感動が湧き上がってきます。

 先生がいつものようにひとりひとりを呼んでくださって、近状を 
尋ねてくださいました。私に日本でどこに行くのかと尋ねてくださ 
り、札幌、秋田、山形、名古屋、大阪というと、指を折って一つ一 
つ確認されていました。今回はまわりの騒音はすごいのですが、前 
回より聞こえているようで、集中すると会話が続きます。

 それで思い切って、先生に質問があります、聞いてみました。 
何?、と返事をされました。例の先生の「ルターの『ハイデルベル 
グ論題』について」には続きがあるのでしょうかと尋ねました。そ 
うしましたら、ない、とあっさり答えられました。そんなにあっさ 
りと言われたのであっけにとられていたのですが、後のお二人もそ 
の即答の妙味に驚いていたようです。

 実は、先生のこの論文はそれとして完結しているのですが、最後 
にタウラーとルターのドイツ神秘思想について言及していて、その 
ことについては別途論じる必要があると書いてあるので、そのこと 
を知りたかったのです。どこかでそのテーマについて先生が話され 
たのを聞いた記憶があります。ヘーゲルの専門家でありながら、ヤ 
コブ・ベーメの神秘思想を大切に取り上げているので、そのドイツ 
神秘思想について先生はルターのなかにもあることを見逃していな 
いのです。むしろ大切な要素として取り上げているのです。ドイツ 
観念論とドイツ神秘思想をコインの両側のようにみているのです。

 ともかくこの夏は大村先生の書物を結構読みました。 再来 
週に札幌の郊外の聖書学院で「聖書と哲学」というテーマで教える 
ことになっているので、手元にある先生の書かれたものを確認した 
のです。 先生のなかには聖書と哲学を厳密に切り離すものが 
あります。それで失礼にならないように、今大村先生を勉強してい 
ますとお伝えしました。ほほえんでくれました。 それは無理 
だといわれているのか、是非やりなさいと言ってくださっているの 
か、分からないのですが、この機に及んで哲学者としての大村先生 
の信仰のあり場を知りたくなったのです。

 それは多分、聖餐式でのあの先生の感謝の念に表されているのだ 
と思います。それ自体が何ともインパクトのあることです。同時に 
哲学の世界と信仰の世界の峻別のその境目について知りたく思いま 
す。先生のほほえみは、あたかもそれは自分で格闘して見いだしな 
さいと言っているかのようです。

上沼昌雄記
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