「アテネ捕囚?」2014年2月5日(水)

 ニーチェが目の敵にしているかのようなキリスト教とは、現実に 
はどのような信仰形態のキリスト教なのか、そして逆に、現在のキ 
リスト教の視点からニーチェをどのように捉えているのか、そこま 
で踏み込んだものはないだろうと思っていたのですが、ホイートン 
大学の哲学教授のBruce Bensonという人が、かなりしっかり 
と取り上げていることが分かりました。

 父の病院通いの世話でロス郊外に来ているのですが、幸いに近く 
にバイオラ大学とタルボット神学校があり、その図書館を、教職者 
パスを購入して使っています。今は自分のネットで図書館の検索が 
できるので、いくつか可能性のある書物をリストしてから図書館に 
向かいます。その昔論文を書いていたときには、図書館に閉じこ 
もって、その関係の雑誌から当たって、文字通りに図書館のカード 
から可能性のある書物をリストして行きました。今や、異次元の情 
報世界に生きていることを実感します。

 Bruce Bensonは、福音的な立場で現代ヨーロッパ哲学の流 
れをしっかりと捉えています。ベルギーの大学で博士号を取得して 
います。 その著 Graven Ideologies-Nietzsche, Derrida & 
Marion on Modern Idolatry で、まさにニーチェとデリダとマリオ 
ンを取り上げています。そこには当然ハイデガーとレヴィナスも登 
場します。ダラス・ウイラードがその本の推薦文を書いています。 
そんな人がホイートン大学で教えていることに希望を感じます。ホ 
イートン大学は妻と長女の母校です。

 ニーチェの哲学史上での理解に関しては、ハイデガーの貢献があ 
ります。ハイデガーの晩年のニーチェ講義が、ニーチェを西洋思想 
の再解釈の試みと見る新しい理解を示しました。すなわち、ニー 
チェのキリスト教批判はそのまま西洋哲学の批判でもあり、その源 
をハイデガーはアリストテレスに、ニーチェはプラトンに見ている 
のです。

 西洋哲学は確かにプラトンとアリストテレスによっているのです 
が、そこにキリスト教が相乗することで、まさに西洋思想と社会が 
築き上げられてきました。キリスト教神学はギリシャ哲学を用いる 
ことで自己防衛と自己確立をしてきました。そのギリシャ哲学の発 
祥地アテネを拠り所にしたのです。それをBruce Benson 
が “Athenian captivity”「アテネ捕囚」と呼んでいます 
(P.11)。なるほどと思わせる歴史理解です。しかもハイデガーと 
ニーチェがそこからの解放を助けたと認めています。

 アテネ捕囚とは、まさにバビロン捕囚を踏まえて言っていること 
です。しかし、このふたつを並べてみてみると、何とも不思議な思 
いにさせられます。すなわち、バビロン捕囚から解放されたら、そ 
れで自由にされて神の国の建設が近づいたのかと思うと、結局はア 
テネ捕囚がそこに待っていたと言うことになるからです。この流れ 
をどのように捉えたらよいのか、すなわちそれも神の計画と言える 
のかどうか、何とも考えさせられてしまいます。

 歴史的に、バビロン捕囚から解放されてエルサレムに戻るのです 
が、そのエルサレムが後にギリシャとローマの支配に置かれ、その 
なかでイエスが生まれ、十字架にかけられ、復活していくのです。 
そのキリスト教が地中海を中心にローマにまで浸透していきます。 
それはまさに神の計画であったというのが、おそらく伝統的な西洋 
の教会の理解であったわけです。しかし、それはアテネ捕囚の代価 
によると見る歴史理解が徐々に明確になってきています。そのさき 
がけをニーチェが見て、叫んでいたのです。それがホロコストを経 
験することで多くの人がニーチェの叫びを聞くことになったのです。

 それでは、アテネ捕囚からの解放、すなわち、ギリシャ哲学で身 
に着けてきたものをいっさい取り除いたらどのようになるのか、何 
か裸にされるようで戸惑いを覚えます。しかし振り返ってみるに、 
そのように聖書を理解しても大丈夫だという、もうひとつの方向が 
出てきているようにも思います。すなわち哲学的な超時間的な抽象 
概念とか、精神分析的な霊的理解で聖書を理解するのではなくて、 
神の物語として聖書を理解していく世界が開かれて来ているようで 
す。イギリスの新約聖書学者のN.T.ライトの膨大な試みもこ 
の辺にあるのではないかと思わされます。世界的な聖書学者であるN.T. 
ライトは、歴史家でもあって、アテネ捕囚からの解放の必要をしっ 
かりと見ています。

 二つの世界大戦とホロコストを経験して、西洋の没落というか行 
き詰まりが明確になってくるにつれて、ニーチェの叫びに不思議に 
耳を傾けるようになってきています。ハイデガーがニーチェを前面 
に出してきたところがあります。その西洋の始まりを「アテネ捕 
囚」と言い切ることで、問題点の指摘という以上に、アテネ捕囚か 
ら解放された意味での聖書の読み直しの責任が問われてきます。ア 
テネの申し子ではなく、神の民としての責任です。

上沼昌雄記
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「「アテネ捕囚?」2014年2月5日(水)」への2件のフィードバック

  1. 私はインチキな奇形児としてニーチェを読むの巻き

    ゲリラはテロリズムではない。
    テロとゲリラを混同するのは政府か原理主義者、保守派もしくは反ユダヤ主義な頭の悪い連中であると反体制な私はしている。
    エルネスト・ラファエル・チェ・ゲバラが行なった武力闘争はのちの運動家達の手本になった。米国で起こった学生運動の闘士達のほとんどはチェ・ゲバラに由来して行動を起こして来た。
    それと同じで、ニーチェ以降の哲学者及び哲学を学ぶ者はニーチェを無視できない影響下にいる。
    要するにニーチェはゲリラなのである。
    哲学を勉強していると、どこからともなくニーチェは現れる。それも神出鬼没でニーチェと遠くに離れていても至近距離に彼は寄って来る。フランス思想、哲学専門の僕が図書館で真剣にフーコーやサルトルとの対話をしていると、僕の肩を叩く人がいる。それがニーチェである。
    ニーチェとは?どの時代、何処から読んでも、しごく簡単に入れる哲学書である。
    そしてニーチェを味方につけると発想の転換なるものは、いとも簡単に出来る。
    しかし、まったく厄介であり面倒な学者なのだ!
    三島由紀夫は当時の文芸誌に「ニーチェは卒業した。」と書いたが、どこからともなくしつこく現れるニーチェに対し「卒業」という言葉で締めくくったのだろう。当時の寄稿文を読むとニーチェを彼なりに総括して距離を置きたがっているのが理解できる。しかしそう簡単に総括などできないのである。
    哲学者としても分類の難しい人で、その破壊力からして影響力は絶大で勝手に人の頭に忍び込んで概念を破壊しちゃうからややっこしい。なのでオーファンベック言う処のニーチェの狂気の半分は偽装ということからして、影響から抜け出せなくなった三島由紀夫の狂気も半分は偽装だったのだ!
    そうしたことからニーチェの読み間違いは良く起こるので要注意は必要だ!

    そもそもニーチェの神の死の神学については、ニーチェは神の死に興味を示したのではなく人間の死に興味を示したのであって、そこを勘違いするとおかしなことになる。人はニーチェを神の死についての思想家に仕立てて歪曲してしまうのだが、神の死についての最後の思想家はフォイエルンバッハであって、ニーチェの興味は神ではなく常に人間に向けられていた。
    なのでニーチェ神の死の神学はホロコーストの犠牲者に多大な影響を与えた。
    フランソワー・モーリヤックがエリ・ヴィゼールの「夜」にあてた序文で書いたことは人間としての彼の率直な現実なのであろう。
    「神は死んだというニーチェの叫び声は、ほとんど身体に直に応えるひとつの現実の表現であった。」

    ニーチェを理解するにあたりモーリヤック的な身体の痛みの感じ方の解釈は最大限に必要なのだろう。
    神と共に強制収容所で死んだエリ・エゼルを書いたエリ・ヴィゼールはまたもやニーチェを引き合いに出して『夜明け』の主人公エリシャに語らせる。
    「哲学が僕を惹き付けていた。つまり僕はもろもろの出来事の犠牲者として。それらの出来事の意味を理解したかったのだ!僕は強制収容所で神に対し、または神に似ているところと言えば残酷さばかりの人間に対し、苦痛の怒りの叫びを発したかった。」この文章はニーチェの叫びからインスパイアードされている。

    「今日では全ての瞬間、全ての実践、全ての本能、現に実行されるすべての価値判断が、ことごとくキリスト教的である。にもかかわらず、近代の人間は依然とキリスト者と称して恥じない。近代の人間はなんというインチキな奇形児であるかと言わざるを得ないのである。」(隣人愛をめぐるニーチェの思想)
    このインチキな奇形児に対して、ニーチェも聖書と共に批判的に関わる。だがその関わり方に差異がある。バイブルならこのような近代の人間にキリスト者らしく生活をする事を勧めるが、ニーチェは我らにキリスト者であることをやめようと言う。
    「今日、キリスト者であるということは、恥知らずであるということだ!そしてそこに私の嘔吐が始まる。」とニーチェはいう。(隣人愛をめぐるニーチェの思想)
    この文は名ばかりの信仰者への回答であり嘔吐である。
    ニーチェ言わんとする、インチキな奇形児の我らクリスチャンは、うかうかしているとニーチェの偽装の狂気の半分を引き継ぐことになる事を警告していた。
    それが前回書いたニーチェの本気と狂気の罠である。

    「キリストは外部より、むしろ内部からの批判を喜んだのかもしれない。」カント 1784年ベルリン月報

    僕の場合、キリスト教プロパガンダ(自己宣伝)組じゃなくって、レジスタンス派なので、教会図書にはニーチェやカミユが並び、賛美歌の代わりにローリング・ストーンズのI can’t Get No(Satisfaction)を拳を上げて歌い、スタバのカフェモカをがぶ飲みしながら神に抗議する教会があったら素敵だとインチキな奇形児のワタシはニーチェを読み考えた。

    上沼先生!毎回アナーキーでアヴァンギャルドな意見ばかりですみません。

    1. 伊東さんへ、管理者からコメントが入っていることを知らされました。現在旅の中です。5月15日kら6月11日は日本になっています。ニーチェについて勝手に書いています。お話しできればと思います。お元気でいてください。上沼 2014/04/22

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