「雅歌、再び」2014年7月28日(月)

 あるディボーション関係の雑誌から雅歌の箇所の執筆を頼まれ、 
この数週間思い巡らし、まとめています。かつて2006年に 
「雅歌に見る男女の対話」ということで、『夫婦で奏でる霊の歌』 
を出しました。もう一度、雅歌が私たちプロテスタントの福音派 
で、結構安易に無視されていることに、どうしたものかと思案して 
います。

 ひとつには、雅歌には「神」の名も出ていなくて、男女の相聞歌 
のかたちをとっていて、それで神と民との愛の歌を比喩的な表現で 
しているからです。文字通りの聖書解釈を指針にしている私たちに 
は、端的に戸惑いを覚えます。しかしユダヤ教でも初代教会でも大 
切な書としてきたことを思うと、隔世の感を禁じ得ません。

 もうひとつは、ディボーション誌の2日目に4章の初めで 
(7章の初めでも繰り返されているのですが)花婿が花嫁の身 
体の美しさをほめたたえているからです。すなわち、それはどうも 
既成のキリスト教倫理に合わないことから、単純にどのように取り 
扱って良いのか分からなくて、敬遠されているのです。とても礼拝 
で朗読できる箇所ではないと、暗黙のうちに決められています。

 比喩的解釈のことは聖書解釈学のテーマで、それとして真剣に取 
り上げなければなりません。身体的な描写に関しては、そのような 
ことを取り上げること自体が霊的でないという倫理観がどこから来 
ているのか、逆に真剣に考えなければなりません。雅歌で当然のよ 
うになっていることが、教会では避けられているのです。それはし 
かし、霊肉二元論、善悪二元論のギリシャ哲学の影響に過ぎないのです。

 そんなこと思いながら執筆しているのですが、その合間に、唯一 
手元に持ってきた村上春樹の『女のいない男たち』をじっくり読ん 
でみました。5月に日本で手に入れて読んだときには、60 
歳を過ぎた村上春樹がどうしてこのようなテーマの本を書いたのか 
と、かなり強く疑問に思いました。本人もどうしてなのかは分から 
ないと断っているのですが、同じ60歳代のものとして、真意 
のほどを知りたくなります。

 今回ゆっくり読んでいくつかのことに気づきました。ひとつは 
「女のいない男たち」の定義らしいものを村上春樹自身がしている 
ことです。「一人の女性を深く愛し、それから彼女がどこかに去っ 
てしまえばいいのだ。」(279頁)それだけなのですが、この 
短編集では、それぞれシチュエーションを変えてストーリーが成り 
立っています。それはまさに現代的というか、ポストモダン的とい 
うか、既成のキリスト教倫理観からは危ぶまれる表現が多いのです 
が、「一人の女性を深く愛する」ことと、その「彼女がどこかに 
去ってしまう」ことの意味合いが、色彩を異にして鮮明になっています。

 「一人の女性を深く愛する」のは、単に性的な関係を持っている 
というのではないのです。また「去ってしまう」というのは、亡く 
なるというより、失うことです。自分の元からいなくなってしまう 
のです。そのシチュエーションがどのようなものであっても、一人 
の女性を深く愛して、その彼女がいなくなってしまうことが、人生 
に深刻な問題と計り知れない意味をもってくることを、この短編集 
は伝えています。

 結婚をしていても「一人の女性を深く愛する」ことにはならない 
のです。誰でもが分かっていることです。「一人の女性を深く愛す 
る」ことは、亡くすことでなく、失うことで知るのです。そのよう 
な設定なのです。それは端的に、自分が一人の女性を深く愛してい 
るのかと問いかけてきます。どれくらい深くが「深く」なのか、計 
りようのないことです。ただそれは失うことで知らされるだけで 
す。人生が二分され元通りに決してなることのない辛い経験です。 
それが「深く愛する」ことなのです。

 雅歌の3章と5章で、愛するふたりが行き違い、相手 
を見失う場面があります。原因については何も説明していません。 
当然であるかのように起こり、傷つきます。そしてまたふたりがよ 
り近づいてきます。それでも完成というものはありません。愛は最 
後まで満たされない渇きを持っています。それが夫婦の愛であり、 
神との愛でもあります。

 思いがけないというと申し訳ないのですが、表層的なことを越え 
て、むしろ深淵なテーマを村上春樹が取り上げているのだと納得し 
ます。「一人の女性を深く愛する」こと、それを経験したら男性は 
今まで通りのままでは人生を過ごせなくなるからです。

 雅歌と村上春樹を結びつけたら、また叱られそうです。勘弁をい 
ただいて、ともかく雅歌を真剣に読んでみてください。夫婦で読み 
合ってください。そして『女のいない男たち』も恐る恐る開いてみ 
てください。男性たちは。

上沼昌雄記
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