「神の小径」2014年9月10日(水)

 この冬場から春にかけて敷地内にいくつかの小径を造りました。 
傾斜地で枯木や枯れ草で覆われているところがあって、山火事に 
なった場合に危険なので、できるだけ取り除いて燃やしました。隣 
の人がきれいにしていることに倣って、老体をむち打って、作業を 
したのです。その折りに隣の人が傾斜地に造っている小径に沿っ 
て、あるいはそれに続いて自分たちの敷地にも小径をいくつか造り 
ました。それは山火事の場合に、類焼を食い止めることに役立てば 
という狙いもあります。

 この10日間ほど家に戻ってきました。先週の金曜日にミニ 
ストリー理事会があって、そのために木曜日と金曜日には戻ってく 
る予定でしたが、父もそれなりに小康状態を保っているのと、ル 
イーズの妹も来ているので、この際と思って早めに帰ってきて10 
日間家にいることができました。

 家に戻ってきて私が最初にすることは、家の周りをきれいにする 
ことです。夏場でも結構葉が落ちています。それほど乾燥していま 
す。ロス郊外は海風が入ってきますので、涼しいのと湿気があるの 
ですが、ここは内陸で暑く、雑草は真茶色になっています。皮膚だ 
けでなく、鼻の中まで乾燥してきます。

 先週の土曜日の夕方に、春先に造った小径をきれいにしました。 
落ちていた葉を除き、少しだけ道幅を広げ、木々の間に小径が通っ 
ていることが明らかに分かるようにしました。日曜の夕方に妻を 
誘ってその小径を通って隣の人のフェンスにまで来ました。そこの 
ご主人が犬の糞をかき集めているところに出会いました。井戸の中 
にあるポンプがどうも砂利でだめになったようで、2日間ほど 
水が出ない状態であることを話してくれました。一段落付いたとこ 
ろで、この6月終わりに息子さんとその奥さんを交通事故でふ 
たりとも亡くされた話を始められました。

 この方たちとは、2年ほど前にその家に引っ越されて来てか 
ら、道で出会って折々に話をするようになりました。私たちの立場 
をすぐに分かって、自分もかつてはウイクリフの宣教師になろうと 
したと最初に会ったときに話してくれました。健康上の理由で断念 
しなければならなかったこと、バイオラ大学を出ていること、その 
後は警察官になって、今中学の先生をしていることが分かりまし 
た。離婚され再婚されていることも分かりました。それでも私たち 
がそのまま受け止めていることが分かってくれたようで、出会うご 
とにいろいろ話をしてくれるようになりました。町の教会の礼拝に 
出席されています。この方たちのためにも祈るようになりました。

 亡くされた息子さんは彼の子どもさんになります。その息子さん 
のお母さんの関係の家族の結婚式に向かう途上で事故に遭ったよう 
です。息子さんの奥さんは即死で、息子さんは2日後に脳死と 
判定されて亡くなられてと言うことです。この方はご自分の離婚で 
子どもさんたちが苦しんできたことも語ってくださり、その子ども 
さんの一人を亡くすことになって、毎日のように苦しめられている 
心を吐露してくれました。苦悩を噛みしめている佇まいがありました。

 慰めの言葉もありませんでした。ただ私たちに語ってくれたこと 
を感謝しました。失ったものを埋めるものはありません。時が癒し 
てくれるものでもありません。神を信じていても、答えのない生活 
を送ることになります。ただ私たちに話してくれたことで、少しで 
も心が軽くなればと願います。続いて祈るだけです。

 小径が思いがけないところに私たちを導いていきました。自分が 
造った小径を見てもらおうと思って妻を誘ったのですが、別の導き 
がありました。神の小径には思いがけない世界が通じています。イ 
スラエルの民は大水の中の神の「小道」(詩篇77: 
19)を通ったのです。

上沼昌雄記
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