「ある夫婦の風景」2014年10月30日(木)

過ぎる週末にかけてある牧師夫婦宅に事情が重なって3連泊
させていただきました。結構長い付き合いをいただいているのです
が、思いがけない夫婦の風景を見ることになりました。私の目の前
で展開した風景です。

3人で会話をしているのですが、ある話題が切っ掛けとなっ
て、どこかで気がつかないうちにお二人だけの会話になっているの
です。私がそこにいることも関係ないかのように、あるいは忘れて
しまったかのように、お二人で会話が弾んでいくのです。あれと思
うのですが、戻ってくる気配はないのです。それでも無視されてい
るわけでもないのです。それが当然であるかのように楽しそうにお
二人で会話をしているのです。

あまりに印象的だったので、「すごいですね、私がいても関係な
しにお二人で話をしているのですね」とちょっかいを入れてみまし
た。私がいるから話しやすいのだというのです。それでも私がいな
いかのように話をしているので、私の存在とは関係ないのだと思う
のですが、そんなものなのかなと関心してしまいました。

日曜の晩も同じようになったのですが、奥様にご主人をしっかり
と惹き付けているのですね、上手ですねと言いました。実はその日
に伺った教会で午後に女性の集いがあり、その最後に問いかけとし
て、どうしたらご主人の思いを自分に向けることができるのでしょ
うかねと問いかけたことがあったので、率直に奥様にお伝えしました。

ご主人は間髪を入れずに「操作されているのだ」と言いました。
私はそうではなく「逃がさないのですよ」と言いました。奥様はご
主人に向かって「それはあなたと幸せになりたいから」と応答しま
した。そしてまた二人で会話を始めるのです。そうなのです。奥様
はご主人と一緒に幸せになりたいので、上手に逃がさないのです。
それしか言えないのですが、上手です。そしてご主人もしっかりと
受け止めています。それで二人だけの会話が身についてきたのでしょう。

それにしてもこちらがいても関係なしに夫婦の会話を続ける風景
は、中庭の日だまりを観るような思いです。そのままでじっと見つ
めていたくなります。そこだけを切り出して額縁に飾って眺めてい
たくなります。それは多分、旧約聖書の『雅歌』の風景であり、さ
らに遡ってあの遠い園での風景でもあるのでしょう。

上沼昌雄記

追記:ディボーションガイド誌『マナ』の11月1日から
4日までの部分で『雅歌』について書きました。

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