「長期戦」2014年11月28日(金)

 昨晩はほぼ2ヶ月ぶりに父の夜の看病を担当しまし 
た。10月に日本に行き、戻ってから2週間ほど家に帰っ 
ていて、昨日の感謝祭に合流して、担当が回ってきました。

 明け方の3時に父の様子を見に行きました。父はすでにベッ 
ドの脇に立っていました。ドア越しに様子を見ることにしました。 
ゆっくりでしたが自分で溲瓶に用足しをしました。終わってから灯 
りの下でどれだけなのかをチェックしていました。父は元々物理学 
者でもあるので数値に関しては今でも正確です。

 用意してあった水差しで水を飲み出したときに、私の存在に気づ 
いて、中に入りように招いてくれました。「今晩はこれが最初の用 
足しで、いつもよりゆっくりとしている」と言われて、正確に3時 
10分と時間も確認しました。そしてベッドに入るときに足を入れる 
のを助けて欲しいと言われて、少しだけそうしました。灯りを消し 
て、毛布の上から父の手を握って「お休み」と言って出てきました。

 昨日は感謝祭でした。父は疲れたのか夕方からリクライニング・ 
チェアで寝付いて、10時半に目を覚ましました。ルイーズが 
夜の薬を用意し、私は父の背中を撫でて上げました。11時過 
ぎに父がパジャマに着替えるのを助けました。ゆっくりとですが自 
分でできるところをします。私は所々で手助けをするだけです。

 父が薬を飲んでいるときにルイーズが父に、必要であれば夜通し 
ベッドにいてもよく、こちらもできる限りの看病をするからと、 
はっきりと伝えました。父も今のところ夜も自分でできるかは大丈 
夫と、はっきりと応えました。そんなことがあって朝方3時に 
父の様子を見に行ったときに、ベッドの脇でゆっくりなのですが一 
人で用足しをし、水を飲んでいる姿に接して、近づきがたい孤高と 
威厳を感じたのです。

 日本でお世話になった友人の牧師が、「たたかいの場」「たたか 
いの現場」に戻られたのですねとメールをくださり、「すっかり長 
期戦になりましたね」と書き添えてくれました。何の気なしに読ん 
でいたのですが、この牧師自身が経験したことがあって言える言葉 
であり、表現なのだとハット気づきました。身内を見届ける看病が 
「たたかいの場」であり、「長期戦」であるとは経験していなけれ 
ば言えないことです。私には義理の父の関係ですが、何となく分か 
ります。

 「たたかい」をしているのは紛れもなく病人本人です。その「た 
たかい」がありながら、家族の対応の違いがあります。家族の潜在 
的なダイナミックスが出てきます。「たたかい」の周りの面倒で複 
雑な「たたかい」です。その上に医師の思いがけない発言もありま 
す。そしてまた家族の変な対応が出てきます。まさに疲れる「長期 
戦」です。

 父は、何度も危機を乗り越え「長期戦」になりました。ルイーズ 
は最善を尽くしてきました。しかし現実的には、最後の「たたか 
い」の場に入っているのかも知れません。「すっかり長期戦になり 
ましたね」の一言で、慰められています。そうです。慰められたのです。

 「慰め」ということばが、第2コリントの最初で何度も繰り 
返されています。「そばにいて語りかけてくれる」という意味があ 
ります。「助け主」(ヨハネ15:26)なる聖霊のこと 
にもなります。なるほどと思います。

上沼昌雄記
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