「義父の沈黙」つづき 2015年2月16日(月)

 ウイークリー瞑想「義父の沈黙」を今朝(16日月曜日)発送い 
たしました。それから1時間後に花束が配達されました。よく 
見たらウイークリー瞑想で書いたビジネスマンとその家族からでし 
た。私は葬儀の後にこの方が、父を訪ねたことと、その後のことを 
語ってくれたことで、感謝したいと思って探したのですが、すでに 
帰られたようでした。この方は教会で父を見かけて、霊的指導者に 
と、ご本人から申し出て、父を訪ねてきたようです。訪問の最後で 
父の病状に気づいたようです。それで次の訪問を控えたのが、葬儀 
の時の証で分かりました。しかし、そのただ一回だけの訪問がこの 
方には大きなインパクトを与えたのだと思います。送られてきた花 
束を見て、その思いが伝わってきました。私なりに感謝の思いを伝 
えたいと願い、この方にメールで返事をいたしました。義父の沈黙 
にはさらなる続きがありました。

上沼昌雄記
広告

「義父の沈黙」2015年2月15日(日)

 義父の葬儀が一昨日教会で執り行われました。私たちは父の直接 
の看病に専念してきたので、葬儀関係はすぐ下の妹にまかせまし 
た。葬儀が週末に関わっていたので私たちの3人の子どもたち 
も出席可能ということで、連絡を取り合って木曜日のうちに到着し 
ました。父が子どもたちとの再会を可能にしてくれました。

 教会の会堂はクリスマスの時にキャンドルの不始末でカーペット 
が燃える事故があり、改修中で、教会付けの体育館で執り行われま 
した。しかしそれはシンプルな、明るい、オープンな雰囲気を醸し 
出してくれました。そのためか、とても家庭的な雰囲気でプログラ 
ムが進みました。その上メッセージもユーロジー(個人追 
悼)も短めで、まとまりがあり、意味のあるものでした。

 こちらの葬儀では家族が故人のことを語るときがプログラムにあ 
ります。日本から送られてきた英文のカードをルイーズがこの日の 
ためにとって置いて読み上げました。父の宣教で信仰を持ったフ 
リーランス・ライターの山川曉さんのカードも読まれました。山川 
さんは父の宣教で出来上がった教会の週報を最後まで送ってくれま 
した。一年前には父のお見舞いにも日本から来てくれました。彼と 
は父を通して信仰の友となりました。父の日本での宣教活動の実を 
紹介するときとなりました。

 私たちの3人の子どもたちも一緒に立ち上がって孫としての 
グランパーに対する思いを語りました。他にふたりの孫もそれぞれ 
思い出を語りました。それが終わって会衆から誰でも思い出を語る 
ときが持たれました。牧師がマイクを持って会衆の間を駆けめぐり 
ます。このような自由な時をこちらの人は臆することなく対応して 
いきます。またそれぞれポイントを絞って語ってくれます。語って 
くださった人の中には私たちも知っている人がいます。その内容も 
納得がいきます。また驚かされることがあります。

 終わりかけたときに一人のビジネスマンが立ち上がりました。昨 
年の終わり頃に父を霊的指導者として訪ねてきました。父の体調は 
厳しい状態でしたが、その日しっかりと着替えて待っていました。 
ふたりが語り合っていたのを別室で様子を見ていました。そして次 
の週も続きをすることを約束していました。そして次の週父は彼の 
到来を待っていました。しかし現れませんでした。自分に何か落ち 
度があったのかと一言だけ言いました。その人が立ち上がったので 
す。父の病状がすでに厳しい状態であることを知って遠慮をしたの 
だと語ってくれました。彼がどうして現れなかったのか分かりまし 
た。同時にこの方のうちに父との一回だけの対話が深い印象を残し 
ていたことを知ることになりました。

 続いてもう一人の男性が立ち上がりました。イラン人のクリス 
チャンで、迫害を逃れて来たのですが奥様とは12年間離れば 
なれになってしまったなかを、父が霊的にも法的な手続きをも含め 
て励ましてくれた結果、今ようやく夫婦で落ち着くことができと 
語ってくれました。父がそのために多くの時間を使っているのを 
知っていました。そのような結末について父は語ることはありませ 
んでした。

 5年間父の闘病に付き合ってきたのですが、自分の宣教活 
動、自分のしてきたことについては語ることはありませんでした。 
特に自慢話のようには語ることは決してありませんでした。日本で最後の 
20年間全身全霊を捧げてようやく築き上げられた教会が20年 
後には消滅してしまったことについても沈黙を守っていました。し 
かしその実があちこちに散らばっていることが紹介されました。

 父には私から見ると正直過ぎるところがあります。それで辛い思 
いをすることも何度かありました。しかし、そのことを恨むような 
こともありませんでした。裏切られたようなことでも沈黙を守って 
きました。それでも人に深いインパクトを残して来たことを知るこ 
とになりました。

 父が口にしなかったこと、沈黙を守ってきたこと、それは多分辛 
いことが多いのだと勝手に思っていたのですが、葬儀で分かったこ 
とはすべてを主に委ねていて、自分の業績のようには思っていな 
かったことです。しかし、本人が黙っていても故人への思い出とし 
て人々が導かれるように語り出したのです。またさらにまだ語り出 
されないでどこかでこれからも実を結んでいくこともあるのかも知 
れません。父が沈黙しているので神が語り出しているかのようです。

上沼昌雄記

「義父への約束を」2015年2月11日(水)

 義父は昨日(2月10日)午後4時5分 
に最後の息を神に委ねました。朝方3時から昏睡状態に陥り、 
まもなく息を引き取るのかと思ったのですが、それから13時 
間父の心臓は確実に動き続けました。すでに前立腺癌からの全身転 
移でからだはやせ細っていたのですが、心臓は働きを辞めることは 
ありませんでした。その動きと父の息をじっと見守ることになりました。

 5年前にバイパス手術をしてペースメイカーを付けていま 
す。しかし3年前に高圧酸素ボンベの治療の効果か、心臓の機 
能は父のこの地上での最後を13時間引き延ばしてくれたよう 
です。ホスピス体制の指導で、ペースメイカーの再稼働の機能は削 
除してありました。

 すでに痛みはないようでしたが、機能が少しずつ低下していく心 
臓の動きを見守るのは辛いことです。多分急坂か、岩場を一生懸命 
に上り詰めているような苦悩なのかも知れません。その姿を家族の 
前に展開しているのです。というより、父自身がその最後を家族に 
見せているかのようでもありました。最後の息までしっかりと生き 
てきた自分の姿を見守ってもらいたいかのようでした。

 一つだけそう思わせることがあります。ある真夜中の父の看病の 
時に、信仰から離れている一番下の弟のことが気になっていること 
を話してくれました。そのときに私たち夫婦ができるだけのことを 
することを約束しました。父は感謝をして後は神の手にあることと 
いってその夜は眠りに戻ったことがあります。

 その弟はクリスマスの時に父の看病の助けに来てくれました。そ 
して次の予定はこの2月21日から一週間と決めていまし 
た。しかし年が明けて1月20日からホスピス体制に入っ 
てからそこまでは持たないと思って、私なりに父の状況を伝えてき 
ました。同時に無視もされてきました。しかしこのままではどこか 
で父への約束を果たせない思いがあって、直接に電話をしていつ来 
るのかと尋ねました。

 義弟は過ぎる土曜日からこの日曜日までの予定で来てくれまし 
た。私は遠慮なしに夜の看病を彼に委ねました。彼も引き受けてく 
れたのですが、ルイーズが真夜中でも薬の投与をしないと行けない 
ので、それに付き合ってこちらも起きて彼の看病を助けることにな 
りました。日曜の夜というか、月曜の朝方の3時半から5 
時まで、義弟と私たち夫婦は幻覚でうなされている父と一種不思議 
なやり取りの時を持ちました。末息子がそこにいることも分かって 
いました。私が英語で尋ねたことに、「そうですか」と日本語で返 
事をしてくれました。そして父は賛美歌を歌いながら眠りに戻りました。

 昨日の朝方も義弟が看病をしていて、3時半に父の呼吸が困 
難になっていることを私たちに知らせてくれました。それから午後 
4時5分まで13時間父は自分の生き方を隠すことなく示 
してきました。義弟は父の手を握り、涙を浮かべながら父をしっか 
り見守っていました。そのような時を父は待っていたかのようでし 
た。実際に父が最後の息を引き取った時、義弟は父の手を握ってい 
たと言っていました。

 私たちはこの5年父の闘病と付き合ってきました。父の痛み 
の呻きと忍耐を何度も見てきました。最後にさらに苦しむ必要があ 
るのかと思ったのですが、そこにはやはり意味があって神が時を延 
ばされたのかも知れません。義弟の信仰とかはともかくとして、少 
なくとも私には義父への約束を少しでも果たすことができたのはな 
いかと思っています。秘かに父に伝えたいことです。

上沼昌雄記

「アブラハムへの祝福は」2015年2月5日(木)

先日はどうしても家に帰って必要なものを持ってくる用事があっ

て、無茶なことでしたが、片道7時間半のドライブをして日帰
りで戻ってきました。家にも7時間半滞在して、それが終わっ
て夜中にまた7時間半ドライブをして両親のところに朝方着き
ました。

父のホスピス体制では、治療ということはないのですが、襲って
くる痛みに対しての対処が求められます。ルイーズが最善を尽くし
ています。すでにモルヒネの量も相当に上がっています。その上に
痛みに合わせて液状のモルヒネと安定剤を投与するタイミングが求
められます。そんな状況下で、24時間で家に帰って用事を済
ませて戻ってきました。

私たちの年齢からしたら当然無茶なことでしたので、子どもたち
は心配をし、同時に呆れ返ってもいました。ドライブ中眠り込むこ
とがないようにと携帯に何度も電話を入れてくれました。孫とまで
ドライブをしながら話が弾みました。

このことは、前回の「この時の責任を」できるところで果たして
いる中での窮余の策でした。それでも子どもたちは、彼らからみて
祖父になる父に私たちが最善を尽くしていることに、深い関心を
持っていてくれ、また多少の敬意を持って見ていることを直接的に
知ることになりました。子どもたちが私たちのしていることに関心
を持っていてくれること、それ自体が掛け替えのないサポートで
す。孫たちも曾祖父がこの地上の人生を終えることに彼らなりに思
いを向けて、絵を描いて送ってくれています。

教会の人たちも関心を持ってみているようです。現在のアメリカ
社会ではホームに預けてお終いというところがあるのですが、私た
ちは両親が最後まで自分たちの家で過ごせるようにと願って頑張っ
ています。そのことに秘かに関心を持ってみているようです。現実
的にホームに預けたら家を抵当に出さなければできないことです。
また実際的には、家もそれなりにスペースがあり、父の病人用ベッ
ドは居間にあって充分に介護もできます。それでも家で最後まで面
倒を見ることは大変なことです。覚悟がなければできません。

そうであっても私たちのことが問題ではなく、父が最後までどれ
だけ安心して快適にこの地上の生活を過ごせるかが問題です。少な
くとも2回ほど臨時で来てくれた女性のナースは父への世話が行き
届いていることを認めてくれました。私たちとしては父のことを最
優先に動いているのですが、しかし、そのことが少なくとも子ども
たちに、多分さらに間接的に周りの人たちへ何らかの意味をもって
いるのだろうと思います。

神のアブラハムへの祝福が、究極的にはアブラハムへの祝福では
なくて、アブラハムを超えて「地上のすべての民族」(創世記
12:3)への祝福になっていることに納得させられます。し
かもその祝福にはすでにエジプトでの400年にわたる苦役
(創世記15:13)が伴っていることが預言されています。
そうなんだろうなと、納得したくないのですが、唸らされています。

西洋社会の個人主義はキリスト教にも影響していて、結局は自分
の救い、魂の平安、そして自分の祝福だけを追い求めることに終始
しがちです。それは残念ですが家族の間でも見られます。しかしよ
く考えてみると、神のアブラハムへの祝福は、結局はアブラハムの
祝福ではなく、子孫への祝福であり、全人類への祝福なのです。そ
の恩恵を私たちは受けています。しかし残念ながら祝福は自分たち
止まりになっています。神の祝福を独り占めにしてしまうことにな
ります。それは祝福ではないのです。

このことは父の介護をしながら実感させられたことですが、実は
父の介護をしながら足かけ3年にわたって携わってきたN.T.
ライトのSimply Christianの翻訳作業を通して教えられたこ
とです。ライトは、アブラハムへの祝福に現されている神の救いの
計画の全体像をパノラマのように展開しています。翻訳をしながら
自分の状況との関わりを見つめることになりました。その訳業もよ
うやく終わろうとしています。

上沼昌雄記

「この時の責任を」2015年1月27日(火)

 義父は先週からホスピス体制に入りました。看護師の定期的な問 
診、それに伴う必要な薬の配達等、助けになっている面と、父自体 
が寝たきりに近くなってきていることで、それに伴う介護が全面的 
にふりかかってきています。若くない私たちのことも心配して、ロ 
スで仕事をしている姪が、仕事場からの許可をいただいてこの週応 
援に駆けつけてくれています。昼間はネットで仕事をしながら夜は 
助けの手になってくれています。

 姪は数年前に親から離れて両親のところに来ました。私たちもす 
でに父の看病のことで両親のところに滞在していたので、彼女の家 
族のことも含めていろいろなことを話してきました。少しずつ自立 
をして、自分で仕事を見つけ、この4月に導かれて結婚するこ 
とになりました。姪の成長をそばにいて観ることができました。今 
度は寝袋を持って私たちの応援に駆けつけてくれたのです。

 姪の婚約者とも親しくなってきています。私たち夫婦のこともよ 
く観察しています。不思議なことに例のレヴィナスの「他者」の話 
になりました。他者とは一番身近にいる人のことで、それは妻であ 
るとレヴィナスが言っていることの意味を説明するというか、その 
意味を話し合うことになりました。一番身近にいる人は同時に自分 
にとって一番の他者なのです。他者は容赦なしに自分の中に入って 
きて、意に反して私たちを変えていきます。自分のなかに他者を引 
き入れることはでません。他者のために自分は存在しているので 
す。そこに存在のための責任が生まれてきます。夫婦であることに 
その責任が端的に問われるのです。

 そんな話をしていても父のことがどこかで入ってきて長い話はで 
きないのですが、夕食後に話の続きが始まりました。母も寝室に引 
き下がっていました。義姉も一緒でした。というよりもその義姉に今度は 
N.T.ライトがいっている「みこころが天になるように、地にもなさ 
せたまえ」という主の祈りを祈っている私たちのこの地上での責任 
のことを話すことになりました。切っ掛けは、私たちのキリスト教 
があまりにも自分中心であるために、信仰自体も自分の救いと自分 
の祝福のためのものになっていて、そこからくる弊害で実際に問題 
を抱えているからです。

 自分のために世界は存在しているのではなく、世界のために自分 
は存在しているのです。そしてモーセの十戒のポイントはまさにそ 
こにあります。神を愛することと隣人を愛することに集約される十 
戒の具体的な例を義姉と姪に語ることになりました。やもめとみな 
しごと在留異国人が決して困ることのないようにという神の厳しい 
戒めです。結局私たちは自分のために存在しているのではなく、神 
の国の実現のために存在しているのです。それは夫婦においても同 
じことであると、姪との話の続きの一つの結論に達したのです。

 レヴィナスはタルムード学者・ユダヤ人哲学者であり、N.T. 
ライトは旧約からの流れを強調する新約学者です。そのふたりの方 
向性が神の民としての責任に関してぴったりと合ってきます。その 
方向性に私なりに関わっているのは、父の最後を手助けすることで 
す。みこころが天になるように地にもなされていくことの責任を果 
たしていくだけです。そして実際の場面で天と地が出会っている光 
景に出会うことになります。

 昨晩10時に最後の介護をして父も落ち着いてきたときに、 
姪が持ってきたオレンジ・シャーベットを、父と孫娘である姪が 
ベッドの脇でおいしそうに食べていました。天国の食卓の光景でし 
た。天が地に触れているのです。そのような場面に、この時の責任 
をできるところで果たしているときに接することになります。

上沼昌雄記