「存在の外のことで」2015年3月23日(月)

 この世に生を受けた70年前は、硫黄島の戦いが終わりかけ 
ていたときでした。1945年の2月19日に始まって 
3月26日に終焉しました。すでに3月21日に日本 
軍の玉砕の発表があったのですが、その後栗原忠道大将の率いる最 
後の総攻撃で壊滅したのが3月26日でした。映画『硫黄 
島からの手紙』がその最後の戦いを描いています。日米合同の70 
周年追悼式が、その意味で、この3月21日に硫黄島で行 
われました。自分の誕生の背後に硫黄島の戦いがあることを、ある 
時から意識するようになりました。

 硫黄島は本土防衛の最後の要塞でした。それが崩れたことで、そ 
の後本土の空襲が激しくなりました。故郷前橋は終戦の10日前の8 
月5日に大空襲に遭いました。生後5ヶ月の私を母が背 
負って利根川の近くの飛石稲荷に逃げて助かりました。その向こう 
に逃げた人たちが焼夷弾で亡くなっていくのを見たと母が話してく 
れました。

 ある時にこの話を幼稚園からの友人の竹本邦昭牧師に話をしまし 
たら、彼もお母さんから聞かされた話として、同じ日に方向は違う 
のですが、 自分のうしろの人たちが焼夷弾で亡くなっている 
のを見ながら、10ヶ月で重かった竹本さんを背負って、必死 
の思いで逃げられるだけ逃げて助かったというのです。竹本牧師と 
は、幼稚園からの友人と思っていたのですが、前橋の空襲の時から 
の運命共同体のような仲でした。

 戦争の生き残りとは当然言えないのですが、何とか生き延びてき 
たわけです。焼夷弾の痕が橋のコンクリートを抉っていたのを覚え 
ています。食料不足で、コッペパンはご馳走でした。そんな中で少 
年時代を迎え、高校生の時に信仰を持って、また不思議に竹本さん 
とも出会うのです。しかしそれは、別の機会の話になります。

 自分の記憶にはなく、それだけ意識に上ることもないので、自分 
の誕生のときに世界がひっくり返るようなことが起こっていたこと 
が、その後どのように自分のなかに残っているのか、知るよしもあ 
りません。しかし10数年前にユダヤ人哲学者のものを読み出 
して、ことばの手前、意識の手前にあることで、自分の存在そのも 
のが震えたり、脅えたりすることがあることを知りました。

 レヴィナスはフランスに帰化していて、フランス軍の捕虜として 
ドイツ軍に捕らわれていたのですが、出身のリトアニアの家族と親 
族はほとんどナチスによって殺されたことを戦後知りました。戦前 
にドイツのハイデッガーの哲学に心酔していたのですが、そのハイ 
デガーがナチスに加担していたことを知り、なぜハイデガーの存在 
理解はナチスの全体性に飲み込まれてしまったのか、どうしたら全 
体主義に飲み込まれないで、その外で存在の在処を見いだせるの 
か、それがレヴィナスの戦後の哲学になりました。

 難解な文章で知られるレヴィナスなのですが、翻訳で苦闘しなが 
ら読んでいくと、絶対に全体主義に組み込まれないで、存在として 
の責任を全うできるのか、その血の滲むような苦悩が伝わってきま 
す。存在自体がすでに自分の「意に反して」、自分の外側のことで 
振り回され、もみくちゃにされるのですが、そんな窓がいつも空い 
ているような自分でありながら、それでいて他者のための身代わり 
として生きる尊厳が伝わってきます。

 レヴィナスが体験したナチスとホロコーストと、自分が生まれる 
ときに起こった硫黄島の戦いとを比較しようもないことですが、自 
分の存在の外で起こったことが、意識下で、あるいは意識の手前 
で、存在そのものを脅かしていることを考える手がかりになりまし 
た。関係がないとは言えないのです。責任は今ものし掛かってきます。

 レヴィナスはタルムードの学者でもあります。ユダヤ人として、 
つまり神の民として、自分たちの外とは言えない神の民の責任を身 
に受けようとしていることが分かります。そのために私たちの存在 
は窓が空いていると訴えています。新約聖書によって神の民とされ 
た私たちも、旧約聖書からの神の民の責任を逃れることはできませ 
ん。そのための責任を負っています。

 70年前に自分の誕生の外で起こったことに思いが向けられ 
ています。それは端的に、自分の存在は自分のためだではなく、家 
族と子孫のため、隣人と同国民のためであることを知る契機になっ 
ています。少なくともそこに神の民としての責任があるのだろうと 
思います。

上沼昌雄記

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