「ホロコースト・ミュージアム」2015年4月9日(木)

 3度目の正直で、昨日首都ワシントンのホロコースト・ 
ミュージアムに行くことができました。開館が朝10時 
で、9時に着いたのですがすでに小雨の中30メートルほ 
どの列ができていました。すぐ後ろにオーソドックス・ジューの家 
族が並びました。声をかけたのですがうれしそうでなかったので、 
前の家族の話に耳を傾けました。東ヨーロッパの言葉のようでし 
た。ウクライナから25年前に移住してきたロシア系ユダヤ人 
家族でした。

 当然なのですが、イースターと過越の祭りは同じ時期なので、ユ 
ダヤ人たちがホロコースト・ミュージアムに訪ねてきていることが 
分かりました。同時に学校の春休みにもなっていて、子どもたちも含めて 
10時近くには相当な列が出来ていました。セキュリティーを通って 
中に入ったのは10時半でした。

 それまでウクライナからの家族と核心に触れることは微妙に避け 
て、小雨の中会話をしました。こちらがクリスチャンで旧約聖書の 
理解のためにヘブル語を学んでいること、そしてスペインでカト 
リックに迫害されたユダヤ人マラーノの歴史を学んだことがあるこ 
とに、関心を示してくれました。そのご主人が私のうしろのユダヤ 
人家族がイディッシュ語で話をしていることに気づいて声をかけて 
いました。東ヨーロッパからのユダヤ人家族になります。中に入る前の1 
時間半、ユダヤ人家族に囲まれていたことになります。

 エレベーターで3階に上がって、そこから1階に下り 
るような形で展示されているホロコーストの歴史は目を覆いたくな 
るものです。しかし、生き残りの人たちのインタビューを中心にし 
た9時間のビデオ『ショーア』を観て証言を聞いていたので、 
映像として改めて確認することができました。アウシュビッツなど 
の収容所の解放された場面は何千という遺体の処理をしているとこ 
ろで、モニターは低いところに置かれていてその前に子どもたちが 
見られないように胸までの高さで壁が付けてありました。のぞき込 
まなければならないのですが、釘付けにされます。

 収容所までの貨物列車、履き残された何万という靴、刈り取られ 
て売買に使われた髪の毛、ガス室の扉、それらの現物に直面して、 
その臭いと当時に悲鳴が聞こえてくるようでした。煙として消えて 
行った人たちと家族の写真が3階までの吹き抜けの四面の壁 
いっぱいに貼り付けられていて、その中を通り過ぎるときにはその 
人たちのための証言を求められていることを実感します。命の危険 
を冒してユダヤ人を助けた人の中には『命のビザ』の杉原千畝さん 
の写真も掲げられていました。

 一通り見終わったのがすでに午後2時を過ぎていました。中 
にはカフェもないということで昼食はあきらめて、地下の静かなと 
ころで休んでいました。前の壁には子どもたちがタイルに描いた何 
百という絵が飾られていました。そのなかの一つに目がとまりまし 
た。真っ黒に塗りつぶしたタイルに赤字でWHYと書かれていた 
だけでした。どうしてこのようなことが同じ人間の中で起こったの 
かという子どもの偽らない問いです。

 誰もがその問いを問われています。特にヨーロッパはホロコース 
ト後を生きなければなりません。それまでの価値観がすべて崩れて 
しまったのです。まさにポスト・モダンです。避けられないことです。

 WHYという問いをいただいて4時間過ごしたホロコー 
スト・ミュージアムを後にしました。 外は小雨模様のどんよ 
りとした一日でした。

上沼昌雄記
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