「復活がどうして大切なのか?」2015年4月6日(月)

 義父の看病で奮闘していた私たちを見て、長男夫婦が自分たちの 
子どもの春休みに合わせてワシントン郊外に来るようにと言うこと 
で一週間前にまいりました。それに合わせていつも伺っているワシ 
ントン日本人教会の上原先生にお伝えしましたら、折り返しのメー 
ルで先生が新たに次の治療に入られたことを知りました。

 昨年のこの時期にも伺ったのですが、そのときはこれからキモセ 
ラピーの治療に入られるというときでした。それが無事に終わっ 
て、どうもその影響のようなのですが、末端神経の損傷を受けてし 
まわれたようです。「ペリフェラル・ニューロパシー」と呼ばれる 
もので、具体的には「慢性炎症性脱髄性多発神経炎CIDP」 
で、日本では難病の一つと言うことです。

 先生のこの治療のために、昨日のイースター礼拝とあと二回の礼 
拝奉仕をすることになりました。30年近くこのワシントンを 
中心に忠実に日本人伝道をされて来られた先生の回復を祈りなが 
ら、3回の主日の代役をさせていただいています。治療が功を奏し 
て宣教活動に復帰されることを信じています。

 いただいた機会にパウロが復活について58節に渡って述べ 
ている1コリント書15章を3回に分けて説教しようと思 
いました。昨日のイースターは1節から28節までで、特 
にパウロが「最もたいせつなこと」、またキリストの復活がなけれ 
ば私たちの「信仰はむなしい」と言われていることに焦点を合わせ 
て話しました。

 私たちの習慣的な感じでは、イースターはイースターの日だけで 
終わって、後は忘れて過ごしているところがあります。信仰者の意 
識としては復活より十字架に思いが向けられています。すなわり、 
キリストの十字架で罪が赦され、神の子とされたと言うことで、後 
はこれで天国に行けるという安心感と同時に、赦されたのになお罪 
の意識に苦しんでしまう面があります。復活が大切だとは分かって 
いても、意識としてはかなりうしろの方に後退してしまっています。

 パウロは復活が最も大切だと言っているのですが、しかしそれは 
私たちのためと言うより、神ご自身にとって避けられないことなの 
で、大切だと言っているようです。すなわり、死がアダムによって 
入ってきたことに対して、今度は死に対する勝利が第二のアダムと 
いわれるキリストによって入ってくることが、神ご自身にとって必 
要だったからです。「最後の敵である死」が滅ぼされなければなら 
ないのです。

 それは当然信仰者の意識にも関わってくることですが、それより 
もというか、その前に、天地万物を造られた神ご自身がもう一度天 
と地を新たにするためにどうしても死に対する勝利が必要なので 
す。 そのために私たちもキリストの来臨の時に復活に預かれ 
るのです。その初穂として神はキリストを死者の中からよみがえら 
せたのです。 復活は何と言っても神のミッションの完成のた 
めなのです。紛れもなく「これは、神が、すべてにおいてすべてと 
なられるためです。」(28節)

 そのように捉えると、14節で言っているように、復活がな 
ければ宣教も信仰も実質のないものになるとまでいうパウロの心意 
気に共鳴できます。こちらもそのような思いで生きることができる 
のだと、イースターが過ぎて、言い聞かせることできます。

上沼昌雄記
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