「N.T.ライトとアマチュアリズム?!」2015年6月18日(木)

 「神学のアマチュアリズム」という記事を2007年5月8日付けの「神学モノローグ」で書きました。友人で元群馬大学教授の小泉一太郎さんが、オックスフォド大学史が専門で、オックスフォド大学の精神はアマチュアリズムであると教えてくれたことです。C.S.ルイスがその代表だというのです。オックスフォド大学で地理学を教えていたジャームズ・フーストン氏の『喜びの旅路』という本が、「魂の地理学者」として当時出したときでした。

 今回N.T.ライトのSimply Christian『クリスチャンであるとは』を翻訳出版して、まさにこのアマチュアリズムが生きていることに気づきました。ライトには近年1650頁以上のPaul and the Faithfulness of Godという学術書があります。それに比べると200頁ちょっとのSimply Christianは、一般向けのものと言ったらよいのかも知れません。しかしライトには、そのような区別はないのかも知れないと思うようになりました。

 後藤敏夫牧師は「歌うライト」と表現しています。確かに音楽好きなライトなのですが、彼の文章には見事なリズム感があって訳し出すのは大変なことでした。普通の文章でも詩のように韻を踏んでいるところがあります。しかしライトには一般向けに分かるようにと意識的にしている感じがありません。それは講演ビデオを聴いても感じることです。むしろ楽しそうにライトは語っています。それが自分の使命であるかのように語っています。Simply Christianでもその思いが伝わってきます。

 オックスフォド大学の精神がアマチュアリズムであるとすれば、アマチュアリズムが本来のあり方です。その学術的な基盤を大学という場を借りて確立していると言えます。たとえば『クリスチャンであるとは』で天と地の二元論と汎神論について語っています。その説明で十分です。そしてその学術的な裏付けは先のPaul and the Faithfulness of Godで確かめることもできます。それぞれのテーマに関して必要なときに学術書で確認をすることができます。それでもあえて必要がないとも言えます。ライト自身が「結びーさらなる展開のために」でも自分の学術書を紹介することはしていません。

 学者として教職者としてライトはどのような場合でも聖書の全体像を提示しています。その全体像のある場面をどのような場合でも最大限に提示しています。強靭な思考力に裏付けられた一人の召された人として福音の全体像を心から提示しています。その思いが伝わってきます。その心をどれだけ日本語の言い換えることができたのかは心許ないことです。それでもライトはこの本で最大限に自分の福音理解を提示しようとしていることが分かります。それで充分と言いたいかのようです。その思いを少しでも伝えることができたらば、翻訳の使命を多少果たすことができたのかなと思っているところです。

上沼昌雄記


Masao Uenuma, Th.D.
muenuma@earthlink.net
masaouenuma@yahoo.co.jp
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「私の助けは、天地を造られた主から」2015年6月11日(木) 

 義父の看病を終えて、孫との時間をということで、4月にはワシントン郊外の長男宅に、5月にはシカゴ郊外の長女宅を訪ねることができました。シカゴには子どもたちに持っていく荷物があったので頑張ってドライブをしました。10日ほど前に戻ってきました。 

 平坦なしかし緑豊かなイリノイ州、なだらかな農園風景のアイオワ州、トウモロコシ畑が延々と続くネブラスカ州、雄大な高地のワイオミング州、文字通りの塩の湖のユタ州、岩肌をさらけ出しているネバダ州、そしてカリフォルニア州のシエラ山脈を通って家に帰ってきました。 

 行きも帰りもちょうど中間点にあるワイオミング州のララミーで途中休暇を入れたので、ゆったりとしたドライブとなりました。ララミーは60年代に日本でも流行ったテレビドラマ『ララミー牧場』の舞台です。町にはワイオミング州立大学もありますが、一歩町を抜け出せば、まさに大草原の牧場のイメージそのものです。澄み切った空には綿のような雲がいつも漂っています。どこかで夕立が起こっているのが見届けます。

 フォレストヒルの教会にはご無沙汰をしているのですが、ドライブしながらCDでメッセージを聞くことができます。そのメッセージの中に詩篇121篇からの引用がありました。「私は山に向かって目を上げる。私の助けは、どこから来るのだろうか。私の助けは、天地を造られた主から来る。」このthe Maker of heaven and earthの表現に、雄大な自然を見ながら心が捉えられました。 

 文句なしの大自然があり、それぞれの州でその景観が異なっていて、しかも何時間も同じ風景を見せられながら、私の助けはこの天と地を造られた主から助けが来るという詩篇の作者のことばに一種の震えを覚えました。雄大な自然は眺めているだけでも心癒されます。しかしそこに住むことになれば圧倒されるほどの厳しいさが予想されます。ララミーは大草原の中ですが、冬場は吹雪の中の生活になるのだと思います。まさにその自然もその気候も造られた主なのです。

 ゆっくりドライブをして帰ってくることができたためかも知れませんが、今回はそれぞれの州の個性ある風景が今でも脳裏に残っていて、私の助けはその風景をも造られたthe Maker of heaven and earthから来ると、心のどこかで反芻するようによみがえってきます。地だけでなく、天をも造られた主なのです。地のことであればそれなりに考え、表現もできます。天のこととなるとどのように考え、表現したらよいのか分からなくなります。手の届かない世界です。しかし私の助けは、その天をも造られた主から来ると言うのです。

 そうであればどのように助けが届いてくるのかも予想が付きません。行きのララミーでは雪に降られました。帰ってきて干ばつの心配なカリフォルニアで信じられない連日の雨です。この時期は全くめずらしい雨です。どこでどのように神の助けが届いてくるのか、それはただ文字通りに天と地を造られた神の手に内にあることだと納得します。

 「天地を造られた主」the Maker of heaven and earth, それが私の主ですと、震えを覚えながら言い聞かせています。

上沼昌雄記

Masao Uenuma, Th.D.
muenuma@earthlink.net
masaouenuma@yahoo.co.jp