「ある繋がり」2015年12月9日(水) 

 

この5月に3年がかりのN.T.ライトのSimply Christianの翻訳『クリスチャンであるとは』を出版できました。関西の友人を通してある方の感想文が届きました。本を読み出し、一瞬身構え、引き込まれ、また立ち止まり、それでも読了しましたという興味深い文章です。それでいて的を射たまとめをしています。

「この書は、抽象的にChristianityについて説くものではなく、具体的にChristianであることを教えるものだと感じた。静的ではなく動的、机上論的ではなく実際的、断片的ではなく包括的な内容だ。そして、多面的かつシンプル、論理的かつ詩的、保守的かつ独創的なものだと言えるだろう。」

7月のはじめのことでした。その後山形N.T.ライトを読む会で、8月はじめには岩手県錦秋湖でのEMFサマーキャンプでお会いすることになりました。そして、この方のブログに私の『闇を住処とする私、やみを隠れ家とする神』の感想文が載っていることに最近気づきました。この本を知ってから5年以上経ってようやく読むことができ、読みながらためらい、いま読んで良かったと言います。

「一直線に進まない思考も、内省的に過ぎるように思える信仰理解も、『独特な』聖書の読み方も、その全体的な構成の内に位置付けていくならそれぞれが響きあっていることが気づく、そして重なり合うことばと物語の中で、えぐられ、包まれ、押し出されるような経験をする」と言います。またそこに『クリスチャンであるとは』へと「繋がっていく道筋が見えてくるのでとっても興味深い」と言うのです。

7月の後半の都内のある夜の集会に、闇の本を読んで関心を持ったのでライトの集会に来ましたという女性に会いました。闇の本に関して「最初読んだ時にはよくわからない感じでしたが、数年にわたってじわじわと響いてくるものがあり、今では私にとって示唆に富む大切な本となっています。」また「読み始めは文体に慣れないところがあったのですが、読み続けていくと思索が完了しないというかなにか不思議な余韻が残っていました」と文章を添えてくださいました。

ライトの本について村上春樹の言葉を引用して言ってくれました。「読んでいるときはすらすら読めたけど、読み終わってから何だろうと思い始めましたという感想は正しいと、と村上春樹が発言していますが、これはライトの本を読んだときの感覚に通じるような気がします。」確かに、閉じられていないでどこかに繋がっている響きがライトの本にあります。大切なことです。

10月に札幌郊外石狩の聖書学院の全体授業で4時間のライトの学び会をいたしました。少しだけ闇のことについて話しました。その後牧師コースの休講の代講をすることになりました。闇のことについての質問がすぐに出てきました。『クリスチャンであるとは』と『闇を住処とする私、やみを隠れ家とする神』がどのように繋がるのか、その時点で思わされていたことを語りました。

ライトの翻訳・出版は大きなことでした。さらに大きなことはライトの本に私の闇の本との繋がりを感じ取ってくださったことです。ライトの聖書全体像は闇の世界を排除していないからです。それ以上に「主はやみを隠れ家として、回りに置かれた。その仮庵は雨雲の暗やみ、濃い雲」(詩篇18:11)と言われていることに意味があるからです。

上沼昌雄記

Masao Uenuma, Th.D.

muenuma@earthlink.net

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