「イエスが読んだ旧約聖書」2016年3月29日(火)

 最上川の両岸で2回のイースター礼拝を 持ちました。ルカ福音書24章から二人の弟子たちのエマオの途上の出来事を語りました。「ふたりは暗い顔つきになって」(17節)と「私たちの心はうちに燃えていた」(32節)と大きな変化が見られます。その間に「イエスは、モーセおよびすべての預言者から始めて、聖書全体の中で、ご自分について書いてある事柄を彼らに説き明かされた」(27節)とあります。

 さてイエスはどのようなことを語られたのだろうかと思い、会衆に私ではなくて、もしここにイエス様がきてくださって、旧約聖書からご自分のことを語られたら聴いてみたいと思いますかと尋ねましたら、皆さんは興味津々とした顔つきになりました。実は私自身が聴いてみたいことなのです。そしてもしかしたら私とは異なったことをイエスご自身が語り出すのではないかと思いますと伝えたら、皆さん納得していました。

 同じことを先々週秋田で石川兄に話しましたら、「確かに上沼さんはKGKの主事の時に新約聖書しか持って来なかったですね」と言われました。その通りでした。その新約聖書は赤線で塗りつぶされていたのですが、それで聖書が分かったつもりだったのです。詩篇付新約聖書で充分と言うところでした。私の関心はその後の教会の歩みと神学のことにあったのでと、言い逃れができるのですが、同時にどうもどこかおかしいと思うようになりました。

 レヴィナスというユダヤ人哲学者の思想に接して、ギリシャ思想ではないユダヤ思想の世界が身近になってきました。結果的にN.T.ライトの本を訳すことで、旧約聖書から新約聖書に至る一連の流れを見ることができるようになりました。『クリスチャンであるとは』の6章で「イスラエル」があえて取り上げられている理由に繋がります。

 「モーセおよびすべてすべての預言者から始めて」とあるのですが、イエスは律法の一点一画もすたれることもなく、全部が成就すると言われています。また律法の中心が神を愛することと隣人を愛することに集約されるとも言っています。預言者に関しては、イエスはヨナが大好きでした。このようなことはすぐに出てくるのですが、「すべての預言者」とあり、さらに「聖書全体の中で」ともあるので、さてイエスがどのような仕方でご自分のことを説き明かされたのか、ただイエスご自身に聞いてみたくなりました。

 思い違いとまで行かなくとも、私たちは随分偏ったイエス像というか、キリスト像を作ってきたのではないかと思います。自分の信仰の対象としてイメージを作り上げてきたところがあります。それゆえに見逃してきたところもあります。そんなことに気づいて、旧約聖書を読んでいくと聖書全体の流れがすでにアダムの堕落、そしてアブラハムの契約から始まって、メシアである救い主の待望へと、ただ神の不思議な計画として、それでいて確実に向かっていることが分かります。

 ただイエスが読んだように旧約聖書を読んでみたらどうなるのか、何か今までとは異なった世界が展開してきそうです。同時に恐れもあります。それでも心がうちに燃えることになるのだろうと思います。

上沼昌雄記

Masao Uenuma, Th.D.
muenuma@earthlink.net
masaouenuma@yahoo.co.jp
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