「友を失う」 2016年8月22日(月)

 立場上友といえば教会関係の方が多いのですが、友人Yさんは日本の代表的な企業で、世界的な企業でもあるのですが、その国際関係の部門のトップにもなった人です。15年ほど前にシンガポールの日本人教会で知り合いました。その企業のシンガポールでの担当者をしていました、同時に日本人教会の責任者もしていて、私を招いてくださるときの担当もしてくれました。シンガポールに伺う前のYさんとのメールのやり取りのきめの細かさと、シンガポール空港で出迎えてくださったときの本人の豪快さとが対照的であったのを今でも覚えています。

 ご夫妻が日本に戻られてからは、まさに国際関係の担当者として、休む間もなく世界中を飛び回ることになりました。その仕事に合わせて2011年のゴールデンウイークを使って奥様と北カリフォルニアのわが家を訪ねてくれました。敷地を歩きながら、こちらの話を聞いているふりをしながら、大きな木に向かって歩き出し、その前で立ち止まり、そして手で触れて、最後には耳を傾けることまでされました。タホ湖にもお連れしたのですが、湖畔でお昼を食べるとまた木に向かって歩き出し、木をなぜ、匂いを嗅ぎ、耳を傾けているのです。

 Yさんの先祖が、伊豆の山のなかで働く「そま」であったと言うことです。樵(木こり)の職業であったと言われました。三代目まで「そま」を生業にしていて、お父様も木材関係の仕事をされていました。お父様とも一度お会いすることができました。Yさんがわが家のまわりを散歩しながら記してくださったものがあります。「木漏れ日の柔らかな感触。自然の木のなかを流れる水の流れ。懐かしい思い。先祖から流れる血が蘇るような感覚に浸ることの出来た一時であった。」豪快なYさんの中に静かに流れる水の音が聞こえてきました。

 Yさんは正直な人で、私の『夫たちよ、妻の話を聞こう』が苦手だったようです。つまり奥様の話を聞けないと奥様に正直に告白していました。それでも試練の中をお二人が寄り添って歩んでいる姿をうかがい知りました。今年の4月には旧東海道沿いの老舗のお蕎麦屋さんに連れて行ってくれました。奥様と三人で駅から歩くことになりました。そして、食事をいただきながら、N.T.ライトが「クリスチャンであるとは」真の人間として生きることであると言っている意味を勝手に話していたのを、その通りだよとねと相づちを打ってくれました。私はその企業にYさんが遣わされているのは神の計画ではないかというようなことをお伝えしました。それは今でも思っていることです。

 それが最後でガンの末期と分かり、8月20日(土)の朝に召されました。仕事で世界中を飛び回り、これからゆっくり休んで欲しいと願う前に召されてしまいました。闘病の様子を奥様がメールで知らせてくださいました。最後は話を聞くことの苦手であった奥様の話をしっかりと聞かれていたようです。

 Yさんは歴史が大好きでした。歴史の先生になったらよかったのにと思わされました。歴史に基づいての世相批判は聴き応えのあるものでした。また自由な発想を身に着けていました。それは多分仕事の面でも生かされたのだろうと想像します。そして実は、もう少しで企業からも解放されるので、そのあと伊豆の山のなかでゆっくりと語り合うのを楽しみにしていました。人生の後半をいっしょに語り合いたいと願う稀な友でした。その友を失いました。

上沼昌雄記

Masao Uenuma, Th.D.
muenuma@earthlink.net
masaouenuma@yahoo.co.jp
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