月別アーカイブ: 2019年7月
「やはり、信じる力」2019年7月15日(月)
フリーランスライターの友人が日本からいくつかの資料を送ってくれた中に、この5月の新聞の切り抜きが入っていました。村上春樹の小説家40年を記念して、文庫本になった『騎士団長殺し』を中心としてなされた6回にわたるインタビューでした。それに刺激されて、何度目かになるのですが、単行本『騎士団長殺し』を読み出しました。
前後して雑誌Christianity Todayの記事で、福音的な信仰から不可知論者になったバート・アーマン教授との討論会をした人の記事が載せられていて、息子とのやり取りのなかで妻がその記事を教えてくれて読みました。バート・アーマン教授の本はすでに『書き換えられた聖書』『破綻した神キリスト』として日本語に訳されていいることが分かり、英語版を取り寄せて読み出しました。
続いて千葉教授がご自身の「信の哲学」をいくつかの提題にまとめる作業をされていて、その原稿を読んでいました。これら三者三様の文章を読みながら、すぐには思いつかなかったのですが、どこかで共通項がありそうな感覚になりました。小説の強みは読み出すと止められないことです。『騎士団長殺し』では、最後の場面で「信じること」「信じる力」と言うことが繰り返し出てきます。すでにそのことでこの欄で2回ほど過去2年にわたって取り上げました。
そして取りも直さず、バート・アーマン教授の『破綻した神キリスト』の第1章は「苦難と信仰の危機」と言うことで、ご自分が福音的な信仰からどうして不可知論者になったかを正直に書いています。このテーマでの公開討論会のビデオも観ることができました。神がいるのならばなぜこの地上に苦しみや困難や災害があるのかというテーマにキリスト教が、そして聖書が答えていないというのが、バート・アーマン教授の基本的な姿勢のようです。
『騎士団長殺し』では、その「信じること」のできない人物が登場します。すなわち人を信じることができないので、当然結婚もできません。自分しか信じられないのです。予測可能な状態をいつも設定してその範囲内でしか生きられないのです。それを可能にするだけの経済力を確保します。しかしその人物の登場で、主人公である「私」が「信じる力」をいただき、破綻した結婚生活を回復していく筋道になっています。その筋道で闇との闘いを通らなければなりません。
バート・アーマン教授が信仰者から不可知論者になって行かれた道筋は興味深です。というのは神がいるのにどうしてなお地上に悪が存在するのかについては論理的に納得する回答があるのかと思わされるからです。信仰と不可知論との境目は微妙なところなのだと思うからです。それでもバート・アーマン教授は人間性への信頼は強く持っています。地上で少しでも苦しみがなくなるために慈善事業にも関わっています。
具体的な苦しみの例としてバート・アーマン教授はホロコーストを出してきます。『騎士団長殺し』でもナチス下でのことが闇の水脈のように出てきます。そこにはキリスト教に初めから存在していた反ユダヤ主義があります。ルターも加担していることになります。歴史的に解決しなければならない課題をキリスト教は初めから抱えています。聖書の読みを初めから誤ってきたのかも知れません。
千葉教授が提唱されている「信の哲学」は、神学的な枠組みの介入を避けて、ローマ書のテキストの読みに徹しています。信仰/ピスティスにおける認知的側面と人格的側面を見ています。私たちのあいだでの信頼と誠実/ピスティスが神の真実/ピスティスとイエス・キリストの信実/ピスティスに拠っていることを解き明かしています。その信/ピスティスが「心魂の根源的態勢」として誰にもあることを認めています。その意味で「信の哲学」なのです。クリスチャン信仰は聖霊の助けによって神の真実に対応することでいただけるものです。
「信の哲学」の結論のように千葉教授はよくローマ書14章22-23節を引用します。千葉訳で紹介します。「汝が汝自身の側で持つ信を神の前で持て。識別することがらにおいて自らを審判しない者は祝福されている。しかし、もし食するさいに疑う者は咎められている。というのも、信に基づいていないからである。信に基づかないものごとはすべて罪である。」この信は、頭の論理も肉の柔さも突き抜けて、心魂の根底で、イエス・キリストの信を介して神の信と対面することになります。それは「心魂の根源的態勢」であり、すべてはその信に基づいているのです。
『騎士団長殺し』では、登場人物は自分の決まり切った世界に留まるのですが、主人公はこの「信じる力」で、自分からでて妻と話し合い、結婚生活を回復していくのです。妻を信じることができたのです。千葉教授との最近のやり取りで、「信においてだけ憩います」と記してくださったのですが、疑い深い自分が曲がりなりにもその信の中にいることに驚いています。
上沼昌雄記