「愛を信じる」 2020年4月4日(土)

昨日のニューヨーク州クオモ知事の会見の録画を寝る前に視聴しました。3月30日(月)の会見で、全米の医療関係者に助けに来て欲しいと訴えていましたので、そのことに触れるのかと思って関心を持っていました。その通りに20万の全米の医療関係者が反応してくれていると報告していました。別のニュースではそのために輸送機の提供をある航空会社が申し出ていると伝えています。

そしてその時に約束したように、他の地域で必要になったら今度は自分たちが医療関係者を送りますと繰り返していました。今自分たちが格闘していることは、全米のどこかでこれから経験することなので、必ず役立ちます、そのように助け合うのがアメリカですと訴えていました。

一昨日になると思いますが、ニューヨーク州では人工呼吸器があと6日で底をつくことを訴えていましたが、その対応として州内の病院で余裕のあるところから借り出すための知事としての指令を出したとも言っていました。その器具の輸送のために州兵が当たるとも言っていました。

このような具体的な対応を州知事がしていることに励まされたのですが、会見の続きの記者たちとの質疑応答の最後で、知事がフランスから来ていた記者を逆指名しました。その質問と応答の場面を何度も聞き返すことになりました。

質問は、知事の実弟でテレビ局CNNのニュースアンカーであるクリス・クオモが感染していて、それでも自宅の地下から毎日状況を放映しているのですが、その弟さんのことと、彼らの父親でニューヨーク州知事を3期務めたマリオ・クオモから何を教えられたのかというものでした。その父親はアメリカの政界でも結構有名人でした。

弟は報道関係者としての使命を果たしていると、その返答は淡々としたものですが、このような個人的なことも会見で出てくるのも何とも印象的なことです。父親のことではしばらく合間をおいて、ウインストン・チャーチルとも親しくて、「決して諦めるな」(Never give up)と教えられていたこと、そして「愛を信じること、愛は恐れも憎しみも自己中心にも打ち勝つものです」と言い、それを今私たちは実践しているのですと会見を締めくくったのです。

昨夜はこの場面が脳裏に出てきてなかなか寝付かれなかったのですが、それはこの数年取りかかっている「信の哲学」の結論にも当てはまると納得して多少興奮したからです。それで朝一番に書いてみようと思って取りかかっています。実は「信の哲学」に関心のある方々とネット勉強会を12月から始めているのですが、この3月のテーマは「信と愛の相補関係」でした。その部分をまとめて紹介いたします。

<「信の哲学」は、ロゴスとエルゴンの相補性を大切にしています。ロゴスとしてのキリストとそのキリストの働きであるエルゴンの相補関係です。パウロもローマ書15章18,19節で次のように言っています。「なぜなら、われは、異邦人たちの従順へと至るべく、キリストがわれを介して言葉(ロゴス)によってそして働き(エルゴン)によって、諸々の徴と不思議の力能において、神の霊の力能において、成し遂げたものごとではない何かをあえて語ることはないであろうからである。」

さらにこのロゴスとエルゴンの相補関係を顕著に語っていることばとして、ガラテヤ書5章6節の「愛を媒体にして実働している信が力強い」を取り上げます。このことはすでにその著『信の哲学ー使徒パウロはどこまで共約可能か』の序文で取り上げられていて、「信と愛の統一理論」(上巻4頁)と言っていますが、ある意味で、「信の哲学」の結論とも言えます。(なお上巻19,41,46,55,133,136,517,570,796頁を参照ください。)

この点に気づいたときに、それは何よりも「信の哲学」の提唱者の千葉先生の生き方でもあると納得しました。「信の哲学」に惹かれたのは信と愛の融和を千葉先生が生きていることが分かったからです。信仰は目に見えなくとも、愛は実として目に見えるのです。その信仰は神のピスティスとイエス・キリストのピスティスを元にしています。

この信仰と愛、信と愛の相関関係のことで、今まで格闘したこと、思わされたこと、経験させられていることがありましたらお分かちください。>

そして何人かの方から真摯な返答をいただきました。その方々にも昨日のニューヨーク州知事の「愛を信じること」を父親から教えられ、そのように実行していることをお伝えできればと思いました。

上沼昌雄記

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