「受肉の神学のために」2006年12月21日(木)

神学モノローグ

 

 ギリシャ正教会についての雑誌『クリスティアニティー・ツディ』の記事に関して、前回初代教会の持っていた受肉の理解について言及した。厳密には初代教会でもラテン教父ではなくて、ギリシャ教父の理解によっている。ギリシャ哲学や、グノーシス主義の霊肉二元論による霊の世界の偏重と肉の世界の軽視に対して、神の御子の受肉は当時の世界観の転回を要求するものであった。ギリシャ教父たちは見事に戦い抜いた。

ニケア会議は、アリウスに対しするアタナシウスの熾烈な戦いであった。アリウスは受肉を否定した。キリストは天使であった。アタナシウスは何度も形勢が不利なり、罷免されるということを通されながら、最後に奇跡的と言っていいほどにニケア信条をまとめ上げた。御子は神と本質をひとつにして(ホモウーシオス)、神からの神であり、私たちのために、私たちの救いのために肉を取り、人となられた。聖書の世界をそのまま語ることに腐心している。

ニケア信条に関してのラテン教父たちの反応は、聖霊に関してのフィリオクエ論争で現されている。その意味はすでにラテン教父たちが理性と論理の世界で神学をまとめようとしていることを伺わせている。中世のローマカトリックの神学にそのまま受け継がれている。様々の見解や、異端とのなかでの論理的な武装を強いられてきたという意味では納得できる。しかし変容ももたらすことになった。11世紀のアンセルムスの受肉論『なぜ神は人となられたか』はアタナシウスの受肉論『神のことばの受肉』とは趣をことにし、受肉に関する論理的な証左を試みているだけである。

クリスマスが、御子の誕生のお祝いで終わってしまっている。受肉が救済論から離れてしまった。大変な離反である。そのままプロテスタントにも受け継がれている。西欧の神学は二元論を否定してはいるが、二元的なメンタリティーを保持している。キリスト教が精神性の宗教になってしまった。頭で理解をして意志で従っていくという精神性である。従い得ない肉の世界を置き去りにしてきた。肉の持つどうにもならない闇の部分を取り入れることができない。理論的な信仰の美しい世界を描き、それに従うように語ることができても、従い得ない肉の世界をどうしたらよいのか手がつけられないままである。ただ精神的な、倫理的なキリスト教になってしまった。

受肉の神学は、身体性のキリスト教である。天上の神学ではなく、地上の神学であり、地下の神学である。だれもが肉を持って生きていること、肉の持つ弱さに絶えず直面していること、肉のなかに深く潜んでいる闇の世界で苦しめられていること、身体は時間のなかで不可逆的に絶えず前に進んでいること、その時間のなかでのことを身体のどこかに記憶として積み重ねていること、その人だけの人生であり、その人だけのストーリーであること、肉を持つ自分の場があり、身体を代表するかのような顔を持っていること、を真剣に取り上げていく神学である。

精神性のキリスト教は、聖書の世界を理性的に築き上げて、そこでの教えと命題を勧めとして、説教として提示していく。提示する人も聞く人も自分の足りなさを叱責して絶えず上に登ることを勧める。時にどうにもならなくらって落ち込んでします。しかし西欧の神学がどのように美しい神学を築いても、戦争は繰り返され、ホロコストという人間の悪の極みが背後から襲ってくる。西欧の闇、陰の世界がそのまま思いがけず出てくる。それはキリストを知らないからだと無責任に切り捨てていく。同じようなことはどこでも起こっている。神学校で聖書をしっかりと教えていてもとんでもない問題を抱えてしまう。ただ不幸なことだと言い聞かせている。

身体性のキリスト教は、どうにもならない自分をしっかりと受け止め、肉の弱さを直視し、自分の影の部分、闇の部分を認め、そのために御子が肉を取られたことを確認する神学である。私の肉であり、私の人生であり、私の記憶であり、私のストーリーであることをしっかりと受け止めていく神学である。御子が肉を取られたことが私の救いのためであることを知る神学である。クリスマスは、御子の誕生のお祝いだけでなく、肉を持つ自分の弱さを静かに振り返るときである。

精神性のキリスト教は、聖書からキリスト者のあるべき姿を提示する。聖書の美しい世界を築いてくれる。到達し得ない自分は置き去りにされてしまう。聖書と私たちの間に微妙な距離を設けてしまう。受肉の神学は、パウロの弱さ、ダビデの罪、ヨブの苦しみ、エレミヤの嘆き、アダムの涙に私たちを結びつけてくれる。聖書の美しくない世界を見ることを許してくれる。人間の醜い部分を見ることに勇気を与えてくれる。そのために幼子が馬小屋で産まれたことに想いを向けさせてくれる。裂かれた肉の痛みを痛みとする。裂かれなければならない自分の肉を知っている。キリストとの一体性が開かれてくる。

 

上沼昌雄記

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「ギリシャ正教会とキリストの受肉」2006年12月8日(金)

神学モノローグ

     雑誌『クリスチャニティー・ツディ』の12月号は、クリスマスにちなんで、最近アメリカで映画になったキリストの「降誕物語」のことと、その脚本を書いた人のこと特集している。それとは別に「21世紀はギリシャ正教会の時代か?」という記事が載っている。記事を書いた人はギリシャ正教会のなかで育ち、高校時代に福音派の友人を通してキリストとの出会いを経験している。いまその両面に働きかけながらギリシャ正教会が福音の力で活性化することを、福音派がギリシャ正教会の宝を生かして豊かになることを願っている。

著者の視点は記事を読んでいただくと分かる。ここでは自分なりに思わされていることをまとめてみる。というのは結構長い間、ギリシャ正教会が拠って立っている初代教会の神学といえる、ニケア信条、その後のカパドキアの三教父の神学を自分なりに学んできたからである。拙書『夫婦で奏でる霊の歌雅歌に見る男女の対話』で引用しているニュッサのグレゴリオスはそのひとりである。三つの視点でまとめてみる。

 

第一は、福音派は自分たちの神学的な枠がそのまま聖書の枠と思っているが、その間に初代教会があり、中世カトリックがある。プロテスタントはカトリックのプロテストとして生まれいるが、初代教会の遺産を通り過ごしている。初代教会は長い迫害の後に、また異端との戦いのなかで神学をまとめてきた。その神学とプロテスタント福音派の神学の違いに自分たちが気づいてきている。多くのプロテスタントの神学者たちが30年ほど前から初代教会の遺産に注目してきている。

具体的な例は、プロテスタント福音派の神学の枠では雅歌を取り扱う手がかりがない。実際にほとんど取り上げていない。初代教会では雅歌を大切なものとしてきた。ニュッサのグレゴリオスの『雅歌講話』に見ることができる。その必要をカトリックの人たちも分かってその人たちの努力で邦訳されている。そんなことで、初代教会が受け継いだ遺産の方が聖書により近いのではないかという問い直しがでている。福音派もその問いかけに耳を傾けてきている。

 

第二は、さらに具体的な神学のアプローチとして、ニケア信条と福音派の信条に現されている、受肉の理解の違いである。さらにそれに関わる救済論、キリスト論、三位一体論の違いである。ニケア信条では、キリストの受肉は私たちのため、私たちの罪のためと明記されている。十字架と復活はそれに続いている。ニケア信条の中心人物であるアタナシウスの『神のことばの受肉』にもその意味がまとめられている。福音派の信条では、受肉は処女降誕の証としてまとめられているだけである。救いの理解は十字架から入る。いわゆる十字架の神学である。受肉は救済論から落とされている。

この違いは、救済の意味づけ、キリストの位置づけ、三位一体論の捉え方と、神学全体の枠の違いをもたらす。初代教会では救いの目標はキリストとの一体におかれている。福音派では義認論が中心に回っている。初代教会では、キリストとの一体感がなければ、キリストとおなじ道を通されるという迫害に耐えることはできなかったという現実が基盤になっている。義認論の後にはキリスト者がどのように生きるのかという課題がでてくる。聖化と栄化というテーマで論じられている。そしてさらに、生きた三位一体論と思弁的な三位一体論の違いである。

 

第三は、初代教会は信仰の影の面を真剣に取り上げている。闇の世界、魂の暗夜のことである。福音派は福音の積極面を見ているので、人間の陰の面を取り上げることは不信仰という感じがある。福音の積極面の強調で福音派の進展をみた。同時に取り残されてきたことが、福音派がそれなりに安定してきたことで課題になってきている。個々の取り上げはあるが、神学として魂の暗夜のことをどのように取りかかってよいのか手がかりがない。初代教会の神学は不思議な影を持って投げかけてくる。

初代教会で受肉が前面に取り上げられていることで、同時に肉を持つ人間の弱さ、肉がうちに持っている悪の世界を正面から取り扱うことができる。プロテスタントは二元論を否定はしているが、二元的な視点を保持している。すなわち霊肉二元論な視点であって、肉の面を否定的なものとしてはじめから落としている。霊の面、信仰の世界だけのこととして聖書を理解している。そのために肉が負っている闇の世界を神学として取り扱うことができない。ニュッサのグレゴリオスは雅歌の麗しい交わりのために、暗夜の試みを通らないと入ることができないと見ている。光の世界にはいるために、闇の世界をしっかりと見据えている。

 

福音派からギリシャ正教会に改宗するとかいう問題ではない。福音派がいただいているものを大切して、同時に見落としてきたものを素直に認め、初代教会が持っているものを取り入れながら、自分たちが豊かになればよい。といってもそのための手がかりも限られている。ともかくニケア信条をもう一度確認することから始めたい。ニュッサのグレゴリオスの『雅歌講話』に取りかかるのもよい。初代教会の神学としてA. ラウス著『キリスト教神秘思想の源流』(教文館)はよい手引きである。ギリシャ正教会の神学としてはアラジミール・ロースキイの『キリスト教東方の神秘思想』(徑草書房)がある。

それにしてもアメリカの福音派も自分たちの変容を強いられていることが分かる。それなりに敏感である。日本の場合には一度確立した福音派をそのまま守る、保守的な、保身的な体質が染み込んでしまっている。世界を観るときである。歴史をしっかりととらえるときである。変容を受け入れるときである。

 

上沼昌雄記

「<ある>の恐れ」 2006年11月27日(月)

神学モノローグ

 

アウシュビッツが解放されてヨーロッパでの大戦が終結した後に、ユダヤ人でありながら捕虜収容所に入れられていたために生き延びることになったが、リトアニアの親族のほとんどがホロコストで絶滅したことを知った後に書いたレヴィナスの『ある』(1946年)という論文がある。不思議にその時に彼が見た心の風景が浮かんでくる。じっと耳を澄ませて見つめているユダヤ人哲学者の眼に映るおぞましい光景が観えてくる。歳40の坂を越えたときであった。

それは私が1歳そこそこの時であった。故郷の前橋も終戦直前に空襲で焼け野原になっていたはずである。記憶にあるのはすでに家が建ち並び、人々は食べるために忙しく働いていた、一瞬たりとも後ずさりできないという張りつめた空気であった。銃弾の跡を残した橋桁や、駐留軍のジープや、かなり低空で飛んでくる輸送機の轟音であり、何とか手にしたコッペパンである。同じように空襲を生き延びた同僚の竹本邦昭牧師も近くで同じような光景を見ていたはずである。

レヴィナスの哲学を読むと、不思議に私のなかの原風景ともいえる自分の存在と自分の外の存在への恐れのようなものを思い起こす。自分の存在と自分の外の存在といっても、結局は自分も自分の外も「存在している」という、付きまとって離れない一種のおぞましさである。「非人称、匿名であるが、消化することのできない存在のこのような焼尽、無その自体の奥底で囁くこの焼尽、われわれはそれを<ある>(il y a イリヤ)という語で表現する。」

「ある」は「私」という主体をも飲み込んでしまう。私が存在しなくても「ある」はあり続ける。15年近くのヒットラー主義がそれまでの価値観を覆すようなかたちで終わっても、生活を織りなしている事物は昔ながらの姿で存在し続けている。「なんてこった、明日もまた生きなきゃならない。」そのことに気づいて「ある」の奥深さに恐れを覚える。

「赤城の住人の高木です」といって今回大間々の教会に招いてくださった高木寛牧師のいつものメールの書き出しで、赤城山の麓で過ごした少年時代の記憶がよみがえってくる。夕陽でまさに赤く染まっている赤城山を家の外の道から北の方に眺めながら、一種の重さ、「なんてこった、明日もまた生きなきゃならない」という科白はとうてい思いつかないのであるが、それに通じ通じるようなどこにも行けない、逃れようのない恐れを覚えた。赤城山は今でもそこに存在している。

そんな「<ある>がそっと触れること、それが恐怖だ。」しかもそれは捕らえることができない夜に忍び込んでくる。捕らえようとして手を差し伸べても何も捕らえることができないだけでなく、自分すらも解体してしまう真っ暗な闇である。「恐怖とはある意味では、意識からまさにその主体性を剥ぎ取る運動である。」私が存在していなくても赤城山は存在し続ける。それでも私が存在している限り、「実存という荷物を永久に引き受けなければならないという宿命、それが夜の恐怖なのだ。」

夜の存在論、闇の存在論とも呼ぶことができる。昼の存在論、光の存在論の手前にじっと静まりかえって沈黙を守っている夜の存在論が語りかけている。あたかも「こうして夕があり、朝があった」と言われていることが意味があるかのように夜が前面に出てくる。じっと意識の背後に隠れていて、ある時「ある」がそっと触れてくる。恐怖の夜のように触れてくる。赤城山の麓で刻まれた原風景のなかに沈んでいた存在の重み、存在することへの恐怖がレヴィナスを通して意識のなかによみがえってくる。

 

上沼昌雄記

「大村晴雄先生と聖書研究会」

ウイークリー瞑想

  日本を発つ前日に大村晴雄先生を訪ねることができました。5月の時には骨折の後でリハビリのために入院をされていました。その後どのようにされているのか気になっていました。一ヶ月前にご自宅に帰ってくることができ、ご家族の方が同居されてお世話をされているとのことです。車いすですがお元気な様子でした。

拙書『夫婦で奏でる霊の歌』をお渡しすることができました。虫眼鏡を使って目次をじっくりと調べておられました。そして今朝の聖書研究もイザヤ書の5章の「ぶどう畑についての主の愛の歌でした」と言われました。お宅に11名集まられたということです。すでに長い間続いているもののようです。

その聖書研究は先生が講義をされているということです。それで5月の折りに病院でその箇所についてユダヤ人が書いた註解書のことで質問されてこられたことが分かりました。この時のための準備をすでにしていたのです。しかもヘブル語で確認をしているのです。

いつもは哲学のテーマが話題になるのですが、しばしヘブル語の世界のことを語り合いました。特にヘブル語の時制では完了と未完了だけで現在形がないことを尋ねてきました。哲学では「永遠の今」という概念で神の現在性を確認しているけれど旧約の世界ではどうなっているのかとことです。

返答に困ることでした。しかし最近レヴィナスの本を読んでいてユダヤ人が持っている時間観で気づいたことをお話ししました。ホロコストを経験していながらレヴィナスにとっては神はいつも「アブラハム、イサク、ヤコブの神」であるのです。「哲学者の神はいない」ようなことを言っています。何と言ってもアブラハム、イサク、ヤコブの神で、時間も空間も超えて通じてしまうユダヤ人の世界があることを、レヴィナスを読んで感じていました。

大村先生も「アブラハム、イサク、ヤコブの神か、うん、なるほど」と2,3回言われました。しばし沈思黙考の時となりました。西洋の時間観では捉えきれないものを旧約の世界が持っていることに共感して、言葉がないときが続きました。ただ自分たちの神がアブラハム、イサク、ヤコブの神であることを感謝しているようでもありました。まさにそうなのです。

96歳になられてもなお真理を探究している姿勢にプロテスタントの精神をみるおもいでした。真理であるキリストを知っても、その真理に関わる真理をさらに追い求めているのです。そのために開かれた心があるのです。自説を留めてなお聞いていく勇気があるのです。時の流れの向こうを行く超越があるのです。真理を愛する愛智があるのです。枯れることのない泉があるのです。

 

上沼昌雄記

「車窓から見える教会」2006年11月3日(金)

ウイークリー瞑想

 

東北での奉仕を終えて昨日札幌に向かいました。八戸から新幹線を降りて函館行きの特急に乗りました。外の景色が目線で入ってきました。新幹線ですと高架ですので見下ろしているような感じになりますが、地上を走っている特急では外の景色を楽しむことができます。以前野辺地と青森の間で車窓から見える教会に気づき、今回も見たいと思いました。

東北はすでに紅葉のシーズンでした。特に秋田では秋田杉のしっかりとした緑と色とりどりに装いを変えているコントラストが印象的でした。集会を持った兄姉が田沢湖近辺に連れて行ってくれました。桜の木の葉が残りおしそうに今年最後の美しさを映えていました。ブナの木は丸裸にされてすっきりと佇んでいました。モミジはこの時とばかりに変容をしていました。秋田杉は時の流れを止めて自分だけで成長しているようでした。その枝振りは先が丸みを帯びていて温かみを与えてくれます。

青森ではすでに紅葉のシーズンを終えてしまったようですが、天気もよく冬の前に最後の映えを輝かせていました。野辺地を過ぎて浅虫温泉の手前の、どう見ても小さな街の、しかもその外れに当たるようなところに数件の家と一緒に教会が立っています。建っているのではなくてそこにいることが申し訳ないとも思われる感じて立っているのです。それでいてしっかりとした存在感を伝えています。

走っている車窓から、2,3百メートル離れた畑の向こうに教会が見えます。2階建ての民家を改造して教会に使っているようです。牧師住宅もなかにあるようです。屋根の上に教会であることを示す塔が立っています。入り口も礼拝堂にはいるように工夫されています。2年前に見たときには天気も悪かったせいか寂しい感じを覚えました。今回はうす黄色に塗り替えられたようで朝日に輝いていました。

どのような歴史を持っている教会なのか知るよしもありません。どのような教派に属しているのかも分かりません。調べれば分かりますが、その必要を感じません。本州の北端で津軽海峡が下北半島に囲まれるようにしてできている陸奥湾を目の前にしてじっとそこに立っているのです。冬の間冷たい風に会堂が吹きさらされ続けてきました。

どのような方がみことばをのべ伝えておられるのか、どのような方々が礼拝を守られているのか知るよしもありません。若い方々は都会に出ていってしまったのではないでしょうか。経済的にも楽なことはないと思います。それでもしっかりと礼拝を守っておられるようです。それが神の民としての務めとしてそこで神を崇めているのです。そんな思いが伝わってきます。静かに礼拝の場に加わりたいと思いました。

札幌の教会でこの11月1日で12年目を迎えたという早朝祈祷会に今朝参加できました。朝6時に皆さんが集まってきます。冬の厳しいときも変わらずきっかりと30分間の祈りを捧げています。30分経つと三々五々皆さんは散っていきます。それは神の時計の狂うことのないリズムのようです。そんな絶えることのない祈りが教会なのだと思わされました。

 

上沼昌雄記

「存在の手前の神学」2006年10月16日(月)

神学モノローグ

    「存在の涙」「存在の敬意」「存在することの恐怖」ということでエマニュエル・レヴィナスの哲学からヒントをいただいて神学モノローグを書いてきた。シンガポールへの20時間の飛行機のなかで『存在の彼方』という本を読んできたというより、以前読んで印を付けてきたところを紐解きながら追ってきた。そして、タイトルの「存在の彼方」は実は「存在の手前」でもあることが分かった。「彼方」は「手前」で現されている。

「彼方」とは言語化された存在の理解の向こうに見ている世界である。言語化された存在の理解とは私について概念化された身動きの取れない全体性の世界である。私のあり方について、私のあるべき姿について概念で体系化された世界である。それは西欧の哲学であり、神学であると言う。レヴィナスは概念化されない存在の涙、存在への敬意、存在することの恐怖を感じ取っている。ホロコストを生き延びたことで存在への涙をいまも流している。ホロコストは概念化による全体性の暴力であった。それを越える存在の「彼方」への敬意を『全体性と超越』でレヴィナスは求めている。

そしていま「彼方」とは存在の「手前」であるという。存在の向こうに望み見ていることはすでにその手前で響いているという。言語化されたものは「語られたもの」である。その「語られたたもの」の手前で何かが語りかけている響きがある。言語化される前の「語ること」である。言語化される前のことなので、それは「沈黙の響き」として届いてくる。「夜の静寂のなかで家具が軋む」音のようである。その音を聞いて存在することの恐怖を覚える響きである。

レヴィナスの哲学は現象学を基にしている。現象学は主体と客体という二元論ではなくて、主体と客体がすでに混然としている意識を取り扱っている。レヴィナスの場合には、その意識にのぼる前に存在がすでに聞き届けている響きに耳を傾けている。耳を傾けているというよりその響きをじっと観ている。「沈黙の響きを聞く眼」である。存在の手前で何かが語りかけている。その「語ること」が沈黙の響きとして「聞く眼」に届いてくる。

ヴィットゲンシュタインという哲学者はその「沈黙」を哲学の結論とした。そして文字通り沈黙をした。しかしレヴィナスはその沈黙を聴くこと、じっと観ることが哲学だと言う。その沈黙を聴く眼が、80年代以降ヴィトゲンシュタインをも越えて静かに浸透し、広がっている。それではどこで聞き、観ることができるのであろうか。レヴィナスはあたかも砂漠の聖者のように言う。それは「自己自身の闇のうちに引き籠もる仕方にとどまる」ことである。

聖書は神のことばである。しかし概念化された体系ではない。体系は神学の仕業である。聖書は体系化されないで神のことばである。その神の語りをことばの手前で聞き届けている人がいる。ダビデは「ことばが私の舌にのぼる前に」(詩篇139:4)自分の心を聞き届けている神を観ている。それはダビデの闇の世界であった。そこでいま神を認めている。パウロは心の「うめき」を御霊ご自身が聞き届けていることを知っていた。イエスはニコデモのことばの手前に届いていった。そのようにイエスはいまも私のことばの手前に届いてくださる。私のうめきを聞いてくださる。心深く闇のようなところで響いている叫びである。

存在の手前の神学は、ことばの手前の神学である。ことばの手前での神との交わりである。うめきが聞き届けられる神学である。それは霊性神学とも言い表すことができる。

 

上沼昌雄記

「旅のイメージを生きる」2006年10月12日(木)

ウイークリー瞑想

 

     昨日シンガポールに入りました。3回目の訪問になります。荷物を置いてすぐにひとりでバスで街に出てシンガポールの臭いを嗅いできました。それで落ち着いたというか、自分が新しい場に置かれていることを確認できました。と言ってもそれで自分のなかの何かが新しくなったというのではなく、シンガポールに遣わされて新しい恵みを期待する自分の視点を確認できました。

先週は日本から親しくしている友人ご夫妻と一緒に旅をしました。旅をしながら自分たちの人生を振り返り、みことばを思い巡らす時を持ちました。この方たちもよく旅をされています。いまも海外で奉仕をしています。それで旅をしながら旅をしている自分を思い描く作業をしてみました。どのような場面でどのような姿で旅をしているのかを勝手に思い描いてみました。

実際に旅の途上で自分がしている旅を思い描いていただくことでしたので、4人ともしっかりとしたイメージが出てきました。このご主人は小道がなだらかに延びている野原を馬で旅をしているイメージでした。それだけでしたが嬉しそうに話してくれました。この奥様は学生の時ワンゲルで山登りをしていたので、いまでも向こうにある山を目指している姿が出てきました。確信を持って話してくれました。

妻は砂漠のイメージが出てきました。マナを食べ、雲に導かれている姿です。この2年の闘病生活を語っているようでした。いまは一緒に旅に出ることができるようになりました。

私は飛行場で2,3時間待ち合わせの時間があって、その間ベンチの片隅に座って人を眺めている姿が出てきました。引退後のご夫婦がお孫さんに会いに行くような感じの人たち、まだ小さな子供で飛行機会社の人に付き添われていて離婚した親のどちらかに会いに行くような感じの場面、明らかにビジネスの旅でしかもかなり成功しているようで意気揚々と肩を切らせながら歩いている男性、清掃員でゴミを集めながら自分ではできない旅を思い描いているような感じ、そんな人をじっと眺めながめている自分が出てきました。

ただこれだけの作業でしたが、このご主人は野原を旅している自分と山を目指している奥様と一緒に旅をしていて納得することがあったようです。それだけでなく互いに分かち合った後にそのたびのイメージを持って自分の人生を生きているようにも思えてきました。旅のイメージは人生の旅のイメージでもあるのです。旅のイメージを生きているのです。

シンガポールでの窓口になっている兄弟とその奥様とそのお母さんが日本からいらっしていて一緒に夕食をいただきました。この兄弟もよく仕事で旅をします。当然この方たちも日本から離れて旅をしています。お母様もシルクロードの旅をよくされているようです。私もアメリカから参加してですので一同まさに旅人なのです。それで先週の旅のイメージのことを話しましたらすぐに分かってくださいました。

この奥様は鈍行列車と言われました。それがイメージとして湧いて来るというのです。兄弟はある比較的小さな駅のプラットホームと、心のどこかに隠されていたものか脳裏の奥に隠されていたものが引き出されたように語ってくれました。お母様はシルクロードの平原を旅しているイメージを嬉しそうに語ってくれました。

「旅」と聞いたときにすぐに浮かんでくるイメージを分かち合ったのですが、その人の人生の旅のイメージを聞いているように思えてきました。ヘブル書の著者は信仰の人を「地上では旅人であり、寄留者である」(11:13)と言っています。それで中世ではクリスチャンのことを「旅人・Viator」と表現していました。

旅人である姿をイメージで思い描くことで新しい発見があることに、シンガポールでの旅を始めるに当たって気づかされています。

 

上沼昌雄記

JBTM