「男性の霊的勇気」

神学モノローグ
2005年7月21日(木)

 長男の義樹の紹介と推薦でJohn Eldredgeという人のWild at Heartという本を読むことができた。ベストセラーになり、雑誌クリスティアニティー・ツデイでも数年前に取り上げられている。日本でも読まれた方がいる。身勝手な解釈であるが、男性のためのもう一つの大切な視点を提供してくれている。
 
 この本のタイトルをどのように訳したらよいのだろうか。「時には心でワイルドになって」とでも言えるのかなと思っている。しかし「時には」ではなく、著者は、真剣に男性の心の真のワイルドさを掘り出そうとしている。男性の心に本当は潜んでいるワイルドさを神が求めていると言う。それを気づかせようとしている。そこに触れて真の男性がもう一度芽生えるのを願っている。
 短絡的にみたら男性優位さをアピールしているように思える。それだけ議論を呼んでいる。そのことは分かっている上で男性のワイルドさを真剣に呼び覚まそうとしている。いわゆる教会で教えられている男性のあり方にあえて挑戦している。ナイスガイになることで、1)神が本来求めている男性の霊的闘いの意欲を注ぎ、2)家庭での霊的なリーダーとしての意味をはき違え、3)人生の冒険をあきらめさせていると言う。
 1)と3)は著者のそのままの表現であるが、2)は言い換えている。彼の表現は、To Rescue the Beautyである。愛する人、美しい人を助け出すことである。エバは神の最後の創造の作品で、最高傑作であると言う。男性は生涯をかけてひとりの女性を助け出す使命があると言う。雅歌との関わりで大変興味を注がれた。
 私たち男性は、真実から目を向け、変化を恐れ、心のことを避けようとする。真実を必要とし、変化を求め、心の世界を慕って信仰を求めたのであるが、「救われている」という命題のもとに安住してしまって、それ以上の霊的な闘いや冒険や変化を上手に避けている。霊的に停滞状態にあると分かっていても抜け道を知らない。慣れ親しんだことを繰り返してしまう。気づいてもそれを打ち破る勇気がない。
 信仰のこと、霊的なことは、自分の心を見つめることである。心に潜んでいる叫びを聞くことである。心の悲しみを優しく包んであげることである。自分の人生を潔く神に差し出すことである。心を開くことである。心の窓から吹き込んでくる新しい風を楽しむことである。神をひたすら待つことである。
 ひとりの友人の牧師が、自分の心のことを日記としてまとめ、時々送ってくださる。身体の障害を持たれていることからくる困難さを避けないで書いている。自己憐憫ではない。自分の人生を受け止めているすがすがしさがある。その正直さ、霊的な勇気に感動する。その勇気は、ご家族のこと、ご自分の働きのこと、教会のことにも向けられている。真実に避けないで対面し、変化を受け止めている。
 長女の瞳が私の還暦の祝いとしてくれた図書券を使って一昨日、同じ著者の本を2冊購入してきた。The Sacred RomanceとThe Journey of Desireである。自分に求められている霊的勇気について考えている。
上沼昌雄記

「時の境界線上で」

ウイークリー瞑想
2005年7月18日(月)
 先週JCFNの理事会が、昨年デンバーから引っ越してきたロング・ビーチでありました。会議後に日本から来られた人たちと一緒にニューポート・ビーチに行きました。岬の突端のレ
ストランで潮風に吹かれながら朝飯を食べ、また海辺を少しだけ歩きました。JCFNは太平洋を挟んだ日本人の留学生、企業関係の家族のための働きです。大きな大きな海を挟んで行き来する日本人の
ための働きです。日本人のための働きですが、場としての境界線がなくなってきています。
 

 そのあとサンディエゴ方面の海辺でキャンプをしている妻の親戚を訪ねました。ひとりでキャンプ場を下
りて海辺に出てみました。サーフィンをしている人たち、海辺で戯れている子どもたちを見ながら、靴を脱
いでしばらく海辺を歩いてみました。寄せてくる波と砂浜との間を見つめながら歩きました。その境界線は絶え間なく寄せてくる波でいつも変化しています。地図のように境界線を引くことはできません。波の音が繰り返し響いてきます。途絶えることがありません。
 

 この3月に還暦を迎えました。60歳というイメージを描けないでいますが、妻の病を含めて自分と自分
の周りが大きく変化しているのを見て、時の流れのなかに自分がいることが分かります。海の波
のように時が押し寄せてきます。時には大凪になります。多くの場合には誰からも忘れられたように静
かに押し寄せてきます。波の乗りを楽しませてくれます。波の向こうの海を見ながら、これから迎える自分の未来を思います。
 
 カイロスとクロノスと表現されている神の時について神学校で論文を書いたの
を思い出しました。歴代記のようにまさに歴史の流れを支配している神であり、「時がついに満ちて」(エペソ1:10)と言
われているように大切な時をも支配している神であることを知らされています。私の生涯を神の物語
として見守っていてくださるお方であり、私のある時をもご存知であるお方です。
 

 私はその時をすべて把握できません。むしろほとんど捉えられません。しかし変化には気が付きます。取り巻いている環境が代わり、人との関わりの空気が代わり、子どもたちの成長にともない新しい風が吹き込んでいます。国際情勢の変化も感じます。いままでと同じではありません。
繰り返しが効きません。対応が求められます。
 

 海辺を歩きながら時の境界線上にいることを思わされました。「境界線」という本のことも思いました。「海辺のカフカ」という小説のことも思いました。今日は夕刻にひとりの理事の経営されているレストランでミニストリーの今年度の理事会です。
 
上沼昌雄記

ミニストリーの歩み

 
 
 聖書と神学のミニストリーは、聖書を生活のすべての領域に適用していくための手助けを目的にしています。私たちの生活は、心のあり方から、人生の目的、仕事と召命, 結婚と家庭、死と死後のことと、生きている中ですべてのことに直面しています。このすべてのことに御霊に従って聖書に生きることが出来るようになるために、学びの手き、モノグラフ、ホームページを提供し、またセミナー、ミニ神学校を教会との協力で開催しています。

 聖書と神学のミニストリーは1991年6月4日にForesthillのCalvary Bible Churchの宣教活動の一つとして活動を始めました。それ以来主の導きの中で働きの広がりをいただいてきています。そして1996年7月25日付でカルフォルニア州政府からの法人化の許可をいただき、11月27日付で連邦税務署からの税金免除の許可をいただくことが出来ました。現在法人として次の方が理事とスタッフとして奉仕をしています。

『苦しみを通して神に近づく』出版

 昨年3月の『夫たちよ、妻の話を聞こう』の出版に続いて、この10月1日付で、『苦しみを通して神に近づく』という本をいのちのことば社から出版することができました。詩篇77篇を基にしています。詩篇の作者が「叫び、嘆き、心で語り、思い巡らす」ことを通して、苦しみはそのままなのですが、不思議に神に近づいていることが分かります。同時に、同じプロセスを経ながら、「苦しみを通して神に近づく」ことを体験されたある家族とひとりの牧師を目のあたりに見ることになりました。その意味でこの本には「叫び、嘆き、心で語り、思い巡らすー詩篇77篇」という副題が付いています。私自身の体験も書かせていただきました。拙文ですが、苦しみに直面して、叫び、嘆き、心で語ることを通して、神を思い巡らす道、瞑想の道に導かれればと願っています。 なお、雑誌『いのちのことば』11月号に、保守バプテスト同盟主事の坂本献一先生が意味深いブックレビューを書いてくださいました。また、アメリカ在住の方で購入希望の方には、送料込みで10ドルで送ることができます。

JBTM