「教会の高齢化と大村晴雄先生」2006年6月14日(水)

神学モノローグ

 

今回の日本での奉仕の間に教会の高齢化のことが話題になり、現実をみせられることになった。教会の平均年齢が60歳を超えていて若返りを願って若い牧師を後任として捜しているという友人の牧師、初期の指導者が相変わらず実権を握ってしまっているという団体、一度は退いていながら誰もいなからと言って初期の指導者が戻ってきている団体、自分より年寄りの牧師は辞めた方がいいと言って地方伝道にでていった友人の牧師、新入生がゼロといういくつかの神学校、牧師になったらお年寄りの世話だけになっていますのでなり手がいないという神学生と、結構な割で会話にでてきた。

 

教会の高齢化は日本の社会の高齢会にあわせて避けられない。ただ次の層の人たち、若い世代の人たちが同じような割で教会に増えていないと言うことで、高齢化現象が一挙に目立ってきたのかも知れない。教会が年輩の方々に深い配慮を示していくことはまさに教会としての使命である。ただそのような年代の人が相変わらず教会や団体の上で支配権をふるったりしていると大きな弊害をもたらす。閉鎖的になり、慢心をもたらす。その隙をねらわれるような出来事が起きている。

 

アメリカでもベビー・ブーマーの世代が定年の年になってきて高齢化が問題になっている。それでも次の世代の指導者がでてきている。若い人たちの霊的動きも見える。指導者も退くことをよしとしている。そうでない場合も勿論ある。それでも社会も教会もそれなりの活力を保っている。変化を受容している。日本のある団体の人と話をして気づいたことであるが、その団体の初期に宣教師の指導でいくつかの方向性がでてきているのであるが、日本ではそれを守ることが聖書的と思われているが、もとのアメリカの団体ではすでに新しい方向で動いていることがある。何とも言えない落差を感じさせられた。

 

私もJCFNと言う留学生を中心とした働きに理事として関わっていてその限りで若い人たちと接する機会をいただいている。若い人たちが決して求めていないのではない。むしろ真剣に求めている。ただ教会が提供するものが彼らの求めに応じ切れていない面がある。彼らも神のために一生懸命に仕えたいと願っている。何か生かし切れていないところがある。指導者の交代をうまくいって、教会全体が生きているところも知っている。まれであるがないわけでない。

 

若い人たちを獲得するためにプログラムを組んだらば解決することでもない。それよりも、何かいままでの福音派の教会が持ってきた神学の行き詰まりのように思えて仕方がない。神学の内容は聖書から外れているわけでない。しかし時代の変化についていけなくなっている。ただポスト・モダンを批判しているだけの神学では若い人たちを捉えることはできない。彼らはすでにその流れで生きてきているのである。新しい動きを受け入れられない保守性が身に付いてしまった。自分たちのしてきたことだけを正当化するメンタリティーになってしまった。

 

96歳ななられた大村晴雄先生を訪ねることができた。春先に自宅で転ばれて腰の骨を折られた。息子さんの関係で宇都宮のリハビリセンターに入っておられた。秋田に行く途中で立ち寄る旨を伝えていただいた。そして待っていてくださった。センターなのでいつものようにはゆっくりと話はできなかった。それでも他の人はテレビに釘付けのような状態なのに、先生はテレビを観ないので怪訝柄れたので、「日記を書いています」と返事をしたと言う。また食事の時の隣の人が自分が如何に高齢であるかを自慢げにして先生に年を聞いてきたので、「いくつに見えますか」と聞いて、その人が「75歳ですか」と言ったという。96歳と知って先生の顔をしげしげと眺めて「観音様のようだ」と言ったという。

 

そんな笑い話をしながら、先生はおもむろに一冊の本を取りだした。施設なのでこの本一冊だけも持ってきてもらって読んでいるという。それはイザヤ書のユダヤ人が書いた註解書であった。先生はある箇所の意味を知りたくて読んでいたのであるが、註解書に書いていないが「上沼君、どういう意味?」と聞いてこられた。一瞬返事に窮してしまった。それよりも、神の真理を生涯掛けて求めていく謙虚さと真摯さに打ちのめされた。何か私のなかで沈んでいたものが打ち破られた思いがした。

 

かつて先生との会話で「カトリックは存在論で、プロテスタントは認識論ですか」と伺って、「そうだね」と言われたことを思い出した。真理をすでに捉えたと言って止まってしまうことをしない。あくまで捉えようと追い求めている。捉えたと思うことをいつも聖書で批判していく。改革を求めていく。認識する自己を神の光りの前にさらけ出していく。いつも開かれている。新しい恵みに溢れている。大村先生の専門である近世哲学の始まりであるプロテスタントの精神を目のあたりにみせられた。

 

日本のプロテスタントの福音派の教会は死んではならない。息を吹き返さなければならない。若手の指導者は現状を打破するために殉教を覚悟しなければならない。ただ待っていたら取り返しがつかなくなる。いま動かなければ時を失ってしまう。キリストの教会のために死ぬ覚悟である。新しい恵みを届けていく使命である。新しい息吹を吹き込んでいく活力である。

 

上沼昌雄記

広告

「存在の悪性」2006年6月8日(木)

神学モノローグ

 

一年前の日本で、エマニュエル・レヴィナスの『存在の彼方』(1974)を購入して読んだ。彼の存在の問いの視点に関心を持った。というのは、彼はリトアニア出身のユダヤ人で、1927年に出たハイデッガーの『存在と時間』に感激して、存在の問いを問い始めたが、ナチスに荷担したハイデッガーとは、当然であるが問いの設定と方向付けが決定的に異なっていたからである。彼はフランスに帰化していたために、フランス軍の兵士としてドイツの捕虜になり、アウシュビッツの大量虐殺を解放されてから初めて知ることになった。同時に彼の家族と親戚のほとんどが殺戮されたことを知ることになった。

 

今回の日本での奉仕の初めに彼の『実存から実存者へ』(1947)を手に入れ、読みながら旅をした。この本は彼が戦後解放されてから出版されたものである。存在することに含まれる悪を見据えている。存在は存在することで悪をはらんでしまう恐怖、おぞましさに戦慄している。レヴィナスは言う。「存在はみずからの限界と無以外に悪性を抱えてはいないだろうか。存在の積極性そのもののうちに何かしら根本的な禍悪があるのではないだろうか。」

 

600万の同胞が犠牲になったおぞましい出来事を目の前にして、ハイデッガーの存在への問いの真摯さを認めていながら、存在の悪性を止めることができなかったヨーロッパのキリスト教に対しての根元的な問いかけである。罪を指摘して、キリストによる贖いを説いて、神に立ち返ることを伝えるメッセージだけでは解決されない、人間が存在することで悪をはらんでしまう存在の悪魔性をレヴィナスは観ている。

 

ハイデッガーは存在の不安を説いている。無に向かう存在の不安である。レヴィナスは無を強要される恐怖を知っている。ハイデッガーはを強要する立場にあった。この違いが同じ存在の問いでありながら、設定が初めから異なっている。ハイデッガーの存在はあくまで中性である。レヴィナスの存在は初めから悪性である。アウシュビッツが浮かび上がらせた存在の悪性である。

 

エリー・ヴィーゼルは15歳の時アウシュビッツに連れて行かれて最初の日に多くの同胞が焼かれる煙を見て、存在の「夜」を体験する。「この夜のことを、私の人生をば、七重に閂(かんぬき)をかけた長い一夜に変えてしまった。収容所でのこの最初の夜のことを決して私は忘れないであろう。この煙のことを、決して私は忘れないであろう。、、、私の信仰を永久に焼き尽くしてしまったこれらの焔のことを、決して私は忘れないであろう。この夜の静けさのことを、決して私は忘れないであろう。」

 

レヴィナスはしかし、存在の彼方に善を信じていた。他者への責任を説いている。20世紀の終わりにいたって彼の存在の問いの方向性が評価されてきた。受けた経験の深さが存在の問いの深さを引き出している。存在自体が持っている悪性を見据えている。そしてなおその彼方に善の世界を信じている。そのために他者への責任を問う。悪に引き込まれてしまう存在の惰性からの超越を説く。

 

他者への責任は「身代わり」である。存在は身代わりであることで存在の彼方へと超越できる。レヴィナスは言う。「他人に対する一者の責任、それは一者が他人の身代わりになることであり、この身代わりによって、他人の代わりに人質になるという一者の条件が描かれるのではなかろうか。」

 

「身代わり」とは彼にとっては、同胞の身代わりでいま自分が存在していることの責任でもある。語ることでその責任を果たそうとしている。反戦を唱えているわけでない。家族が殺戮されたことを訴えているわけでない。存在の隠蔽性を打ち破るために、存在の悪性を打ち破るために、存在の彼方への飛躍を信じて、語られることより語ることを信じている。責任を持って他者のために生きることを語っている。道徳的にではなくて、存在論的に語っている。

 

ハイデッガーは存在の神秘さに惹かれてヘルダーリンの詩の解明に向かっていった。存在の神秘主義になってしまった。レヴィナスは強靱に存在の回復を願っている。アウシュビッツでの存在の悪性と暴力性をみせられても、存在の彼方に善を信じて語っている。ハイデッガーでは抜け出すことができな存在の謎を、存在の超越性を信じて語っている。いまだに混迷しているヨーロッパの思想界とキリスト教会に存在の悪性と超越性を問いかけている。

 

上沼昌雄記

「大学紛争と戦争の傷跡」2006年6月5日(月)

ウイークリー瞑想

 

2月にシンガポール・クアラルンプールでの奉仕、5月に日本での奉仕、そしてこの6月初めのポートランドの日本人教会の聖書塾と教会での奉仕で、自分の過去を振り返る、教会の教理の歴史を振り返る、自分の歩んだ「死の陰の谷」を振り返ることをしました。そして60年代の大学紛争と、それ以前の戦争のことが避けられないテーマとして出てきました。不思議なことですが、当然の現実でもあります。

 

シンガポールで自分自身の60年代の体験として大学紛争のことを話した。同年輩の方がその方にとってはそれはまさに大学「闘争」であったと言われました。安田講堂での攻防を体験してこられたのです。短いやり取りでしたが、60年代に直面したことが心に深く残っていることを知らされました。当然とは言え、新たな火種を心にいただきました。

 

5月にある教会での奉仕のあとに同年輩の方がお茶に招いてくれました。多分私がシンガポールでの「大学紛争」と「大学闘争」のことを話したのかも知れません。その方は真顔でご自分は単に参加していただけではなくて、その中に人を巻き込むことをしていたこと、しかし直前になって敵前逃亡をしたことを話してくれました。さらにそれを隠して企業に就職したこと、仕事の関係で同年輩の人に会うと、何らかのかたちで大学闘争に関わってきたことを互いに感じていても、決してそのことを話すことができなかったと言われました。ただ事でない雰囲気でした。

 

しばらくしてメールをくれました。「おかげで、この歳になってやっと過去と向き合い、それを解毒?して行く道がみえたと思います。」毒を抱えて生きてきたほどのことだったのです。話してくださったことで過去の暗部に光りが差し込んできました。

 

この方との会話で、村上春樹が大学紛争と戦争のことが必ずと言っていいほど取り上げられていることの意味が分かったような気がしました。『海辺のカフカ』で大学紛争に巻き込まれて意味なく命を落とした青年のことが書かれています。物語の大変な伏線になっています。そして戦争のことも出てきます。村上春樹もこの方も私も直接には戦争に関わっていたわけではないのですが、日本人として生きているうえで避けられないテーマとして重くのしかかっています。

 

ポートランドでの男性集会では「母の日」と「父の日」にちなんで自分の母と父を語ることをしました。ひとりの方が終戦の農地解放で土地を失い、その後両親が大変な苦労をしたことを語ってくれました。その後アメリカに渡って努力をして今まで歩んできたことをしみじみと話してくれました。戦争が人の人生を大きく変えてしまったのです。それでまた神に出会うことになったのです。

 

聖書塾での「教理史」と「苦しみの神学」のクラスでは明らかに戦争で人生を大きく変えられている方々がいます。そのためにアメリカに来ている人たちです。その方々にとって戦争がどのような意味を持っているのか、つらいことだと思いますが語っていただきたいと思いました。もう忘れていたことかも知れません。忘れたいと思っていたことかも知れません。しかし語ることで少しでも自分を受け止められるのではないかと思いました。

 

「教理史」では20世紀の初めの2つの世界大戦がどのようにものの見方、人間観に影響しているのかしばらく時間をかけて考えました。韓国の年輩の女性で日本語を上手に話す方がいます。家族が満州に韓国の政府の高官として勤務しているときに日本語を覚えたというのです。それに続く戦争がこの方の人生に重くのしかかっていきます。不思議にいまアメリカの日本人教会で主にある家族としての交わりをいただいています。

 

「苦しみの神学」では戦争のことが直接、間接に関わってアメリカに来ている方々が中心のクラスです。その苦労、苦しみは想像を超えています。「私の死の陰の谷」というテーマで分かち合う時を持ちました。どのような苦しみを通られたのか知りたいと願いました。語ってくださることで少しでも苦しみを自分の人生と受け止められるのではないかと思いました。

 

ある方の通られたことはまさに想像を超えるものでした。終戦の後の買い出しで少女として耐え難い屈辱を受けました。死ぬことを何度も願ったと言います。余すことなしに語ってくださいました。聞いているものも涙を禁じ得ませんでした。語ることで自由にされたと言われます。暗い過去の思い出から解放されました。キリストとの直接的な出会いを経験されました。

 

聞いている人たちもそれぞれ大変な苦しみを通られました。互いの死の陰の谷を聞くことで癒しを経験します。誰もがその生涯で充分な苦しみを経験しています。戦争は私たちの心に深い傷を残しています。人生を大きく変えてしまいました。取り返すことはできません。語ることで少しでも自分の人生の一部と受け止めることができます。聞くことで苦しみが昇華されます。苦しみに対して敏感になります。苦しみの深さが人生の襞のように刻まれています。生きることの重みが増してきます。

 

上沼昌雄記

「共感、驚き、日本」 2006年5月24日(水)

ウイークリー瞑想
 5月5日に日本に入りました。3週間目を迎えています。新緑の日本の各地を巡りながら、多くの方との交わりをいただいています。移動で忙しくしているのと、交わりのなかで考えさせられることが多くて、立ち止まってまとめることができないでいます。しかし心に留まっている
地、人、言葉があります。交わりのなかで出会った笑顔、言葉、仕草が思い出されます。私のなかでうごめいています。何かを生み出そうとしてもがいています。
 訪ねた地:
 石神井公園、東久留米、池袋、立川、上山、山形、岩野、十文字、秋田、前橋、宇都宮、仙台、酒田、宇治、大阪、堺(予定)
 キーワード:
 JCFN、帰国者、若者の心、
 ナルニア国物語、ファンタジー、入り口、衣装ダンス、共鳴、氷付いた世界、氷付いた心、指輪物語、
      
 ネパール、自由、繋がり、故郷、大村晴雄先生、殉教者、
 歌、阿部次郎、ダニー・ボーイ、You Raise Me Up、中島みゆき、村上春樹、『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』
      
 花の日、父を語る、アバ父よ、心の目、大学紛争、マルクス主義、ルオーの「郊外のイエス」、高齢者教会、少子化、
 宇治カルメル会、沈黙、三位一体の神の賛歌、韓国人牧師、霊性セミナー、闇の奥、共感、感性、殉教者の神学、霊性神学、エペソ書
 次に何が出てくるのかを楽しみに旅を続けています。出会いであり、共感であり、驚きです。
上沼昌雄記

「友と呼ぶこと」2006年4月20日(木)

ウイークリー瞑想

 

この5月に日本での奉仕を予定しています。妻の闘病等があって一年ぶりとなります。今回のスケジュールのなかに3回目になる牧師のセミナーがあります。友人の牧師が近隣の先生方に呼びかけてくださり、12名前後の集いをしています。京都・宇治のカルメル会の修道院の「黙想の家」を借りて一泊で行っています。過去2回は「三位一体の神との交わりとしての霊性」「霊性神学入門」と言うテーマでした。そして今回は「神学と霊性の一致エペソ書を基にして」と言うことで予定しています。

 

このセミナーは全くのボランティアの集いです。どこにも所属していません。友人の牧師が呼びかけて集まってくださっています。案内で次のように紹介してくれています。「従来の理性的な聖書理解に、瞑想的・観想的な理解を加えて、み言葉を深く味わい、み言葉の新しい発見と喜びを体験することができます。」そして「毎回少しずつ参加者が加わり、内容も静かに、神学的であり、聖書的であり、霊的に深くめられております」と加えてくれています。

 

この牧師とは神学校に入学した最初の1年同室となりました。机を並べ、上下のベッドで寝起きして神学生としての生活を共にしました。大変剛毅で、一本気な方です。その勢いは時には面食らうこともありました。しかし、神に仕える姿勢は大木のように真っ直ぐと上に向いたものです。気持ちのよいものでした。うらやましいものでした。今からもう38年も前のことです。昔の話です。

 

気が合って仲良くしていたというわけではありませんでした。ですので卒業してそれぞれの奉仕に励んでいました。昔の同室者、同窓生と言うことで特別な関わりはありませんでした。私は渡米をしてアメリカをベースにした奉仕を始めました。そんなことでこの先生との再会などは全く予想もしていませんでした。数年前にカナダのリジェント大学霊性神学教授のフーストン先生の牧師のセミナーが軽井沢でありました。この方がきておりました。霊性のことに関心を持たれているのだろうかと多少の疑いもありました。

 

セミナーが終わる頃に私のところに来てくださいました。友として一緒に祈り、交わりたいのだと言うことを言われました。という言うより、友として交わりを持つことにするからそのつもりでいてほしいという一方的な宣言にも似ていました。正直なところその真摯さは感じましたが、どうなるのかは疑心暗鬼でした。向こうも私が本気で出ていくかは同じ思いだったのかも知れません。

 

それからに2,3年、日本に伺うごとにお茶を飲んだり、食事をしたり、散歩をしたりしてそれぞれの家族や、思いを分かち合うことができました。奥様とも語り合うことができました。不思議なのですが信頼が生まれ、交わりが深まってきました。教会の奉仕にも招いてくださり、3年前からこのセミナーを設定してくれました。

 

軽井沢のセミナーで私を友と呼んで招いてくださった時のことを思い出します。迎入れてくれたのです。まさにイエスが弟子たちを招き入れたのと同じです。「わたしはあなたがたを友と呼びます。なぜなら父から聞いたことをみな、あなたがたに知らせたからです。」(ヨハネ15:15)そのセミナーの講師であったフーストン先生はまさに『神との友情』という本を書いています。

 

この方は私を友と呼んで、ご自分の神との世界をみせてくれたのです。そこに私がに入ることを許してくれたのです。心の格闘を分かち合ってくれたのです。牧会の痛みを語ってくれたのです。奥様、子どもさんたちへの愛を教えてくれたのです。それで私も自分の心の葛藤を語ることができました。ミニストリーの苦悩を話すことができました。私の家族への思いも分かち合うことができました。そのことで私の世界に重しが付いてきました。心が深まってきました。ミニストリーが広がってきました。

 

上沼昌雄記

「痛みと苦しみの現実」2006年4月10日(月)

ウイークリー瞑想

 

 先週末に、90歳を越えた方の葬儀に妻と一緒に出席しました。車で一時間ほどのロサンゼルス郊外の標高700メートルほどの山の中腹にある街の教会でした。この方の娘さんご夫妻が、16年前に私たちが家族で北カルフォルニアの山の小さな街に移り住んだときの教会の牧師夫婦でした。忠実な牧会を今も別の小さな教会でされています。ずっと親しくしています。この牧師の奥様で、亡くなられた方の娘さんが癌でこの数年闘病をしています。一週間ほど前にも大きな手術をされました。それでお父様の葬儀にも出席できないと言うことが分かり、私たちが代理のように出席しました。

 この奥様の従姉妹、なくなられた方の姪の方が日本への宣教師をされていました。ファミリー全体が宣教の思いを強く持たれていることが分かります。亡くなられた方の奥様で、癌の闘病をしている方のお母さんとは一、二度お会いしています。私の名前も覚えてくれていました。お嬢さんも癌で厳しい状態にあるなかでご主人を亡くされました。妻が後で教えてくれました。娘が召される前に主人を先に送りたいと祈ってきたと言うことです。年齢的にはご自分がいつ召されてもいい年です。そのかなで痛みと死の現実に直面し、直視し、受諾しています。静けさがあり、威厳があります。

 ジョージ・マクドナルドの言葉に目が留まりました。「私たちがことの現実を最も良く知っているときは、神を最も必要としていることに気づき、神に最も信頼できるときである。どのようなかたちでも、どのような種類でも、どのようなあり方でもその容赦のない現実を認めることは、私たちの心をさらにより現実に向け、より高度な、よい深遠な存在へと導いてくれる。」

 しばらく前になりますが、ある男性集会でひとりの男性と知り合いました。奥様とお嬢さんを交通事故で亡くされ、ご自分も癌であることが分かり、厳しい状態におかれていました。集会では痛みを覚えながら、自分にとって一番つらいことは父親のことですと言われました。しばらく音信がありませんでした。最近メールをいただいています。私のモノローグに鋭いレスポンスを書いてくれます。教えられています。闘病は続いています。

 3月14日のメールで、映画『パッション』でイエスが十字架を担ぎながらむち打たれる場面が張ってありました。「痛みは投薬では納まらないので、必死のリハビリで、歩く中、痛みが引いています。運動を行なうと最初は激痛が走りますが、10分程度我慢することで、徐々に減少します。、、、上の画像は僕のPCのデスクトップの画面です。毎回、PCを開ける事によりこの画像が、僕の痛みの何であるかを告げてます。傷だらけの痩せ細った体で、重い十字架を担ぐ姿を見ているだけで、現在の僕はキリストにより慰めを受けている様に感じられます。痛みを堪えて頑張らねばとの意欲が湧くのです。今の僕に取ってはかなりの救いでもあります。」

 想像を絶する痛みが、キリストの痛みに結びつけています。どうしてそうなるのかは分かりません。ただ痛みと苦しみの現実を見つめているときに、キリストの苦しみが思い出させられるのです。いつもはどこかに押しやられ、隠されているように思うキリストの苦しみの現実に不思議に心が向いていきます。そうでありたいと願います。「神が多くの子たちを栄光に導くのに、彼らの救いの創始者を、多くの苦しみを通して全うされたということは、万物の存在の目的であり、また原因でもある方として、ふさわしいことであったのです。」(ヘブル2:10)

上沼昌雄記

神学モノローグ 「時代と神学」2006年4月4日(火)

  前回のモノローグ「時代・中島みゆき」で、彼女が70年半ばに デビューして、80年代、90年代、2000年代とそれぞ れの世代でチャート1位になりながら活躍していることと、その間、福音主義神学を志す者としてそれぞれの世代にどのように関わってきたのか書いた。60年代は自由主義神学との闘いであった、70年代は、76年にアメリカでカーター大統領が誕生したときに雑誌 『タイム』が「福音主義者の時代」と言ったように、漸進の時であった。80年代は、聖書の無誤性の課題に直面したときであった。90年代は霊性神学の必要を確認したときであった。2000年代はすでに主流になった福音主義のこれからの方向を定めていく模索の時とも言える。

 このことを書いて、昨年11月28日のモノローグ「モダンとポスト・モダンと福音主義」で、「福音主義神学は時代の産物である。聖書は神の作品である」と書いたのを思いだした。アメリカの福音的な神学校が、ポスト・モダンの挑戦を真摯に受け止めてシフトを変え てきているという、クリスチャニティー・ツディの記事を紹介しながら書いたものである。

 福音主義神学に身を置き、直接に関わってきたのは60年代からであった。しかし歴史を振り返り、福音主義神学の起源を遡っていくと、福音主義神学の枠がやはり時代のなかで築き上げられていることが分かる。時代を超えた神学がはたしてあるのだろうかと思わされる。神学はどのように考えても人間のものである聖書は神のものである。神のことばである聖書に直面しながらそれぞれの時代で人々が格闘してきたものが神学である。

 ルターに始まる宗教改革者の信仰義認と十字架の神学は福音の本質を明らかにした。福音をよみがえらせた。同時に後のプロテスタント神学の枠を決定してきた。義認論を中心に築かれた救済論と、十字架を中心にみるキリスト論は、初代教会のように和解論を中心にみる救済論と、受肉から十字架、復活、昇天までを取り入れる包括的なキリスト論とは、神学全体の構成が異なってくる。世界観が違っている。生き方が違う。どちらも聖書を元にしている。どちらも聖書を100%取り入れているわけでない。

 プロテスタント神学は後に啓蒙思想を通過しなければならなかった。自由主義神学はその思想を受け入れた。福音主義神学は自由主義神学に対抗するために同じ理性で武装しなければならなかった。理性中心の福音主義神学は避けることができなかった。20世紀の終わりに霊性神学の見直しが出てきた。雅歌は初代教会で大切なものとして取り上げられていた。福音主義神学ではほとんど取り上げられてこなかった。

 神学は相対的である。聖書は絶対的である。聖書を100%取り入れている神学はない。神学はあるテーマを前提にしてその上で論理的な整合性を求めていく。その時に聖書のあることが落とされてしまい、見逃されてしまう。それでいて神学は排他的である。神学校も排他的である。自分たちの前提とその上に組み立てた聖書理解と神学を最善と思い、それを認めないものを切り捨てていく。批判していく。聖書は包括的である。

 今の神学の課題は、自分の拠り立っている神学が聖書の何を見落とし、何を見逃しているかを歴史を振り返ってみていくことである。教派の神学を認めつつ、その限界を謙虚に認めていくことである。アメリカでの福音派の進展は教派の神学によっているのでない。福音派の神学校が21世紀になって神学の歴史を振り返りながら模索をしている。どのように進んでいくのか楽しみである。神学はそれぞれの時代で生きている。何かを生み出そうとして息づいている。神学は楽しいものである。

上沼昌雄記

JBTM