「西洋哲学史」2007年11月20日(火)

神学モノローグ 

函館で足止めをくって一晩、駅前にアメリカで見かけたホテルのチェーンを見つけて投宿した。その隣のデパートの5階の本屋さんで岩波新書で熊野純彦著の『西洋哲学史』上下を見つけて購入した。著者は最近この覧で引用しているレヴィナスの主著『全体性と無限』(上下、岩波文庫)の訳者でもある。レヴィナスのことをどのように書いているのか興味があった。下巻の最後の章で「ハイデガー、ヴィットゲンシュタイン、レヴィナス」として1ページで言及しているだけである。

ともかく一番馴染みのあるところから読み出した。というより函館から山形に向かう列車のなかで気になるところだけを拾い読みした。ハイデガーが、師であるフッサールの現象学から、自己の実存の探求を始め、しかしその中に民族としての運命と結びつけていることの危機を紹介している。すなわち、哲学のテーマがナチスドイツと深いところで結びついていることを示唆している。

ヴィットゲンシュタインはユダヤ系であり、レヴィナスは生粋のユダヤ人である。ナチスとユダヤ人の暗い歴史を手短に紹介しながら、思想としての哲学と時代の流れを明晰に結びつけている。戦争のことを避けないで書いている。あるいは書けるようになっている。世紀が変わって歴史を振り返ることができるようになった。

山形でお世話になった牧師も哲学をしてきている。それでこの本の話になった。短い文章で思想を凝縮している。そのぶん入門書になるのだろうかと言いながら、いままでにない西洋哲学史観に共に関心をした。哲学者の晩年のことがよく紹介されている。フッサールの晩年、ベルグソンの晩年、ヘーゲルの晩年、トマスの晩年、アウグスティヌスの晩年のこと、哲学者がどのように人生の終わりを迎えたのか記している。著者が倫理学者であることに納得をした。

それ以来帰りの飛行機のなかで、戻ってきて時差の調整のなかで、通史として読んでるのではなく、気に入ったところをつまみ読みしている。そのように読むことができる。この2冊を「上下」というのは正確でない。前書は「古代から中世へ」であり、後書は「近代から現代へ」である。各章の章立ても見事であるが、その章の副題も大変興味をそそる。たとえば、前書の11章はアウグスティヌスのことであるが、「神という真理」であり、副題は「きみ自身のうちに帰れ、真理は人間の内部に宿る」である。

この著者のキリスト教、神学の理解の深さを知る。中世のことでは当然トマス・アクィナスの章のように「哲学と神学と」となるのであるが、全体を通してどことなく、存在のテーマでありながら、存在を越えた神、認識を越えた神を前提にしているように思える。概念化された神は神なのかと問うている。

「ハイデガー、ヴィットゲンシュタイン、レヴィナス」の章を「語りえぬもの」として、啓蒙思想を通した現代の哲学が、なお語りえぬものに直面していることをもって西洋哲学史を終えている。すなわち、西洋の哲学で世界を概念化し、神学で体系を築いても、なお語り尽くしえぬ神の存在に目を向けている。開かれた西洋哲学史である。なお変化しうる西洋哲学史である。

トマスの「存在の類比」によって築かれた神学が、スコトゥスの「存在の一義性」によって神と世界の断絶と関係の両面を見ることになり、それが現代のドゥルーズの差異の哲学を導き出しているという。そんな現代との関わりを結構あっさりと、そして見事に記している。しかし、今回ドゥルーズの『差異と反復』(1968年)というのが、ちょうど河出書房新社で文庫化されていて手に入れてきたので、その結びつきに驚いている。さらに、ヘーゲル研究家の大村晴雄先生が、後年はスコトゥスの研究に没頭されていることにほんの少し納得ができた。

この2冊の新書それぞれの最後に人名索引、邦訳文献一覧、関連略年表が付いていて役立つ。通史で読んでもよいし、気に入ったところから読んでもよい。どことなく全体が結びついている。自分の関心のあるところから次のテーマに進んだらよい。どこかで哲学がいまの人生に、ものの考え方に結びついていることに気づく。西洋の哲学が、教会の考え方に影響していることに気づく。教会を支えている神学は西洋の哲学と無関係でない。

少なくともいまの時代に神のことばを語る責任をいただいている牧師は、この2冊の『西洋哲学史』に目を通しておいてよい。哲学の課題はまだ終わっていない。なお問い続けられている。いまの時代にもそんな問いをどこかで抱きながら人々は彷徨っている。神のことばは堅く立っている。しかし神学は彷徨っている。哲学は彷徨っている。人の心は、どこかで確かになお「語りえぬもの」を求めている。

 

上沼昌雄記

「しかし年をとると」2007年11月19日(月)

ウイークリー瞑想

     今回の日本での奉仕の間で何とか実現したかったことがあります。97歳になられた大村晴雄先生を訪ねることでした。ご自宅におられるのか、どこかの施設に入られたのか事前の情報では明確ではありませんでした。日本に着いてすぐに前橋で、若い時に大村先生のゼミを一緒に受けた小泉さんをお尋ねしている時に、その日に息子さんの関係で宇都宮の施設に移られたことが分かりました。

10月31日の山形での奉仕の移動の合間をぬって、宇都宮に大村先生を訪ねることができました。息子さんを通してその旨を伝えてあったので、私を待っていてくれました。待合室の近くの廊下での会話でしたが、先生はその待合室で来る日曜の午後に「深沢ヘーゲル会」が開かれること、そこで話そうとされていること、そこに参加される方々のことを嬉しそうに話していました。すでに車いすでの生活なのですが、頭脳の明晰さ、探求心の旺盛さ、精神の若々しさに驚かされます。

小一時間ほどの訪問で失礼をしなければなりませんでした。帰り際に海外へ出兵していた私の息子のことを訪ねてくれました。いま無事に戻っていることを自分の息子のように喜んでくれました。先生ご自身の経験を伺ったことを思い出しました。

そしていつも訪問をした時に最後に私に「祈ってよ」と言われます。人が行き交う廊下でしたが、先生の耳元近くで、神に「主の栄光のために大村先生を続けてお用いください」と祈りました。「アーメン」としっかり口応してくださいました。そして嬉しそうに目を向けて「神の栄光のためにと祈ってくれたが、その通り頑張るよ」と言って固く握手をしてきました。

夕方からの約束と夜の祈祷会での奉仕があってまた山形に戻る新幹線のなかで、最後まで主の栄光のために生きようとされている大村先生の信仰のことを思い巡らしていました。すでに40年来の交わりをいただいています。直接の生徒でも弟子でもありません。若い時にはゼミに勝手に潜り込んでいました。ことある事に先生をお訪ねしてお話しをさせたいただいています。日本に来るたびに必ず伺っています。惹きつけるものがあります。

山形の滞在の折りに、ネパールで4年間医療奉仕を終えて、最上川の向こう側のご実家の近くで再度開業されたご夫妻との話が心に重く残っていました。開業されてまだ2,3週間しか経っていないのですが、多くの患者さんが年輩の方で、その方々の心に深い闇が覆っているというのです。家族の闇があり、先祖の闇があり、死後の闇があり、痴呆が入ってきて自分が分からなくなる恐れの闇があるというのです。寿命が延びただけ闇を負って長く生きなければならないというのです。それは大変なことですと、静まりかえった夜更けにしんみりと語ってくれました。

聞いていて恐ろしくなる話です。しかし私も、孫に恵まれると同時に、確実に年をとってきています。私の友人たちも同じです。会話も健康のこと、牧会を退いてからの老後のことになります。すでに退かれた方々のことにもなります。牧師であるという立場は、老後をどのように生きるかの保証ではないのです。

イエスがペテロに言われたことをただ思い出します。「まことに、まことに、あなたに告げます。あなたは若かった時には、自分で帯を締めて、自分の歩きたいところを歩きました。しかし年をとると、あなたは自分の手を伸ばし、他の人があなたの帯をさせて、あなたの行きたくないところに連れて行きます。」(ヨハネ21:18)

固く握手をして見つめてくれた大村晴雄先生の輝いた顔、玄関で別れる時にいつものように手を振って見上げてくれた嬉しそうな顔、そのように年をとっていくことが可能なのだと、今回の旅を終えて自分に言い聞かせています。

 

上沼昌雄記

「北の大地と大きな空」2007年11月12日(月)

ウイークリー瞑想

札幌での奉仕を終えて帰途について函館まで来ています。青森での大雨のために列車が運休しています。見通しが立たないまま函館の駅の2階のコーナーで、この一週間の歩を振り返っています。北海道らしい旅を許されたことを思い起こしています。

今回は導きをいただいて釧路にまで伺うことができました。初めての訪問です。迎えてくださった先生にお願いして、市内を一望できる展望台に連れて行っていただきました。うしろに大きな太平洋を背負いながら、そこに流れ込んでいる釧路川が遠く阿寒岳まで延びています。その間に有名な釧路湿原があるということです。広々とした原野を覆うように大空がゆったりと漂っています。両手を広げてどっしりと構えている大きな人のようです。

近くにハリストス正教会があるというので先生の紹介で立ち寄りました。司祭の方が親切に説明をしてくださいました。ロシア正教会を訪ねたのは初めてです。イコンに飾られた聖壇の向こうには入ることができません。礼拝は立ったままで行うと言うことです。どことなくロシアの歴史の重み、苦難の重みを感じさせます。そのような交わりが釧路では当然なのですよという先生が、多少うらやましくなりました。

その夜は10名の祈祷会の参加者とみことばの瞑想のことを学び、実践をしました。翌日はまた先生の案内でバプテスト連盟の先生と、メノナイトの教会の先生を訪問することができました。教派の違った牧師同士の交わりが、かなり自由になされていることに驚異を覚えました。

釧路を紹介してくださった札幌のご夫妻と合流して、神秘的な摩周湖を眺め、温かみのある阿寒湖を訪ねました。人を寄せ付けない摩周湖、人と寄り添っている阿寒湖の対比が印象的でした。ところどころ雪をかぶっている晩秋の北海道のドライブを楽しみました。帰りに釧路湿原とタンチョウヅルの舞い踊る姿を見ることができました。原野をわが家のようにしているタンチョウヅルは、大空も大きな羽を広げて自分の庭のように飛び回っています。つがいや家族で優雅に飛び降りてきます。

学生の時にはお金もなく、見ることもなかった北海道の自然を味わうことができました。同時にそんな大きな自然のなかでの学生生活を求めて北海道まで来た時のことを思い出しています。人間の枠には入らない自然の大きさが好きです。釧路の大空を見ながら、ワイオミングで見た大空を思い起こしました。そんな空間に惹かれる自分を不思議に思います。

北の大地の大きな空が人の心にどのような影響を与えるのか、地理学者の研究のテーマです。少なくとも釧路での牧師同士の交わりは教派を簡単に越えています。札幌でも同じようなグループのなかでの交わりでありながら、多様性と豊かさがあります。一つのグループだけですとどうしても同心円内にまとまってしまって閉鎖的になるのですが、北海道ではどこかに広がりがあります。新しい風が吹き込んでくる窓が開いています。

教会のあり方について、神学のことについて、これしかないという人間の狭さを打ち破っています。聖書をどのような厳密に解釈するといってもどこかに人の枠が入ってきます。そんな思いを打ち破るものを北海道は持っています。新しい視点、新しい風を感じます。「教会はキリストのからだであり、いっさいのものをいっさいのものによって満たす方の満ちておられるところです。」(エペソ1:23)

日本での伝道会議が北海道で計画されていると聞いています。日本の伝道に新しい風を吹き込んでいくことを期待できます。まだ見通しが立たないで函館に留められていて、北海道に期待を抱いています。とうとうもう一晩留められることになりました。

 

上沼昌雄記

「趣を異にした集い」2007年11月5日(月)

ウイークリー瞑想

秋日和の朝秋田から、昨晩大阪を発って青森に向かっている寝台特急列車「日本海3号」に乗っています。青森から青函トンネルを通って札幌に向かいます。6週間の旅の最後の訪問地です。長旅を続けてきてゆっくりと最後の目的地に向かっているこの列車の揺れに心をゆだねています。この1週間で味わった趣を異にした会合、集いを思い起こしています。

「文化の日」の夜に、秋田大学医学部聖研の卒業生の修養会を男鹿半島の海に面したホテルでありました。卒業して10年近く経って臨床の一線で活躍している医師たちが、忙しいなかをやりくりして集ってくれました。その方々の最終学年の時に、その昔KGKで関わっていた石川兄が現在耳鼻科の教授として活躍をしていて、そのお宅での集会に初めて伺いました。その折りに家族でアメリカに渡った経緯をお話ししました。それをよく覚えていてくださって、それ以来の交わりをいたたいています。

40年以上前にキャンパスで自分たちで聖研を立ち上げたことと重なってきました。聖研で人生を語り合ってきた人たちがそれぞれの医学の分野で、人として、医師として、親として試練と恵みを通して、大切な務めを果たしていくことを信じることができます。そんな仲間が秋田の地で起こされていることに希望を感じます。その人たちを励ましている石川ご夫妻にただ頭が下がります。

秋田に来る前に山梨の清里での2泊3日の集いに参加しました。友人の片岡さんが召されてから、関わっていた人たちが年一度集って互いの状況を分かち合う集いです。紅葉に包まれた静かなペンションで、それぞれの一年の歩みを振り返る時です。今回は4月に記念会に参加させていただいたこともあって、2回の静まりをリードする時をいただきました。

シーズンも終わって色とりどりの紅葉を眺め、人生の秋を味わっていながら、旅人としての「人生の昼と夜」というテーマで、夜を夜として生きることを思い巡らしました。夜を昼のように生きているのでそのしわ寄せが出てきます。夜は神を思い起こす時です。動きを止める時です。心の響きを聞く時です。「私の心が私に教える」(詩篇16:7)時です。「私の歌」(詩篇77:6)が心に湧いて来る時です。

「恐怖」「怒り、絶望、希望」「失われた家族の風景」「食卓のローソク」「円(まどか)」「深い慰めの夜」「2歳児の自分」と、心を分かち合うことが許されました。

その前の仙台での聖日には男性集会、礼拝と続いて、「旅の友の集い」という魅力的なタイトルの集会に参加いたしました。各自お昼を用意し、食べながら、旅に出て駅弁を食べ、おにぎりを食べている「旅人」ような気分で、旅のイメージ、「自分の故郷」、「よりすぐれた故郷」(ヘブル11:13−16)について分かち合いました。

自分たちの人生で出会ったことを分かち合うために、教会のなかで比較的自由な交わりとしてこのような集会を持っているという説明でしたが、そんなゆとりのある集いが教会でなされていることに興味を覚えました。結構な人が参加してくださり、しかも1時間の集いでしたが、各自の旅のイメージを分かち合っていただき、自分の故郷を一言で語っていただきました。「大家族」「薄暗い台所での母の姿」「たばこの煙」「優しい母と物わかりの悪い父」「温もり」「海に溺れたこと」「モンゴルの静かな平原」「こたつとミカン」等、言ってくださった方々の顔を見ながら心の深くに潜んでいる故郷を想像してみました。

礼拝、祈祷会、男性集会とは視点を異にした集いで、いままでとは多少趣を異にした味わいをいただいています。恵みの豊かさ、交わりの多様性を通して、神の別な風景を観る部屋へと導かれているようです。もうひとつの山の向こうの景色を観させていただいています。そして、何かを神がなそうとされているようです。期待をすることができます。青函トンネルを通過しながらトンネルの向こうを思い描いています。

 

上沼昌雄記