「贖罪論において<誇り>は、、、」2022年7月25日(月)

 パウロが贖罪論のことをローマ書3章21から26節で注意深く、特に神のこととして記していることを何度か書いてきました。内村鑑三に聖書全体を知る鍵と言わせ、ケーゼマンに書簡で最も難解な箇所と言わせた箇所ですが、記されている文字とその背後の出来事と意味を解明することで、啓示のことがらとして神の贖罪の業が浮かび上がってきました。

 その神のことに関して、パウロは続いての27節から31節で、私たちの身近な対応のことを取り上げています。それは2章で律法をいただいていることで抱いている「誇り」(17, 23節)のことです。定冠詞が付いていますので新改訳2017は「私たちの誇り」としています。贖罪が端的に神の業とすると、まさに「その誇り」はどうなるのかと言うのです。

 それでも注意深く観察してみると、パウロはユダヤ人が抱いている「その誇り」のことだけでなく、信仰者である私たちの中にもあることを認めています。コリント前書で「肉なる者がだれも神の御前で誇ることがないようにするため」(1:29)とあるのですが、すでにコリントの教会でこのことが問題になっていることを、コリント前書と後書で認めています。それでエレミヤ書で言われている「誇る者は主を誇れ」を繰り返し語るのです(1Cor. 1:31, 2Cor. 10:17)。ただこの肉の弱さによる誇りは、私たちが自分の教会や教派や神学校や、その背景の神学や聖書理解や霊的体験を誇りとすることにもみられることです。

 ともかくパウロは贖罪論の基本構造と言える「神の義」の「イエス・キリストの信」を介しての啓示を細心の注意を払って記してすぐに、それでは「その誇り」はどうなったのかと問うのです。そして躊躇することなく「取り除かれた」と断言するのです。それでも驚くべきことですが「それではどの律法によってか」と、律法をいただいていることを誇りとしていることを取り上げていながら、もう一度「どの律法」と問うのです。パウロの思考について行くのは容易ではないです。それでもパウロにとっては明確なことだったのです。

 それは多分、20節から21節への移行で取り上げた律法とその業のことを基としているからなのでしょう。律法は神からのものとしては意味があるのですが、肉の弱さとの関わりで効力を発揮できないのです。それがまさに「イエス・キリストの信」の登場で意味が変わったのです。その展開を取り上げているのです。その意味で「業の律法」から「信の律法」への移行が可能になったのです。その理由をまさに21節から26節で語っているのです。律法は神からのものとして生きているのですが、それが「イエス・キリストの信」によって可能になったことを、「誇り」をテーマに確認しているのです。そのことが成就したことをローマ書で証明していると言えます。

 この意味で「誇り」という肉を持つ者として避けられない感性のあり方に当然変化が生じたのです。そのことをパウロはローマ書の終わりで取り上げています。15章17節で「それで神のことに関して、キリスト・イエスにあって誇りを持っています」と認めています。その理由を次の18,19節で語るのです。則ち、キリストの言葉と行い、また、しるしや奇跡、また神の霊の力によって働かれたこと以外は語ることはしないからと明言できるからなのです。

 このパウロの「キリスト・イエスにあっての誇り」は果たして自分の中にあるのかなと自問しています。パウロは手紙の初めで「福音を恥としない」と言っているその内実が、手紙の終わりでよく分かるのです。それでも、自分には誇り以上にどこかで福音を恥としてしまう面があるのかなと自問してしまいます。ただ、その福音の内実である贖罪における基本的構造である「神の義」と「イエス・キリストの信」のあり方が明確にされたことで、少なくともそのキリスト・イエスにおいていただいている恩恵を以前よりはるかに誇りにしているのは確かです。

 上沼昌雄記

「信の根源性としての贖罪論」2022年7月18日(月)

 妻とヨハネ福音書を読みながら、イエスが「わたしは、天から下ってきた生けるパンです」(6:51), また「アブラハムが生まれる前から、『私はある』なのです」(8:58) と言われている箇所から、高校生の時に信仰を持った時のことを思い出しました。故郷前橋で宣教師たちが開いていたバイブルクラスに友人に誘われて参加するようになり、たどたどしい日本語で説明されるイエスの言説と行動に魅入られて信仰を持ったのです。そのスタンスは今でも変わっていないのだと思います。成長もしていないとも言えます。

 回り巡って、そのイエスの言説と行動に同じように魅入られたパウロが記したローマ書の特に3章での「神の真実」(3節)、「イエス・キリストの信」(22節)、そして「私たちの信仰」(22,26,28節)の関わりについての「信の哲学」の提唱者のテキストだけの意味論的分析に出合い、「イエス・キリストの信」が神の贖罪の媒体としての役割を果たしているだけでなく、「私たちの信仰」の基盤になっていることを知ることになり、その意味での「信の根源性」の解明を目指していることに関心を持って来ました。

 前回贖罪論の要としての「イエス・キリストの信」がローマ書3章21節から26節までに貫かれていること、さらに27節で「業の律法」からの解放と「信の律法」への移行が可能になったことに触れました。続いて28節ではまさに「信仰によって義と認められる」ことを私たちの側で確認して、それはユダヤ人だけでなく、異邦人にも及ぶものであることを29節で言及するのです。

 30節では神はひとりで、「割礼のある者」と「割礼のない者」と言い換えて、どちちらにも「イエス・キリストの信」は基盤なのですが、前者は、定冠詞なしで、「信に基づき」、そして、後者は、定冠詞付きで「信を媒介にして」則ち、「イエス・キリストの信を媒介にして」義とされると記すのです。続く31節も定冠詞付きでその「イエス・キリストの信」を媒介にして、律法を無効にするのではなく、むしろ確認すると結ぶのです。

 私たちは人間の側での「信仰」によって「イエス・キリストの信」に結びつき、神の義をいただく者なのです。パウロはその関わりを慎重に丁寧に提示するのです。則ち、「イエス・キリストの信」を媒介にすることで初めて神の信義が私たちに届いてくるからです。そのイエスの言説と行動に対する信頼が私の中に信仰をもたらしたのです。さらにその私の中の信仰の難しさと根源性については、パウロはさらに5章から8章までで心魂の奥底での出来事して提示するのです。それは神の信義の啓示ほどには明確でないからです。なぜなら、「罪」と「肉の弱さ」が関わるからです。

 それでも聖霊が「内なる人」に「ヌース」を通して語りかけることで、「イエス・キリストの信」への信頼が生まれてくることを知るのです。高校生の時にヨハネ福音書でのイエスの言説と行動を知ることで、信頼が生まれ、信仰が私の中に育ってきたのです。それ以来信仰が進んだかというと、現実には「肉の弱さ」に覆われてきたと言えます。それでも「イエス・キリストの信」への信頼は消えることはありませんでした。

 ローマ書3章21節から31節までの、それこそ文字通りと言える意味論的分析に接して、「肉の弱さ」に覆われて消えそうになる信仰がどのような状態でも「イエス・キリストの信」を基としていることを確認することで、「信の根源性」に生かされ、生きていることに納得するのです。

 上沼昌雄記

「贖罪論の要(かなめ)は、、、」2022年7月12日(火)

 神の贖罪の業をテキストから理解しようとすると、まさに、ローマ書3章21-26節からとなります。そして即、内村鑑三にとっては聖書全体を知る鍵であり、同時に解明できなかった箇所と言われ、ケーゼマンによって、書簡の中で最も難しく、最も不明瞭な箇所と言われてきました。

 そして現実に贖罪論の要は、聖書翻訳としてようやく認められてきた、22節の「イエス・キリストの真実(信実)を介して」と、神に義の啓示の独立した媒体として捉えることと言えます。長い間「イエス・キリストを信じる信仰による」と訳されてきました。ルターのドイツ語訳聖書にも観られます。結果的には、私たちの信仰とその強弱が贖罪論の理解に関わり、このテキストによる贖罪論の理解の混迷と言うか、不明瞭さをもたらしてきました。

 ここで明らかなことは、この「イエス・キリストの信」が「神の義」の啓示の媒体として、イスラエルの不真実に対する神の真実(3:3)の現れと理解できると、26節まででいくつかのポイントが浮かび上がって来るのです。まず初めにその22節で「神の義」と「イエス・キリストの信」には「分離はない」ととれることです。イスラエルと異邦人の「区別のない」ことではないのです。人間の側の信仰のことではないからです。要である「イエス・キリストの信」は独立した媒体でありながら、「神の義」とは分離されないので、神において信義が一体であることが明らかになるのです。

 23節から26節はその説明になっています。24節では、この媒体としての役割を「キリスト・イエスにおける贖いを媒体にして」と明確にしています。「キリスト・イエスによる贖い」という訳より、「キリスト・イエスにおける贖い」と文字通りに訳すことで、無償であり、恩恵である役割と位置関係が明確になります。

 そしてこの媒体を神が嘉されたたことによって、即ち、イエスの信が神に嘉される仕方でなされたことにより、そのイエスの信に基づく者を義とすることができ、実際に神の義を受け取ることができる道が開かれたのです。義認論が贖罪論に見事に含まれるのです。

 そしてその媒体としての「イエス・キリストの信」が神の義を知らしめた役割をさらにもう一度取り上げて、「血におけるヒラステーリオン」と言うのです。媒体としての「イエス・キリストの信」を神が嘉したのは、神の怒りを宥める仕方ではなくて、その「信」を嘉されたことで、その「イエスの信に基づく者を」を義とするためです。その意味での神が私たちと出会う場、則ち「現臨の座」となったのです。

 この26節まででの贖罪の要を端的に表現して、27節で具体的に21節までで取り上げてきた「律法」のことに「誇り」というテーマに触れるのです。モーセの律法であれば、その業を誇ることがあっても、「イエス・キリストの信」を媒体にした「神の義」をいただいた場合には誇るものはないと明言するのです。「業の律法」に代わって「信の律法」の出現なのです。旧約から新約の世界になったのです。

 モーセの律法も神の律法です。しかし、律法に生きるものは律法を全うする以外にないのです。そこには誇りか絶望しかありません。今それとは別に「イエス・キリストの信」による「信の律法」が神の律法として与えられたのです。なぜならそこに神の義と信が結びついているからです。私たちはイエス・キリストの信に幼子のように信頼するだけです。その信仰のゆえに神に嘉されるのです。

 要としての「イエス・キリストの信」が、「業の律法」に代わって、「信の律法」をもたらしたのです。その「信」が、31節で、「律法を確認する」と締めくくられているのです。神の贖罪の業は、媒体である「イエス・キリストの信」のゆえに、全うされたのです。贖罪論の基本構造と言えます。

 上沼昌雄記 

「大谷選手」2022年7月3日(日)

 現地時間の7月1日に大谷選手が初回に18号ソロホームランを打った動画を観ているときに、不思議にイチローのことを思い出しました。そのイチローのことではこの欄で2007年と2010年に二回にわたって記事を書きました。なぜイチローのことを思い出したかというと、大谷選手の打席に入ってからの仕草が、どこかでイチローと似ているというか、むしろその仕草そのものは違うのですが、その心構えは同じなのかなと勝手に想像できたからです。

 大谷選手の打席に入って身構えるまでの仕草はいつも同じなのですが、今回印象に残ったのは、身構えてからホームランを打つ瞬間まで静寂としているその姿が何とも印象的だったのです。フルカウントになって投手も躊躇したのか時間をかけていたときに、大谷選手も一度席を外し、もう一度構え直すのですが、それでもその静寂さが妨げられないで、低めに入ってきた変化球をすくい上げるように、右翼の2階席にまでたたき込んだのです。打った瞬間に本人も納得したかのように立ち止まってそのホームランの行方を見つめていました。

 その打席に入って、厳粛な宗教家のように一連の仕草を繰り返した後に、体の余分な力を抜いてただ静かにたたずんでいる姿はイチローも取っていたのではないかと思ったのです。イチローなりの独特な一連の仕草がありました。大谷選手もそれを繰り返さなければ次に進めない仕草があります。どっちらも美しいものです。それが終わってた佇み、ただ静寂な中で、投手のどのような球にも対応できる姿になっているのでしょう。

 素人判断ですが、多くの選手はどこかに力が入っていて、打つぞ、打つぞという思いがどこかに出てきて、その分どこかに隙が出てしまうのかなと思います。体の力を抜いて静寂した姿で打席に立たれたら、投手は一瞬どこに投げたらと迷うのだと思います。そんな投手の迷いが実際に今回でたように思います。あるいは大谷選手の身構えを何とか邪魔するために捕手が取った手段だったのかも知れません。そんなことに邪魔されない静寂さをあのバッターボックスで維持していたのですから、恐るべきことです。一周してホームベースに入ったときに、左手で自分の右手の甲を叩いていたのも納得できたからなのでしょう。

 これはバッターとしての大谷選手なのですが、投手としてもセットポジションで投げる姿にも通じるのでしょう。それは厳粛な宗教家のような仕草なのですが、ダッグアウトや塁上での大谷選手の仕草を観ていると、何ともリラックスしたもので誰とも挨拶を交わしたり、語り合っている姿にまた驚嘆を覚えます。難しい宗教家の顔ではなくて、童顔で野球そのものを楽しんでいる姿です。その辺は多少イチローとは異なっているのでしょう。どちらにしても大リーグに新風を吹き込んでいます。

 明日7月4日はアメリカの独立記念日です。幸いまだ朝晩は幾分涼しい日を過ごしています。それでもすでに山火事は発生しています。日本ではすでに猛暑と台風の到来とのこと、ご自愛ください。

 上沼昌雄記