「ヨナ書とエレミヤ書と秋田の教会」2010年10月31 日(日)

 約4ヶ月ぶりに秋田の教会に戻ってきました。紅葉はどうも
足踏みをしてしまって、もしかしてこのまま錆び付いて、枯れてし
まいそうです。夏の猛暑の影響でしょうか。しかし、教会は新しい
牧師の招聘を確認しつつ前進しています。前回滞在の時に生まれた
赤ちゃんは6ヶ月経ってかわいい女の子になってきました。

 ヨナ書からメッセージを語りました。ヨナがどんなに神に怒った
としても、ヨナを通しての神の目的は果たされています。そのため
にヨナは用いられただけだとも言えます。ヨナが怒ろうが、叫ぼう
が、嘆こうが、それは神には関係ないのです。神はニネベへの目的
のためにヨナを用いただけです。というようなことは私たちにも起
こりうるように思えて仕方がありません。神の目的のために私たち
は用いられるだけです。その意味では神に翻弄される人生です。

 春に秋田の教会の皆さんと8回にわたってエレミヤ書を学び
ました。偶像と罪に汚れた神の民へのさばきです。バビロンに逃げ
て捕囚の民として生き残ることを告げるエレミヤの嘆きと苦悩の預
言です。バビロンのネブカデネザル王もイスラエルの民を保護しま
す。最後に王は使者を使わして、エレミヤにバビロンに下ることも
エルサレムに残ることも自由に任せました。私たちだったらその時
にどんな選択をするだろうかと参加者と話し合ったことを思い出し
ます。石川さんや私はやはりバビロンに行くことを選ぶだろうと
なったのですが、鈴木さんという、今日の礼拝の司会をしてくだ
さった方は、その時には自分はその場に留まるだろうという返事で
した。そんな楽しい学びの時を思い出しました。

 神は預言者であるヨナにいきなりニネベへの宣教を命じます。預
言者は神の民のための預言者です。異邦人への宣教は考えられない
ことです。ですから逃げたのも当然と言えます。それでも逃げ切れ
ないでニネベに向かいます。「もう40日すると、ニネベは滅
ぼされる。」と言うと、王を初め町中の人が悔い改めを始めそうに
なります。そこでヨナは不愉快になって神にかみつくのです。

 ニネベはアッシリアの首都です。アッシリアの後にバビロン帝国
になります。そこにエレミヤを通して神の民が「残りの者(レムナ
ント)」として保護されます。神はバビロン帝国を神の民の生き残
りの道として用いたのです。そのための先駆けとしてニネベへの宣
教がなされたと言えます。ヨナにはそんな先のことは隠されていま
した。ただ神の民の預言者としての使命に燃えていたのです。

 秋田の教会は、聖書を学び信仰を持った多くの人たちを各地に送
り出しています。何人かの医師たちもいます。その人たちを通して
さらに神の福音は他の人に届こうとしています。その先は見ること
ができません。今与えられている使命に励むだけです。それで神に
文句を言いたいこと、叫びたいこと、怒りたいことがあってもいい
のです。神に怒っても神は傷つくことはありません。むしろ神との
パイプは広がっていきます。

 結局自分の使命に励むだけです。思い通りに行かないことが多く
あります。それで怒りがでてきたらヨナを思い出して神にその怒り
をぶつけるだけです。明日は湯沢で数名の牧師と静まりの時を持ち
ます。その後は秋田、青森経由で北海道に入ります。

上沼昌雄記

「100歳の大村晴雄先生の父」2010/10/22(金)

 今朝前橋在住の元群馬大学教授の小泉一太郎氏と前橋駅で合流し
て、宇都宮の郊外のホームに入られている大村晴雄先生を小泉氏の
ドライブで向かいました。神学校在学の折に大村先生のゼミを小泉
氏とご一緒させていただいた以来の交流です。オックスフォード大
学史の専門の小泉氏のイギリス体験からイギリス神学の奥深さを伺
いながらのドライブとなりました。日本生まれのイギリス人作家の
カズオ・イシグロの母堂に会われた話も出てきました。そのカズ
オ・イシグロの関わりで村上春樹の宣伝もすることになりました。

 私たちの来訪を大村先生は待っていてくれました。この5月
2日に100歳になられました。目のご不自由を覚えられていま
す。それでもヘーゲル研究会は続けているのですが、イザヤ書の聖
書研究を休まれているとのことです。それでどうしてイザヤ書を学
ばれているのですかと伺いました。そうしましたら、出身の海岸教
会の当時の指導者の聖書観がゆるいので袂を分かつことになった経
緯を話してくださいました。信仰と思索の土台としての方法論の明
確化はゆるがせにできないという信念を持たれています。大村先生
と最初にお会いしたのは70年代の初めのKGKの全国集会
であったことに納得がいきました。

 大村先生のその聖書についての信念がどこから来ているのだろう
かと思って、それはご両親から出ているのでしょうかと伺いまし
た。厳かにお父様の話を始められました。大正中期にお父様は
YMCAの主事をされていました。自由主義神学の影響のなかで、お父
様が聖書の「無謬性」を、そのような表現は使われていなかったと
しても、明確な聖書観を表明しておられたとのことです。当時とし
ては結構厳しい立場に追いやられることになったのではないかと想
像します。しかしそんなお父様の姿勢を尊いもののように話されま
す。日本のプロテスタント信仰の生ける水脈に出会ったような感じです。

 ヘーゲル研究会と聖書研究会、対等のような印象を受けるのです
が、ヘーゲルのテキストは単なる哲学文献に過ぎないとはばかるこ
となく言われます。しかしそのヘーゲルの哲学文献に聖書の源流を
見いだしておられるのです。何回か伺ったことですが、その話をさ
れるときには力がこもってきます。神学部出身のヘーゲルには当然
聖書の痕跡があり、その源流を辿ることができるのです。

 私の『闇を住処とする私、やみを隠れ家とする神』で大村先生の
言葉「日本人の心の底にあるドロドロしたもの」を使わせていただ
きました。そこに触れてこられました。その時に植村正久のことを
話しただろうかと問うてこられました。大村先生の100歳を
祝って、先生の教え子たちが先生のエッセイをまとめて『日本独創
ということー昭和の哲学をめぐって』という冊子を出されました。
そこで大村先生が植村正久のことに触れています。彼の発言から
50年後、すなわち、1941年に「太平洋戦争が始まるが、日本
のプロテスタント教会は大きな過誤を犯すことになる」と言われて
いることに結びつくことが分かりました。日本人の心の底にあるド
ロドロしたものが聖書をも飲み込んでしまうと観ているのです。

 100歳の大村先生の信仰と聖書観の源流に触れました。その
源流であるお父様の信仰と聖書観はどこから来ているのだろうかと
聞きたくなります。そこまでは辿れないのですが、ただその水脈の
なかで小泉氏も私も生かされていることを実感します。同時にその
水脈を絶やしてはならない責任を負わされています。それは、すが
すがしい任であり、同時に、血が流される十字架でもあります。

上沼昌雄記

「Mission Accomplished」2010年10月12 日(火)

 この二日間ほど友人の厚意をいただき、大阪市内に滞在していま
す。大阪の南にある教会の牧師ご夫妻を訪ねる目的がありました。
義父の日本での宣教活動に関してインタビューしているときに、こ
の牧師が信仰に導かれる過程を殊の外うれしそうに語ってくれまし
た。それで今回の日本滞在の折に訪問したいと思い、実現しました。

 宣教活動の後半は多大な労力を注いだのですが、思い通りに行か
なかったという思いと、その後の教会の歩みをみて落胆しているこ
とを折々に感じていました。しかし前半の宣教活動では何人かの人
が導かれて牧師になっていることを知りました。その中のひとりな
のです。しかもこの方のことは最も記憶に残ることというのです。
その旨をお伝えしましたら、懐かしそうに感銘を受けていました。

 教会は幼稚園、塾、ダンス教室、シニアの集い、ともかく地域の
人に届こうと努力し、実際に届いていることが分かります。3
年前に改築をしたときに講壇の後ろに「納骨堂」ではなくて、「納
骨室」を付け加えた話をしてくださいました。お墓が別なところに
なって、その繋がりという意味での「納骨室」です。教会のメン
バーの家族の人が教会に親しみを感じてくれていると言うことで
す。礼拝は子どもさんを入れて270名ほどということです。

 先週名古屋でこの訪問の計画を知り合いの牧師に話しました。こ
の教会が活発に地域に伝道していることを話してくれました。今回
も金曜日の夕方に東海聖書神学塾のチャペルでの奉仕が許されまし
た。この数年伺っています。そこに大阪から新幹線通学をしている
兄弟のことを知っていました。その兄弟がこの教会から遣わされて
いるのです。大阪にも神学校がありながらこの牧師は名古屋のこの
神学塾にあえて送っています。

 宣教師の身を削るような犠牲的な伝道のなかで、ほんのわずかに
導かれた人が、さらに遣わされて大阪の南で大きな実を結んでいま
す。宣教活動の難しかったこと、落胆すること、そのことに心が占
められているのですが、宣教のために費やした労は、忘れたような
ときに思いがけないところでしっかりと実を結んでいるのです。そ
こからさらに神学校に導かれる人が起こされて、時間と場所を越え
て実を結んでいます。

 ヨナが神に怒っていても、また怒ったままで生涯を終えても、ヨ
ナを通しての神の目的は果たされています。Mission
Accomplishedです。

上沼昌雄記