ンシスコに入りました。その方と合流して、サンフランシスコ郊外の私
のミニストリーの理事をしてくれている八木沢さん宅に伺いました。こ
のお宅で数年前にJCFNの日米の合同主事会を持たせていただきま
した。ほとんどその家を占拠してしまった格好でした。そんなことが
あったので気が引けたのですが、今回はこの方と八木沢さんがともに津
軽出身と言うことで、何とか紹介したいと思っていました。弘前を中心
にこの方は旧岩木町で、八木沢さんは田舎館村がそれぞれ故郷です。サ
ンフランシスコを見下ろしながらの津軽弁丸出しのローカル色豊かな交
わりとなりました。通訳なしには意味の分からない場面が何度もありま
した。
この理事の方は岩木町の十代目に当たる家の出身です。父親の九代目
までは名前に「重」が付いていたのですが、この方の代でそれを断ち
切った経緯を話してくれました。そこには当然お父様の家族のなかでの
痛みや葛藤があった訳です。それでこの方にいま「父なる神と父親」の
ことで文章を書いて、その一環で八木沢さんにもインタビューをしたこ
とを話しました。それでしばらく男性3人だけで自分たちの父親のこと
を語り合うことになりました。まさに男性集会でした。この方と八木沢
さんの父親の話は、雪深い津軽の家とひとりすまして立っている岩木山
を連想させるものです。実際、この方は岩木山がずっと頭に浮かんでい
ましたと言われました。
サンフランシスコの夜景を見ながらすき焼きをいただきました。八木
沢さんの奥様は8年間だけ津軽に住んだだけですが、その津軽の言葉と
味がしっかりとからだに染みついていることに、この方は驚いていまし
た。その晩は、この方は畳の部屋で休まれました。その畳の部屋に横に
なったときに「ああ、本当に、あずましい」気持ちになったことを、次
の朝に語ってくれました。「あずましい」とただ書いてしまうとそれま
でなのですが、実際には「あんずましや」とも聞こえてきそうな感じで
す。その語り口を聞くと意味が飲み込めます。
理事会は、昨年と同様に荒井先生の関係のリゾート地を使わせていた
だきました。みくにレストランから素材を持ってきてくださり、奥様と
教会の方がご馳走を作ってくれました。大変な恩恵をいただいていま
す。二日目といっても同時に最後の晩餐の時に、アトランタの理事のマ
イクさんが、陸軍のチャプレンであったお父様を尊敬していることを話
し出しました。それでそのように父親を尊敬できている男性は珍しいと
思いますと伝えました。ほとんどの男性は、何らかの怒りやわだかまり
を父親に対して持っています。そこに先の理事の方も加わってくださっ
てしばらくまた男性集会となりました。放蕩息子が父のもとに立ち返っ
ていく話になりました。父の懐に飛び込んでいく、それはまさに「あず
ましい」感じだと言われました。
放蕩息子の話はすでに八木沢さんのところでもしていました。その放
蕩息子を抱きかかえる父親の両方の手のレンブラントの描写に、父と母
の愛を読み取ったヘンリ・ナウエンの『放蕩息子の帰郷』が話題になり
ました。この方にとって津軽の故郷でまず思い出すのは、八木沢さんの
奥様が出してくださったような母の手料理でした。父の懐がまさに「あ
ずましい」ところなのですが、そこには当然母の匂いが含まれているの
です。父なる神の懐を思わせるような深い意味を、「あずましい」とい
う方言が含んでいるようです。
昨年の理事会は修養会のようでしたと言ってくれました。今回の理事
会は、もちろん大切な議題を話しているのですが、そこでなされた交わ
りは男性集会のようでしたと言って、大変責任のある仕事に戻って行か
れました。「あずましい父の懐」を思い起こして、父親である恵みと責
任を感じながらご家族のもとに帰って行かれました。
上沼昌雄記