「あずましい父の懐」2008年4月24日(木)

 JCFNの理事会の前日に、トロントからひとりの理事がサンフラ
ンシスコに入りました。その方と合流して、サンフランシスコ郊外の私
のミニストリーの理事をしてくれている八木沢さん宅に伺いました。こ
のお宅で数年前にJCFNの日米の合同主事会を持たせていただきま
した。ほとんどその家を占拠してしまった格好でした。そんなことが
あったので気が引けたのですが、今回はこの方と八木沢さんがともに津
軽出身と言うことで、何とか紹介したいと思っていました。弘前を中心
にこの方は旧岩木町で、八木沢さんは田舎館村がそれぞれ故郷です。サ
ンフランシスコを見下ろしながらの津軽弁丸出しのローカル色豊かな交
わりとなりました。通訳なしには意味の分からない場面が何度もありま
した。

 この理事の方は岩木町の十代目に当たる家の出身です。父親の九代目
までは名前に「重」が付いていたのですが、この方の代でそれを断ち
切った経緯を話してくれました。そこには当然お父様の家族のなかでの
痛みや葛藤があった訳です。それでこの方にいま「父なる神と父親」の
ことで文章を書いて、その一環で八木沢さんにもインタビューをしたこ
とを話しました。それでしばらく男性3人だけで自分たちの父親のこと
を語り合うことになりました。まさに男性集会でした。この方と八木沢
さんの父親の話は、雪深い津軽の家とひとりすまして立っている岩木山
を連想させるものです。実際、この方は岩木山がずっと頭に浮かんでい
ましたと言われました。

 サンフランシスコの夜景を見ながらすき焼きをいただきました。八木
沢さんの奥様は8年間だけ津軽に住んだだけですが、その津軽の言葉と
味がしっかりとからだに染みついていることに、この方は驚いていまし
た。その晩は、この方は畳の部屋で休まれました。その畳の部屋に横に
なったときに「ああ、本当に、あずましい」気持ちになったことを、次
の朝に語ってくれました。「あずましい」とただ書いてしまうとそれま
でなのですが、実際には「あんずましや」とも聞こえてきそうな感じで
す。その語り口を聞くと意味が飲み込めます。

 理事会は、昨年と同様に荒井先生の関係のリゾート地を使わせていた
だきました。みくにレストランから素材を持ってきてくださり、奥様と
教会の方がご馳走を作ってくれました。大変な恩恵をいただいていま
す。二日目といっても同時に最後の晩餐の時に、アトランタの理事のマ
イクさんが、陸軍のチャプレンであったお父様を尊敬していることを話
し出しました。それでそのように父親を尊敬できている男性は珍しいと
思いますと伝えました。ほとんどの男性は、何らかの怒りやわだかまり
を父親に対して持っています。そこに先の理事の方も加わってくださっ
てしばらくまた男性集会となりました。放蕩息子が父のもとに立ち返っ
ていく話になりました。父の懐に飛び込んでいく、それはまさに「あず
ましい」感じだと言われました。

 放蕩息子の話はすでに八木沢さんのところでもしていました。その放
蕩息子を抱きかかえる父親の両方の手のレンブラントの描写に、父と母
の愛を読み取ったヘンリ・ナウエンの『放蕩息子の帰郷』が話題になり
ました。この方にとって津軽の故郷でまず思い出すのは、八木沢さんの
奥様が出してくださったような母の手料理でした。父の懐がまさに「あ
ずましい」ところなのですが、そこには当然母の匂いが含まれているの
です。父なる神の懐を思わせるような深い意味を、「あずましい」とい
う方言が含んでいるようです。

 昨年の理事会は修養会のようでしたと言ってくれました。今回の理事
会は、もちろん大切な議題を話しているのですが、そこでなされた交わ
りは男性集会のようでしたと言って、大変責任のある仕事に戻って行か
れました。「あずましい父の懐」を思い起こして、父親である恵みと責
任を感じながらご家族のもとに帰って行かれました。

  上沼昌雄記

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「天国のチラシと桜吹雪」2008年4月14日(月)

 JCFNの理事を一緒にさせていただいている友人の牧師が、奥様
のお母様が召されたときの様子を知らせてくれました。東京と鹿児島を
往復しながらの看病でしたが、奥様は「とても濃い母と娘の時間」を持
たれました。病院のソファを持ち込んで病室に泊まりをしながら、「ふ
たりの時間を賛美と祈り、みことばによって過ごすことができたようで
す。」そのお母様の信仰を次のように記してくれました。

 「闘病中の義母は、自分の病気の苦しみがちょうど主イエスのレント
と受難の時期に重なっていることを覚えて、主に連なる苦しみを与えら
れてこれほど感謝なことはない、と口にしていました。さらに、天国は
どれほどよいところか、天国に行ったらチラシを作って天上からそれを
まくのだと不思議でおかしなことを言っていました。」

 その時の不思議な会話を奥様が詳しく伝えてくれました。

 母「天国はどんなところか、黙示録には書いてあるけれど、

  みんなに、どんなにすばらしいところかお知らせするために

  私は天国でチラシを作って、それをまこうと思う。」

 私「(わざと)でも、それを地上に届けるのは、相当むずかしいん
じゃない?」

 母「そのチラシはきっと桜の花びらになって届くから、

   桜の花びらが散っているときは、それだと思ってね。」

 受難週、イースターを迎え、まさに桜が咲き出す頃に召されました。
そして「葬儀、片付け等を終えて東京へ戻ってきた私たちの住まいがあ
る国分寺は、ちょうどその日、桜吹雪がまっていました・・・。ああ、
母が天国からチラシをこんなにまいているねって、聖書的根拠の無い、
たわいも無い話を妻としました。」

 おふたりの報せを読みながら、お母様が見た天国の様子、その天国か
らチラシを作ってまいている姿を、不思議にすんなりと想像することが
できます。そのチラシが桜の花びらとなって届くと言われたこと、そん
な天国の様子を、桜の季節のなかでお母さんだけに与えられた幻のよう
な、たとえのようなかたちで表現されたのです。何とも言えない見事な
天国の置き換えです。イエスの神の国のたとえのような、ナルニア国物
語のファンタジーのような、心の深くに納得させるものです。

 東京の自宅に戻られたら、桜吹雪がまってふたりを迎えました。「あ
あ、母が天国からチラシをこんなにまいているねって」と、おふたりが
うなずきあっている様子が浮かんできます。その後の表現はこの牧師の
照れ隠しのようです。確かに聖書には「桜」は出て来ませんので、その
根拠はと聞かれそうなのですが、神の国のたとえを彷彿される、お母さ
んだけに与えられた天国の置き換えです。また、現実にお母様が天国か
らまいているチラシを見て、確かにそれは、それ以上ことばのいらない
「たわいの無い話し」なのでしょう。

 こんな見事な天国の描写を、桜の大好きな秋田の友人ご夫妻に伝えた
くなりました。秋田は今週が桜の満開のようです。秋田にも天国のチラ
シが届いていきます。おふたりで「そうですよ」と言いそうです。不思
議な置き換えです。高校生の時に信仰を持ちました。母教会の当時の牧
師舟喜隣一先生の奥様のふみ先生が、「上沼さんが信仰を持ったのは、
沼に咲く蓮の花のようです」と、にこにこしながら言われたのを思い出
します。いつまでも心に残っています。

 天国のチラシには何が書いてあるのかなと思うのはこちらの猜疑心な
のでしょう。桜の花びらをみて「ああ、母が天国からチラシをこんなに
まいているねって」と、ただこれだけで納得できるのです。桜の花びら
を見るたびに天国からのチラシを思い出してくれます。来年は私も桜を
観ることができそうです。JCFNの働きの一環として来年の3月末
に、全世界からの帰国者の大会(All Nations Returnees 
Conference)が御殿場であります。

 そのことの議題もかねてJCFNの理事会が来週月・火・水とサン
フランシスコ郊外であります。今回は日本からのふたりの理事も含めて
トロント、アトランタ、デンバー、サクラメント、ハワイと、初めて全
員が集います。看病、葬儀、片づけとお忙しく、お疲れのところを来て
くださるこの牧師を通して、私たちにも天国のチラシが届いてきそうで
す。

上沼昌雄記

「火種」2008年4月7日(月)

 しばらく前に2年ほど家を空けていたことがあります。その間ときど
き戻ってきて、夏の山火事の予防のために、落ち葉や雑草を刈り取り、
刈り集めて山のように積み上げていました。敷地のなかで一箇所開かれ
たところがあって、そこに結構な山になっていました。冬場の雨で内側
は湿っているのが分かります。何とか燃やしてきれいにしたいと思って
いました。燃やせるのは4月いっぱいです。5月からは夏の気候で乾燥
するので、一切燃やせません。燃やせる期間でも営林局に電話して、燃
やせる日かどうか確認しなければなりません。

 過日も、少しずつ小さくなっていく落ち葉の山を燃やしました。枯れ
木を集め、新聞紙を入れて、それにガソリンをかけて引火します。初め
に乾いた落ち葉を入れて、火が確実に燃え上がるのを待ちます。その上
で多少湿っている落ち葉も燃やしていきます。そこまでくれば火は燃え
続けるのが分かります。それで先日は、大きな枯れた樫の木があったの
で放り込みました。

 同時に、隣の家の境に溜まっていた落ち葉も刈り集め燃やしました。
隣のご夫婦は家の敷地を公園のようにきれいにしているし、山火事のこ
とを気にかけているようなので、またその境に自分たちの物置を作った
こともあって、こちらも何とか境界線をきれいにしたいと思いました。
外で仕事をしていたご主人と立ち話もしました。妻も出て来てしばらく
話をしていました。

 そんなことで境界線をきれいにして、そこで集めたものも燃やして、
積み上がった山のような落ち葉を、燃える火にかざし終わったのが夕方
7時頃でした。すでに5時間以上は燃やしていました。その時点では燃
えさかっているのではなくて、煙だけが立ち上がって内側から少しずつ
燃えていく状態でした。それは3メートル×2メートルの楕円形状で、
高さは1メートルありました。

 明日の朝まで燃え続けていずれ灰になるだろうと思いながら、しばら
くその煙を出している山を眺めていました。煙が出ているところからと
きどき火花が立ち上がって燃え上がっていきます。それでも全体が燃え
上がるのではないのです。こちら側が少しだけ燃えだし、それでいった
ん消えて、また別のところが同じように燃えだして、消えていきます。
その度に山が小さくなって行くような感じがします。かすかな煙は風の
動きに合わせて、時には水平に飛んでいき、時には旋回しながら舞い上
がっていきます。

 そんな煙を出す山は、内側にしっかりとした火種を持っています。そ
の火種に温められながら少しずつ外側が燃えていくのが分かります。そ
れでも内側は見えないのです。掘り起こせば分かるのですが、それより
もどのように燃えていくのか興味があり、眺めていました。煙だけが上
がってきて、火種は見えないのです。それでも確実に燃えていくので
す。空気は冷たくなっても、その火種で温められます。暗くなってきて
妻が迎えに来たので引き上げました。明日の朝はどのようになっている
のか興味がありました。

 次の朝も煙が上がっていました。うれしくなって妻にも報告しまし
た。何がうれしかったのか分からないのですが、ともかく伝えました。
現場を見に行きました。確かに燃え切って灰の小山になっているのです
が、ある一箇所はまだしっかりと煙を出していました。出かけて帰って
きて夕方にまた見に行きました。ほんの少しだけ煙を出しているので
す。そしてその灰の小山のなかに、まだ真っ赤な炎を付けているものが
ありました。24時間以上前に投げ込んだ樫の木でした。乾いた落ち葉
をかければ火がついて燃え出しそうです。しっかりと火種となっていた
のです。

 樫の木は、どうにもならない男性の堅さを表すように用いられていま
す。そんな夫婦のやり取りを思い出します。その樫の木がしっかりと火
種となっていたのです。消え入りそうなときも、いつでも燃え上がる火
種の役割をしていたのです。燃えるものがかけられ、どこから吹いてく
るか分からない風を受けて、いつでも燃え上がるのです。そのような火
種は、私たちひとりひとりのうちにもあります。また、私たちの間にも
あります。そう思うと、心が熱くなってきます。

上沼昌雄記