「クリスチャンとマック(Mac)」 2008年8月29日(金)

 クリスチャンでマックのコンピューターを使っている人のネットワー
クを立ち上げようと言うことになりました。そこにどうして私が関わっ
ているのか、自分自身多少当惑をしています。当然マックをミニスト
リーで使っているのですが、ほとんど文章を書き、メールで送ることを
中心としているだけですので、マックユーザーには違いがないのです
が、初歩をちょとだけでただけです。マックユーザーにはマニアックな
人が多いなかでは恥ずかしい限りです。

 事の起こりは、毎日事務所にマックのIBookを持ってきていま
すと言うことをこのネットで書いたことです。事務所と言ってもミニス
トリーの理事の方の事務所の一角を使わせていただいているだけです。
保険会社と病院のあいだのソフトを作っています。当然全員コンピュー
ターに向かって仕事をしています。しかも当然のようにPCです。
そのなかで私だけがマックなので、多少誇りにしている意味で書いたの
です。また私の好きな作家の村上春樹がマックでないと小説が書けない
ことも言っていることを、自己流に解釈して紹介もしました。

 その記事を読んだ猪川紀夫さんがレスポンスをくださったのです。
マックのメモリーを販売しているというのです。http://
http://www.macmem.comで観ることができます。何か助けることが出来ますかと
言うことでした。使っている機種を教えましたら、それでは新しいワー
ドが使えますというので、送ってくださいました。思いがけず最新の
ワードで仕事をすることになりました。

 その後日本でお会いしたときに、その昔神学舎の拡大教育で私の講義
を受けたことがあると言うことでした。そんなことで意気投合しまし
た。猪川さんのビジョンに、クリスチャンでマックを使っている人たち
のネットワークがありました。やりましょうとなりました。そのこと
を、マックを編集の仕事に使われている「あめんどう」の小渕春夫さん
に話しましたら、一緒にやりましょうとなりました。

 それで、この10月1日にお茶の水で3人で会って「クリスチャン・
マックユーザー・グループ」を立ち上げることになりました。正式案内
はその後になりますが、ともかくクリスチャンでマックを使われている
人に早く紹介をしたくて、この記事を書いています。興味と関心のある
方は連絡をください。どのようにマックを使っているのかの情報交換と
証を中心とした交わりです。思わぬ情報も得られるかも知れません。思
いがけないネットが広がるかも知れません。また猪川さんの会社からの
恩恵も受けられるかも知れません。

 今回の日本訪問の楽しみになりました。上沼昌雄 

「闇、やみ」2008年8月25日(月)

ウイークリー瞑想
 ある時に、今こそ「闇」のテーマを書くべきだと思わされました。2 年ほど前の秋から冬にかけてでした。闇のテーマは心のなかに長く留 まっていましたが、不思議に今がその時を思わされて、ともかくどこに 行くのか分からないまま書き出しました。置かれた状況が促してくれた ところもあります。季節も暗い冬に向かっていました。実際に暗いうち に起き出して、と言うより、目が覚めてしまって、空が明るくなるのを 見上げながら書き続けました。暗闇のなかで手探りをしながら書きまし た。

   信仰をいただいているので前進をしたいのですが、どこかでいつも 足を引っ張る力が働いています。同時にそんな闇の世界に惹かれている 自分がいます。ダビデがそんな力に引き込まれるように罪を繰り返して しまいます。律法をしっかり守っているパウロにどうにもならない「む さぼり」があります。それはまさに自分の姿です。置かれた状況はそん な自分をみることを促してくれました。むしろそんな自分に対峙させら れました。

 初代教会の教父たちが闇のテーマをしっかりと見つめています。16 世紀の十字架の聖ヨハネに『暗夜』という本があります。教会史の上で は真剣に取り上げられてきています。私たちの間では解決済みのテーマ のように思われています。しかし現実に直面させられます。

 村上春樹が場面を変えながら闇のテーマを取り扱っています。『ねじ まき鳥クロニクル』では、井戸の底に下りていくことで真実に対面して いきます。ジョセフ・コンラッドの『闇の奥』を基にしてフランシス・ コッポラ監督の映画『地獄の黙示録』が出来ています。大村先生は「日 本人の根底にあるドロドロしたもの」と言います。レヴィナスは「自分 自身の闇のうちに引き籠もる仕方」と言います。

 最後に、詩篇18:11で「主はやみを隠れ家として、回りに置かれ た」と言われています。言い知れない慰めをいただきました。神は光で す。しかし、光である神がそのままで私たちに対峙するかわりに、やみ を回りに置かれたのです。そのやみの向こうに自分の闇を見つめながら 入ることを待っておられるのです。それでタイトルを『闇を住処とする 私、やみを隠れ家とする神』としました。

 次の年の春、すなわち、今から1年半前に出版社に送りました。その 前に3人の友、小林基人牧師、坂本献一牧師、坂野慧吉牧師に原稿を読 んでいただきました。それぞれ何とも言えないコメントをくださいまし た。坂野牧師との会話で、最後に「これは誰を相手に書かれたのです か」と聞かれました。一瞬返事に困りました。誰かを想定して書いた思 いはありませんでした。それで「自分のために書きました」と言いまし た。「わかりました」と言われました。

 出版社のいのちのことば社から二度ほど「無理です」と言われまし た。「闇」のテーマであり、どうしても暗いイメージがあり、ともかく いのちのことば社も大変躊躇したようです。同時に私のなかで何とかこ のテーマの本を出していただきたいという強い思いがありました。3人 の友も励ましてくれました。販売に最大限の努力をしますと意思表示を して何とかお願いしました。

 この9月からの日本での奉仕にあわせて出してくれることになりまし た。すでに印刷に回っています。この本がどのように受け入れられるの か祈りのなかにあります。多くの人たちに届いてくれればと言う願い と、どこかで自分の闇を表に出すようで、印刷を止めて、そのまま闇の なかに葬りたい気持ちもあります。決して自分のことだけを書いている のではないのです。ダビデとパウロに沿いながら、『ねじまき鳥クロニ クル』や『闇の奥』を紐解きながら、自分の闇を見つめようとしている のです。

 出版を強く願いながら、同時にためらいがあります。やはり「闇、や み」です。そのまま静かにしておきたい思いもあります。しかし現実的 には、出版を引き受けてくれたいのちのことば社に少しでも益になれば と願います。同時に私の分からないところで、私の関わりのないところ で、必要な人に届いて、少しでも自分の闇を見つめる手がかりになり、 光を頂く助けになれば、何か心が落ち着きそうな感じです。

 上沼昌雄記

「列車」2008年8月11日(月)

ウイークリー瞑想

 今週は日本では、いわゆるお盆休みと終戦記念日を迎えています。ミ
ニストリーの事務所として使わしていただいているロブさんの建物の前
は、このイースターの時に書いたのですが、この町の新しい墓地になっ
ています。丘陵地にありますので毎日墓地を見上げています。実は建物
の反対側には鉄道の駅があります。駅と言っても、日本の駅に比べた
ら、申し訳程度に建っている感じです。駅舎もありません。しかも単線
なのです。糸のように延びた貨物列車は通過するだけです。その列車の
響きが伝わってきます。それに合わせて窓側に移動して通り過ぎるのを
眺めています。眺めながらお盆休みと終戦記念日のことを思っています。

 線路があり、列車がその上を走る、それだけですが、それを眺めてい
るとどうしても旅の思いが湧いてきます。列車はどこに向かっているの
か、どこに行こうとしているのか、それだけで向こうの世界に思いを向
けてくれます。向こうの世界をいつも慕い求めている自分の心を思いま
す。今の生活だけがすべてでないことを知らされます。

 この国では線路地図や時刻表もありませんので、線路自体がどのよう
に走っているのかも分かりきれない状態です。駅は単線ですが、明らか
にもう一本の線路が近くに走っています。すでに山間なのでどのように
走っているのか分かりません。また、どうも上下線が明確に別れていな
いところもあります。線路の先、列車の行き先は想像するだけです。ま
た、そのような想像を許してくれます。

 いわゆるお盆休みを使って、故郷に帰る人、旅行に出かける人、いつ
もと違ったことを計画している人、暑い最中ですが今までとは異なった
ことを求め、経験しています。今では列車だけでなく、車でも飛行機で
も旅をすることができます。旅は未だ辿り着けない、見果てぬ夢です。
誰も到達したことのない世界に思いを向けてくれます。そんな旅を旧約
の民から今に至るまで続けています。その向こうにある世界を知らさ
れ、信じているからです。たとい旅の途中にどのようなことがあり、地
上の旅が全く思いがけないところで終わったとして、なお望み見ている
のです。その信仰の旅に生きているのです。

 そんな地上の旅を途中で強制的に終わらされた信仰者の旅を、終戦記
念日を思い、列車の通過を眺めながら思っています。すでに何度か書い
てきたユダヤ人でカルメル会の修道女であったエディット・シュタイン
は、オランダから「東方」、すなわち、アウシュヴィッツへ強制移送車
に乗せられて2日間の列車の旅をしています。貨物列車にぎっしりと詰
め込まれて、死に向かう列車の旅でした。須沢かおり女史のエディッ
ト・シュタインの伝記の最後でその状景が描かれています。1942年
の8月9日にアウシュヴィッツに到着して間もなく、ガス室に送られ、
そこで殺戮されたのです。66年前の一昨日のことでした。

 映画『シンドラーのリスト』で列車に詰め込まれて移送されるユダヤ
人の状況が描かれています。そこでは幸いにドイツ人シンドラーによっ
て救出されます。数え切れないほどの多くのユダヤ人がただ死に向かう
列車の旅を強制されました。そんなことが起こったことも想像もできな
いほどです。しかもそれほど前のことではないのです。アメリカに亡命
したハンナ・アーレントも、捕虜収容所にいたレヴィナスも、アウシュ
ヴィッツのことは想像もできなかったと言っています。しかし現実だっ
たのです。体制が変わり、悪が支配してくればどんなことでも起こるの
です。私たちは、そんなおぞましい存在です。

 事務所の裏を通過する列車の音の聞き、窓側によってその糸のように
繋がっている列車を眺めながら、その行き先を思いながら、その途上で
のどうにもならない悲惨さを通過しなければならないおぞましさを思わ
されています。終戦とは言わないで、敗戦と言う人がいます。同じよう
なことは起こりうる悪の力があるのです。それは裏の世界で、闇の世界
でいつでもうごめいています。

 汽笛を鳴らしながら列車が近づいてきます。過去を引きずりながら、
同時に今その過去を引きちぎりながら、未来に向かって通過していきま
す。

 上沼昌雄記

「ビジネスマン・ペテロ」2008年8月4日(月)

 過ぎる金曜日の昼にミニストリーの理事会が、理事のひとりである荒
井牧師家族の経営するみくにレストランで開かれました。いつものよう
にロブ・ポックさんご夫妻、ご主人の代理として八木沢夫人、荒井先生
と私たち夫婦の参加となりました。ライオン宣教師は委任状の参加とな
りました。フラワーデザインをされている八木沢夫人とは早めにお会い
して、この9月に出版の予定の本の表紙のデザインのことで意見を伺い
ました。

 すでに荒井牧師がメニューをオーダーしておいてくれて、早速おいし
い刺身とロールをいただきました。2百種類以上のロールがあると言う
ことですが、その中のあるものを決めていてくださいました。カリフォ
ルニア・ロールから始まって、寿司を握る人たちがオリジナルなロール
を作り出し、その中のおいしいものだけが残ってメニューに載っている
というのです。アボカドやマヨネーズや辛みが、刺身と寿司ご飯と海苔
と見事に調和しています。東洋と西洋が不思議に調和した味わいに与っ
ています。

 それぞれ子育ての時から理事をしてくれている人たちですが、その場
の参加者全員が今はお孫さんたちに恵まれています。孫のことになると
皆いいおじいさん、おばあさんです。そう言えばミニストリーも17年
目を迎えています。

 ロブさんが、ディボーションとしてルカ福音書の5章から、漁師ペテ
ロを大工のイエスが漁に誘うという、言われてみてなるほどと思わせら
れる視点で語ってくれました。ビジネスマンのペテロに、専門外の人が
その人のビジネスのことで指示を出しているというのです。ビジネスマ
ンとしてナビゲーターの活動に深く関わっているロブさんのビジネス
を、そのオフィスの一角を使わせていただいていることもあって、目の
当たりに見させていただいて、納得をしました。

 19年前に最初に知り合ったときには奥様ともうひとりの従業員だけ
でした。いまは20名以上の人が働いています。その都度どこかで計算
外の神の導きで大きくなっているのです。それは荒井牧師のみくにレス
トランでも、八木沢さんのビジネスでも同じです。それぞれビジネスマ
ンとしてやるべきことを最大限にしています。それでもそれを超える確
かな導きの中に置かれているのです。荒井牧師は最初に知り合ったとき
には、小さなお店で毎日のように謝金を抱えながら頑張っていました。
今は6つのお店を抱え、デンバーにも準備中というのです。八木沢さん
はまだご自分のビジネスを始めていませんでした。この夏にはブラジル
にまで出かけるというのです。

 ミニストリーは、お金を儲けるという意味ではビジネスではないので
すが、一つの働きを継続して展開していくという意味ではビジネスで
す。どのように展開したらよいのかは何年も継続しているので分かって
いるつもりです。実際にビジネスをしている人はその道筋はさらによく
分かっています。そんな私たちがイエスを信じて、イエスに従っていく
のは、ビジネスに関しては専門外の人に従うことです。これは大変なこ
とです。漁師のペテロは大工のイエスに従ったのです。そして、網が破
れそうになるまでに、船が沈みそうになるまでに、イエスは応えたので
す。

 ミニストリーもこの数年アメリカの保険会社への支払いが入ってきて
います。予算額もクリアしていません。ビジネスマンから秘策を聞きた
いところです。そんな会計報告、この数年満たされていない予算案を見
て、理事たちが予算案を下げる提案ではなく、その数字を一桁あげるこ
とで、信仰を持って行こうとなりました。その一桁あげると言うこと
で、とても新鮮な思いになりました。何とも新鮮な発想です。今年もす
でに8月になっているのですが、12月までに満たされるために、その
ためにイエスが何を語りかけているのか、真剣に耳を傾けて行かなけれ
ばなりません。

 上沼昌雄記