「大村先生の心の中」2013年8月20日(火)

 この5月20日に大村晴雄先生を宇都宮の施設にお訪ね 
しました。このところ常連の小泉氏と石神牧師とご一緒させていた 
だきました。石神牧師の司式で聖餐式をもって、それぞれが先生の 
耳元で近状を報告してから、次にどのようなことになるのかと佇ん 
でいました。そうしましたら思いがけず、先生の方から質問が出て 
きました。何と創世記のことに関しての質問でした。正直あっけに 
とられてしまいました。あたかも勉強していて分からないとのでこ 
の際と思って問いかけてきたかのようです。

 創世記の初めの記述において「人」の理解に違いがあるのかとい 
うことと、創世記に「真理」という言葉があるのか、ということの 
ようでした。先生が腹の底から語り出しているような言葉を聞き取 
るのも難しい状態なのですが、そういうことなのかなと、3人 
とも衝撃を受けて、どうしたものかと思っていたのですが、石神牧 
師が宿題として引き受けてくれました。

 この秋にまた大村先生を訪問することで話が出てきたときに、石 
神牧師から宿題を終えたノートがメールで送られてきました。何度 
も書き直して確信はないのですが、こういうことでしょうかと断り 
が付いていましたが、読んでみて、逆に大村先生の質問の意図を了 
解することができました。創世記1章と2章での人に関 
する記述の違いを明確に説明しているものです。また「真理」とい 
うことばが使われている箇所を列記しています。

 しかしなぜ先生はこのような質問をされて来られたのか、知りた 
くもなりました。すでに104歳になられ、目も見えず、片耳が 
かすかに聞こえる状態です。何かを読んで疑問に思われたのか、何 
かを考えている続きでこのような問いに至ったのか、ただ驚かされます。

 石神牧師は宿題のノートを先生のご子息に送って読んでいただく 
手だてを取られました。先生にとってご子息の声が一番聞き慣れて 
いるからです。そしてそのご子息の返事で驚かされました。行く度 
ごとに創世記2章1―17節を読まされるというこ 
とです。その意図はおおよそ想像がついていたが、石神牧師のノー 
トで納得しましたというものです。

 何が大村先生を駆り立てて、創世記の初めの記述にこだわるよう 
にされたのか、先生の心の中を覗いてみたい思いです。1章と 
2章の記述の違いは指摘されて来たことです。それは良いのですが、 
どうして今になって、またどのような関わりでこの問いが出てきた 
のか、何かが刺激になって記憶がよみがえってきてこの問いが再度 
先生にとって課題となったのか、ご自分では聖書を読めないので、 
それで何度もこの箇所をご子息に読んでもらって、私たちに質問し 
てこられたのか、何とも計りがたい思いになります。

 それ以上に単純に、こちらも年を重ねて行ったときに、かつて聖 
書の記述にこだわっていたことがあっても、目も見えなく、耳も聞 
こえなくなるなかで、さらに考え思い巡らしていくようなことがあ 
るのだろうかと自問させられます。若いときに事細かに聖書を調べ 
ていってその奥深さを発見した喜びと情熱はすでに冷めていって、 
感情の流れに動かされて、心が萎えてしまうだけなのだろうかと反 
省させられます。

 そんな心の問いかけがあるのですが、例のアウグスティヌスの 
『告白』に多少納得させられることがあります。というのは、端的 
に「告白」なのですが、その最後でアウグスティヌスが創世記の 
1章に対面していくからです。情念にかられて罪の深みに入ったこ 
と、またマニ教に迷った自分の過去を振り返りながら、心の深くで 
真の神に出会っていくのです。その記述が1巻から9巻 
までで全体の3分の2を占めています。そして10 
巻でその心の奥底にある記憶の不思議さを取り上げたあとに、最後の11 
巻から13巻までで創世記の1章を取り上げていきます。

 このようなアウグスティヌスの、心の内面を見つめ、その奥底に 
入っていくことで、なお心を越えて存在する神と、その神が造られ 
た被造物の心の外の世界に出会っていくプロセスが、何とも今大村 
先生の心の動きにも当てはまるかのようです。アウグスティヌスが 
なぜ『告白』の最後で創世記1章に入っていったのかが、大村 
先生がこの時点で創世記の最初の記述にこだわっておられることと 
結びついてきます。それはまた、あのパウロがローマ書8章で 
御霊に導かれるなかで被造物のことを取り上げていることにも結び 
つきます。

 それゆえに、大村先生にとってたとえ目が見えなくとも、耳が聞 
こえなくとも、ご自分の心に響いてくる神の声に反応して、なお神 
に対して問いが出て来るのだと思います。神の創造の世界に対面す 
ることで出てくる問いです。そして何よりも、そのようなことは自 
分のなかでも起こることなのだろうかと、立ち止まって考えさせら 
れます。同時にそれは何とも願わしい望みでもあります。

上沼昌雄記
広告

「プラトンとユダヤ教」2013年8月12 日(月)

 エズラ記とネヘミヤ記に記されているバビロン捕囚から神の民が 
エルサレムに帰還してくる歴史的な出来事に並行して、あのアテネ 
でソクラテスが生まれ、プラトンとアリストテレスに受け継がれる 
ことでギリシャ哲学が開花していきます。歴史的な現象として、キ 
リスト教神学と哲学が切り離せない関わりを持ってきます。その関 
わりのことで、この6月に読んだ木田元著の『反哲学入門』 
(新潮文庫)の記述が心に留まっています。それは、プラトンのイ 
デア論がユダヤ教の唯一神・創造神の影響によるというものです。 
何とも驚かされることです。

 プラトンが30歳の半ばに世界漫遊の旅に出かけ、エジプト 
やアフリカ北岸の植民都市キュレネに行き、そこに居住していたユ 
ダヤ人から創造神と唯一神を知り、それがプラトンの「自然を超越 
した原理であるイデア、特にもろもろのイデアのイデアである<善 
のイデア>といった考え方や、世界は<つくられたもの>だという 
考え方」(87頁)になったと言うのです。

 このような理解は大歴史家であるブルクハルトが認めているとこ 
ろである(63頁)と言っているのですが、その証拠があるわ 
けでもないとも付け加えています。ということで興味の惹かれるこ 
となのですが、単なる仮説なのかなと思っていたのですが、アウグ 
スティヌスに関する文章を読んでいたときに、あの『神の国』8巻 
11章でアウグスティヌスも同じことを言っていることが分かり、さ 
らに驚かされました。

 その表題「プラトンはどうしてキリスト教に近い理解に達するこ 
とができたのか」が語っているように、すでにこのようなことがア 
ウグスティヌスの時代に論じられていたことが分かります。プラト 
ンがエジプトを旅行したときに、預言者エレミヤの言葉を聞いたの 
だという話もあったようですが、それに関しては、時代が合わない 
と論じています。それでもプラトンは熱心な学究の徒であったの 
で、預言書を通訳を通して学んだことは否定できないとまで言って 
います。

 ともかくプラトンのイデア論にみられる創造理解と超越理解は、 
創世記の創造記述と出エジプト記3章14節の「わたし 
は、在ってある者」による以外にはないだろうと言います。確かに 
その証拠はないのですが、そのように考えることができるであろう 
と言うものです。木田元の『反哲学入門』も、プラトンのイデア論 
がそれ以前のギリシャ哲学の汎神論的な自然観とあまりにも違うの 
で、その起源をプラトンのユダヤ教徒の接点に求めています。その 
限りでは歴史上の仮説に過ぎないのですが、アウグスティヌスまで 
遡ると何か仮説以上の説得力を持ってきます。

 アウグスティヌスは、プラトンと新プラトン派の哲学者が創造理 
解と超越理解を持っていることを評価していますが、同時にパウロ 
がローマ書の初めで言っているように、神を認めていながら神とし 
てあがめないことを指摘しています。それはルターにも受け継がれ 
ています。パウロ、アウグスティヌス、ルターと一直線に結びつく 
ものがあります。アウグスティヌスは、当時の哲学者の理解と比較 
しながら、聖書と信仰の意味づけを明確にしています。

 この意味で「プラトンとユダヤ教」というのは、正確には「プラ 
トンのイデア論とユダヤ教の唯一神・創造神」となります。地理的 
にプラトンの時代に北アフリカの北岸にユダヤ人が居住していたと 
すると、どこからいつ頃それらのユダヤ人が移住してきたのかも興 
味のあるところです。神は民を散らすことで、ご自分の神観を世界 
に伝達したとも言えるのだろうかと、多少唐突な考えにもなります。

 この10月に札幌のもうひとつの聖書学院で「聖書と哲学」 
というテーマで教えることになりました。それは信仰をいただい 
て、札幌で哲学を学び初め、聖書研究会を続けていくなかで与えら 
れた課題です。その聖書研究会も来年で50周年を迎えます。 
その意味では私なりに50年抱えている課題でもあります。良 
い機会と思って今まで学んだノートや書物を紐解きながらまとめら 
れればと願っているところです。その50年ほど近く前に 
KGKの全国集会で、ヘーゲル研究家であり近世哲学史家であり長老教 
会の説教長老である大村晴雄先生とお会いしたことも大きなことでした。

上沼昌雄記

「アテネとエルサレム」2013年8月5日(月)

 バビロン捕囚からエルサレムに帰還して神殿を再建し、城壁を修 
復していく過程を、エズラ記とネヘミヤ記を通して妻と読みなが 
ら、良く当時のペルシャの王様がそれを許したものだと関心をする 
というより、何とも不思議な思いにさせられます。バビロン捕囚そ 
のものが、神の民への神のさばきでありながら、そこにまた神の救 
いのみ手が働いているからです。そのしるしのようにバビロン王国 
からペルシャ帝国に時代が移ることで、捕囚の民がエルサレムに 
戻ってくるのです。どこかで神の主導でことが動いているのです。しか 
も 世界の動きの中でことが起こるのです。 神の民だ 
けの動きには留まらないのです。

 エズラによる神殿再建は紀元前516年、ネヘミヤによるエル 
サレムの城壁の修復は紀元前445年頃です。聖書の記述はこの 
あとほとんど沈黙と静寂の世界に入っていきます。エルサレムでそ 
の後神の民がどのような生活をしていたのかも聖書は語ることを避 
けているかのようです。いわゆる聖書の中間時代です。それでも神 
は次の備えをされていたと言えるのかも知れません。その備えとは 
当然、御子の誕生への道です。

 それは、エルサレムもその中に含まれていたローマ帝国におい 
て、まさにその時が満ちて到来するのです。しかしその前にはアレ 
キサンダー大王によるギリシャの支配にエルサレムが置かれます。紀元前 
332年のことです。そのアレキサンダー大王の家庭教師をしたのが紀元前 
384年に生まれた哲学者のアリストテレスです。彼の師であるプラト 
ンが生まれたのは紀元前427年です。さらにその師であるソク 
ラテスが生まれたのは紀元前469年頃です。まさにソクラテス 
がアテネで生まれたのが、エルサレムの神殿再建と城壁の修復の間 
です。すなわち、神の民の捕囚からの帰還にあわせるかのようにア 
テネでギリシャ哲学が開花していくのです。ローマ帝国の文化を支 
えていたのがこのギリシャ哲学です。

 キリスト教の発展のためにギリシャ哲学が備えられていたと取っ 
て良いことなのか、それはキリスト教の逸脱の道に繋がることと 
取ったらよいのか、何とも迷わされるとことです。すでに旧約聖書は70 
人訳聖書としてギリシャ語に訳され、さらに新約聖書自体がギリ 
シャ語で書かれることになるのです。しかも避けることができない 
かのように、あのイエスもパウロもギリシャ人とギリシャ哲学との 
接点を持つのです。ヨハネ福音書でイエスがエルサレムに入場する 
ことが記されています。その折りにそこに「ギリシャ人が幾人かいた」 
(12:20)と記されています。彼らが弟子たちを通し 
てイエスに面会を求めたことで、イエスがあの有名な一粒の麦の話 
をするのです。それはご自分の時の到来を意味していたのです。

 パウロは使徒の働きの17章で、何とそのアテネでイエスの 
復活の宣教をするのです。「エピキュロス派とストア派の哲学者た 
ちも何人かいて、パウロと論じ合っていた」(17: 
18)と記されています。ほとんどの人はパウロの宣教をあざ笑うの 
ですが、何人か信じる人が起きています。次の18章でパウロ 
がアカヤの地方総督ガリオの前に訴えられます。実はこのガリオは 
当時のストア派の哲学者のセネカのお兄さんです。偽書ですが「パ 
ウロとセネカの往復書簡」まで出ています。

 その後の2千年のキリスト教の歩みと言ったらよいのか、西 
洋哲学の歩みと言ったらよいのか、それは何とも密接で複雑な歩み 
をすることになるのです。三位一体論や中世カトリシズムのように 
哲学的な概念と理論で助けられてきたと言ったらよいのか、大村晴 
雄先生がドイツ観念論を「神学の変容物」と言っているように、キ 
リスト教が哲学にのめり込まれてしまっただけだと言ったらよいの 
か、何ともやっかいな様相を呈してきます。そこにはさらに、キリ 
スト教があまりにギリシャ化されたために反ユダヤ主義をうちに含 
むことにもなったのです。

 「信仰のみ」「聖書のみ」を標榜して教会を正したルターの宗教 
改革も、すぐ後にメランヒトンによって中世のスコラ的な様相を持 
つことでプロテスタントの正統主義をかたち造っていきます。聖書 
主義、福音主義は方向としてはその通りなのですが、その立場を擁 
護するために哲学的な要因を取り入れることが、また避けられない 
のです。キリスト教はすでに、何とも面倒な状況に置かれています。

 神の民が捕囚を解かれてエルサレムに帰還して神殿を再建し城壁 
を修復していくときに、アテネでソクラテスが生まれ、プラトン、 
アリストテレスと続いてヘレニズム的な世界観が築かれていきま 
す。神の民のヘブライ的な世界観がそれに飲み込まれたり、そのな 
かで逆に生き延びて方向を定めていったり、相反する世界観が交差 
する中で生きることになります。2千5百年前のアテネ 
とエルサレムがそんな役割というのか、道筋を備えていたかのよう 
です。それはやはり神の導きと言うべきなのでしょうか。

上沼昌雄記

「チェーホフを読む」2013年7月26日(金)

 最上川の隠れ家の近くで農業を営みながら小説を書いている方と 
知り合って、良く一緒に温泉に入ったり、お蕎麦を食べに行ったり 
しながら、小説の話から、宗教と聖書の話をします。若いころは放 
浪をしていて、跡を継いで農業をし出したのは50代になって 
からだというのですが、その放浪をしていたときの話も興味深いも 
のです。

 小説の話といってもこちらは村上春樹一辺倒で、あきれられてい 
るのですが、この方はチェーホフが好きで、村上春樹は「俺は駄目 
だ」と平気でいうのです。土の匂いがしないというのです。また、 
チェーホフの作品には当時のロシアのキリスト教の状況が書かれて 
いると言います。ですから読むようにと勧められていたのですが、 
真剣に読むところにはいけませんでした。

 それで前回、姪御さん夫婦が営んでいるイタリア料理店で食事を 
しているときに、チェーホフの二つの作品を読んで、感想文を書く 
ように言われました。『チェーホフ全集』(中央公論社)の10 
巻のなかの「百姓たち」と「殺人」の二つです。美味しいイタリア 
料理をいただいていることもあって、また良い機会と思って同意し 
ました。同時に交換条件を出しました。村上春樹の初期の作品であ 
る『羊をめぐる冒険』を読んでいただいて、同じように文章を書く 
というものです。

 それでチェーホフの「百姓たち」を何度か読んで、さてどのよう 
なことが書けるのか、戸惑っているところです。また、この農民作 
家と呼んで良いのかも知れませんが、この方があえて「百姓たち」 
を勧めてきた意図は何なのかと思わないわけにもいかないのです。 
タイトルは「百姓たち」ですが、まさに当時の宗教色、すなわち、 
キリスト教がそのまま出ているもので、それを抜きにしては何も語 
れないのです。

 そんな思惑があるのですが、実は村上春樹は結構しっかりと 
チェーホフを読んでいます。村上春樹の作品はロシア語にも訳され 
て読まれているのですが、チェーホフが読むことになるかどうか 
は、想像の世界ですが、興味深いです。例の『1Q84』で 
チェーホフの作品『サハリン島』の話が出てきます。その中に登場 
するギリヤーク人のことを書いた文章を朗読する場面があります。 
その件は12ページに及んでいます。それからしばらくして 
『1Q84』には拳銃が出てきます。その場面でチェーホフの言 
葉が使われています。「物語の中に拳銃がでてきたら、それは発射 
されなければならない、と」

 そのような関わりで村上春樹は、チェーホフの作品に関して「無 
駄な装飾をそぎ落とした小説」と言っているのですが、それは「百 
姓たち」にも当てはまりそうです。モスクワで働いていた男性が病 
気になって、治療のためにお金も使い果たして、妻と娘を連れて実 
家に帰ってきて、そこで一年を過ごす話です。そして一年後にその 
男性は亡くなって、妻が娘を連れてモスクワに戻るところで終わっ 
ています。

 実家に戻ってきても彼らを養うほどの余裕は全くないのが現状で 
す。その状況はまさに「百姓たち」の現実なのですが、そのなかで 
この男性の妻の信仰が結構しっかりと描かれています。しかも、そ 
の信仰を肯定的に描いているのか、否定的に描いているのか、その 
辺は読者にまかされているかのようです。それ以前に、その「百姓 
たち」の状況を描くことが目的なのか、この妻の信仰を描くことが 
目的なのか、何度か読んでいるうちに、後者なのかなと思わされと 
ころがあります。

 あるいは、全く「百姓たち」の現状にモスクワから帰ってきた息 
子の嫁の信仰を置くことで、当時の社会の現状、都会と田舎、信仰 
と無信仰、病と死を、まさに医師として小説家として、それこそ 
「無駄な装飾をそぎ落として」描いているかのようです。ただその 
そぎ落とし方がチェーホフ一流の皮肉と諧謔が込められています。 
妻の信仰をさすがと思って描いているかと思うと、結局は「百姓た 
ち」とそれほど変わっていないという落ちが付けられているかのよ 
うです。

 それは身動きができない現状、社会的でも、個人的なことでも、 
宗教的なことでも、ともかくどうにも動きがとれない状態をそのま 
ま描くことで、そのままでは小説としての色合いがないので、諧謔 
と皮肉を込めることで、何とか少しでも風通しを良くしようとして 
いるかのようです。何か最もらしいイデオロギーをかざしているの 
でも、教育的な訓戒を垂れているのでもなくて、現状を描きながら 
どこかで笑いたくなるようなズレを置くことで、登場人物と共に現 
状を受け止めようとしているかのようです。

 その辺がチェーホフが多くの人に愛されている理由なのかなと、 
「百姓たち」を読んで、あるいは、読まされて到達したところで 
す。それは結構大きなことです。どんなに信仰を掲げても、この地 
上での現実として、どうにも身動きの取れない状況はいつも経験し 
ます。同時にその現状を見つめていくと、どこかに皮肉を込めて笑 
いたくなるようなズレが浮かび上がってくることがあります。 
チェーホフはそれをそのまま描くことで乗り越えようとしたのかも 
知れません。そういえば村上春樹もどこかでどうにもならない現状 
を、ほんの少しの隙間をみつけて入っていくことで、次の小径を探 
し出そうとしているのかも知れません。身動きの取れない状況、特 
に宗教的な意味での行き詰まり、それはそんなかけ離れたことでも 
ないのかも知れません。

上沼昌雄記

モンタナ州とある牧師家族の物語

 モンタナ州の西部はアイダホ州の北部から続いている山並みとそ 
の間を流れる川の連続です。その神秘的ともいえる美しさに言葉を 
失います。想像していたのとは全く違った自然の美しさの中に入れ 
られるからです。そこをドライブしていたときに妻が、随分前に一 
緒に観た映画を思い出して話し出しました。それで旅を終えて、一 
昨日観ました。映画のタイトルは River Runs Through It で 
す。日本語でも「リバー・ランズ・スルー・イット」としてアマゾ 
ンで手に入ります。ロバート・レッドファードが監督で、あのブ 
ラッド・ピットが出演して出世作にもなったものです。1992 
年作で、アカデミー賞も受賞しています。

 牧師のふたりの息子が川で釣りをしながら成長していく実話で 
す。ブラピは弟役で、放蕩息子の弟を思い出すのですが、実は兄の 
方が家を出て、西部の大学で学んで、後にシカゴ大学の英文学の教 
授にもなるのです。弟はそのまま美しいモンタナに残るのですが、 
そこで身を滅ばすことになるのを兄が何とか助けようとするので 
す。ふたりに共通の世界があの山間に流れる川でのフライ・フィッ 
シングです。それでもうまく行かなくなって弟は殺されてしまいま 
す。そんなことを英文学の教授になった兄が思い出して書いたもの 
が、映画の下になった半自叙伝です。

 フライ・フィッシングを教えたのは父親の牧師です。3人が 
渓谷に囲まれた川合いで釣り糸を投げている場面は、その景色と父 
とふたりの息子の情景が相まって、忘れられない印象を残します。 
ふたりの息子がそれぞれ違った方向に向かっていくのを見つめてい 
る父親の姿がいつまでもあります。そんな人生を通り抜けるかのよ 
うに川は流れ続けます。神秘的な山間の川は薄く差し込む太陽に輝 
いています。兄のナレーションも谷間に響いてきます。

 モンタナ州の山間の美しさが、この映画で牧師家族の物語に相 
まって映え出ています。暑い夏の一時のためにも。

上沼昌雄記 2013/07/25

「人はなぜ変わらないのか、あるいは、変わるのか」2013年 7月22日(月)

 シカゴからドライブして帰ってくるのにどうしても3日かか 
ります。景色を眺めながら妻と止めどない話をします。青空に楽し 
そうに浮いている雲を眺めながらワイオミング州を通り過ぎるとユ 
タ州に入ります。下っていくとソレトレークの街が近づいてきま 
す。モルモン教徒の街です。それで今年の初めに山の小さな教会で 
エホバの証人の学びをしてくれた牧師のことに話が移りました。

 切っ掛けは、その牧師にも尋ねたのですが、エホバの証人の本当 
の意図が今一度つかめないでいるからです。モルモン教や統一教会 
はそれなりの目指しているものが見えてくるのですが、エホバの証 
人はどうも分かりにくいのです。それはともかく、この牧師は30 
年間エホバの証人に捕らえられていて、そこから解放されて、いま 
私たちの山の教会の牧師になっているのです。学び会の間、その経 
験のゆえに、何が本物なのかということに敏感であると何度か語っ 
ていました。

 実際にその通りで、聖書のポイントを明確に語り、そのために実 
例としてさらに聖書の物語を結びつけてきます。また、教会を自分 
の思いでコントロールすることを注意深く避けています。アフリカ 
系アメリカ人で長髪を束ねています。牧師に就任するプロセスで 
去っていった人たちもいます。その外見にもかかわらず、語る内容 
は真実が込められています。教会に新しい人が加えられてきていま 
す。知らない人たち、そして普通では届かない人たちが礼拝に来て 
います。

 それにもかかわらず、どうして人は変わらないのだろうかという 
疑問を抱いていることを実際にソレトレークの間をドライブしなが 
ら妻と語り合うことになったのです。文字通りに塩の湖の間です。 
その疑問は同時に、人はどうして変わりうるのかということでもあ 
ります。それでも現実には、いわゆる恵まれたメッセージを聞いて 
も、その場限りで、しばらくすると以前の状態に戻ってしまい、変 
化を見ることがありません。

 それは人ごとではないのです。自分を嫌っている人は早く召され 
たらばよいという思いがどこかにあります。嫌なことに直面すると 
何とか避けようする自分がいます。何かに疲れたらばキリストの下 
で休みを求めるより、この世のやり方でリフレッシュを考えてしま 
います。聖書で教えられていることがすーと飛んでしまって、古い 
自分がそのまま生きています。

 今回の日本で、礼拝の奉仕を終わってロビーでひとりの年配のご 
婦人が尋ねてきました。「男性は歳を取っても変わることがあるの 
でしょうか?」ということですが、真剣そのものでした。私の反応 
は「ほとんど無理でしょうね」というものでした。この方の背景を 
後に牧師から伺うことになったのですが、どうにも変わりようがな 
いご主人のことを言われたのです。変わることを期待できても、こ 
ちらからは変えることはできないのです。

 私たちの山の教会でもこの牧師の真実のメッセージもかかわら 
ず、教会の人たちと自分のやり方に合わないということで去って 
いった人もいます。似たようなことが今でも起こっています。どん 
なにすばらしいメッセージを聞いていても、どこかで古い自分を 
しっかりと握りしめているところが私たちにあります。握りしめた 
ままで教会生活を送ることができてしまいます。そのなかでも変え 
られる人はいるのですが、今の一般的な教会の状況は、どこかで牧 
師のエゴや教会員のエゴが見えないかたちで支配しているところが 
あります。牧師に就任するまでは従順でおとなしいふりをしていた 
のですが、徐々に本性が表れてきた話をシカゴでも聞いてきまし 
た。山の教会でもそのようなことを何度も経験してきました。

 人が変えられるのは、恵により、御霊によることでありながら、 
実際にどのように人の心に働き、どのようなメカニズムで影響し、 
実を結んでいくのか、現象的には分かっても、人に説明したり、自 
分で納得したりできるかとなると、結構言葉に詰まってしまいま 
す。また少なくとも自分のなかで変えられていると思う面があって 
も、変えられないでそのままの自分が生きていることも分かっています。

 現在そんな疑問を持って二つの本を読んでいます。一つは日本語 
に訳されているダラス・ウィラードの『心の刷新を求めて』(あめ 
んどう)と、もうひとつはN.T.WrightのAfter You 
Believeです。どちらも信仰の上に私たちの知性、思い、意志、そし 
て心がどのように関わるのかを避けないで取り上げています。ダラ 
ス・ウィラードはこの面で実質的に多くの牧師を助けてきました。N.T. 
ライトが世界的な聖書学者だけでなく、英国国教会のビショップで 
あったことがこの本でよく分かります。

 ユタ州を横切りながら話し合ってきたことを昨日教会の礼拝の行 
き帰りでも続けることになりました。そのなかでそういう面から見 
るとあの村上春樹の小説も人が変わっていくことがテーマになって 
いることを妻に話しました。当然霊的変容というのではないのです 
が、社会や家庭のことに無関心というか距離を置いていた主人公 
が、アタッチメント、責任を持って向かっていくのです。そのまま 
では人は取り返しのできない闇の中に閉じ込められたままなので 
す。このままで良いと思っているわけではないのです。それでいて 
どうしたらよいのか分からないのです。この春に出た新刊書でも取 
り上げられています。また私たちの共著の『聖書と村上春樹と魂の 
世界』の続きにもなりそうです。

 教会の外の人が教会とそのなかの人を見て自分たちとそんなに変 
わらないとい見ていること、またそのように見られていることが現 
状だとすると、それは自分だけでなく、また自分の教会だけでな 
く、どうしてなのかという問いが繰り返し出てきます。どこかに 
つっかかっていて重くのしかかっています。

上沼昌雄記

「モンタナ州とノースダコタ州―寡黙な旅」2013年7月 15日(月)

 日本での奉仕の終わりごろに、モンタナ州とノースダコタ州を 
通ってシカゴに入ることになるようなメールが、 妻から入り 
ました。ポートランドでの妻のCAJの同窓会は予定していたの 
ですが、そのままどうもシカゴに向かうことになるような話でし 
た。日本でも結構動いていましたので、アメリカに戻ってさらに旅 
行に入るのを心配しているような文面でした。しかしモンタナ州と 
ノースダコタ州をドライブできるのはこの機会を逃したら二度とな 
いことと思い、二つ返事で決行することになりました。

 ポートランドからは水量豊かなコロンビア川に沿って東に向か 
い、川が切れて乾燥地帯に入ったところを北に向きを取って、シア 
トルから通じている国道90号線に入ります。その時点でワシ 
ントン州に入っていて、すでにロッキー山脈の一部に入っていま 
す。アイダホ州が北に延びていてカナダに接している部分は、一時 
間少しで横切るのですが、すでに渓谷の間に流れる川合を何度も横 
切ることになります。

 モンタナ州もロッキー山脈の一部なのですが、ワイオミング州の 
雄大な山並みというより、氷河が溶けて緑豊かな山並みが手に取る 
ような感じで続いています。何度も横切る川には雪融けの水が太陽 
に照らされながら輝いています。冬の間は深い雪に覆われているの 
だろうと想像します。その雪が解けて山並みや平地を潤していま 
す。乾燥しきったアリゾナ州とニューメキシコ州を横切るのとは 
違った、豊かな緑に覆われた自然のなかを通過します。

 そのモンタナ州の山並みの街で一泊して、次の日に同じルートを 
ミネソタ州の親戚を訪ねた帰りにポートランドに向かってドライブ 
していた友人夫婦と落ち合いました。愛知県の知多半島での宣教を 
終えて引退して帰国した夫婦で、その奥さんとは妻が日本で高校の 
時から友人でした。モンタナ州の真ん中で名古屋以来の再会を果た 
すとことができました。

 その落ち合った街は分水嶺の街でもあります。西に流れていた川 
が分水嶺を境に東側に流れます。それは長い旅をすることになり、 
いずれどこかでミズーリー川となって、さらに南下してミシシッ 
ピー川に合流してメキシコ湾に下ります。アメリカ大陸のまさに大 
まかな地形です。

 ロッキー山脈を下りた町でさらに一泊しました。それでもまだモ 
ンタナ州の3分の2を過ぎただけです。その街から90 
号線のもうひとつ北に延びた94号線を走ります。モンタナ州 
の残りの250マイル(1マイル=約1.6キロ)は平 
坦な地をドライブとなります。 それが次のノースダコタ州に 
入っても続きます。その州を横切るのにさらに350マイルかか 
ります。全部で600マイルの道のりはロッキー山脈からおりて 
中西部に入るなだらかな道です。

 行き交う車もほとんどなく、専用フリーウエーを走っている感じ 
です。途中で大きな町もあるわけでなく、ただ広大の大陸をひたす 
ら走り続けるだけです。それだけのための一日です。それを通過し 
ないと大陸横断を縮めることがでません。通過しなければならない 
寡黙な旅です。頭が真っ白になるときです。そんなときが人生のな 
かでも確かにあるのだと納得させられます。

 それでもノースダコタ州に入ってしばらくして、岩肌が、人間の 
皮膚の吹き出物のように、いくつも盛り上がっていて、平坦の地に 
突然異様な風景に出合います。しかもその岩肌が赤と橙と紫を混合 
したような色合いで続いていて、何でこんなところにと不思議に思 
わされます。Painted Canyonと呼ばれていますが、神様の 
ジョークだと妻と言いながら、ただなだらかに延びている地をひた 
すらドライブしているものを楽しませてくれます。

 その後ミネソタ州に入って一泊して、次の日はさらにウイスコン 
シン州を南下してシカゴの郊外に到着しました。中西部の緑豊かな 
なかですが、見渡しても山を見ることがありません。そんなところ 
に無事到着して早くも10日経ちました。すでに過ぎ去った旅 
ですが、ロッキー山脈を下って悠然と構えている自然のなかをひた 
すらドライブしたことで、心のどこかのそれだけの空間が空けられ 
て、そこだけの景色がその場にふさわしく留まっていて、心の風景 
を確かに広げてくれます。

 信仰者は「旅人」といわれます。物理的な旅が信仰者としてどの 
ような意味合いを持ってくるのか、人によって違います。それでも 
通過した景色は心の襞のどこかに消えることなく残っています。ど 
の被写体を襞に刻んでいくのかは、まさにその人が歩んだ心のぬく 
もりによっています。その人の人生の旅が、創造の世界を自分の心 
に合うように写していきます。どういうわけか大きな自然、人っ子 
ひとりもいない風景、大きな空、通過しなければならない寡黙な 
旅、頭がただ真っ白になる時間、そんな風景が心の襞に刻まれています。

上沼昌雄記