「アンセルムスの満足説は?!」2024年4月25日(木)

 贖罪論の教理としてのアンセルムスの満足説は正確には理解されないで歪曲されたままで今に至っていると言えそうです。端的にはその「満足」の意味合いが、アンセルムス自身が否定している「神の怒り」を宥めるという司法的な意味合いに取り替えられ、特に宗教改革以降救済論の基本的な理解として今日にまで受け継がれているといえるからです。17世紀のプロテスタント・スコラ主義の代表であるフランシス・トゥレティンから近年のJ.I. パッカーの贖罪論に見られものです。

 私自身もそのような理解の中で信仰を持ち、学び、伝道をしてきました。グスタフ・アウレンの『勝利者キリスト』に基づいて1991年にいのちのことば社の『新キリスト教事典』の「贖罪論」の項目を書きました。その『勝利者キリスト』でもアンセルムスは初期の古典理論より、合理的なラテン理論に傾いていると紹介されています。

 最近ではジョン・パイパーとN.T.ライトの間で義認論のことで議論がなされています。同時にマックグラスの2巻本の Iustia Dei で、聖書でのこのテーマでの記述と後々の教理としての贖罪論とは必ずしも連続性があるわけでないと指摘されています。

 10年前の千葉先生による信の哲学との出合いは、端的にはローマ書3章22節の「イエス・キリストの信に基づく」の理解に関してでしたが、まさにその節全体の理解として「神の義」と「イエス・キリストの信」の間の「分離のなさ」に関わり、その説明としての23-26節と捉えることによって、何よりも聖書としての贖罪論理解の原型を確認することになりました。それは「神の義」と「イエス・キリストの信」の協働作業としての24節で言われている通りの「キリスト・イエスにおける贖罪」なのです。

 そしてこの神とキリストの協働作業としての贖罪の歴史的な理解として、そのタイトル『クール・デウス・ホモ (なぜ、神・人)』が示しているように、アンセルムスが取り上げています。『信の哲学』下巻の第3部7章は「アンセルムス贖罪論における正義と哀れみの両立する唯一の場ー司法的正義とより根源的な真っ直ぐの正義ー」となっています。そして時機にかなったように友人がアンセルムスの岩波文庫版を送ってくださり、11世紀の名著を追うことができました。

 この文庫版ではラテン語の satisifactio がしばし「贖罪」と訳されていますが、千葉訳は「誉補償」「満足」としています。単なる司法的な意味での義よりも、神の創造のうちに見られる「世界の秩序と美」を伴う神が備えてる「誉」に関わる「満たし」としての回復をとらえていると指摘しています。そして『クール・デウス・ホモ』の1章15節で明記されているのです。

 このことに関連して罪は神の秩序の破壊に関わることで、それは罪の背後の悪の力からの解放に関わる神の義をアンセルムスが1章23節でとらえていることをさらに指摘しています。すなわち「満足」は悪によって破壊された神の義の回復なのです。司法的な意味での義の回復はその中に含まれても、一義的なものではないと観ています。

 この視点は『勝利者キリスト』のアウレンが古典理論としてとらえていることなのですが、アウレン自身がアンセルムスのこの視点を見逃してしまっていると言えます。まさに聖書全体の視点である創造と再創造のもとでの贖罪論理解のことになります。そしてそれは取りも直さずN.T.ライトの視点でもあります。

 教理としての贖罪論は変遷と混乱をきたしているのですが、テキストであるローマ書3章21-31節での贖罪の意味に戻って、教理としての贖罪論を方向付けていくときなのでしょう。

 上沼昌雄記

「『私はキリストとともに十字架につけられました』と言える贖罪論」2024年4月3日(水)

 先週受難週の瞑想としてローマ書3章21-31節が自分にどのように関わるのかを取り上げました。「神の義」と「イエス・キリストの信」に「分離がない」ことでなされた神の贖罪に自分がどのように結びつくのかを思い巡らし、キリストの信の歩みに私も導かれて、キリストとともに十字架にかけられたと言えることを記しました。その通りなのだという思いと同時に、何か落ち着かない思いが交差してきました。受難週の後半をその落ち着きなさがどこから来ているのか、さらに思い巡らすことになりました。

 一つ分かったことは、ローマ書のこの箇所は、信の哲学によって、神の側のことを語っているのであって、私たちのことは直接には取り上げていないということでした。先の「分離のなさ」の説明が23節から26節までなされているということでも、「私」のことは直接には取り上げられてはいないのです。「すべての人」を対象にしています。20節では文字取りには「肉なるものすべて」と明記しています。神の義の啓示は直接的には「すべての人」を対象にしているのです。

 さらに分かったことは、「イエス・キリストの信」の歩みに直接に関わっているパウロの言明はまさにガラテヤ書で取り上げられていることです。パウロの原体験として「私はキリストとともに十字架につけられました」と公言しているのです。この言明があってローマ書では個人的なことは傍に置いて、神の義の啓示を理に適った説得として提示しているのです。原体験と説得的説明の違いとも言えます。

 この関わりを逆にしてみると、理論的説明と応用編とも言えます。すなわち、ローマ書での神の側の完結した提示を、パウロ自身が応用編のようにガラテヤ書で体現したと言えるのです。時間的には明らかにガラテヤ書が先なのですが、ローマ書でのパウロの言明をガラテヤ書でパウロの直接的な体験としてその筋道を追うことができるのです。それで受難週の後半は、ガラテヤ書の流れを追うことに導かれたのです。

 実はすでに昨年の11月5日付で「ローマ書3章22節とガラテヤ書3章22節!?」ということでこの欄で書きました。今回はその前の2章19、20節が関わります。19節で直接に「私はキリストとともに十字架につけられました」とパウロが憚ることなく言明しているからです。その前に「しかし私は、神に生きるために、(信の)律法によって(業の)律法に死にました」と、明らかにローマ書で明記されていることを先取りのように語っています。ローマ書3章27節で「誇り」のことを取り上げ、それは「業の律法」ではなく「信の律法」によって取り除かれたと明記していることの先取りなのです。

 この言明に続いて20節で「私」を主語に「もはや私が生きているのではない、、、」と自分の立ち位置を明記しています。そして昨年の3月6日付で「ガラテヤ書2章の真剣勝負」として取り上げたように、このパウロの言明はペテロに向けられているとも言えるのです。むしろそのようにとることでこの箇所の息遣いがはっきりしてきます。「キリストの律法」によって「モーセの律法」に死んだので、すなわち「私はキリストとともに十字架につけられたので」「もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きている」と明言できるのです。

 パウロの頭の中にはローマ書で明記することになる神の義の啓示の構図は初めからあって、ペテロの行動を見た時に、それは神の福音に合わないことが分かり、先輩のペテロに遠慮なく「神の義」と「イエス・キリストの信」の「分離のなさ」の適用を述べたと言えます。その意味ではパウロは一貫しているのです。「私はキリストとともに十字架につけられました」と言える贖罪論はパウロの基本線として初めから生きていたのです。

 上沼昌雄記