前回ビデオ撮りを契機に、信の哲学によるローマ書3章22節を中心としたテキストの「ギリシャ語文法」による読みについて書きました。提唱者の千葉惠先生ご自身が信仰者でありなあら、この箇所の解明のためにアリストテレス研究に向かわれ、「ギリシャ語読みの信仰」として、「神の義」と「イエス・キリストの信」の間には「分離のない」ことを解明されたことに触れました。
そのことを書きながら、あのニーチャが24歳で古典文献学の教授になっていた事が頭に浮かんできて、そのことがニーチェのキリスト教批判とどのように関わるのか確認したくなりました。すでにご存知にように、ニーチェに関しては、この欄でも結構書いてきました。長めの記事として「ニーチェとキリスト教ーニーチェはキリスト教が好きなのか、嫌いなのか」として、HPに載せてきました。
実はHPのサイト管理の欄で、どの記事がよく読まれているのかの項目があります。ほとんど毎回のようにそのトップにこの記事が出てくるのです。聖書箇所や信仰による瞑想を載せているのですが、どう言う訳か、このニーチェに関する記事がコンスタントに読まれているのです。まさにどのような意味で、ニーチェがキリスト教を批判しているのか、人ごとではないのです。
そこで書いたのですが、ニーチェのキリスト教批判は神学者に向けられています。<理念・理想の世界を追求しているがそれは「傲慢という神学者本能」(反キリスト8)であって、「万事に対してゆがんでおり、不誠実」で「癒しがたい虚偽の姿」(同9)と言って憚らない。> 神学を試みているものとして全面的に否定できない現実です。論理を操り、詭弁を弄してしまうのです。そして、ニーチェのもうひとつの神学者に対する批判があリます。<神学者のいま一つの標識は彼らの文献学への無能力である。>(同52)
ニーチェは、ルター派の牧師家庭で育っています。ローマ書3章22節から導き出された「信仰のみ」の姿勢が、「イエス・キリストの信」と入れ替わって理解されしまった為に、信仰体験が神の義の前提のようになってしまったのです。その歪みをニーチェは批判しているのです。ニーチェ自身が、文献学者として、ルター派のローマ書3章22節の読みの不正確さに気づいた訳ではないのでしょうが、神学者の不誠実さにはついていけなかったのです。
「キリスト教は民衆のためのプラトニズムである」とニーチェは観ているのですが、人としての信仰体験と神の義の間のずれは、人間の側からへ決して埋める事はできないのです。しかし同時にそこに生じる恨み、嫉妬、反感をよしとします。その感情であるルサンチマンとは「憤慨、怒り、敵意、恨み」を訳される英語の resentment のことで、キリスト教はこの感性を宥めるための宗教に過ぎないと観ています。
この辺の事は、先の小論文でそれなりに触れていますので、HPで確認していただければ幸いです。ただこのような視点での当時支配的であったプラトニズム化されたキリスト教批判の背景に、やはりニーチェが若くし身につけた古典文献学の視点が生きていたのかなと想像します。
ビデオ撮りのためのスクリプトでも触れたのですが、ローマ書3章22節前後の理解の不明さをもたらしているのが、「イエス・キリストの信」より、イエス・キリストを信じる「私たちの信仰」が優先しているためで、その信仰体験による神学的理解が初めからテキスト理解に入り込んでいるからです。このテキスト読みのために信の哲学者がアリストテレス研究に向かわれたことで、テキストがテキストとして浮かび上がってきたのです。
今は、ローマ書3章22節を中心としたギリシャ語テキスト読みの仕切り直しに入っています。そして、そのことでニーチェのことがどうしても気になるのです。
上沼昌雄記