「新世代クリスチャンは、、、」2018年6月15日(金)

 今回の5週間の日本の旅の最後に、かつて親や教会に反発していたが、今はクリスチャン二世として同じような二世に伝道している方と、しばし意見を交換する機会がありました。親や教会に反発している二世は、戻ろうと思っても戻るところがないとあっさり言われました。なるほどと思うと同時に、クリスチャンとしては他の生き方があるのか分からなかったこともあり、衝撃的でした。
 シカゴに戻り、義樹家族のところに落ち着きました。その家族の行っている教会の32歳の若い牧師の祈りを義樹が聞いていて、20名近い牧師団の祈りとは異なっていることに気づき、N.T.ライトの聖書理解に近いように思うと伝えたら、その通りと会話が弾み、自分の父親がN.T.ライトの翻訳『クリスチャンであるとは』をしていることを話したら、驚いていたことを話してくれました。
 それで日本でのことを話したら、戦後のベビーブーマーの子供たちで1980年代から2000年の初めに生まれた世代をミレニアムズ(世紀末に生まれたので)と呼んで、新世代クリスチャンに対する教会の取り組みを語ってくれました。すでに社会学的な検証もなされていて、それに基づいた書物も出ています。
 ベビーブーマーとミレニアムズのそれぞれのクリスチャンのイメージが異なっていることを統計を下にまとめた本を義樹が紹介してくれました。その詳細に入ることはできないのですが、六つのテーマで新世代クリスチャンが抱いている親たちの教会に対する視点を紹介しています。すなわち伝統的な教会とクリスチャンのことです。
 1.偽善的である
 2.信者の獲得だけに焦点を当てている
 3.同性愛者に蔑視的態度をとる
 4.過保護である
 5.余りにも政治的である
 6.人を裁きやすい
 これらの視点に対して新世代クリスチャンの姿勢を紹介しています。それについては改めて取り上げてみたいと思いますが、どうして伝統的なキリスト教がそのような姿勢を取ってしまうのかに同世代人として関心があります。伝統的にはこの世を離れて霊の世界に生きて、そこでの理想的なあり方が可能なものとしているのですが、新世代クリスチャンはそこに偽善性を見抜いているのでしょう。
 そこには先の32歳の牧師がどこかでN.T.ライトの聖書理解に惹かれるところと無関係ではなさそうです。新天新地の再創造を聖書の目的と設定するときに、この世に対する責任も生まれてきます。「みこころが天になるように、地にもなさせたまえ」と祈る責任が伴ってきます。自分たちだけがこの世から隔離されて特別なものとみることはできないのです。この世に神の民としてのあり方を示していく責任があるのです。
 義樹たちの教会はそのような視点を持った若い牧師を新世代クリスチャンに届くために雇っていると言うことです。日本でもそのことに気づいて、自分の体験を踏まえて新世代クリスチャンを掘り起こしている働きに接することになりました。新世代クリスチャンの誕生は新しい聖書理解をもたらしています。
 上沼昌雄記
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「千葉先生の講演を聴く」2018年6月4日(月)

 過ぎる土曜日の午後に北大のキャンパスで1時間半にわたる千葉先生の講演会がありました。ちょうど大学祭で、クラーク像の向かいにある木造の古河講堂の周りも多くの人たちが集っていました。今回の講演会の案内を拡大コピーした立て看板を千葉先生ご自身が立てていました。一人でも多くの人に福音を紹介したいという先生の強い思いが伝わってきました。
 講演会に先立ち、先生ご夫妻が昼食に招いてくださり、総勢10名の方々と南門の目の前にある「博多ぶあいそ」というレストランで、ぶあいそでも美味しいランチをいただきました。友人の竹本牧師と小林牧師も参加してくれました。講演会には、古河講堂の一つの教室でしたが、50名ほど詰めかけてくれました。在校生と卒業生、市内の数名の牧師と何人かの教会員、そして看板を見ての飛び入りもあったようです。
 自己紹介として、クラーク先生のこと、そしてクラーク聖書研究会創設の時のミッシェル宣教師の第二の札幌バンドの思い、ご自身のご家族の内村鑑三との関わりを語られ、それが今回の「信の哲学」へと結びついていることを話してくれました。
 すでに黒板には話される内容が先生によって画面一杯にチャートとして描かれていました。螺旋状に実存の多面性を描き、人間の総合的自己理解、すなわち、人間とはという問いを導入として語り出しました。その人間が生きている時の流れにおいて、律法は過去と未来に葛藤や不安をもたらしても、福音は永遠の相を持って、時との和解を愛という相で関わってくることを、時の矢印で説明してくれました。愛には恐れがなく、自由であるので、永遠の相を持って時との和解が可能であると、興味深い説明をされました。
 神の信、イエスの信の自発性のゆえに、身代わりはあっても、いわゆる刑罰代償ではないと説明されました。「業の律法」が「信の律法」に代わったので、刑罰代償はあり得ないと言います。すなわち、それは「業の律法」に戻ることになると言います。これはローマ書3:21-31での神の義の啓示、イエス・キリストのピスティスによる媒介、律法の意味づけとの関係で「信の哲学」の要にもなります。
 もう一つの興味深いチャートが描かれていました。肉と体と罪、その「外なる人」と、ヌースとしての「内なる人」とそこに働く聖霊との関わりが、白と黄色と赤のチョークで説明されていました。ローマ書7章のことで、今回の日本で私も格闘しながら語ってきたところでしたので、大変助かりました。
 先生の説明は論理的ですが、長い聖句を暗記されていて、それを語るときには霊に満たされ、窓際に向かって歩みながら、目を天に向け、上よりの導きをいただいていることが分かります。大学祭の音楽が外から聞こえてくるのですが、それに負けない声量で福音を説明される先生の姿は、アテネのアレオパゴスで哲学者たちと論じたパウロの姿を想像させるものがありました。
 竹本牧師は、その日の早朝に教会員の方が召され、葬儀の準備のために、昼食会と講義の三分の二を聞かれて帰られたのですが、昨日はこちらがその教会で説教することになり、夕方おいしい回転寿司をいただくまで、当日の感激を語ってくれました。小林牧師はギリシャ語のテキストをコピーしてこられ、ローマ書3:22に関して千葉先生に質問をされていました。
 講義は録音されていますので、何らかの形で聞けるように手配してくれるものと思います。私ももう一度チャートを思い出しながら聴きたいと思います。40年かけた発見的探求のエッセンスを聞くことになりました。1400頁の『信の哲学ー使徒パウロはどこまで共約可能か』を90分でまとめ上げたものと言えます。
 大学祭の賑やかなキャンパスでしたが、木造の古河講堂の一室で、ローマ書に記されている神の啓示の奥義がパウロの時代にどのような提示されたのかを彷彿させる貴重なひとときでした。
 上沼昌雄記

「訳語『律法』は」2018年5月31日(木)

 今回日本で中部牧師セミナー、関西凸凹神学会、秋田牧師リトリート、相模大野キリスト教会JWTC集会で、ローマ書3章と7章を取り上げてきました。その両方で使われている「律法」の意味合いについて話しながら明確になってきた面と、訳語のことで気になってきたところがあります。今回は3章を取り上げてみます。
 3章ですと何と言っても22節の「イエス・キリストのピスティス」がポイントになりますが、新改訳聖書2017では脚注に別訳「イエス・キリストの真実によって」と入れてきました。それなりに前進とも言えるのですが、態度保留ともとれるところです。それに対して新共同訳の新しい訳「聖書協会共同訳」では本文に「イエス・キリストの真実を通して」と入れて、態度表明を明らかにしているようです。そこは「神の義」の啓示を目的にした箇所であることから、そのように取るべきだとネットで明言しています。
 このことに続く27節で「誇りが取り除かれた」ことの理由として、「どのような種類の律法によって」かと問うところで、新改訳聖書2017では「行いの律法でしょうか。いいえ、信仰の律法によってです」と訳出しています。前の版では「原理」と訳していました。脚注ではその可能性を認めています。それに対して聖書協会共同訳では「法則」とそれ以前の訳を踏襲していることが分かります。同時にそれでは「イエス・キリストのピスティス」の理解と合致しないのではと思わされます。
 この27節の律法の意味合いは、初めに21節で、「律法には関わりなく、律法と預言者によって」という律法の区別を踏まえていて、「どの律法によってか」と言われていることです。しかもその「信仰の律法」とは22節の「イエス・キリストのピスティスによる」ところの「信仰」のことなので、「原理」とか「法則」とかは訳せないことです。
 
 それはさらに3章の最後の31節で、「信仰によって律法を無効にするのか」という問いに対して、「決してそんなことはありません。むしろ、律法を確立することになるのです」という結論に結びつくことです。「信仰の律法」とは信仰によって確立される律法のことで、それは「行いの律法」、すなわち、文字としてのモーセの律法ではできないことです。それを「原理」「法則」と訳することはできないし、その可能性を認めることもできないことです。それがローマ書理解の混迷をもたらしてきたと言えます。
 この3章でのいわゆる信仰義認のテーマは、こちらが義とされることがメインではなく、そうすることで「神の義」が明らかにされることが目的で、さらに、それは義とされた私たちを通して、神の律法がこの地に果たされていくためであることが分かります。神の義と神の律法の成就は結びついていることと言えます。「原理」「法則」と取ってしまうとその結びつきが切れてしまい、しかもあたかも「私たちの信仰」で律法を確立するかのような意味合いになります。
 律法全体ははガラテヤ書5:14では、「隣人を愛すること」で全うされると言われています。そうすると、律法の成就は「隣人を愛すること」という具体的なことで果たされることが分かります。そこに神の義の現れと取ることができます。パウロはこの結びつきをしっかりと捉えています。長い間混迷していたローマ書理解を整理する道が開かれてきたと言えそうです。
 この2日土曜日の午後に、北大のキャンパスでクラーク聖書研究会とKGK主催で千葉恵教授の講演会が開かれます。そのテーマが「信の哲学ー福音と律法」です。札幌市内の友人の牧師たちも参加してくれます。期待しています。
 上沼昌雄記

「ユーレカ (見つけた!)」2018年5月8日(火)

 カリフォルニアには「ユーレカ」という町やストリートがあります。ウィキペディアでは次のように記されています。「Eureka(エウレカ)はギリシャ語に由来する感嘆詞で、何かを発見・発明したことを喜ぶときに使われる。古代ギリシアの数学者・発明者であるアルキメデスが叫んだとされる言葉である。」素晴らしい意味合いの表現ですが、カリフォルニアでは1849年のゴールドラッシュで、金を「見つけた!」という感嘆詞が由来となって使われています。

 探し求めていたものをようやく見つけ出した時の喜びがこの言葉にはあります。古代ギリシャの学者が自然の成り行きを見つけ出し、そのシステムを言葉で言い表すことができた喜びが伝わってきます。私たちの住まいの近くでは未だに金を探し求めている人たちがいます。見つけたときの喜びは想像できます。

  ユーレカは「見つけた」で過去形なのですが、現在形でパウロがローマ書7章21節で使っていることが分かりました。すでに書かれているのですが、この言葉が使われていることを「見つけた」感じがしています。新改訳では次の通りです。「そういうわけで、私は、善をしたいと願っているのですが、その私に悪が宿っているという原理を見いだすのです。」多分もっと短く次のようにも言い表せます。「そのように、善をしたいと願っている私に、悪が宿っている律法を見つけます。」
 律法は善なるもので霊的なものであって、それを行いたいという願いはあっても成し遂げることができないで、逆に願っていない悪を行ってしまう自分に気づいて、「自分のうちに、すなわち、私の肉のうちに」(18節)悪が宿っている律法を見つけるのです。「律法」は新改訳では「原理」、新共同訳では「法則」となっているのですが、すぐ後に何度も「律法」のことが出てきますので、それに合わせて「律法」と理解して、しかも23節には「罪の律法」と出てきますので、その意味で取ることができます。
 この意味での律法を見つけるのですが、どこで見つけるかというと「善をしたいと願っている」自分のうちにおいてなのです。自分のうちは、自分の肉のうちなのですが、次節では、さらにその肉のうちの「内なる人」としては「神の律法を喜んでいる」からと語っている、その内なる人を見つけるのです。私にうちに悪が宿っているのですが、さらにそのうちに「内なる人」として神の律法を喜んでいることを見つけるのです。
 この7章での著者であるパウロの語りの筋を追うのは簡単なことではないのですが、この箇所でそれまでの語りのまとめをしているようで、特に「見つけます」と言い切ることで、探し求めていた自分のうちの葛藤の理由を言い当てているかのようです。見つけなければ、そのまま闇に覆われてしまって、そのままで終わってしまうのですが、見つけたことで、そこから抜け出すことができたのです。
 ここでは「見つけます」と現在形なのですが、私たちもどこかで過去形で「ユーレカ」と感嘆詞をあげたように、罪と悪に支配されたままではなく、神の律法に喜んで向かっていく「内なる人」がいることを見つけて、驚き感謝したことです。そこに聖霊が働いて「内なる人」が日々新たにされることを経験できるからです。その喜びの源泉がこの節から伝わってきます。
 上沼昌雄記

「心魂の内奥に何が生起するのか」2018年4月12日(木)

 これは千葉先生の新刊『信の哲学ー使徒パウロはどこまで共約可能か』(上下巻)の第二部4章「パウロの心身論」の副題の表現です。「内奥」を「ボトム」とも言い換えていますが、私たちの内面の深くで起こっていることの探求であるることが分かります。「信の哲学」と呼ぶ意味合いもそこにあるのでしょう。身体を持つ誰でもが、自分の内面深くで起こっていることに関心があるので「哲学」の可能性が出てくるからです。
 御著書を送っていただいて全体を見回しながら「信(ピスティス)」を哲学の対象とされる千葉先生の意図を少しでも理解したく思いました。私の中には「心魂の内奥」はまさに「闇」ではないかという叫びがあります。この時期に7年前に書き上げたヨナの怒りの原稿を出版してくださる話があり、ヨナがあの魚の腹の中で過ごした闇の記述を何度か読み直しました。一度研究室にお訪ねしているときに、そこはもうどうにもならない世界ではないのでしょうかという私の発言に、千葉先生が真顔で、もっと知的にならないといけないと言われました。
 そんなことがあって、原稿の段階からこの心魂のボトムでの記述に関心を持ってきました。書物として受け取ってからこの4章に至るには、2章でのアリストテレスの『魂論』の展開を確認しなければと思い、しばらく格闘しました。その2章の副題も「不可視なロゴス『魂』の探求」となっています。目次から分かるのは、「魂の根源的態勢」としてアリストテレスの「実践知」とパウロの「信」の関わりの解明になりますが、私の説明能力を超えています。
 それでも分かることは、パウロが「信」を心魂の内奥の根源的態勢をと見なすとしても、その前に「神のピスティス」と「イエス・キリストのピスティス」が神の啓示の自己完結性としてあり、その上で、それに対応するものとして「私たちのピスティス」が分節していることです。その上で総合が次の課題です。この分節を明確にした上での「私たちのピスティス」の心魂のボトムでのあり方の探求なのです。そうでないとこちらの心的動きが優先してしまって、その投影としてテキストを読み込んでしまうからです。アウグスティヌスもルターもそれぞれ内面の信仰理解はずば抜けているのですが、先の分節なしに、テキストを読み込んでしまっていると言えます。
 千葉先生は「神学的枠組みの密輸入」と呼んでいますが、それを避けるための手立てはテキストそのものの解明にあるとします。神のピスティスの解明をし、その上でパウロのピスティスがどのように対応しているかをテキストに沿って解き明かす作業です。こちらの心の動きとは関係なしにと言えるのですが、テキストの解明によって明らかにされるパウロの心魂のボトムでのあり方は、不思議にこちらの心に反響して、納得を与えてくれます。それが知的な作業であると言われたのだと思います。
 千葉先生の書の3章はローマ書1-4章、4章はローマ書5-8章の言語分析です。この4章の初めで、3章を踏まえての展開をまとめています。「これまでの言語分析の成果を踏まえつつ、パウロにおける心魂の様々なエルゴン(働き)に対する言及の分析を通じて、はたして信が心魂のボトムにおいて遂行される神に対する根源的な信任、移譲行為であり、さらにそこから相互の愛や神の観想に至る一切の秩序ある生が生み出されうる魂の根源的態勢であるのかのさらなる探求に向かう。さらに彼の独自の主張として、叡智や霊の刷新がそこにおいて生じる「内なる人間」が提示され、通常の心身論の対象である身体をかかえた自然的存在者の生の原理としての肉を秩序づけるとするが、その統一理論がいかなるものであるかを探求する。」(上巻624頁)
 具体的にローマ書7章での言語分析には今までにない視点が展開されます。「律法」、「肉」、「私」、「うちに住む罪」、「内なる人」、「心(ヌース)の律法」、「罪の律法」、「みじめな人間」とパウロが言い放つ心魂のボトムの発語には細心の注意を払う価値があります。こちらの心魂が対応していくからです。
 上沼昌雄記

「長雨の後に」2018年4月8日(日)

 ここ北カルフォルニアでも「長雨の後に」という言い回しが珍しいほどに、一昨日金曜日は一日雨が降り続きました。日本での梅雨時の雨降りを思わせるものでした。昨日土曜日の朝まで降りしきりました。午後からは待っていましたとばかりにカルフォルニアの太陽が出てきて、気温も上がってきたようでルイーズと散歩に出ました。
 住まいの下の方に雨降りの時だけ水がたまる池があります。下の方から漏れていくので夏場は枯れてしまうのですが、この長雨の後は、池はあふれていました。その情景を観るのも散歩の目的でした。同時にその池の脇で誰かが、近隣から出てきた枯れ木を燃やしていることが、立ち上る煙から分かりました。池のさらに下方に流れている小川が長雨の後であふれるほどであることを確認して、たき火のところに戻ってきました。
 昨年の3月20日付けで「陽気に誘われて近隣と立ち話を」という書いたのですが、その近隣のスティーブが山のようにたまってきた枯れ木を燃やしていました。冬の間は余り会うこともなく、彼のお母さんのことを心配していたのですが、話が始まった途端に焦燥しきった感じで、お母さんの死に面してのお父さんと家族の対応を事細かに語り出しました。すでに50歳代に達しているスティーズの話にはいつも父親のことが出てます。父親に認めてもらいたいという強い願望と、父親からの精神的に暴力的と言えるほど拒絶です。
 話し上手というか、ともかく身振り手振りで、お母さんの死の日の出来事、その場で父親から浴びせられた罵声、スティーブの一人息子の前での父親の態度、どの場面でも、彼がどれほど父親に認められたいのかが分かり、同時にどのようにしても父親から拒絶されてします状況を繰り返し語ってくれました。完膚なきまでに打ちのめされた姿を観ることになりました。神を信じていて、なお「死の影の谷」を歩んでいるのです。
 ルイーズが彼の話を真剣に受け止め、どのようにしても父親にコントロールされるだけだから距離を置くように繰り返し説得しました。心優しい彼にはそのようなことは考えられなかったようです。私も思いがけなく、「奥さんの話を聞くように」と勧めました。そうしたら彼の奥さんもルイーズと同じように、どのようなことをしても父親にコントロールされだけだから、関わらないようとけんか腰で言っていたと話してくれました。それは彼に一条の光を与えたようでした。
 昨年も彼の家の前で立ち話をしていたときに、近隣の人たちが入れ替わりに立ち寄って会話に加わってくれたのですが、今回も近隣の男性がたき火の煙を観て、飲み物持参で会話に加わってくれました。そういうときはキャンプとか猟の話になり、スティーブも猟が好きですので、嬉しそうに語っていました。そこにもう一人の男性が彼も飲み物持参で参加してきました。しばらく楽しい話が続きましたが、自然に会話のグループが二つに分かれて、私たちはスティーブと話の続きをしました。
 その中身はその前に話したことの確認になったのですが、ともかく距離を置いて、父親の巧みな操作に乗らないようにと、境界線を明確にすることで逆にこれ以上コントロールされない意思表示をするように励ましました。彼の奥さんも同じように思っていることを確認して、本人もようやく納得したようでした。続いて祈っていることを伝えて、すでに暗くなりかけているその場を後にしました。
 彼の話の中で父親も同じような環境で育ってきたようで、同じようなことが下の弟さんにも現れているようですが、スティーブはその繰り返しはしたくないとしっかりと自分に言い聞かせています。その通りに彼の一人息子とは兄弟のような麗しい関係を築いています。そんな側面を観てルイーズはいつも励ましています。
 珍しい「長雨の後に」思いがけないタイミングでしたが願っていた会話をいただきました。からだもかなり冷え切ったので、急いで家に駆け込みました。
 上沼昌雄記

「ニーチェとキリスト教—— ニーチェはキリスト教が好きなのか、嫌いなのか?」

初めに

いまさらニーチェ(1844-1900)に関してそのような問いを立てることはできないところがある。特に「神の死」とか「反キリスト」と、キリスト教を真っ向から否定するような過激な発言をしたわけで、いまさらニーチェがキリスト教を好きなのか、嫌いなのかと問う余地のないところである。ニーチェを取り上げること自体が危険思想と思われても仕方がない。それでいてどのような意味でニーチェが「神の死」とか「反キリスト」と言っているのか、関心とか興味ということより、頭のどこかにへばり付いていて取り除くことができない邪魔者である。

無視することもできる。しかし哲学とか、思想とか、キリスト教に関わる本を読んでいると必ずどこかでニーチェのことが出てくる。むしろ頻繁に目にし、耳にする。神は死んだと叫んでいるニーチェはいまだにどこかで生き続けている。現代思想のお邪魔虫のようにいつもそこにいる。何か分かったように思想を語れば、それを横目であざ笑っているかのようにそこにいる。

特に、ことあるごとにどこでもニーチェはキリスト教を取り上げている。これほどキリスト教を直接に語っている哲学者もいない。当然西洋の哲学者は誰もがどこかでキリスト教のことを語らざるを得ないのであるが、ニーチェはあたかも目の敵にしているかのようである。「キリスト教こそ、これまでの人類の最大の不幸である」(反キリスト51)と平然と言いのけている。ニーチェにとってキリスト教は、良い意味でも悪い意味でも放っておけないのである。

当然ニーチェがどのような意味合いでキリスト教を批判しているのかが問題になる。言い方を変えれば、どのような意味合いでのキリスト教をニーチェが取り上げているのかが問題である。そのような問題設定が可能になると、ニーチェの言っているキリスト教は本来のキリスト教なのかどうか、再批判が必要になる。その可能性を少しで探ってみたい。

ニーチェ、その人となり

ニーチェがルター派の牧師の子どもとして生まれたということが、この際どのような意味合いを持ってくるのか、それは興味深いことである。代々のルター派の牧師の子どもである。少年時代は牧師になる志を持っていたようである。当時のドイツのルター派が、どのような文化を築き、どのような雰囲気を持っていたのか、想像を超えるほどの影響力を持っていたのだろうと思う。次のような発言もしている。「プロテスタントの牧師はドイツ哲学の祖父であり、プロテスタンティズム自身がその原罪 peccatum originale である。」(反キリスト10)

ルターとルター派は厳密には区別されなければならない。ただここでルターに関して言えることは、つまり、ニーチェがルターをキリスト教の代表のように見ていることである。そしてルターをパウロと結びつけていることである。その間にアウグスティヌスを置いているといっても良い。ルターを通してのキリスト教といっても過言でない 。すなわち、パウロ理解もルターを通して見ていると言える。この意味では、ニーチェのキリスト教批判のひとつの方向性を見ることができる。

それでこちらも何とも気になって、ニーチェを放っておくことができない。何と言っても、ニーチェを哲学者と呼んで良いのか分からなくなる。カントやヘーゲルだとその哲学が体系的に書かれているので、大変であるが、かじりついていると少し分かったような気になる。それに比べて、ニーチェは文明批評をしているのか、歴史分析をしているのか、戯曲を書いているのか、詩的哲学書を書いているのか、ともかくどのようなカテゴリーも気にしないで思いつくまま書いている。それでいて何かしっかりとしたものが貫いていて、訴えるものがある。

ともかく体系的に書いているわけでない。何か訴えるものがあって、それを思いつくままに書いている。体系がないというか、そのような体系的なものを避けている。次のようにも言っている。「キリスト教は一つの体系であり、一つの考えまとめあげられた全体的な物の見方である。」(偶像の黄昏9-5)そのような体系的なキリスト教を避けている。それでこちらも体系的なアプローチなしに、勝手な視点でニーチェを読むことができる。『これがニーチェだ』(永井均著、講談社現代新書)という本もあるが、「勝手なニーチェ」と言うところである。

ニーチェには晩年に『この人を見よ』と言う本があって、その目次が何となくニーチェの人柄を語っている。「なぜわたしはこんな賢明なのか」「なぜわたしはこんなに利発なのか」「なぜわたしはこんなによい本を書くのか」「なぜわたしは一個の運命であるのか」。自信過剰、自意識過剰と言ったらよいのか、普通の精神の持ち主では書けないこと、言えないことを言いのけている。その意味合いはどうであれ、ここでは自分のキリスト教批判にそれなりの自信を持っていたのであろうと言うことで留めておきたい。

ニーチェの主要著書と年代は以下の通りである。
『悲劇の誕生』 1872年
『反時代的考察』 1876年
『人間的あまりに人間的』 1878年
『曙光』 1881年
『悦ばしき知識』 1882年
『ツァラトゥストラはこう語った』 1885年
『善悪の彼岸』 1886年
『道徳の系譜』 1887年
『偶像の黄昏』 1888年
『反キリスト』 1888年
『この人を見よ』 1888年

ニーチェは最後に精神錯乱を起こして廃人のように亡くなった。それが世紀の変わり目の1900年であった。その20世紀にふたつの世界大戦を通して、西洋の没落が文字通りに起こったことを考えると、何とも象徴的なことである。

「神の死」の場面

ともかく読んでいて、ニーチェはキリスト教が好きなのか、嫌いなのか、何とも言えなくなる。どうも、自分が生まれ育った西洋のキリスト教が虚偽を纏っていることに耐えられないで怒っているかのようである。「初代キリスト教徒が口にするあらゆる言葉が虚言であり」(反キリスト47)と言う。「わたしが虚言と名付けるのは、見ているものをみようとしないこと、見えるとおりにものを見ようとしないことである。」(同55)その結論は「信仰とは、何が真であるかを知ろうと欲しないことである」(同52)となる。

ニーチェはともかく、自分が一時は信じていたものが、虚偽であると気づいて、そのことで怒っているかのようである。その怒りが神に向けられているかのようである。 ニーチェの「神の死」は有名であるが、どのような場面を設定して語っているのか注目しておきたい。

君たちはあの狂人のことを聞かなかったか。白昼ランプに火をともして、市場に走ってきては、たえまなく「おれは神をさがしているのだ! おれは神をさがしているのだ!」と叫んだ男のことを。市場にはちょうど、神を信じていない人々が大勢集まっていたので、彼はたちまちひどい笑い者になった。ある者は「神さまが行方不明になったとでも言うのかい?」と言い、別の者は「神さまが子どもみたいに迷子にでもなったのかい?」と言った。(中略)彼らは口々にわめき立てて、彼を嘲笑した。狂人は彼らの中に割っては入り、あなのあくほど彼らを見据えて、叫んだ。「神がどこへ行ったかって? おれがおまえたちに教えてやろう! われわれが神を殺したんだ。おまえたちとおれたちだ! われわれはみんな神殺しの犯人なんだ」(悦ばしき知識125)

「神の死」は神が死んだからではなく、私たちが神を殺したからであると言う。神を信じている者も、神を信じていない者も、西洋の社会の誰もが神殺しの犯人なのである。神を自分たちの枠の中に押し込めて、窒息死させてしまったからである。先にキリスト教は体系であるとニーチェが指摘していたが、その体系とは哲学的・形而上学的な抽象概念による体系のことである。すなわち、聖書そのものの世界というより、ギリシャ哲学の影響を受けた上での神の理解なのである。「神」がその体系の中に閉じ込められてしまっていて、そのような「神」は死んだと言う。むしろ窒息死させられたのである。

そのような神への信仰は、本来の人間の力をそいでいると見ている。 嬉々として生きているべき信仰が、ギリシャ哲学と融合することで、哲学的・形而上学的な抽象概念の体系になっていることに耐えられないのである。そのような信仰自体が虚偽であると言い放っている。それは「病気」であるとまで言う。「キリスト教的神概念は、、、地上で達せられたもののうち最も腐敗した神概念の一つである。」(反キリスト18)

ニーチェには「生への意志」に対しての強い信念がある。キリスト教的神概念は、神を抽象概念にすることでそれをそいでいる。すなわち、神をこの世から切り離して「彼岸」に追いやってしまっているからである。それは「生の矛盾」であり、「此岸」に対する誹謗である。「神において無が神と化し、無への意志が神聖なり」(同)となってしまう。

この世の否定、此岸の誹謗、それはヨーロッパのニヒリズムの始まりでもある。 キリスト教がヨーロッパのニヒリズムの元凶なのである。ヨーロッパがキリスト教の病に感染しているのである。しかしここまで来るとニーチェの中には、本来の神のあり方を認めているし、真剣に求めているとも言える。哲学的な抽象概念に汚染されない聖書の神を求めていると言えるのかも知れない。その叫びが聞こえるようである。

ニーチェの批判するキリスト教とは

ニーチェのキリスト教批判の背景が少し明らかになったが、それを代表するのがニーチェの有名な「キリスト教は民衆のためのプラトニズムである」という提言である。『善悪の彼岸』の序文で言っている。ニーチェが批判しているキリスト教、それは、プラトニズム化されたキリスト教である。まさに西洋のキリスト教である。この2千年来の西洋のキリスト教である。聖書をプラトニズム化したものである。それは聖書そのものではない。

プラトニズムは、イデアと現象、善と悪、霊と肉の二元論の世界である。その力関係は当然、イデア>現象、善>悪、霊>肉となる。その結果は、現象の世界よりイデアの世界、肉の世界より霊の世界がより善なる世界となる。言い換えると肉の世界、現象の世界は悪なのである。時間・空間のこの世界より、時間・空間を越えた永遠の世界を理想的な世界と見ている。そして、すべてがそこに集約される。

このようなプラトニズムを、キリスト教が受け継いで理念的な世界と感性的な世界の二元論として一般化していると観ている。しかしニーチェにとって、感性的な世界を越えた理念的な世界は実現不可能な世界でありばかりでなく、化現の世界であり、虚偽の世界である。その虚偽の世界を理想としてきたれヨーロッパは、初めからニヒリズムを抱えることになった。

ニーチェのキリスト教批判は明らかに、このプラトニズムに裏付けられたキリスト教に対してのものである。このことがまとめて論じられているのが『道徳の系譜』である。「善と悪」「よいとわるい」、「負い目」・「良心の疚しさ」、そして「禁欲主義的理想」という三つの面で論じられている。初めの善悪のことと、三番目の禁欲主義のことは、キリスト教がプラトニズムで身を装ってきたことを観れば結びつくことが分かる。すなわち、キリスト教自体が身体的なこと、感性的なことを悪と見なして、精神的なこと、理念的なことを善と見なしているので、身体的なこと、感性的なことを避ける禁欲主義が当然の帰結として出てくる。

しかしニーチェの説明の仕方には、ひとつ凝ったところがある。単なる理屈ではなく、感性に訴えてくるところがある。一番目の「よいとわるい」に関して、「弱い者と強い者」の対比を持ってくる。すなわち、自分がこのように弱いのは強い者が悪いからだと逆転をするのである。結果は弱い自分の方がよいことになるという心理的な逆転である。その強い者に対する恨み、嫉妬、反感をよしとする。その感情をルサンチマンという。「憤慨、怒り、敵意、恨み」を訳される英語の resentment である。

この感情を抱えているのがキリスト教徒であるとニーチェはみる。「自己自身へ帰るかわりに外へ向かうこの必然的は方向—これこそまさに反感(ルサンチマン)の本性である。」(道徳の系譜1-10)「反感を持った人間は、正直でもなければ無邪気でもなく、また自分自身に対する誠実さも率直さももたない。」(同)どこかで痛いところを突かれているような感じになる。

このことに裏打ちされて、二番目の「負い目」・「良心の疚しさ」が出てくる。すなわち、理念として善をどんなに説いても、そのために禁欲主義を唱えても、肉体を持ち、感性で動かされている人間として、現実に罪の意識、罪責感をより強く持つ。そこにルターに代表される、信じれば救われるという信仰義認が教理として前面に出てくる。ニーチェはそれに対して嫌悪感を持っている。そのように良心の疚しさを鼓舞して信仰を導くことに、西洋精神のいやらしさを観ている。「良心の疚しさは一つの病気である」(同2-19)ニーチェは、その病気の原因が神にあるとする。そこに神自らが犠牲になることで負い目を取り除いたとみている。

かくしてついにわれわれは、はしなくも、責め苛まれた人類がそれによって当座の慰安を見いだすようになったあの逆説的な、恐るべき方策の前に、キリスト教の天才的な詭策の前に立っていた。その詭策とはこうだ、——神自らが人間の負債のためにおのれを犠牲に供し給う、神みずからがおのれ自身に弁済をなし給う、神こそは人間自身の返済しえなくなったものを人間に代わって返済しうる唯一者であり給う、−−債権者みずからが債務者のために犠牲となる、それも愛からして(信じられることだろうか?−−)、おのれの債務者への愛からして!(同2-21)

その結果、この神に対して人間は限りなく負い目を負うことになる。それだけでなく、ニーチェは、「神に対する負い目、この思想は人間にとって拷問具となる」(同2-22)とまで言っている。そしてその拷問の至る所は、まさに三番目の禁欲主義的理想である。自分を苛みながら、理念の世界での観想生活を夢見ることになる。ギリシャ哲学のストア派の禁欲主義である。キリスト教に見られる禁欲主義である。それは生を否定することであり、キリスト教と西洋文明のニヒリズムでもある。

このことはしかし、振り返ってみるに、身近なこととして経験させられる。ひとつは私たちが耳にする説教や伝道メッセージである。私たちが如何にだめなものであるのかを強調して、神の恵みを説くやり方である。私たちの罪意識を駆り立てて、キリストの十字架による救いを説くやり方である。その背後にはニーチェが指摘するように、どこかでどうにもならない自分の方がよいのだという思いが動いている。それゆえに神が負い目を取り除いてくれるといういやらしい思いである。それに対してニーチェは嫌悪感を感じている。しかし2千年の教会にとって当たり前のことになっている。

さらに信仰を持って一生懸命にやっているのに実際には惨めな思いに苛まれていて、どこかで神に対しての怒りを積み重ねていることがある。表面的にはクリスチャンらしく寛容に振る舞っているが、思い通りに行かないで後悔と反感を内側に深く抱えている。ルサンチマンの感情である。そのようなクリスチャンの働き人の姿を結構身近に感じる。どこかで自分のことのように思わされる。ニーチェの批判するキリスト教が自分のうちに宿っている。

反キリストとは誰か

それでは誰が反キリストなのかという問いに対して、ニーチェは逆説的に、それでは誰が本当のキリスト者なのかということで、その意味でストレートに語っているところがある。

もとに話をかえして、私はキリスト教のほんとうの歴史を物語る。——すでに「キリスト教」という言葉が一つの誤解である。——根本においてただ一人のキリスト者がいただけであって、その人は十字架で死んだのである。「福音」は十字架で死んだのである。この瞬間以来「福音」と呼ばれているものは、すでに、その人が生きぬいたものとは反対のものであった。すなわち、「悪しき福音」、禍音であった。「信仰」のうちに、たとえばキリストによる救済の信仰のうちに、キリスト者のしるしをみているとすれば、それは馬鹿げきった誤りである。たんにキリスト教的実践のみが、十字架で死んだその人が生きぬいたと同じ生のみが、キリスト教的なのである。(反キリスト39)

ただ一人のキリスト者が過去にいた。その人は十字架で死んだ。このニーチェの叫びに似た声明をどのように捉えるのが適切なのか、躊躇するところである。というのは、ある意味でのキリスト教の本来の姿をニーチェがどこかで思い描いているととれるからである。続く文章で次のように言っている。「今日そうした生は可能であり、ある種の人たちにとってはその上必然的ですらある。真正のキリスト教、根源的なキリスト教は、いかなる時代にも可能であるだろう、、、信仰ではなくて、行為」(同)としてと、説明を加えている。

「真正のキリスト教、根源的なキリスト教」がまだ可能であると言うことで、ニーチェが描いているキリスト教がどのようなものなのか、それこそ興味の惹かれるところである。しかし、ニーチェはそれを提示するかわりに、そこから離れてしまった「悪しき福音」に対しての批判に思いが向けられている。しかもその離れていくことになった元凶に対して批判の矛先を向けている。その誰かが「反キリスト」なのである。

それは誰か。ニーチェによればパウロなのである。すなわち、先の引用にあるように、本来のものから反対のものになってという「キリストによる救済の信仰」を生み出したのがパウロなのである。私たちには当然のようになっている信仰義認に当たることを、ニーチェはパウロによって導き入れられた最大の不幸と見ている。当然ルターの信仰義認論にも関わってくる。

ニーチェは元々文献学者であった。当時の支配的なギリシャ哲学のストア派とエピキュロス派の二元論の中で、パウロ自身が作り上げたキリスト教にすり込んだ二元論を見抜いている。キリスト教をそのような二元論で置き換えていったパウロを「天才」と呼んでいる。それはあの「ダマスコの瞬間」であったと言う。「彼はそのとき、『この世』を無価値たらしめるには、不死の信仰を必要とするということを、『地獄』という概念がやはりローマを支配するにいたることをーー『彼岸』でもって生は殺されるということを、とらえたのである。」(同58)

ただ一人のキリスト者が生きた生き方が信仰の対象になったときに、それは信じるこちら側の魂の救済が目的になる。そこに霊肉二元論が侵入してくる。「生の重心が、生のうちにではなく、『彼岸』のうちに、——無のうちにーー置き換えられた」(同43)のである。「パウロはあの全存在の重心をこの生存の背後にあっさりと置き移した、——『復活した』イエスという虚言のうちへと。根本においてパウロは救世主の生を総じて利用することができなかった。」(同42)

「キリストによる救済の信仰」は、このように「彼岸」を目指している。霊魂の不滅を求めている。それはプラトニズムが求めているものでもある。そしてプラトニズムが求めていたものがキリスト教によって大衆化されたのである。ただ私の魂の救いが目的になる。「霊魂の救い」はニーチェ曰く、「世界は私を中心としてめぐる」ことを容認している。「キリスト教がこのうえなく徹底的にこれを蒔きちらしてしまった。」(同43)そこにルサンチマンの感情が当然出てくる。しかし女々しいのである

パウロによって神もねつ造されてしまった。ニーチェの宣告がある。「パウロの創造する神は、神の否定なり dues, qualem Paulus creavit, dei negatio。」(同47)反キリスト、それはパウロであり、パウロに始まるキリスト教である。それは紛れもなく2千年来のキリスト教である。

ニーチェのキリスト教批判を超えて

ニーチェが見ているキリスト教は、明らかに、プラトニズム化されたキリスト教である。
二元論を元にした世界観である。感性よりイデアの世界を、肉の世界より霊の世界を、より善なるものとする世界観である。感性、肉の世界を悪と見なしていくものである。そこに「魂の救済」が入り込んでくると当然、感性、肉の世界を離脱してイデアの世界、霊の世界への帰還が目標になる。プラトニズムでは、それは「知」を通してなされる。グノーシス主義である。

ニーチェはこの枠組みがキリスト教神学の骨子になっていると見ている。キリスト教の神はイデアの世界での神であり、キリスト教の救いはこの世からの離脱であり、天国志向である。しかし現実のキリスト者の生活はその理想の世界には届かないで、その合間にルサンチマンの感情、憤慨と恨みと憤りの感情が支配してくる。それは不健康であり、病気である。ニーチェはそのような神の死の宣告することで乗り越えようとした。

ニーチェが亡くなったのは世紀の境目の1900年である。ニーチェの預言のように、1900年代ヨーロッパはふたつの世界大戦、そしてホロコストを通して西洋の神の死を経験する。2千年来のキリスト教の没落である。ヨーロッパでの出来事である。アメリカは観念としては「神の死の神学」を生み出したが、経験的には世界大戦後は特に福音派の興隆をもたらした。そこから遣わされた宣教師たちによって日本の福音派の教会が成り立っている。ニーチェの西洋のキリスト教批判を理解するのを難しくしている。しかし、アメリカではない、やはりヨーロッパの聖書学者、神学者によって、日本の福音派にも、ニーチェに始まるキリスト教批判を受け止めつつもう一度聖書理解を捉え直す動きが少しずつ広まっている。

イギリスの現役の聖書学者であり、歴史家でもあるN.T.ライトが、この批判を受け止めつつ聖書全体をイスラエルの歴史の流れで捉え直している。Simply Christian (2006)であえてひとつの章を「イスラエル」に当てている。そのはじめでエルサレムのホロコスト博物館を訪ねたときのことが記されている。そのようなことがキリスト教文化といわれるヨーロッパで起こったことを真摯に受け止めている。N.T.ライトの作業はプラトニズム化されないキリスト教を提示することであると言える。

ニーチェのキリスト教批判は神学者に向けられている。理念・理想の世界を追求しているがそれは「傲慢という神学者本能」(反キリスト8)であって、「万事に対してゆがんでおり、不誠実」で「癒しがたい虚偽の姿」(同9)と言って憚らない。神学を試みているものとして全面的に否定できない現実である。論理を操り、詭弁を弄してしまうからである。

ニーチェのもうひとつの神学者に対する批判がある。「神学者のいま一つの標識は彼らの文献学への無能力である。」(同52)そのとおりとしか言えない。ニーチェは元来古典文献学者であった。N.T.ライトは歴史学者であり、文献学にも通じている。そのことを思うとライトが提示していることはニーチェの批判にも耐え得ることが分かる。

キリスト教の立場から書かれた英文のニーチェ研究がある。ひとつは北アイルランドの神学者 Stephen Williams の The Shadow of the Antichrist (2006) で、もうひとつはホイートン大学の哲学教授 Bruce Benson の Pious Nietzsche (2008) である。興味深いことにふたりとも、ニーチェのキリスト教批判に応えうる聖書学者としてN.T.ライトをあげている。注目に値する。

信仰義認が聖書の究極の目的でないとするライトの理解に関してアメリカの神学者から批判が出た。そのことであるインタビューにライトが応えている。信仰義認だけであればそれは me and my salvation だけを求めているだけで、神と神の計画を見ていないと言っている。ニーチェが「霊魂の救い」は「世界は私を中心としてめぐる」こと容認しているということに当てはまる。哲学と神学は自己義認の世界だからである。キリスト教が自己愛の信仰になってしまっている。

おわりに

自己愛のキリスト教信仰とは矛盾である。しかし現実である。その行き詰まりを経験している。また多くの人が、クリスチャンに対して、教会に対してその矛盾を見抜いている。そして、クリスチャンホームの二世が親の信仰から離れてしまう。

また、ホロコストを経験した西洋の教会は文字通り死んでしまった。どのように再生させるか、まさに死活問題である。それはキリスト教のことだけでなく、西洋文明そのものの死活問題でもある。

それゆえにニーチェが消えることなく顔を出してくる。「いまさらニーチェ」なのであるが、「いまだにニーチェ」である。「真正のキリスト教、根源的なキリスト教」とは、とんでもない問いをいただいている。

JBTM