「アンセルムスの満足説は?!」2024年4月25日(木)

 贖罪論の教理としてのアンセルムスの満足説は正確には理解されないで歪曲されたままで今に至っていると言えそうです。端的にはその「満足」の意味合いが、アンセルムス自身が否定している「神の怒り」を宥めるという司法的な意味合いに取り替えられ、特に宗教改革以降救済論の基本的な理解として今日にまで受け継がれているといえるからです。17世紀のプロテスタント・スコラ主義の代表であるフランシス・トゥレティンから近年のJ.I. パッカーの贖罪論に見られものです。

 私自身もそのような理解の中で信仰を持ち、学び、伝道をしてきました。グスタフ・アウレンの『勝利者キリスト』に基づいて1991年にいのちのことば社の『新キリスト教事典』の「贖罪論」の項目を書きました。その『勝利者キリスト』でもアンセルムスは初期の古典理論より、合理的なラテン理論に傾いていると紹介されています。

 最近ではジョン・パイパーとN.T.ライトの間で義認論のことで議論がなされています。同時にマックグラスの2巻本の Iustia Dei で、聖書でのこのテーマでの記述と後々の教理としての贖罪論とは必ずしも連続性があるわけでないと指摘されています。

 10年前の千葉先生による信の哲学との出合いは、端的にはローマ書3章22節の「イエス・キリストの信に基づく」の理解に関してでしたが、まさにその節全体の理解として「神の義」と「イエス・キリストの信」の間の「分離のなさ」に関わり、その説明としての23-26節と捉えることによって、何よりも聖書としての贖罪論理解の原型を確認することになりました。それは「神の義」と「イエス・キリストの信」の協働作業としての24節で言われている通りの「キリスト・イエスにおける贖罪」なのです。

 そしてこの神とキリストの協働作業としての贖罪の歴史的な理解として、そのタイトル『クール・デウス・ホモ (なぜ、神・人)』が示しているように、アンセルムスが取り上げています。『信の哲学』下巻の第3部7章は「アンセルムス贖罪論における正義と哀れみの両立する唯一の場ー司法的正義とより根源的な真っ直ぐの正義ー」となっています。そして時機にかなったように友人がアンセルムスの岩波文庫版を送ってくださり、11世紀の名著を追うことができました。

 この文庫版ではラテン語の satisifactio がしばし「贖罪」と訳されていますが、千葉訳は「誉補償」「満足」としています。単なる司法的な意味での義よりも、神の創造のうちに見られる「世界の秩序と美」を伴う神が備えてる「誉」に関わる「満たし」としての回復をとらえていると指摘しています。そして『クール・デウス・ホモ』の1章15節で明記されているのです。

 このことに関連して罪は神の秩序の破壊に関わることで、それは罪の背後の悪の力からの解放に関わる神の義をアンセルムスが1章23節でとらえていることをさらに指摘しています。すなわち「満足」は悪によって破壊された神の義の回復なのです。司法的な意味での義の回復はその中に含まれても、一義的なものではないと観ています。

 この視点は『勝利者キリスト』のアウレンが古典理論としてとらえていることなのですが、アウレン自身がアンセルムスのこの視点を見逃してしまっていると言えます。まさに聖書全体の視点である創造と再創造のもとでの贖罪論理解のことになります。そしてそれは取りも直さずN.T.ライトの視点でもあります。

 教理としての贖罪論は変遷と混乱をきたしているのですが、テキストであるローマ書3章21-31節での贖罪の意味に戻って、教理としての贖罪論を方向付けていくときなのでしょう。

 上沼昌雄記

「『私はキリストとともに十字架につけられました』と言える贖罪論」2024年4月3日(水)

 先週受難週の瞑想としてローマ書3章21-31節が自分にどのように関わるのかを取り上げました。「神の義」と「イエス・キリストの信」に「分離がない」ことでなされた神の贖罪に自分がどのように結びつくのかを思い巡らし、キリストの信の歩みに私も導かれて、キリストとともに十字架にかけられたと言えることを記しました。その通りなのだという思いと同時に、何か落ち着かない思いが交差してきました。受難週の後半をその落ち着きなさがどこから来ているのか、さらに思い巡らすことになりました。

 一つ分かったことは、ローマ書のこの箇所は、信の哲学によって、神の側のことを語っているのであって、私たちのことは直接には取り上げていないということでした。先の「分離のなさ」の説明が23節から26節までなされているということでも、「私」のことは直接には取り上げられてはいないのです。「すべての人」を対象にしています。20節では文字取りには「肉なるものすべて」と明記しています。神の義の啓示は直接的には「すべての人」を対象にしているのです。

 さらに分かったことは、「イエス・キリストの信」の歩みに直接に関わっているパウロの言明はまさにガラテヤ書で取り上げられていることです。パウロの原体験として「私はキリストとともに十字架につけられました」と公言しているのです。この言明があってローマ書では個人的なことは傍に置いて、神の義の啓示を理に適った説得として提示しているのです。原体験と説得的説明の違いとも言えます。

 この関わりを逆にしてみると、理論的説明と応用編とも言えます。すなわち、ローマ書での神の側の完結した提示を、パウロ自身が応用編のようにガラテヤ書で体現したと言えるのです。時間的には明らかにガラテヤ書が先なのですが、ローマ書でのパウロの言明をガラテヤ書でパウロの直接的な体験としてその筋道を追うことができるのです。それで受難週の後半は、ガラテヤ書の流れを追うことに導かれたのです。

 実はすでに昨年の11月5日付で「ローマ書3章22節とガラテヤ書3章22節!?」ということでこの欄で書きました。今回はその前の2章19、20節が関わります。19節で直接に「私はキリストとともに十字架につけられました」とパウロが憚ることなく言明しているからです。その前に「しかし私は、神に生きるために、(信の)律法によって(業の)律法に死にました」と、明らかにローマ書で明記されていることを先取りのように語っています。ローマ書3章27節で「誇り」のことを取り上げ、それは「業の律法」ではなく「信の律法」によって取り除かれたと明記していることの先取りなのです。

 この言明に続いて20節で「私」を主語に「もはや私が生きているのではない、、、」と自分の立ち位置を明記しています。そして昨年の3月6日付で「ガラテヤ書2章の真剣勝負」として取り上げたように、このパウロの言明はペテロに向けられているとも言えるのです。むしろそのようにとることでこの箇所の息遣いがはっきりしてきます。「キリストの律法」によって「モーセの律法」に死んだので、すなわち「私はキリストとともに十字架につけられたので」「もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きている」と明言できるのです。

 パウロの頭の中にはローマ書で明記することになる神の義の啓示の構図は初めからあって、ペテロの行動を見た時に、それは神の福音に合わないことが分かり、先輩のペテロに遠慮なく「神の義」と「イエス・キリストの信」の「分離のなさ」の適用を述べたと言えます。その意味ではパウロは一貫しているのです。「私はキリストとともに十字架につけられました」と言える贖罪論はパウロの基本線として初めから生きていたのです。

 上沼昌雄記

「受難週にキリストの歩みに導かれて」2024年3月27日(水)

 先週末に70歳代の最後の誕生日を迎え、今週は受難週を迎えています。プロジェクトのWEBサイトの自己紹介で高校生の時に信仰を持ったことを語りました。プロジェクトの中心的な聖書箇所はローマ書3章21-31節です。そのテキストの文字通りの理解に接して、その意味合いを自分自身に照らして見る作業をいただいています。

 この箇所の中心的なことは、22節の「神の義」と「イエス・キリストの信」の「分離のなさ」です。私のために、私の罪のために、父なる神と子なる神であるキリストが神のドラマとして救いの道を開いてくださったことです。端的に、キリストが私の罪を負ってあの十字架で死にまでも従ってくれたのです。すなわち、キリストが私の罪を身代わりとして負ってくださったのです。私自身が掛かるべき十字架をキリストが負ってくださったのです。

 肉にある者は罪を犯します。同時に肉になければ存在もしないのです。肉にあるので欲もあり楽しみもあります。しかし、肉にある限り神を喜ばせることは叶いません。律法が与えられていてもそれを全うすることもできません。神の民であるイスラエルは神の真実から逸れて不真実の中を歩んできました。旧約聖書の世界です。それでも神の真実は変わることがなかったのです。

 それで、律法は神の律法なのですが、律法にはできないことを神ご自身がしてくださったのです。御子であるキリストが私の罪を負って、十字架の死までも従ってくださったことで、罪のないその肉で私の罪の処罰もしてくださいました。キリストのその真実な歩みを神ご自身が受け止めてくださり、私をも受け止めてくだったのです。罪許された者として父なる神が私をも迎え入れてくださいました。十字架で神が私とも出会ってくださったのです。

 まさにキリストが十字架の死まで従われたその真実のゆえに、キリスト・イエスにおいて神の贖いがなされたので、神の義を無償の贈り物として受け止めることができるようになりました。神ご自身が律法によってはできなかったことを、御子であるキリストの信を通してなしてくださったのです。しかもその十字架を神ご自身が私たちと出会ってくださる場として提供してくださったのです。

 歳とともに今までの自分の罪を思い出します。そのことでの悔いはつきまとってきます。その意味での罪意識は最後まで残るのだろうかと自問もします。自問だけして同じように歳を重ねている同僚にもあえて尋ねたこともないのです。それでも分かることは、イエス・キリストの信のゆえに、十字架で神が私と出会ってくださり、私も十字架で神と出会うことができることです。そのことを信じる信仰を頂いています。自分の信仰の強さでも篤さでもないのです。ただイエス・キリストの信への信頼によることです。

 これはただ恩恵による無償の贈り物なので、自分の信仰生活が長いからとか、恵みに生かされているからと言って、誇る必要もないことです。もし誇ることになれば信仰自体が自分の業になってしまいます。それ以上に、イエス・キリストの真実の歩みを無にすることになります。できることは、そのキリストの真実の歩みに倣って少しでも真実の歩みを慕うことなのでしょう。そうすることでさらにモーセの律法自体がが神からのものであることを確認することになるのでしょう。そのことも神の義の現れなのでしょう。

 神の義とイエス・キリストの信の分離のないことで、不思議にそのキリストの真実の歩みに自分自身も含まれている実感をいただいています。神の側の贖罪の業にキリストが招いてくださったのでしょう。身代わりとしてのキリストが十字架の道を歩んでくださったことをより身近に感じる受難週です。

 上沼昌雄記

「聖アンセルムス『クール・デウス・ホモ』」2024年3月18日(月)

 昨年の暮れにかけて、村上春樹の新刊『街とその不確かな壁』を日本から送ってくださった大阪の友人の医師が、この3月の初めにご自分の専門領域の医学国際会議がフロリダであり参加するので、日本から希望の本を購入してフロリダから送ってくださるという申し出をいただきました。嬉しい申し出で、アマゾンの日本語書籍の聖書と哲学の関係の項目をしばらく漁って、遠慮なしに3冊の文庫版と2冊の新書版をお願いいたしました。そして先週無事に届いたのです。

 文庫版の一冊が岩波文庫の聖アンセルムス著『クール・デウス・ホモ』なのです。文字通りには「なぜ、神、人」なのでしょう。アマゾンのリストに載っていたのですが、多分古本になるのだと思っていたのですが、事実大阪の古本屋を通して購入してくださったものです。それでも手元に届いて驚いたのですが、1989年発行ですが、手垢も書き込みも全くない新品同様なのです。神様が私のために今まで取っておいて下さったような感覚を頂きました。

 聖アンセルムスはカンタベリーの大司教で11世紀から12世紀の初頭にかけて『モノロギオン』『プロスロギオン』『クール・デウス・ホモ』の三部作を書き上げていて、中世スコラ哲学の父とも言われています。神学と哲学に関心を持って今まで学んでいるのですが、アンセルムスの存在は、何か高貴な精神と混じり気のない光を放っているようで惹かれるものを感じてきました。

 神学は聖書からその神学体系を築いているので、他の神学を同時に聖書的でないと言って引き下ろす論法を展開します。そのために厳しい、場合によっては醜い議論を展開します。アンセルムスはそのような手法を一切使わないで、与えられた理性だけで神の存在と神の贖罪を論じることを試みています。前者が『プロスロギオン』で、後者が『クール・デウス・ホモ』なのです。

 『プロスロギオン』も岩波文庫で出ているのですが、戦中の1943年に定価40銭となっている古本を持っています。こちらはボロボロです。ともかくいつか紐解くことになるかもしれないと言う思いがあって、ある時点で『モノロギオン』を入れた三部作のラテン語テキストを取り寄せてもいました。その続きでこの三部作の英訳が今週中にAmazonから届くことにもなっています。

 信の哲学の提唱者の千葉先生にお会いしてから10年になります。北大の古い建物の古河講堂の研究室にお尋ねしてローマ書3章21-31節の「神の義」と「イエス・キリストの信」の「分離のなさ」から導かれる神の贖罪のことを厚く語って下さっているときに、アンセルムスがそれを理性だけで弟子のボゾと対話をしながら展開している最後で、そのボゾが感銘して応えている箇所を、私に声を出して読むように言われたのです。その時点では今ほどにはその結びつきを把握していなかったのですが、今回私なりにテキストとの格闘をいただいて、そのボゾの歓喜と同時に千葉先生のその時の喜びが伝わってきました。以下がそのボゾの件です。

 <ボゾはこれらの長い対話の終わり近くで、信じうることそれ自身が喜びであることを表白するが、それは信が明確なロゴスをもっていたことの認識からくる喜びである。「何もこれ以上理に適うものはなく(nihil rationabilius)、何もこれ以上甘美なるものもなく、何もこれ以上、世が聞くことのできる望ましいものはありません。私はこのことから、わが心がどれほど喜びにあふれているかを語ることができないほどの信を抱きます。といいますのは、神はこの御名のもとにご自身に向かういかなるひとをも受け入れたまわないことはないと私には思われるからです」(II19)。>(『信の哲学』下巻260頁)

 『信の哲学』の下巻の7章には次のタイトルが付いています。「アンセルムス贖罪論における正義と憐れみの両立する唯一の場ー司法的正義より根源的な真っ直ぐの正義ー」。この箇所を頼りに『クール・デウス・ホモ』のアンセルムスの澄み切った信仰と理性を追うことが許されています。神学と哲学を自分なりに追い続けてきた道を神ご自身が整えて下さっているような感覚を頂いています。

 このような出会いを頂いて10年になります。その間義樹が関心を持ってThe Faithfulness Projectに取り掛かり、そのウエッブサイトを通して英語圏に紹介をしています。それなりに内容豊かな中から、週ごとにポイントを合わせて、その一部をフォーラムのように再提示しています。今週はまさに千葉先生との出会いがどのようにプロジェクトとして展開していったのかを紹介しています。6分ちょっとの短い動画です。今に至ることになった事始めです。About the Project (thefaithfulnessproject.org)

「神の義とイエス・キリストの信の分離のなさ」2024年3月11日(月)

 今回英語でのプロジェクトのウエブサイトの発信と同時に、日本語でのローマ書3章21-31節のテキストに沿っての説明の動画を発信することが出来ました。同郷の長年の友人の牧師が以下のレスポンスをくださいました。

「お久しぶりです。お元気そうでなりよりです。
今朝は余裕ができましたので、早速youtubuで先生の千葉先生の「信の哲学」
に基づく、ロマ書の講義を視聴しました。
神の義とキリストの信の分離がなされていないとの千葉先生のご指摘は
目から鱗が落ちたようで、大変感銘深く視聴することが出来ました。
神の義がキリストの信を介して成就し、しかも、それが同時に私達の信仰(からしだね一粒、幼子の信仰)によって、私達に恵みとして与えられたことを
原文に忠実に読み解くことによって理解することができ、大変幸いな時間を持つことができました。
ロマ書3章が神の義の啓示が神の側として啓示されているとの理解が、神がキリストを介して啓示された福音の本質であることに、言葉では言い尽くせない感謝する一時でした。ありがとうございます。
これからもご活躍を期待しています。在主」

 私たちの間では、22節の「イエス・キリストの信による」ととるのか、従来通りに「イエス・キリストを信じる信仰による」ととるのかが論じられているのですが、信の哲学がテキストの理解から提唱しているのは、前者ととることで初めて、その後から26節まででのパウロの言説の理解に至ることができるということです。動画でもできるだけその視点で解説したのですが、同郷の友人が受け止めてくれたことに大きな励みを頂きました。

 特に23節から26節は一文で書かれていて、なぜ神の義とイエス・キリストの分離がないかの説明になっているという理解のもとに、テキストに沿って克明に解きほぐしていくことで、内村鑑三も解明できなかったと言われ、ケーゼマンにして最も難解で不透明な箇所と言わせたこの箇所に初めて光をいただくことが出来たのです。

 これは、信の哲学の提唱者の千葉先生がテキストへの長年の試行錯誤の結果初めて明確にされたことです。英語でのウエブサイトで今回のプロジェクトの主眼点であることを明記しています。「聖書」の項目で、Our Claim「私たちの主張」で千葉先生が述べています。

 実際に23-26節は、神の義とイエス・キリストの信に分離がないことのゆえに、神の側のこととして福音が成り立ち、それをパウロが慎重に提示しているのです。友人もそのことを納得してくださっています。従来の「イエス・キリストを信じる信仰による」となると、神の救いの業に初めから私たちの心情的な信仰理解が入り込んでしまい、混迷をきたしてきました。この箇所は取りも直さず、私たちの信仰の前に神の側でなされた福音の啓示のことなのです。さらに、神の義とイエス・キリストの信との間には「分離がない」とは、神と御子であるキリストとの共同の業としての福音の提示である事を語っています。

 この箇所は、歴史的に贖罪論、義認論として論じられてきました。このテーマについてこの箇所がどのように語っているのかをさらに一緒に学べればと思い、今回の動画の発信元である関西の牧師にその希望を出しました。二ヶ月ほど先の日本時間5月15日(水)午後1時半から3時と予定を組んでくださいました。

 かつて『新キリスト教事典』(いのちのことば社、1991年)で「贖罪論」の項目を書きました。今回その続きになりますが、特にローマ書3章21-31節でのテキスト理解に沿って贖罪論を確認し、すでに神学諸説となっているこのテーマの原型を少しでも浮き彫りにできればと願っています。

 上沼昌雄記

「ミニストリーと IT(情報通信技術)」2024年3月5日(火)

 過ぎる2月の後半に、長年取り掛かってきました英語でのThe Faithfulness Projectのウエブサイトの公開を果たすことができました。時を同じくして日本での学び会にズームで参加して、ローマ書3章21-31節のテキストに沿った文字通りの理解の可能性を話すことができ、その動画が発信されました。このタイミングは計画したわけではないのですが、ウエブサイトの最終調整の遅れで、逆に時を同じくして日英両語でのコンピュータ発信を果たすことになりました。以下で観ることができます。

ウエブサイト: thefaithfulnessproject.org
日本語動画:  https://youtu.be/FLkQuZEbwrM

 今回のことを通してミニストリーと情報通信技術の関わりを思い起こすことになりました。35年前に家族でカリフォルニアに移り住み、その2年後から山の教会の宣教活動としてミニストリーを始めました。その時点でアップルの箱型のコンピュータを思い切って手に入れました。「三位一体の神」のことなどについて打ち込んで、プリントアウトして、それをバインダーで小冊子にして配布する作業を、ミニストリーの一環として始めました。

 今回の英語のプロジェクトを計画、実行することになった義樹が、高校を卒業して海軍兵学校に入った時点でEメールでの通信が可能となりました。何日もかかる日本とのやりとりが、一瞬のうちにできることに驚いたものでした。その時点でミニストリーの一環として「ウイークリー瞑想」を書いて日本の皆様に送ることができることが分かり実行しました。それは今に至るまで続いていて、ミニストリーの大切な働きとなっています。

 それでも情報通信技術の進展にはついて行くのが出来ず、自分のできる範囲でのことで留まっていました。ただ子供たちが最新技術を苦にしないでこなしながら仕事についていることにただ感心をしていました。今はさらに次の世代の孫たちが難なく先端技術を駆使していることに目を丸くしてみているだけでした。

 それが今回プロジェクトが始まり、ウエッブサイトの作成と話が進み、先端技術に関わることが避けられなくなりました。専門家によるビデオ撮りも、自分達だけでのビデオ撮りもどうなるか心配しながら臨みました。ズームの勉強会での発表も恐る恐るでしたが、なんとかこなすことが出来ました。同時にこの手立てを用いてのミニストリーの進展をできるところで積極的に取りかかることが求められているのだろうと言い聞かせてもいます。

 コンピュータで新しいプログラムに取り掛かることにいつも躊躇いがあります。同時に福音の発信をこのような手立てで、しかも新しい視点で発信することが、求められているのだと、この歳になって言い聞かせているのです。

 上沼昌雄記

「The way of Christ, our way forward/キリストの道、私たちの進む道」2024年2月13日(火)

 4年越しになる英語でのプロジェクトであるThe Faithfulness Projectのウエッブサイトの完成を間近にしています。10年前に千葉惠先生のローマ書のテキストの読みである意味論的分析によるローマ書3章21-31節の理解に接して、家族にその経緯と意味を語っているうちに、義樹がその意味合いは生活にも、家庭にも、そして仕事にも適用でいると受け止めて始まったプロジェクトの、その第一段階としてのウエッブサイトが試行錯誤を経て、最終段階に至りました。

 それに合わせて、ウエッブサイトに今までまとめてきた標語やロゴや文章やビデオ対談を、確認のために観ています。その作成に、義樹と同じように東久留米のクリスチャン・アカデミーで学んだことのあるその道の専門家を備えてくださり、やりとりをしながら取り掛かりました。大枠ができてからは、自分達でビデオ撮りをして載せることもできるようになりました。特に東京の千葉先生とカリフォルニアの私とシカゴ郊外の義樹との鼎談は数回にわたって載せることができました。

 そのような経緯を思い起こしているのですが、ウエッブサイトの最初のページにこのプロジェクトの標語として The way of Christ, our way forward を掲げています。そのためにいくつかの可能性を取り上げ、最終的にこの標語に至った経緯を思い起こしています。日本語では「キリストの道、私たちの進む道」となるのでしょう。イエス・キリストの真実な歩みが、神の義の啓示を可能にし、そのキリストの歩みに私たちも習うのです。具体的な場面として、Scripture/聖書、Life/生活、Church/教会、World/世界の四つの場面で取り上げるようにしています。

 この画面の左上にプロジェクトのロゴが見えます。十字架を囲んでの父と子と聖霊の三位一体の神と、その十字架の下にいる私たちを描いています。十字架の道まで忠実に歩まれたキリストと、それを上からご覧になっている父なる神と、そのことを私たちに教えてくださる聖霊と、それを受け止め、それに従って歩む私たちをロゴとしてまとめました。そのことを語り合い、さらに上手にまとめてくださったプロセスを思い起こしています。

 画面をスクロールしていただくとミシガン湖脇のシカゴ全景を観ていただくことができます。さらに、そのミシガン湖の脇でこのプロジェクトのイントロを語っている義樹のビデオがあります。さらに画面をめくっていただくと、10年前の千葉先生との出会いと、それぞれの自己紹介が続きます。この場面での千葉先生のビデオ撮りは、義樹家族が昨年日本旅行をした折に撮ったものです。このプロジェクトの背景になるローマ書3章21-31節のテキストと、その分析から導き出される意味合いを、千葉先生の英語論文で読むことができます。この面での研究をされている世界の学者にも届くことを願っています。

 ともかく、学術の一線でローマ書をテキストに沿って理解されてきた千葉先生と、ビジネスの一線で仕事をしている義樹の間を、結果的に結びつける役割をいただいているだけなのですが、ここまで導かれていることに驚いてもいます。プロジェクトがどのように用いられるのかは神のみ手のこととして委ねていきます。ただキリストの道に少しでも従って歩みたいと願います。

 上沼昌雄記

「宣教師姉弟たち」2024年2月5日(月)

 ブレア先生とアシストのお嬢さんと私たちだけでのランチの時の会話のことを書きました。次の日の夕方には、ルイーズのすぐ下の妹夫婦とその次の妹と一緒にブレア先生とお嬢さんと夕食を兼ねて語らいの時を持ちました。どのような会合になるのか半分興味深い思いで参加しました。

 メインの食事が終わって、デザートになりかけた時に、ブレア先生が私に向かって、どのようにして信仰を持ったのかと尋ねてきました。高校生の時に故郷の前橋で宣教師によるバイブルクラスに友人に誘われて参加するようになったことからお話をしました。ヨハネ福音書からイエスの語られた「私は道であり、真理であり、命です」に惹かれたのです。ブッダは真理は天にあると指差しているのですが、イエスはご自分が道であり、真理であることを語っているのです。そのイエスを信じるようになり、それが今でも自分の基盤であることを語りました。次に反対のテーブルに座っていた義弟にも同じ質問をされました。

 それからルイーズから始まって、二人の妹たちにも同じ質問をされました。食事の時の時効の挨拶のような和やかな会話から一転して、何が飛び出してくるのかわからない思いで、皆が一斉に関心を持ち出し好奇心に満ちた雰囲気となりました。ブレア先生はこのように、人の心に寄り添うような会話を導き出しておられるのだなと思いました。

 ルイーズ自身の信仰のことは何度か聞いていたのですが、二人の義姉のことは聞くことがありませんでした。ブレア先生の上手な誘いで、それぞれ幼い時にすでに信仰の決断をされていることとを認めているのですが、同時に何か言い切れないというか、どのように語ったら良いのかわからない躊躇いを含めたような言い回しをされたのです。その分それはなんなのだろうかと、勝手な想像を働かせる事になりました。

 次の日に一日の距離のドライブをして家に戻る時にルイーズに、前日の二人の義姉の発言の内容について私なりの感想を述べました。あの発言の意味はこういう事なのかと問いかけました。ルイーズが13歳の時に4番目の弟を入れて家族で船で日本に渡ったのです。ルイーズはすぐにクリスチャン・アカデミーでの寮生活に入ったのですが、下の二人の妹は両親の日本での宣教師としての大変さを肌で感じて成長してきたこと、それに適合するような信仰生活を送ってきたことを語ってくれました。すなわち、両親を助けるための人生という面を今でも引きずっているというのです。

 この十数年両親の面倒見に私も参加してきましたので、ルイーズの説明に納得しました。両親の歩みというか、信仰の姿勢と、宣教師の開拓の大変さに寄り沿うような信仰生活に自分を合わせて今まで来たのかも知れないと思わされたのです。義姉たちのブレア先生の質問に対しての返事で分かりきれなかった面を知る事になりました。

 それは同時に、そのような宣教師としての親の信仰に当然ついていけなくて反発してきた宣教師姉弟たちも多くいるのことも知らされています。そのような親に対する反抗を持っていたアカデミーの卒業生もブレア先生には正直に自分の思いを語っていたとルイーズが説明してくれました。親の信仰に習うように信仰を持っても、同時にその親の生き方に反発をしてきた牧師姉弟、クリスチャン二世のことを思います。

 ブレア先生は質問を出されたのですが、指示は出しませんでした。ただ会話のどこかで、宣教師や牧師が、家の外で語り行動していることと家の中で家族に接していくことに一貫性があることが大切であると、ご自分に言い聞かせるように語られたのが、印象的でした。その一貫性はルイーズの両親にも見ることができたのです。

 上沼昌雄記

「ブレアー先生 !!」2024年2月2日(金)

 ルイーズの東久留米のクリスチャン・アカデミーの高校生の時の先生であり、同時に東久留米の久留米キリスト教会の創立者で、3年間ほど協力牧師として一緒に奉仕させて頂いたブレアー先生が、カリフォルニアのそのアカデミーの卒業生を訪問されるということで、私たちもロス郊外の両親の家の整理も兼ねて、ルイーズの二人の妹とアレンジして、最初私たち夫婦だけで、昨日ランチを兼ねて、ブレアー先生とアシストをされている娘さんと語り合う時をいただきました。

 正直すでに90歳の半ばを過ぎておられるので、うまく会話ができるのか不安でしたが、2時間半のランチを挟んでのやり取りはむしろ大変な刺激を受けることになりました。この5月には98歳になられるというのですが、私のことも心配してくださり、数年前のアカデミーの同窓会ではN.T.ライトの話をしたことも覚えていてくださいました。実際にライトのいくつかの本を読んでおられるのです。

 そのライトの話が出てきたので、私も遠慮なく、ローマ書3章22節の訳のことから、北大のアリストテレスの哲学の教授で無教会の関係の千葉先生のローマ書理解のことを説明することになりました。関心を持って聞いてくれました。同時のその箇所の「イエス・キリストの信による」のことから、ブレアー先生も義樹のことを覚えていてくださり、今彼の主導で The Faithfulness Project が始まっていることをお伝えすることになりました。関心を示してくださり、間もなくウエッブサイトが出来上がるので、お見せする約束にいたりました。

 ブレアー先生は70歳で日本での宣教師としての働きを退かれたのですが、健康なので次の10年間の奉仕を祈っていたときに、ウクライナの聖書学校での奉仕が与えられ、結果的に22年間の奉仕されたのです。さらに健康が許す限り、アカデミーの卒業生を訪問されることを務めとされておられるというのです。

 そのような長い間の奉仕をされて来られたことに、ルイーズが遠慮なしに、その間の変化とか、教会の在り方についてのご意見を伺いたいということから、大変なテーマに触れることになりました。そんな面倒なことには触れたくないというのではなくて、私たちの福音理解が宣教師である親から伝わらないでそれに反発してきた子供さんたちのことを気にされておられるのです。それでそのアカデミーの卒業生を訪問されておられることが分かりました。

 さらに、その福音理解のことがこのアメリカの福音派の政治との関わりにもみられることにまで触れることになり、そのことに関してもしっかりとご自分の見解を述べられたことに驚きました。ルイーズも納得しながら自分の意見を述べ、ブレアー先生が受け止めてくれていることに、大きな励ましをいただいていることが分かりました。

 結論的に、ローマ書3章22節の伝統的な理解である「イエス・キリストを信じる信仰による」ということから、こちらの信仰体験が福音理解に投影されて、そのリーダーの理解がカルトのように信者を縛り付けてしまうことになるのではという私の意見にも同意してくださいました。結局は「信仰の自由」に関わることだとブレー先生が2時間半の会話をまとめるように、背筋を真っ直ぐにして述べられたのです。

 ロス郊外も大気の影響で雨降りで始まったのですが、会話を終える頃には雨も上がり、午後には晴れ間も見えるようになりました。その間ブレアー先生との思いがけないテーマに進展した会話を思い出し、思い巡らしながら、時を過ごしました。

 上沼昌雄記

「『街とその不確かな壁』の作者は ! ?」2024年1月26日(金)

 昨年の暮れに大阪の友人が村上春樹の新刊『街とその不確かな壁』を送ってくれました。それなりに忙しかった年末年始の合間に何度か読んだのですが、この小説の流れを捉え切れていない思いがあって、めくり直して読み返すことになりました。特に「あとがき」が付いていて、40年前に書いた短編小説の書き直しであることが記されています。端的に今回の書き直しで作者が、不遜な言い方なのですが、何を達成されたのかなという思いが私の中で繰り返し出てきているのです。

 作者が31歳の時に書いた短編小説を、40年経って71歳の時に、パンデミックで閉じ込められている状況で新たに書き出したというのです。聖書の世界に親しんでいる者には40年というのは不思議な意味をもたらすのですが、作者にもそれなりの意味を持っていることが分かります。同時に「あとがき」でも触れているのですが、その短編小説を基してして5年後に『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』という小説を書いたことにも触れています。

 それは章ごとに向こうの世界とこちらの世界が展開しながら最後に結びついていくもので、作者が36歳の時に書いたことを後で知り、驚いたのを覚えています。向こうの世界、意識を超えた「世界の終わり」の凍りついたような世界の描写に信じられない想いを抱いたのを思い起こします。その書と新刊は今私の隣に他の聖書関係の書物の上に積み重ねられているのですが、今回はその書は一切開かないことにしています。ただその凍り付くような世界でダニーボーイの歌が一条の光をもたらす場面をよく覚えています。

 しかし今回の小説は、その壁に隔てられた向こうの世界とこちらの世界の境目がまさに「不確かな壁」で遮られているだけであることを、登場人物が語り、実際にそのように展開しているのです。確かな壁で誰もそれを超えることができないと思い込まされているだけなのです。実際にはその行き来が繰り返されることで、物語が展開しています。そのために、その行き来がいつどのように起こったのかはあえて取り上げられないで展開しています。何度か読み直しているうちに多分そうなのだろうと分かってきました。

 同時にその行き来のことで、まさに意識とは何か、心とは何か、魂とは何かと登場人物が取り上げなければならない場面が展開しています。それこそまさに作者自身が様々な場面で考え、取り上げてきたテーマなのであろうと納得するのです。蓋が閉じられた真っ暗闇の枯れた井戸の底で主人公の奥様が家を出ていくことに気づいていくことが100ページ近くの渡って記されている小説で、一気にこの作家への関心を頂いたのです。今回の新刊でもその繋がりを認めることができます。作者なりに一貫したテーマを持っているように思えます。この意識とは、心とは、魂とはの死者と主人公とやり取りが、290ページ以降で出てきます。その流れで「詩篇」の「人は吐息のごときもの、その人生はただの過ぎゆく影にすぎない」が出てきます。

 僭越な言い方ですが、『街とその不確かな壁』の作者は、40年経って書き直された今回の作品で長年のテーマをそれなりにまとめ上げたのだと思います。それは読者である私自身がどうして村上春樹の小説に結構長い間首を突っ込んできたのかを納得もさせてくれます。実は思いがけない形でこの作家の本を読むようになったのです。そして更に思いがけない形で繋がりを持って今に至っています。意識とは、心とは、魂とは、そのままの問いを投げ掛けながら、聖書にも対面しています。

 上沼昌雄記

JBTM