「ユーレカ (見つけた!)」2018年5月8日(火)

 カリフォルニアには「ユーレカ」という町やストリートがあります。ウィキペディアでは次のように記されています。「Eureka(エウレカ)はギリシャ語に由来する感嘆詞で、何かを発見・発明したことを喜ぶときに使われる。古代ギリシアの数学者・発明者であるアルキメデスが叫んだとされる言葉である。」素晴らしい意味合いの表現ですが、カリフォルニアでは1849年のゴールドラッシュで、金を「見つけた!」という感嘆詞が由来となって使われています。

 探し求めていたものをようやく見つけ出した時の喜びがこの言葉にはあります。古代ギリシャの学者が自然の成り行きを見つけ出し、そのシステムを言葉で言い表すことができた喜びが伝わってきます。私たちの住まいの近くでは未だに金を探し求めている人たちがいます。見つけたときの喜びは想像できます。

  ユーレカは「見つけた」で過去形なのですが、現在形でパウロがローマ書7章21節で使っていることが分かりました。すでに書かれているのですが、この言葉が使われていることを「見つけた」感じがしています。新改訳では次の通りです。「そういうわけで、私は、善をしたいと願っているのですが、その私に悪が宿っているという原理を見いだすのです。」多分もっと短く次のようにも言い表せます。「そのように、善をしたいと願っている私に、悪が宿っている律法を見つけます。」
 律法は善なるもので霊的なものであって、それを行いたいという願いはあっても成し遂げることができないで、逆に願っていない悪を行ってしまう自分に気づいて、「自分のうちに、すなわち、私の肉のうちに」(18節)悪が宿っている律法を見つけるのです。「律法」は新改訳では「原理」、新共同訳では「法則」となっているのですが、すぐ後に何度も「律法」のことが出てきますので、それに合わせて「律法」と理解して、しかも23節には「罪の律法」と出てきますので、その意味で取ることができます。
 この意味での律法を見つけるのですが、どこで見つけるかというと「善をしたいと願っている」自分のうちにおいてなのです。自分のうちは、自分の肉のうちなのですが、次節では、さらにその肉のうちの「内なる人」としては「神の律法を喜んでいる」からと語っている、その内なる人を見つけるのです。私にうちに悪が宿っているのですが、さらにそのうちに「内なる人」として神の律法を喜んでいることを見つけるのです。
 この7章での著者であるパウロの語りの筋を追うのは簡単なことではないのですが、この箇所でそれまでの語りのまとめをしているようで、特に「見つけます」と言い切ることで、探し求めていた自分のうちの葛藤の理由を言い当てているかのようです。見つけなければ、そのまま闇に覆われてしまって、そのままで終わってしまうのですが、見つけたことで、そこから抜け出すことができたのです。
 ここでは「見つけます」と現在形なのですが、私たちもどこかで過去形で「ユーレカ」と感嘆詞をあげたように、罪と悪に支配されたままではなく、神の律法に喜んで向かっていく「内なる人」がいることを見つけて、驚き感謝したことです。そこに聖霊が働いて「内なる人」が日々新たにされることを経験できるからです。その喜びの源泉がこの節から伝わってきます。
 上沼昌雄記
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「心魂の内奥に何が生起するのか」2018年4月12日(木)

 これは千葉先生の新刊『信の哲学ー使徒パウロはどこまで共約可能か』(上下巻)の第二部4章「パウロの心身論」の副題の表現です。「内奥」を「ボトム」とも言い換えていますが、私たちの内面の深くで起こっていることの探求であるることが分かります。「信の哲学」と呼ぶ意味合いもそこにあるのでしょう。身体を持つ誰でもが、自分の内面深くで起こっていることに関心があるので「哲学」の可能性が出てくるからです。
 御著書を送っていただいて全体を見回しながら「信(ピスティス)」を哲学の対象とされる千葉先生の意図を少しでも理解したく思いました。私の中には「心魂の内奥」はまさに「闇」ではないかという叫びがあります。この時期に7年前に書き上げたヨナの怒りの原稿を出版してくださる話があり、ヨナがあの魚の腹の中で過ごした闇の記述を何度か読み直しました。一度研究室にお訪ねしているときに、そこはもうどうにもならない世界ではないのでしょうかという私の発言に、千葉先生が真顔で、もっと知的にならないといけないと言われました。
 そんなことがあって、原稿の段階からこの心魂のボトムでの記述に関心を持ってきました。書物として受け取ってからこの4章に至るには、2章でのアリストテレスの『魂論』の展開を確認しなければと思い、しばらく格闘しました。その2章の副題も「不可視なロゴス『魂』の探求」となっています。目次から分かるのは、「魂の根源的態勢」としてアリストテレスの「実践知」とパウロの「信」の関わりの解明になりますが、私の説明能力を超えています。
 それでも分かることは、パウロが「信」を心魂の内奥の根源的態勢をと見なすとしても、その前に「神のピスティス」と「イエス・キリストのピスティス」が神の啓示の自己完結性としてあり、その上で、それに対応するものとして「私たちのピスティス」が分節していることです。その上で総合が次の課題です。この分節を明確にした上での「私たちのピスティス」の心魂のボトムでのあり方の探求なのです。そうでないとこちらの心的動きが優先してしまって、その投影としてテキストを読み込んでしまうからです。アウグスティヌスもルターもそれぞれ内面の信仰理解はずば抜けているのですが、先の分節なしに、テキストを読み込んでしまっていると言えます。
 千葉先生は「神学的枠組みの密輸入」と呼んでいますが、それを避けるための手立てはテキストそのものの解明にあるとします。神のピスティスの解明をし、その上でパウロのピスティスがどのように対応しているかをテキストに沿って解き明かす作業です。こちらの心の動きとは関係なしにと言えるのですが、テキストの解明によって明らかにされるパウロの心魂のボトムでのあり方は、不思議にこちらの心に反響して、納得を与えてくれます。それが知的な作業であると言われたのだと思います。
 千葉先生の書の3章はローマ書1-4章、4章はローマ書5-8章の言語分析です。この4章の初めで、3章を踏まえての展開をまとめています。「これまでの言語分析の成果を踏まえつつ、パウロにおける心魂の様々なエルゴン(働き)に対する言及の分析を通じて、はたして信が心魂のボトムにおいて遂行される神に対する根源的な信任、移譲行為であり、さらにそこから相互の愛や神の観想に至る一切の秩序ある生が生み出されうる魂の根源的態勢であるのかのさらなる探求に向かう。さらに彼の独自の主張として、叡智や霊の刷新がそこにおいて生じる「内なる人間」が提示され、通常の心身論の対象である身体をかかえた自然的存在者の生の原理としての肉を秩序づけるとするが、その統一理論がいかなるものであるかを探求する。」(上巻624頁)
 具体的にローマ書7章での言語分析には今までにない視点が展開されます。「律法」、「肉」、「私」、「うちに住む罪」、「内なる人」、「心(ヌース)の律法」、「罪の律法」、「みじめな人間」とパウロが言い放つ心魂のボトムの発語には細心の注意を払う価値があります。こちらの心魂が対応していくからです。
 上沼昌雄記

「長雨の後に」2018年4月8日(日)

 ここ北カルフォルニアでも「長雨の後に」という言い回しが珍しいほどに、一昨日金曜日は一日雨が降り続きました。日本での梅雨時の雨降りを思わせるものでした。昨日土曜日の朝まで降りしきりました。午後からは待っていましたとばかりにカルフォルニアの太陽が出てきて、気温も上がってきたようでルイーズと散歩に出ました。
 住まいの下の方に雨降りの時だけ水がたまる池があります。下の方から漏れていくので夏場は枯れてしまうのですが、この長雨の後は、池はあふれていました。その情景を観るのも散歩の目的でした。同時にその池の脇で誰かが、近隣から出てきた枯れ木を燃やしていることが、立ち上る煙から分かりました。池のさらに下方に流れている小川が長雨の後であふれるほどであることを確認して、たき火のところに戻ってきました。
 昨年の3月20日付けで「陽気に誘われて近隣と立ち話を」という書いたのですが、その近隣のスティーブが山のようにたまってきた枯れ木を燃やしていました。冬の間は余り会うこともなく、彼のお母さんのことを心配していたのですが、話が始まった途端に焦燥しきった感じで、お母さんの死に面してのお父さんと家族の対応を事細かに語り出しました。すでに50歳代に達しているスティーズの話にはいつも父親のことが出てます。父親に認めてもらいたいという強い願望と、父親からの精神的に暴力的と言えるほど拒絶です。
 話し上手というか、ともかく身振り手振りで、お母さんの死の日の出来事、その場で父親から浴びせられた罵声、スティーブの一人息子の前での父親の態度、どの場面でも、彼がどれほど父親に認められたいのかが分かり、同時にどのようにしても父親から拒絶されてします状況を繰り返し語ってくれました。完膚なきまでに打ちのめされた姿を観ることになりました。神を信じていて、なお「死の影の谷」を歩んでいるのです。
 ルイーズが彼の話を真剣に受け止め、どのようにしても父親にコントロールされるだけだから距離を置くように繰り返し説得しました。心優しい彼にはそのようなことは考えられなかったようです。私も思いがけなく、「奥さんの話を聞くように」と勧めました。そうしたら彼の奥さんもルイーズと同じように、どのようなことをしても父親にコントロールされだけだから、関わらないようとけんか腰で言っていたと話してくれました。それは彼に一条の光を与えたようでした。
 昨年も彼の家の前で立ち話をしていたときに、近隣の人たちが入れ替わりに立ち寄って会話に加わってくれたのですが、今回も近隣の男性がたき火の煙を観て、飲み物持参で会話に加わってくれました。そういうときはキャンプとか猟の話になり、スティーブも猟が好きですので、嬉しそうに語っていました。そこにもう一人の男性が彼も飲み物持参で参加してきました。しばらく楽しい話が続きましたが、自然に会話のグループが二つに分かれて、私たちはスティーブと話の続きをしました。
 その中身はその前に話したことの確認になったのですが、ともかく距離を置いて、父親の巧みな操作に乗らないようにと、境界線を明確にすることで逆にこれ以上コントロールされない意思表示をするように励ましました。彼の奥さんも同じように思っていることを確認して、本人もようやく納得したようでした。続いて祈っていることを伝えて、すでに暗くなりかけているその場を後にしました。
 彼の話の中で父親も同じような環境で育ってきたようで、同じようなことが下の弟さんにも現れているようですが、スティーブはその繰り返しはしたくないとしっかりと自分に言い聞かせています。その通りに彼の一人息子とは兄弟のような麗しい関係を築いています。そんな側面を観てルイーズはいつも励ましています。
 珍しい「長雨の後に」思いがけないタイミングでしたが願っていた会話をいただきました。からだもかなり冷え切ったので、急いで家に駆け込みました。
 上沼昌雄記

「ニーチェとキリスト教—— ニーチェはキリスト教が好きなのか、嫌いなのか?」

初めに

いまさらニーチェ(1844-1900)に関してそのような問いを立てることはできないところがある。特に「神の死」とか「反キリスト」と、キリスト教を真っ向から否定するような過激な発言をしたわけで、いまさらニーチェがキリスト教を好きなのか、嫌いなのかと問う余地のないところである。ニーチェを取り上げること自体が危険思想と思われても仕方がない。それでいてどのような意味でニーチェが「神の死」とか「反キリスト」と言っているのか、関心とか興味ということより、頭のどこかにへばり付いていて取り除くことができない邪魔者である。

無視することもできる。しかし哲学とか、思想とか、キリスト教に関わる本を読んでいると必ずどこかでニーチェのことが出てくる。むしろ頻繁に目にし、耳にする。神は死んだと叫んでいるニーチェはいまだにどこかで生き続けている。現代思想のお邪魔虫のようにいつもそこにいる。何か分かったように思想を語れば、それを横目であざ笑っているかのようにそこにいる。

特に、ことあるごとにどこでもニーチェはキリスト教を取り上げている。これほどキリスト教を直接に語っている哲学者もいない。当然西洋の哲学者は誰もがどこかでキリスト教のことを語らざるを得ないのであるが、ニーチェはあたかも目の敵にしているかのようである。「キリスト教こそ、これまでの人類の最大の不幸である」(反キリスト51)と平然と言いのけている。ニーチェにとってキリスト教は、良い意味でも悪い意味でも放っておけないのである。

当然ニーチェがどのような意味合いでキリスト教を批判しているのかが問題になる。言い方を変えれば、どのような意味合いでのキリスト教をニーチェが取り上げているのかが問題である。そのような問題設定が可能になると、ニーチェの言っているキリスト教は本来のキリスト教なのかどうか、再批判が必要になる。その可能性を少しで探ってみたい。

ニーチェ、その人となり

ニーチェがルター派の牧師の子どもとして生まれたということが、この際どのような意味合いを持ってくるのか、それは興味深いことである。代々のルター派の牧師の子どもである。少年時代は牧師になる志を持っていたようである。当時のドイツのルター派が、どのような文化を築き、どのような雰囲気を持っていたのか、想像を超えるほどの影響力を持っていたのだろうと思う。次のような発言もしている。「プロテスタントの牧師はドイツ哲学の祖父であり、プロテスタンティズム自身がその原罪 peccatum originale である。」(反キリスト10)

ルターとルター派は厳密には区別されなければならない。ただここでルターに関して言えることは、つまり、ニーチェがルターをキリスト教の代表のように見ていることである。そしてルターをパウロと結びつけていることである。その間にアウグスティヌスを置いているといっても良い。ルターを通してのキリスト教といっても過言でない 。すなわち、パウロ理解もルターを通して見ていると言える。この意味では、ニーチェのキリスト教批判のひとつの方向性を見ることができる。

それでこちらも何とも気になって、ニーチェを放っておくことができない。何と言っても、ニーチェを哲学者と呼んで良いのか分からなくなる。カントやヘーゲルだとその哲学が体系的に書かれているので、大変であるが、かじりついていると少し分かったような気になる。それに比べて、ニーチェは文明批評をしているのか、歴史分析をしているのか、戯曲を書いているのか、詩的哲学書を書いているのか、ともかくどのようなカテゴリーも気にしないで思いつくまま書いている。それでいて何かしっかりとしたものが貫いていて、訴えるものがある。

ともかく体系的に書いているわけでない。何か訴えるものがあって、それを思いつくままに書いている。体系がないというか、そのような体系的なものを避けている。次のようにも言っている。「キリスト教は一つの体系であり、一つの考えまとめあげられた全体的な物の見方である。」(偶像の黄昏9-5)そのような体系的なキリスト教を避けている。それでこちらも体系的なアプローチなしに、勝手な視点でニーチェを読むことができる。『これがニーチェだ』(永井均著、講談社現代新書)という本もあるが、「勝手なニーチェ」と言うところである。

ニーチェには晩年に『この人を見よ』と言う本があって、その目次が何となくニーチェの人柄を語っている。「なぜわたしはこんな賢明なのか」「なぜわたしはこんなに利発なのか」「なぜわたしはこんなによい本を書くのか」「なぜわたしは一個の運命であるのか」。自信過剰、自意識過剰と言ったらよいのか、普通の精神の持ち主では書けないこと、言えないことを言いのけている。その意味合いはどうであれ、ここでは自分のキリスト教批判にそれなりの自信を持っていたのであろうと言うことで留めておきたい。

ニーチェの主要著書と年代は以下の通りである。
『悲劇の誕生』 1872年
『反時代的考察』 1876年
『人間的あまりに人間的』 1878年
『曙光』 1881年
『悦ばしき知識』 1882年
『ツァラトゥストラはこう語った』 1885年
『善悪の彼岸』 1886年
『道徳の系譜』 1887年
『偶像の黄昏』 1888年
『反キリスト』 1888年
『この人を見よ』 1888年

ニーチェは最後に精神錯乱を起こして廃人のように亡くなった。それが世紀の変わり目の1900年であった。その20世紀にふたつの世界大戦を通して、西洋の没落が文字通りに起こったことを考えると、何とも象徴的なことである。

「神の死」の場面

ともかく読んでいて、ニーチェはキリスト教が好きなのか、嫌いなのか、何とも言えなくなる。どうも、自分が生まれ育った西洋のキリスト教が虚偽を纏っていることに耐えられないで怒っているかのようである。「初代キリスト教徒が口にするあらゆる言葉が虚言であり」(反キリスト47)と言う。「わたしが虚言と名付けるのは、見ているものをみようとしないこと、見えるとおりにものを見ようとしないことである。」(同55)その結論は「信仰とは、何が真であるかを知ろうと欲しないことである」(同52)となる。

ニーチェはともかく、自分が一時は信じていたものが、虚偽であると気づいて、そのことで怒っているかのようである。その怒りが神に向けられているかのようである。 ニーチェの「神の死」は有名であるが、どのような場面を設定して語っているのか注目しておきたい。

君たちはあの狂人のことを聞かなかったか。白昼ランプに火をともして、市場に走ってきては、たえまなく「おれは神をさがしているのだ! おれは神をさがしているのだ!」と叫んだ男のことを。市場にはちょうど、神を信じていない人々が大勢集まっていたので、彼はたちまちひどい笑い者になった。ある者は「神さまが行方不明になったとでも言うのかい?」と言い、別の者は「神さまが子どもみたいに迷子にでもなったのかい?」と言った。(中略)彼らは口々にわめき立てて、彼を嘲笑した。狂人は彼らの中に割っては入り、あなのあくほど彼らを見据えて、叫んだ。「神がどこへ行ったかって? おれがおまえたちに教えてやろう! われわれが神を殺したんだ。おまえたちとおれたちだ! われわれはみんな神殺しの犯人なんだ」(悦ばしき知識125)

「神の死」は神が死んだからではなく、私たちが神を殺したからであると言う。神を信じている者も、神を信じていない者も、西洋の社会の誰もが神殺しの犯人なのである。神を自分たちの枠の中に押し込めて、窒息死させてしまったからである。先にキリスト教は体系であるとニーチェが指摘していたが、その体系とは哲学的・形而上学的な抽象概念による体系のことである。すなわち、聖書そのものの世界というより、ギリシャ哲学の影響を受けた上での神の理解なのである。「神」がその体系の中に閉じ込められてしまっていて、そのような「神」は死んだと言う。むしろ窒息死させられたのである。

そのような神への信仰は、本来の人間の力をそいでいると見ている。 嬉々として生きているべき信仰が、ギリシャ哲学と融合することで、哲学的・形而上学的な抽象概念の体系になっていることに耐えられないのである。そのような信仰自体が虚偽であると言い放っている。それは「病気」であるとまで言う。「キリスト教的神概念は、、、地上で達せられたもののうち最も腐敗した神概念の一つである。」(反キリスト18)

ニーチェには「生への意志」に対しての強い信念がある。キリスト教的神概念は、神を抽象概念にすることでそれをそいでいる。すなわち、神をこの世から切り離して「彼岸」に追いやってしまっているからである。それは「生の矛盾」であり、「此岸」に対する誹謗である。「神において無が神と化し、無への意志が神聖なり」(同)となってしまう。

この世の否定、此岸の誹謗、それはヨーロッパのニヒリズムの始まりでもある。 キリスト教がヨーロッパのニヒリズムの元凶なのである。ヨーロッパがキリスト教の病に感染しているのである。しかしここまで来るとニーチェの中には、本来の神のあり方を認めているし、真剣に求めているとも言える。哲学的な抽象概念に汚染されない聖書の神を求めていると言えるのかも知れない。その叫びが聞こえるようである。

ニーチェの批判するキリスト教とは

ニーチェのキリスト教批判の背景が少し明らかになったが、それを代表するのがニーチェの有名な「キリスト教は民衆のためのプラトニズムである」という提言である。『善悪の彼岸』の序文で言っている。ニーチェが批判しているキリスト教、それは、プラトニズム化されたキリスト教である。まさに西洋のキリスト教である。この2千年来の西洋のキリスト教である。聖書をプラトニズム化したものである。それは聖書そのものではない。

プラトニズムは、イデアと現象、善と悪、霊と肉の二元論の世界である。その力関係は当然、イデア>現象、善>悪、霊>肉となる。その結果は、現象の世界よりイデアの世界、肉の世界より霊の世界がより善なる世界となる。言い換えると肉の世界、現象の世界は悪なのである。時間・空間のこの世界より、時間・空間を越えた永遠の世界を理想的な世界と見ている。そして、すべてがそこに集約される。

このようなプラトニズムを、キリスト教が受け継いで理念的な世界と感性的な世界の二元論として一般化していると観ている。しかしニーチェにとって、感性的な世界を越えた理念的な世界は実現不可能な世界でありばかりでなく、化現の世界であり、虚偽の世界である。その虚偽の世界を理想としてきたれヨーロッパは、初めからニヒリズムを抱えることになった。

ニーチェのキリスト教批判は明らかに、このプラトニズムに裏付けられたキリスト教に対してのものである。このことがまとめて論じられているのが『道徳の系譜』である。「善と悪」「よいとわるい」、「負い目」・「良心の疚しさ」、そして「禁欲主義的理想」という三つの面で論じられている。初めの善悪のことと、三番目の禁欲主義のことは、キリスト教がプラトニズムで身を装ってきたことを観れば結びつくことが分かる。すなわち、キリスト教自体が身体的なこと、感性的なことを悪と見なして、精神的なこと、理念的なことを善と見なしているので、身体的なこと、感性的なことを避ける禁欲主義が当然の帰結として出てくる。

しかしニーチェの説明の仕方には、ひとつ凝ったところがある。単なる理屈ではなく、感性に訴えてくるところがある。一番目の「よいとわるい」に関して、「弱い者と強い者」の対比を持ってくる。すなわち、自分がこのように弱いのは強い者が悪いからだと逆転をするのである。結果は弱い自分の方がよいことになるという心理的な逆転である。その強い者に対する恨み、嫉妬、反感をよしとする。その感情をルサンチマンという。「憤慨、怒り、敵意、恨み」を訳される英語の resentment である。

この感情を抱えているのがキリスト教徒であるとニーチェはみる。「自己自身へ帰るかわりに外へ向かうこの必然的は方向—これこそまさに反感(ルサンチマン)の本性である。」(道徳の系譜1-10)「反感を持った人間は、正直でもなければ無邪気でもなく、また自分自身に対する誠実さも率直さももたない。」(同)どこかで痛いところを突かれているような感じになる。

このことに裏打ちされて、二番目の「負い目」・「良心の疚しさ」が出てくる。すなわち、理念として善をどんなに説いても、そのために禁欲主義を唱えても、肉体を持ち、感性で動かされている人間として、現実に罪の意識、罪責感をより強く持つ。そこにルターに代表される、信じれば救われるという信仰義認が教理として前面に出てくる。ニーチェはそれに対して嫌悪感を持っている。そのように良心の疚しさを鼓舞して信仰を導くことに、西洋精神のいやらしさを観ている。「良心の疚しさは一つの病気である」(同2-19)ニーチェは、その病気の原因が神にあるとする。そこに神自らが犠牲になることで負い目を取り除いたとみている。

かくしてついにわれわれは、はしなくも、責め苛まれた人類がそれによって当座の慰安を見いだすようになったあの逆説的な、恐るべき方策の前に、キリスト教の天才的な詭策の前に立っていた。その詭策とはこうだ、——神自らが人間の負債のためにおのれを犠牲に供し給う、神みずからがおのれ自身に弁済をなし給う、神こそは人間自身の返済しえなくなったものを人間に代わって返済しうる唯一者であり給う、−−債権者みずからが債務者のために犠牲となる、それも愛からして(信じられることだろうか?−−)、おのれの債務者への愛からして!(同2-21)

その結果、この神に対して人間は限りなく負い目を負うことになる。それだけでなく、ニーチェは、「神に対する負い目、この思想は人間にとって拷問具となる」(同2-22)とまで言っている。そしてその拷問の至る所は、まさに三番目の禁欲主義的理想である。自分を苛みながら、理念の世界での観想生活を夢見ることになる。ギリシャ哲学のストア派の禁欲主義である。キリスト教に見られる禁欲主義である。それは生を否定することであり、キリスト教と西洋文明のニヒリズムでもある。

このことはしかし、振り返ってみるに、身近なこととして経験させられる。ひとつは私たちが耳にする説教や伝道メッセージである。私たちが如何にだめなものであるのかを強調して、神の恵みを説くやり方である。私たちの罪意識を駆り立てて、キリストの十字架による救いを説くやり方である。その背後にはニーチェが指摘するように、どこかでどうにもならない自分の方がよいのだという思いが動いている。それゆえに神が負い目を取り除いてくれるといういやらしい思いである。それに対してニーチェは嫌悪感を感じている。しかし2千年の教会にとって当たり前のことになっている。

さらに信仰を持って一生懸命にやっているのに実際には惨めな思いに苛まれていて、どこかで神に対しての怒りを積み重ねていることがある。表面的にはクリスチャンらしく寛容に振る舞っているが、思い通りに行かないで後悔と反感を内側に深く抱えている。ルサンチマンの感情である。そのようなクリスチャンの働き人の姿を結構身近に感じる。どこかで自分のことのように思わされる。ニーチェの批判するキリスト教が自分のうちに宿っている。

反キリストとは誰か

それでは誰が反キリストなのかという問いに対して、ニーチェは逆説的に、それでは誰が本当のキリスト者なのかということで、その意味でストレートに語っているところがある。

もとに話をかえして、私はキリスト教のほんとうの歴史を物語る。——すでに「キリスト教」という言葉が一つの誤解である。——根本においてただ一人のキリスト者がいただけであって、その人は十字架で死んだのである。「福音」は十字架で死んだのである。この瞬間以来「福音」と呼ばれているものは、すでに、その人が生きぬいたものとは反対のものであった。すなわち、「悪しき福音」、禍音であった。「信仰」のうちに、たとえばキリストによる救済の信仰のうちに、キリスト者のしるしをみているとすれば、それは馬鹿げきった誤りである。たんにキリスト教的実践のみが、十字架で死んだその人が生きぬいたと同じ生のみが、キリスト教的なのである。(反キリスト39)

ただ一人のキリスト者が過去にいた。その人は十字架で死んだ。このニーチェの叫びに似た声明をどのように捉えるのが適切なのか、躊躇するところである。というのは、ある意味でのキリスト教の本来の姿をニーチェがどこかで思い描いているととれるからである。続く文章で次のように言っている。「今日そうした生は可能であり、ある種の人たちにとってはその上必然的ですらある。真正のキリスト教、根源的なキリスト教は、いかなる時代にも可能であるだろう、、、信仰ではなくて、行為」(同)としてと、説明を加えている。

「真正のキリスト教、根源的なキリスト教」がまだ可能であると言うことで、ニーチェが描いているキリスト教がどのようなものなのか、それこそ興味の惹かれるところである。しかし、ニーチェはそれを提示するかわりに、そこから離れてしまった「悪しき福音」に対しての批判に思いが向けられている。しかもその離れていくことになった元凶に対して批判の矛先を向けている。その誰かが「反キリスト」なのである。

それは誰か。ニーチェによればパウロなのである。すなわち、先の引用にあるように、本来のものから反対のものになってという「キリストによる救済の信仰」を生み出したのがパウロなのである。私たちには当然のようになっている信仰義認に当たることを、ニーチェはパウロによって導き入れられた最大の不幸と見ている。当然ルターの信仰義認論にも関わってくる。

ニーチェは元々文献学者であった。当時の支配的なギリシャ哲学のストア派とエピキュロス派の二元論の中で、パウロ自身が作り上げたキリスト教にすり込んだ二元論を見抜いている。キリスト教をそのような二元論で置き換えていったパウロを「天才」と呼んでいる。それはあの「ダマスコの瞬間」であったと言う。「彼はそのとき、『この世』を無価値たらしめるには、不死の信仰を必要とするということを、『地獄』という概念がやはりローマを支配するにいたることをーー『彼岸』でもって生は殺されるということを、とらえたのである。」(同58)

ただ一人のキリスト者が生きた生き方が信仰の対象になったときに、それは信じるこちら側の魂の救済が目的になる。そこに霊肉二元論が侵入してくる。「生の重心が、生のうちにではなく、『彼岸』のうちに、——無のうちにーー置き換えられた」(同43)のである。「パウロはあの全存在の重心をこの生存の背後にあっさりと置き移した、——『復活した』イエスという虚言のうちへと。根本においてパウロは救世主の生を総じて利用することができなかった。」(同42)

「キリストによる救済の信仰」は、このように「彼岸」を目指している。霊魂の不滅を求めている。それはプラトニズムが求めているものでもある。そしてプラトニズムが求めていたものがキリスト教によって大衆化されたのである。ただ私の魂の救いが目的になる。「霊魂の救い」はニーチェ曰く、「世界は私を中心としてめぐる」ことを容認している。「キリスト教がこのうえなく徹底的にこれを蒔きちらしてしまった。」(同43)そこにルサンチマンの感情が当然出てくる。しかし女々しいのである

パウロによって神もねつ造されてしまった。ニーチェの宣告がある。「パウロの創造する神は、神の否定なり dues, qualem Paulus creavit, dei negatio。」(同47)反キリスト、それはパウロであり、パウロに始まるキリスト教である。それは紛れもなく2千年来のキリスト教である。

ニーチェのキリスト教批判を超えて

ニーチェが見ているキリスト教は、明らかに、プラトニズム化されたキリスト教である。
二元論を元にした世界観である。感性よりイデアの世界を、肉の世界より霊の世界を、より善なるものとする世界観である。感性、肉の世界を悪と見なしていくものである。そこに「魂の救済」が入り込んでくると当然、感性、肉の世界を離脱してイデアの世界、霊の世界への帰還が目標になる。プラトニズムでは、それは「知」を通してなされる。グノーシス主義である。

ニーチェはこの枠組みがキリスト教神学の骨子になっていると見ている。キリスト教の神はイデアの世界での神であり、キリスト教の救いはこの世からの離脱であり、天国志向である。しかし現実のキリスト者の生活はその理想の世界には届かないで、その合間にルサンチマンの感情、憤慨と恨みと憤りの感情が支配してくる。それは不健康であり、病気である。ニーチェはそのような神の死の宣告することで乗り越えようとした。

ニーチェが亡くなったのは世紀の境目の1900年である。ニーチェの預言のように、1900年代ヨーロッパはふたつの世界大戦、そしてホロコストを通して西洋の神の死を経験する。2千年来のキリスト教の没落である。ヨーロッパでの出来事である。アメリカは観念としては「神の死の神学」を生み出したが、経験的には世界大戦後は特に福音派の興隆をもたらした。そこから遣わされた宣教師たちによって日本の福音派の教会が成り立っている。ニーチェの西洋のキリスト教批判を理解するのを難しくしている。しかし、アメリカではない、やはりヨーロッパの聖書学者、神学者によって、日本の福音派にも、ニーチェに始まるキリスト教批判を受け止めつつもう一度聖書理解を捉え直す動きが少しずつ広まっている。

イギリスの現役の聖書学者であり、歴史家でもあるN.T.ライトが、この批判を受け止めつつ聖書全体をイスラエルの歴史の流れで捉え直している。Simply Christian (2006)であえてひとつの章を「イスラエル」に当てている。そのはじめでエルサレムのホロコスト博物館を訪ねたときのことが記されている。そのようなことがキリスト教文化といわれるヨーロッパで起こったことを真摯に受け止めている。N.T.ライトの作業はプラトニズム化されないキリスト教を提示することであると言える。

ニーチェのキリスト教批判は神学者に向けられている。理念・理想の世界を追求しているがそれは「傲慢という神学者本能」(反キリスト8)であって、「万事に対してゆがんでおり、不誠実」で「癒しがたい虚偽の姿」(同9)と言って憚らない。神学を試みているものとして全面的に否定できない現実である。論理を操り、詭弁を弄してしまうからである。

ニーチェのもうひとつの神学者に対する批判がある。「神学者のいま一つの標識は彼らの文献学への無能力である。」(同52)そのとおりとしか言えない。ニーチェは元来古典文献学者であった。N.T.ライトは歴史学者であり、文献学にも通じている。そのことを思うとライトが提示していることはニーチェの批判にも耐え得ることが分かる。

キリスト教の立場から書かれた英文のニーチェ研究がある。ひとつは北アイルランドの神学者 Stephen Williams の The Shadow of the Antichrist (2006) で、もうひとつはホイートン大学の哲学教授 Bruce Benson の Pious Nietzsche (2008) である。興味深いことにふたりとも、ニーチェのキリスト教批判に応えうる聖書学者としてN.T.ライトをあげている。注目に値する。

信仰義認が聖書の究極の目的でないとするライトの理解に関してアメリカの神学者から批判が出た。そのことであるインタビューにライトが応えている。信仰義認だけであればそれは me and my salvation だけを求めているだけで、神と神の計画を見ていないと言っている。ニーチェが「霊魂の救い」は「世界は私を中心としてめぐる」こと容認しているということに当てはまる。哲学と神学は自己義認の世界だからである。キリスト教が自己愛の信仰になってしまっている。

おわりに

自己愛のキリスト教信仰とは矛盾である。しかし現実である。その行き詰まりを経験している。また多くの人が、クリスチャンに対して、教会に対してその矛盾を見抜いている。そして、クリスチャンホームの二世が親の信仰から離れてしまう。

また、ホロコストを経験した西洋の教会は文字通り死んでしまった。どのように再生させるか、まさに死活問題である。それはキリスト教のことだけでなく、西洋文明そのものの死活問題でもある。

それゆえにニーチェが消えることなく顔を出してくる。「いまさらニーチェ」なのであるが、「いまだにニーチェ」である。「真正のキリスト教、根源的なキリスト教」とは、とんでもない問いをいただいている。

「アテネでのパウロの議論が聞こえてくるよう」2018年3月19日(月)

 過ぎる週に千葉先生から、刊行された御著書『信の哲学ー使徒パウロはどこまで共約可能か』(上下巻、北大出版会)を送ってくださったと連絡が入りました。恐縮をし、光栄に思いました。そんなこともあって今まだいただいた原稿と論文を少し整理してみました。最初の原稿と最終原稿を北大の研究室でいただき、校正原稿の前半部を送っていただき、この1年半ほど格闘してきました。その前にいただいたいくつかの論文、ネットからプリントした論文もあります。そしてまもなく届く完成本を思いながら、パウロがあのアテネのアレオパグスで哲学者たちと論じたその議論が聞こえてくるような感覚をいただいています。
 「死者の復活のことを聞くと」(使徒17:32)とあるように、パウロは哲学者たちに合わせて福音を安売りするようなことはしていません。その福音がどのように啓示されているのかを当時の共通語で提示し、しかもその提示は誰の心魂にも分かる言語でなされ、特に当時の哲学者たちにはアリストテレスから学んだ仕方で分かるようになされていると分析しています。それは「ことば(ロゴス)と行い(エルゴン)」(ローマ15:18)によることで、このロゴス(理論)とエルゴン(実践)の相補性がアリストテレス哲学の基本として、両者の言語提示に共通性があると観ているからです。
 千葉先生はこのパウロの語りを意味論的分析という手法で解き明かしています。その手法を説明できないのですが(こちらの能力を超えていて)、結果的に提示されていることは、パウロが福音をどのように語ろうとしているのかが見えてくるのです。変な言い方なのですが、それだけです。言い方を変えると、千葉先生の神学が展開されているわけでないのです。パウロの極意みたいなものを千葉先生が獲得して、そこから今までにない神学を展開しているのではないのです。聖書解釈学のための「一つの基礎作業」だとあっさりと言います。
 それなりにローマ書の注解書、最近ではN.T.ライトのものも読んできましたが、どこかでパウロの中のある視点を見つけ出して、それを自分の中で展開しいている面があります。注解者の神学がそこに残るのです。そのような見方、読み方が出来るのかと驚くのですが、テキストでのパウロの語りはそんなに残らないのです。バルトのローマ書は、まさにバルトの神学と言えます。ルターのローマ書もその面はあるのではないでしょうか。内村鑑三のローマ書は、千葉先生が言及していますで興味深い点です。
 『信の哲学』には千葉神学は出てきません。テキストだけが残ります。微妙な言い方なのですが、テキストが神学の展開を拒んでいると言えます。テキストの語りの意味にこだわっていると言うのが適切なのかも知れません。中心的な3章22節の「イエス・キリストのピスティス」では、「イエスのピスティス」でも、「キリストのピスティス」でもないことにも意味を見いだしています。
 7章での「うちに住む罪の自覚」「内なる人の喜び」「心(ヌース)の律法の目覚め」「惨めな私の嘆き」、それは当時のストア派の哲学者たちがなんとか獲得しようとした「平常心(アパテイア)」に訴えるものでした。8章での「御霊のうめき」は、たとえ人生で苦しみがなくならなくても、逆にキリストの苦難に預かることで、それが人生であるとパウロが語っているのです。まさに基礎作業なのです。
 そのような作業を40年積み重ねてこられて出てきたのは、テキストにおけるパウロの語りです。著書が届いて、もう一度初めから読み直すのを楽しみにしています。想像するだけで、哲学者たちと論じ合っていたパウロの語りが響いてきます。
 パウロは哲学者たちの前で臆することも、妥協することもなく、神の啓示の提示のあり方を、彼らが使っていた言葉で語ったのです。その語りは、あのローマ帝国を変えることになり、宗教改革を起こし、今も新しい改革を起こしています。そのようなあり方の原点を『信の哲学』で確認することになります。それはまさに堅い食物をかむようなことですが、今までにない味わいをいただくことになります。
 上沼昌雄記

「見張り人の務め」2018年3月14日(水)

 昨晩妻と読んだ箇所がエゼキエル書33章でした。章を追って読むたびに、エゼキエルが神のことばをそのまま語っている姿勢に驚いてきました。イザヤのように黙示的な面や、エレミヤのように民ともに打ちひしがれる面もなく、淡々と神のことばを語るのです。そして最後に「そのとき、彼らはわたしが主なる神であることを知ることになる」と言います。
 その「彼ら」とは、イスラエルだけでなく、その周辺のすべての国々をも当たり前のように含めています。エルサレムを囲むエジプトも、ペリシテ、エドム、モアブ、アモン、そしてツロ、シドン、バビロンに対しても、イスラエルに対するのと同じように神の裁きは下るのです。エゼキエルはその神のことばを淡々と語っています。
 それでも33章に来て、エゼキエルが見張り人として立てられていて、神の警告をすべての人に伝える務めがあることを明確にしています。見張り人の警告を聞いていて、悪人がその悪の故に死ぬことになれば、その人の責任となる。悪人が警告を聞くことがなく死ねば、その責任を見張り人の上に置くというのである。言い方を変えると、悪があって、それをそのままにして神の警告を語ることをしなければ、その責任を負わせると言うのです。
 それではそれはエゼキエルだけでなく、すべてのクリスチャンに課せられていることになると妻に伝えました。そうしたら、確かにそれはビリー・グラハムが取った姿勢にもなると言いました。なるほどと思い、同時に残念ながら、息子のフランクリン・グラハムはその務めを果たしていないと確認することになりました。
 そんな会話をして、この33章では、それでもどのような状態でも神に立ち返り、正義を恵みの業をおこうなうなら必ず生きると約束されていることから、神はなんとか民が、どの民でも、立ち返ることを願っていることが分かります。そのために見張り人を立てているのです。そのためにこの世に、この地にクリスチャンを立てられていることになります。
 それはだからといって、政治的発言をすることでも、社会的活動をすることでもないのでしょう。神の義と恵みに反する悪に直接的に向かうことだからです。取りも直さず、神ご自身が悪に対面しているからです。そのための見張り人として立てられるのです。このことは同時に、クリスチャンと教会が小市民的に内に閉じこもっていますことを許さないのです。ナチス下の教会を繰り返すことは出来ないからです。
 それでは何をすべきなのかと考えるのですが、その前にどのように生きるのかが問われているのかも知れません。すなわち、見張り人としての務めを真剣に受け止めているのか、あるいは見張り人であることを自覚しているのかが問われてきます。それを思うと、神がこの私を通してでも、神の義と恵みが現される場面を身近に備えているように思います。
 そのことは、神がアブラハムを召し出し、祝福を約束したこと、さらに出エジプトの後にモーセを通して神が律法を与えたことに繋がります。それは神の民を通して祝福がすべての民の及ぶためです。それを妨げる悪に対する神の義の現れなのです。
 この時代に、この地に生かされて、神の祝福が子孫とすべての民に及ぶために、見張り人として務めをいただいていること、そのためにどのように生きるべきか、その手立てをエゼキエルの生き様に見ています。
 上沼昌雄記

「ビリー・グラハムの葬儀」2018年3月4日(日)

 昨日土曜日に息子の義樹からその前日のビリー・グラハムの葬儀の実況中継を観たというメールが入りました。高校生の時にクラスで誰が自分のヒーローかということで、ビリー・グラハムを挙げていたのを思い出しました。それで金曜日に仕事を調整して中継を観たのだと思います。それを受けて妻のルイーズが探して当てて、ネットで昨晩夕食を挟んで二回葬儀を観ることができました。印象に残ったことがあります。
 ひとつはビリー・グラハムの希望でエペソ書2章の4節から9節が読まれたことです。この箇所は、恵みにより、慈愛により、救われたこと、キリストと同じ姿に変えられること、そしてさらにそれは恵みにより、信仰によることと繰り返し、最後に行いによることでなく、それは誰も誇ることがないためと結ばれています。ビリー・グラハムの生涯と生き方を端的に語っています。この箇所を選ばれた思いが伝わってきました。実際に葬儀で自分の名前が出てくることさえ遠慮されたと言うのです。
 (この箇所は、「信仰による」がdia pisteosですので、その後に「イエス・キリスト」が付くとローマ書3章22節の「イエス・キリストのピスティス」にもつながり、さらに「誇ることがない」は3章27節の「私たちの誇りはピスティスの律法によって取り除かれた」とも結びついてきて、パウロの信仰の姿勢にもそのまま繋がります。)
 このビリー・グラハムの姿勢は講壇の前に置かれた簡素な棺にも表されていました。木造のどこにもありそうな棺です。ルイーズが調べて分かったのは、どこかの州の囚人が造ったもので、息子のフランクリン・グラハムが用意したものだと言います。その囚人の名前が彫り込まれていたとのことです。義父の葬儀の時にももう少し高価な棺を用意したように思います。その木造の棺が連邦議事堂の回廊に一日安置され来賓の訪問を受けたのです。
 そのフランクリン・グラハムがメッセージの中で、家にいる時のビリー・グラハムもクルセードで大きなスクリーンに映り出されているビリー・グラハムも同じ人物で、There are no two Billy Grahamsと言っていました。
 その通りのことが娘さんの一人が父親の思い出を語るときに出てきました。誰もが「ビリー・グラハム物語」を持っていて、自分も持っていると語り出しました。二回にわたるつらい離婚を経験をしました。そんなことをしたら世界的に有名なビリー・グラハムの名前を汚すことになると恐れたのですが、叱責されることも、隠そうとすることもなく、その度にWelcome homeと言って抱きかかえてくれたと言うのです。そして父を通して神の愛を知ることになったと締めくくりました。何とも印象的な場面でした。
 「天と地が重なり合い、かみ合っている」とイエスの到来によるこの地での神の国のことを、N.T.ライトが言い表しています。実際に天が降りてきて父を迎え、連れて行ったとその情景を、葬儀で家族の方が語っていました。天と地は薄い膜で隔てられているだけです。会衆の中にはカトリックの枢機卿も招かれて参列していました。ビリー・グラハムは語った言葉だけでなく、その歩みでも、天の祝福を伝えて、地に継いでくれました。
 
上沼昌雄記

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