「義父の祈り」2015年1月5日(月)

ウイークリー瞑想

暮れに両親のところに戻ってきて、父の体力が格段に落ちてきて
いることが分かりました。手洗いに行くことも、自分のベッドに入
ることも、痛みの限界を超えているようでした。注文を出している
病人用のベッドは手続きと年末年始にかかっていることですぐには
配達されないようでした。一つシングルベッドが空いているので、
それを居間に持ってきて父のために使うことにしました。

大晦日の朝に両親に伝えて実行に移すことになりました。父は自
分の状態がそこまで来ていることを了解しています。父の説明で母
も納得したと思ったのですが、居間のソファーとシングルベッドを
入れ替えだしたら、母は驚いていました。当然辛いことです。70
年以上一緒のベッドで寝起きしてきたことが裂かれることですか
ら、こちらも辛いことです。

私はその日は、両親のところから1時間半ほどのところで行
われている日本人留学生のためのイクイッパー・カンファレンスの
最終日で、友人の仙台の鈴木茂牧師が聖書講義をすることになって
いて、伺う予定にしていました。しかし、男手が必要とされている
状態でしたので、失礼をしてしまいました。400名ほどの参加
者で祝されたときであったとご本人から報告をいただきました。

居間で寝起きを始めた父は、誰からも見られている状態ですが、
それなりに安心した様子です。手洗いに行く必要もなくなりまし
た。ベッドがちょうど良い高さで、しかも両側を使えるので、私た
ちも介護しやすくなりました。夜中は薬の投与と下の世話を3
組のローティションを組んで取り組んでいます。

昼間は、父は一人用のソファーで寝ていることが多いのですが、
なるべく時間通りに薬の投与を続けるようにしています。 時
には熟睡しているようなときにも起こさなければなりません。それ
に合わせて3食の食事も取るようにしています。ほとんどの場
合父が食前の祈りをします。時々私も求められてすることがあります。

食卓に座っているだけでも痛みと闘っているのが分かるのです
が、祈りだしたときの声は病人とは思えないほどしっかりとしたも
のです。一日を感謝し、食べ物があることを単純に感謝し、そして
家族のため、教会とその関わりのために祈ります。痛みがなくなる
ようにとも、痛みから解放されるとも祈りません。そのことで文句
を言うこともありません。

父は時には痛みで呻き、唸ることがあります。それでも人に当た
ることは決してありません。私たちの介護にいつも感謝の意を表し
ます。しかしモルヒネなどの痛み止めの薬の影響で、夢でうなされ
ることがあります。夢の話を聞くようにしています。そんな状態で
もユーモアのセンスを失いません。Medicationを
meditationと言い返してきます。食前の祈りの後、父は静かに食事
をします。食卓の会話を楽しく聴いているようですが、時には
自分の世界に沈潜していることもあります。

私たちの家の敷地に、64年型のクライスラー・ニューヨー
カーという車が置いてあります。風でカバーが飛ばされた写真を隣
人がメールで送ってくれました。父にその写真を見せました。その
64年型クライスラー・ニューヨーカーは、父の両親のもので不思議
に私たちが受け継ぎました。何度か運転をしたことがありす。今は
カバーを掛けて置いてあります。

父の両親は70年代の半ばに、新車に代えることにしていた
のを、直前にその代金をバイオラ大学のファインバーグ・チャペル
のために献金をしたと話してくれました。しかも父の両親は父の名
前で献金したと、父は涙を浮かべて話してくれました。初めて聞く
話でした。

父の感謝の祈りの背後にある一端を、食卓のテーブルで聞くこと
になりました。

上沼昌雄記