「俺のふるさとは、、、」2010年7月14日(水)

 この月曜日から、かつて理事として奉仕したJCFNの理事会
がカリフォルニアの大平原の向こうの山の中の保養所であるというの
で、SF経由で通過される理事の方々のドライブの手伝いや、
交わりをいただくことができました。それでデトロイトからの方と
SFの対岸の知り合いのお宅で一緒の時をいただきました。このお二
人が弘前の近くが出身と言うことで、2年前に紹介したことが
ありました。その時は津軽弁を連発していました。

 デトロイトの方は、日本の企業のカナダ支社の社長までされ、早
期退職でミシガン州に退いて一年になります。その間の生活の変化
を話してくれました。特に今は全くの自由の身で、神様と自分だけ
の生活を楽しんでいます。さらにアメリカという広大な国で、町内
会もなく、今までのようには友人もいないなかでの生活に目を見
張っています。

 おいしい夕食をいただきながらの会話は、やはり弘前のことにな
ります。秋田はその下なのですが、別な風土を感じます。この方
は、あの岩木山が自分のふるさとですと、戸惑いもなく言われま
す。私も上州の赤城山がふるさとと文句なく言えます。それで接待
をしてくれた方は、弘前と青森の間の田舎館という村が出身なので
すが、何がふるさととして出てくるか、固唾をのんで待っていまし
た。おもむろに「俺のふるさとはおまえだ。」と奥さんに向かって
言いました。それを聞いた一同は思わず拍手喝采をしました。

 この話題が次の朝のブレックファーストのテーブルにも出てきま
した。それだけインパクトがあったのです。ふるさと、故郷は、ヘブル書
11章で言われているように、旅人としての信仰者を表しています。
出てきた故郷と、慕い求めているよりすぐれた故郷です。その中間
点で、決して定着することをしないで、絶えず彷徨い続けている旅
人です。それは楽なことではありません。むしろ厳しいことで
す。 そしてこの広大なアメリカで裸にされ、 帰る故
郷もなく、ただふるさとを思い見ているのです。そんなノスタルジ
アを込めた感覚を共有しながら、故郷の話をするのです。あるいは
できるとも言えます。あの太平洋を挟んでいるからです。

 生まれ故郷を出て、彷徨い続けているユダヤ人にとっては、書物
が故郷だというのを読んだことがあります。モーセの十戒なので
す。地理的な意味で帰る故郷はないのです。しかしあのシナイ山で
いただいた律法が故郷なのです。今でもそうなのです。まさに書物
の民です。そのような思考に驚嘆するだけです。

 そんなことを思うと、奥様に向かって「俺のふるさとおまえ
だ。」というのは、すごいことであり、またひどいことでもありま
す。この方は、かなり冗談を連発されるのですが、これは本音だと
一同の結論になりました。そんなことを言える何かがあるからで
す。冗談では言えることではないのです。思わず本音が出たので
す。帰るところは青森の田舎館ではないのです。神が備えてくだ
さったひとりの女性がいつも、またいつかは帰る故郷なのです。こ
んな会話に導かれるのは、信仰者の幸いなのです。

上沼昌雄記

「アメリカ独立記念日」2010年7月4日(日)

 今日は独立記念日です。私たちの住んでいる地元の町では昨晩の
うちに花火が打ち上げられました。鉄道とサンフランシスコ・
ニューヨーク間の国道が走っているのですが、小さな昔の西部劇の
ような町です。教会のある町フォレストヒルはふたつの支流の上に
あるむしろ隔離された町です。サクラメントのベッドタウンのよう
な感じです。独立記念日のパレードは礼拝の時間に重なっていたと
言うことです。

 黒人のスラッツお婆さんの孫に当たる方が毎週サンフランシスコ
郊外からきて説教をしてくれています。1776年7月4
日に東部の13州がイギリスからの独立を宣言した経緯を説明
してくれて、独立の意義と、なお全面的に神に頼っていく信仰者の
姿をキリストの生き方を顧みながら語ってくれました。

 礼拝が終わって、80代半ばの方が話しかけてこられまし
た。奥様の病気のことがあって長い間住んでいたフォレストヒルの
町を下りて、大きな病院の近くのある町に移り住んでいます。近く
にふさわしい教会を見つけることが大変難しいという話でした。と
いうのは導入で、この方は正直に、黒人の牧師と言うことで、来な
くなったり、来ても二度と来ないことだろうと言われました。この
ことを言いたかったようです。そしてこのようなことはとても英語
では書けません。日本語だから書けるのです。

 ご自分も偏見の強い家族のなかで育ったと言われます。黒人とユ
ダヤ人に対して父親がひどい偏見を持っていたと正直に言われま
す。でもこの教会を自分の教会のように思っていると言うのです。
この説教者のメッセージを聞きたいのだと繰り返して言われます。
今居るところでは、近所のメキシコ人が助けてくれたり、黒人の家
族が妻のために毎日祈っていてくれると付け加えてくれました。よ
く考えてみると、ということを日本人の私にそのまま話してくれて
いるのです。ただ聞いていてユダヤ人のことが黒人のことと一緒に
出てきたのは驚きでもあります。このアメリカで、黒人への偏見は
ことあるごとに感じてきました。しかし、それと並んでユダヤ人の
ことが出てくるとは思っていなかったからです。

 政治的に独立を宣言して、社会的に平等になったとしても、私た
ちのなかにはいつまでも根付いている人間観の消しがたい感情が、
呪いのようにあります。表面的にはすでに解決しているように見せ
ています。しかしそれはあまりに奥深く隠れたことなので闇のよう
に顔の後ろに漂っています。どこの民族にも、誰の心にもあること
です。その傷はあまりにも深くてとても触れることが出来ないので
す。思いがけないときに、しかも、今回のように、確実にどこかで
蓋が開けられたように出てきます。ユダヤ性やユダヤ人の歴史を振
り返ってみても、繰り返されていることが分かります。

 今回、山のこの小さな教会が黒人の方を、たとえ臨時でも、牧師
として迎え入れたことは、もしかすると計り知れない神の計画があ
るのかも知れません。あとで分かったのですが投票の結果は大多数
であったということです。そして彼のメッセージに関心を持つよう
になっています。そのような個人的なことより、このことがどのよ
うなことに導かれているのか、祈りつつ探っていく必要を感じてい
ます。思いがけない、思いもよらない、このアメリカの地に対して
の神の導きがあるのだろうと思わされて仕方がありません。

 アメリカの独立記念日の午後に、そんなことをひとりで考えています。

上沼昌雄記