がカリフォルニアの大平原の向こうの山の中の保養所であるというの
で、SF経由で通過される理事の方々のドライブの手伝いや、
交わりをいただくことができました。それでデトロイトからの方と
SFの対岸の知り合いのお宅で一緒の時をいただきました。このお二
人が弘前の近くが出身と言うことで、2年前に紹介したことが
ありました。その時は津軽弁を連発していました。
デトロイトの方は、日本の企業のカナダ支社の社長までされ、早
期退職でミシガン州に退いて一年になります。その間の生活の変化
を話してくれました。特に今は全くの自由の身で、神様と自分だけ
の生活を楽しんでいます。さらにアメリカという広大な国で、町内
会もなく、今までのようには友人もいないなかでの生活に目を見
張っています。
おいしい夕食をいただきながらの会話は、やはり弘前のことにな
ります。秋田はその下なのですが、別な風土を感じます。この方
は、あの岩木山が自分のふるさとですと、戸惑いもなく言われま
す。私も上州の赤城山がふるさとと文句なく言えます。それで接待
をしてくれた方は、弘前と青森の間の田舎館という村が出身なので
すが、何がふるさととして出てくるか、固唾をのんで待っていまし
た。おもむろに「俺のふるさとはおまえだ。」と奥さんに向かって
言いました。それを聞いた一同は思わず拍手喝采をしました。
この話題が次の朝のブレックファーストのテーブルにも出てきま
した。それだけインパクトがあったのです。ふるさと、故郷は、ヘブル書
11章で言われているように、旅人としての信仰者を表しています。
出てきた故郷と、慕い求めているよりすぐれた故郷です。その中間
点で、決して定着することをしないで、絶えず彷徨い続けている旅
人です。それは楽なことではありません。むしろ厳しいことで
す。 そしてこの広大なアメリカで裸にされ、 帰る故
郷もなく、ただふるさとを思い見ているのです。そんなノスタルジ
アを込めた感覚を共有しながら、故郷の話をするのです。あるいは
できるとも言えます。あの太平洋を挟んでいるからです。
生まれ故郷を出て、彷徨い続けているユダヤ人にとっては、書物
が故郷だというのを読んだことがあります。モーセの十戒なので
す。地理的な意味で帰る故郷はないのです。しかしあのシナイ山で
いただいた律法が故郷なのです。今でもそうなのです。まさに書物
の民です。そのような思考に驚嘆するだけです。
そんなことを思うと、奥様に向かって「俺のふるさとおまえ
だ。」というのは、すごいことであり、またひどいことでもありま
す。この方は、かなり冗談を連発されるのですが、これは本音だと
一同の結論になりました。そんなことを言える何かがあるからで
す。冗談では言えることではないのです。思わず本音が出たので
す。帰るところは青森の田舎館ではないのです。神が備えてくだ
さったひとりの女性がいつも、またいつかは帰る故郷なのです。こ
んな会話に導かれるのは、信仰者の幸いなのです。
上沼昌雄記