「緑深い日本で」2008年5月29日(木)

ウイークリー瞑想
 みずみずしい豊かさを讃える新緑の日本に5月半ばに入りました。す
でに2週間の旅と奉仕をしています。同じ新緑なのですが、これから乾
燥してカラカラな夏を迎えるカリフォルニアでは、木々は今年の伸びは
そこまでと言っているようです。水分は春のうちに取って延びるだけ延
びて、あとは熱い夏に人々に木陰を与えるだけの感じになります。雑草
などは水分が断ち切られて乾燥しきって、土と同じ色に変色していきま
す。火が付けばいつでも燃え上がります。

 日本の新緑は、水分を充分にいただいてこれからさらに豊かな緑を讃
えていきます。薄緑、真緑、褐色の緑、日に映える緑、木陰の緑と、多
彩な緑を余すことなく展開してくれます。春のうちに花を咲かせた木々
も今は緑に覆われ、収穫の秋に向かってじっくりと水分を吸い上げてい
ます。秋田から横手を通って山形に鈍行列車で旅をしながら車窓から見
えるりんごの木、桃の木、ぶどうの木、サクランボの木は、豊かな実を
隠すように緑が覆っています。田植えを終えてまだ水に沈んでいる苗も
日ごとに伸びてきて、緑の絨毯となろうとしています。

 そんな緑豊かな日本を満喫しています。しかし、深い緑の美しさは、
人を誘い込むような美しさでもあります。遠くから観ているときは美し
い日本の森林です。しかし中に入るとうっそうとした茂みに誘い込んで
迷子にします。薄暗いに森の中で何かが語りかけてくるようです。そし
て緑深い森の中から抜け出せないようにします。カリフォルニアの森も
深いところがあります。それでも誘い込むような美しさはありません。
熊やマウンテン・ライオンやガラガラヘビがでてくる恐ろしさだけで
す。不思議な違いがあります。

 また、緑深い自然は力をもっています。緑は雑草としても地を覆って
いきます。そのままにしていたら人の住みかにも入ってきます。実をな
らせるどころか、自然の力に負かされてしまいます。緑豊かな美しさを
保つために大変な労働をしなければなりません。自然は美しくもあり、
驚異でもあります。イエスの種蒔きのたとえの延長のようです。

 さらにミャンマーのサイクロン、中国の大地震の被害の報に心が痛み
ます。自然と共存をしていることの現実を思います。また連日のように
報道される殺人事件に心が枯れていきます。カリフォルニアの自宅のテ
レビで観る同じような報道を思い出します。緑豊かな美しい日本でもど
こかに心が枯れていることに痛みます。

 緑深い自然のどこかが痛んでうめいています。何かが欠け、何かが損
なわれて、どこかに大きな穴が開いています。そんな自然自体が私たち
に力をもって覆い被さってきます。私たちの身体を痛めます。さらに心
が損なわれてきます。うめきが心の底から出て来ます。神の子とされる
こと、すなわち、身体の贖われることを切に求めています。そんなうめ
きを御霊みずからが聞き届けていてくれます。緑深い日本を楽しみ、ま
た思いを馳せています。

上沼昌雄記

主にある友へ

アナウンス
 過ぎる15日に、無事にルイーズとふたりで24時間の旅も守られて 
秋田に着きました。新緑に輝く日本の美しさに19年の隔たりがたちま 
ちに消えてしまい、日本語も思い出さし、お世話になっている石川夫人 
と、親しい友人が再会したかのように尽きることのない話をしていま 
す。田沢湖、角館の武家屋敷、なまはげ館と男鹿半島と連れて行ってく 
ださり、秋田の美しさを満喫しています。おいしい秋田こまちの有機米 
を見つけてくださり、真っ白に炊きあがったご飯を食べています。
 私はその間、関西での男性集会、礼拝、夫婦セミナー、牧師セミ 
ナー、祈祷会、家庭集会での奉仕があり一週間出かけておりました。こ 
の週末は秋田の諸教会で礼拝、男性集会、牧師リトリートの奉仕が許さ 
れました。牧師リトリートでは福音主義における瞑想の意味を積極的に 
考えていく手立てをいただきました。
 明日は山形に移動いたします。秋田から新庄まで鈍行で行きます。そ 
んな旅をルイーズは、宣教師の子どもとしてきたときのことを思い出す 
ようで楽しみにしています。山形をベースに私は東京での奉仕に出かけ 
ます。同時にふたりで東京、軽井沢、故郷の前橋に伺うことができれば 
と思っています。
 ミニストリーで何度も日本に来ているのですが、今回はふたりで初め 
て来ています。秋田の諸教会の皆さまが温かく迎えてくれました。3月 
に学会でサクラメントに来てくださり、私たちのところにまで来てくだ 
さった石川教授の招きに誘われて、思い切ってふたり旅をしています。 
19年前に家族でアメリカに戻った旅の締めくくりをしているような感 
じをいただいています。締めくくりをして「新しい旅の続き」が始める 
ような思いをいただいています。
 覚え支えていてくださることを心より感謝をいたします。日本ふたり 
旅の報告とさせていただきます。

 感謝とともに。上沼昌雄 2008.5.27

「置き換え、言い換え、たとえ」2008年5月8日(木)

神学モノローグ

 ウイークリー瞑想「天国のチラシと桜吹雪」で、天国のすばらしさを
伝えたいために天国でチラシを作ってまくとお嬢さんに伝え、その会話
で、桜の花びらが散ったときには天国のチラシと思ってと、言われて召
された牧師の奥様のお母様のことを書いた。その知らせを読んだとき
に、何とも言えない見事な天国の置き換えに驚いた。衝撃的なことで
あった。お母さんだけに示され、見えたヴィジョンであった。決して作
り出したのでも、考え出したのでもない。考えて言えるものでもない。
受難週、イースターを終わって桜の咲く前にお母さんだけに示された状
景である。

 葬儀を終えて東京に戻ってきたときに、桜吹雪が舞っていて、「あ
あ、母が天国からチラシをこんなにまいているね」とご夫婦で語り合っ
た。その時のやり取りに、この牧師がそのような「聖書的根拠のない、
たわいのない話を妻としていました」と付け加えていた。照れ隠しのよ
うな表現だと思った。後日当人の牧師とJCFNの理事会で会ったと
きにも、本人も笑っていた。桜吹雪がまさにお母さんが天国からまいて
いるチラシと認めていたからである。召される前にそのように天国の様
子を見ることができ、それを桜吹雪で見事に置き換えていることに、共
にただ驚嘆していたからである。

 このお母さんの天国の見事な置き換えには、相当なレスポンスをいた
だいた。天国で手作りのチラシをお母さんが作っている様子、うれしそ
うにまいている様子、満開の桜の下での花見をしながら天国を思ってい
ること、散った桜の花をうれしい思いで片付けたことと、この天国の置
き換えに身を寄せてくださった。置き換えることで、遠い向こうのこと
がこちら側の身近のこととなってきた。置き換えには、イエスの神の国
のたとえや、C. S. ルイスのファンタジーのような力が潜んでい
ることが分かる。

 そんなことを思っていたときに、人生を6つの単語で言い表していく
ことが、ヘミングウェイから始まって、今では本にまでなっていること
を知って、最新のウイークリー瞑想「人生を言い換える」で書い
た。”Not Quite What I Was Planning”と言うタイトルで本に
なっていることが分かって、注文した。日本語でどのようにできるのか
は考え中であるが、英語ですでに何人かの方が6語でまとめておくって
くださっている。こう言うのは大好きですと言って、旅に出られ、戻っ
たら6語で送ってくれるというメールもいただいている。

 たった6語で人生を言い換えることで、その6語の間にある意味合い
をこちらが想像力を働かせながら思い描いていくことになる。そこには
当然その6語に共鳴し、共感している自分がある。この本のタイトルの
6語にもほとんどの方が納得できる。共有感覚が広がっていく。自分だ
けでないと分かって、自分の人生を受け止めることになる。自分だけの
人生でないことが分かって、自分の人生を大切にできる。

 ヘミングウェイのことで、あの村上春樹が言っていることが目に留
まった。「僕は若いときにはヘミングウェイの短編小説を繰り返し読ん
で、『何かに託する』というのがどういうことなのか、なんとなく理解
できました。ヘミングウェイの短編というのは、さっと読んでいてもス
ピードがあって面白いんだけれど、じっと読み込むと、その託されたも
のがじわじっわと見えてくるのです。すごいなあ、と感心しました。」
短編を読んだことはないが、あの有名な『老人と海』でも確かにそこに
人生が託されていることがよく分かる。

 置き換える、言い換える、何かに託することで、向こうにあるものが
こちら側で身近に見えてくる。向こうにあるものはこちらの言葉を越え
ているので、置き換え、言い換え、何かに託されることで、取っかかり
をいただく。不思議な作業である。その置き換え、言い換え、何かに託
することの最高傑作がイエスの神の国のたとえとも言える。先の牧師が
照れ隠しに「聖書的根拠」のことを気にしたことが分かる。

 「天の御国は、畑に隠された宝のようなものです。人はその宝を見つ
けると、それを隠しておいて、大喜びで帰り、持ち物を全部売り払って
その畑を買います。」(マタイ13:44)何度も思い巡らし、何度も
分かち合っても、そこに新しい意味合いが泉のように湧き上がってく
る。見事とも、不思議とも、神秘的とも言える置き換えであり、言い換
えであり、たとえである。

上沼昌雄記

「戦争と教会」2008年5月5日(月)

神学モノローグ

 「書籍『ナチからの脱出』を読む」と言う記事を2月27日付で書い
た。著者であるブライアン・リッグ氏と会うことができた。義樹の引っ
越しの手伝いでダラスに行ったときに、自宅に招いてくれてしばしの歓
談の時をいただいた。いまは研究分野から離れてビジネスに関わってい
るが、人を惹きつける魅力を抱えた人物である。3人のお子さんの父で
もある。

 歴史が専門なので、夕食のテーブルで日本の教会のことを聞いてき
た。それで戦争の時の日本の教会のとった姿勢のゆえにいまだにその影
響を受けていることを話した。特に、日本軍の朝鮮半島への侵略で日本
の教会がそれを容認するようなことになったことで、戦後迫害を受けた
韓国の教会が成長し、迫害に加わった日本の教会が低迷していることを
話した。それに対してそれは、ボンヘッハーやわずかな例外はあるが、
ナチスとホロコストに荷担したドイツの教会も同じで、いまでは死んで
いると結構はっきりと言われた。余りにも明確に言われたので驚いたの
と同時に、言われてみたら、私はドイツの教会を見たことがないのであ
るが、そうなのかも知れないと思わされた。

 夕食のあとの語らいで、『ヒトラーのユダヤ系兵士』『ナチからの脱
出』を書くに至った経緯を聞いてみた。イエール大学、ケンブリッジ大
学の歴史学の教授たちは文献からはヒトラーのユダヤ系兵士は存在して
いる証拠がないから、その分野の研究は無理だと言われた。しかし、自
分の先祖がユダヤ人であったことを知るにいたって、ひとりふたりと糸
を辿るように戦争時にヒトラーのユダヤ系兵士であった人とのインタ
ビューが始まった。それから本に書いていない裏話を語ってくれた。彼
は見事なストーリー・テラーでもある。

 しかしそのストーリーは戦後50年以上経って初めて語ることがで
き、その家族も初めて聞く物語であった。同時にいやしをともなうもの
であった。ある方は同僚の同じ街の出身の友人のユダヤ系兵士が負傷を
して両足もなくなってしまい、助かる見込みがないので自分を殺してく
れと頼んだ。それでその方が銃を発射した。その同僚の名前を息子さん
に付けた。しかし毎晩のようにうなされてその同僚の名前を叫んでい
た。ただ話したことで心の安らぎをいただいた。その息子さんは自分の
名前がどこから来ているのかを初めて知った。

 リッグ氏の奥様もドイツ語が話せるので、ドイツ人の交わりに行っ
て、その会話のなかにユダヤ人やユダヤ系の人がいると、会話がその場
でストップしてしまうと言われた。そしてその場でドイツ人がユダヤ人
に謝罪の意を表すという。彼女はすでに戦争は終わったことなので、そ
こまではしなくてもいいのではと言われた。それに対して義樹が、その
謝罪を明確にしていないので日本はいまだにアジアの諸国から敬遠され
ていると言った。どちらにしても戦争の重い影を負っている。6百万の
ユダ人を殺戮したドイツという国、アジアの諸国の人たちに、また沖縄
の人たちに戦争の時にしてきた日本、その影をいまでも負っていること
を知ることになる。

 聡明さとは、戦争が避けられないことを認めることであると、レヴィ
ナスは言う。レヴィナスは戦争捕虜であったが助かった。リッグ氏は、
それは究めてまれな例であったと言う。避けられない戦争であってもど
のように対処し、どのようにその責任を明確にしていくのかはいつでも
問われる。戦争という現実が存在の極限を提示していく。そこでの信仰
が当然問われる。問われないで流れに身を任せてしまったことで、信仰
の意味が闇に覆われたままになってしまっているなかにドイツと日本が
いる。その歴史のなかでの教会の責任は果てしなく続く。そのなかに置
かれていることを重く思う。 

上沼昌雄記

「人生を言い換える」2008年5月5日(月)

ウイークリー瞑想
 
 海軍兵学校を入れると13年間の軍隊生活を終えて、テキサスのダラ
スで新しい仕事に就くことになっている義樹家族の引っ越しを助けてき
たました。家財を一切トラックに積んで、それに自分の車を付けて義樹
が運転し、私がもう一台のバンを運転して3日間のドライブをしました。

 サンディエゴから国号8号線を通って、アリゾナ州のユマを通過して
10号線に合流して、砂漠のなかに待機している国境警備隊のパトロー
ルをみながら、ツーソンを通ってニューメキシコ州を通過して、テキサ
ス州に入りました。そこはメキシコ国境に近いエル・パソという街で
す。国境沿いに流れるリオグランデ川の向こう側にメキシコの街の灯り
が見えます。国境警備隊の検問所を2回通りました。テキサスに入って
しばらくしてそのままヒューストンに通じている10号線から別れて、
20号線に入ってダラスに向かいました。

 国道の番号が、一番南の国境に近いところを通っていることを示して
います。東西に走る国道は偶数で、南から北に向かって番号が上がって
いきます。昨年シカゴまで行った国道は80号線です。南北に走る国道
は奇数で、太平洋側から東に向かって番号が上がっていきます。カリ
フォルニアの海岸線状に走っているのが1号線です。いつも使っている
のが5号線です。

 国境に近い砂漠地帯を黙々と運転し続けることになるので、義樹がウ
オーキー・トーキーを用意してくれました。砂漠は死んでいるのか生き
ているのかとか、カーラジオにメキシコからの音楽が入ってくることと
か、ウエスタン・ミュージックが多いとか、あるところではカトリック
のロザリオの祈りしか入ってこないとか、そんなことを通信しながらの
ドライブでした。

 家財を無事に新しい家に入れて、トラックを返却して、家族が生活で
きるようにセットして、義樹と一緒にルイーズの両親のところに戻って
きました。そして次の日に6ヶ月の女の子のいる義樹家族はダラスに向
かいました。飛行場に送る車のなかで、私たちがダラスまでドライブし
ている間、ルイーズと義樹の奥さんがどんな話をしていたのか聞いてみ
ました。ともかくいろいろな話をしたと言うことであったが、逆に私と
義樹がどんな会話をしながらドライブをしたのかと話し合っていたと言
うことでした。

 それでウオーキー・トーキーでは面倒な会話ができないし、相手の顔
も見えないので、ともかく要点を簡潔にまとめてしっかりと伝えるの
で、何を話すのか考えないといけないと伝えました。それに対して義樹
がサンディエゴでカーラジオから聞いた話として、あの有名なアーネス
ト・ヘミングウエイが6つの単語で最も短い短編小説を書けるかどうか
と問われて、書いたのがあることを話し出しました。For sale: Baby 
shoes, Never wornというものです。それで著名人に同じように尋ねて
6つの単語で自分の人生を言い表すことをまとめた本があるようです。
I’m still making coffee for two. またCursed by cancer, 
blessed by friends. これだけでも充分に人生を語っています。

 それで車のなかで、4人がそれぞれの人生を6つの単語で言い表す作
業が始まりました。6つの単語でそれ以下でもそれ以上でもないので
す。難しそうなのですが、結構楽しんで作業をしていました。義樹の奥
さんがいままではいろいろなことがあったが、いまは美しい人生に入っ
ているようにまとめました。そして彼女が、私のは?と聞いてきまし
た。私はそれを日本語で同じような作業ができないかと考えていたので
すが、言われたので6つの単語で何とかまとめてみました。Hope 
expected, but unexpected interesting lifeとまとめました。義樹が
それはいいと言ってくれました。ルイーズは最後のlifeは
wifeかも知れないと言っていました。

 ともかくそれぞれが、いま置かれている人生を6つの単語で結構見事
に言い表していました。新しい生活に入る義樹家族、孫と別れてまたふ
たりだけの人生の戻る私たち、そんな一時をまとめるのにふさわしい時
をいただきました。

 自分のなかには期待通りに、考えたとおりにことが進むことを願う思
いが強くあります。しかし現実には思いがけない、計算どおりには行か
ない人生を送らされます。ダラスまでドライブするとは思ってもいませ
んでした。それはそれなりに楽しいのですが、人生の場面で思い通り、
計算どおりに行かないことは結構しんどいことでもあります。信仰の限
界をいつも引き延ばされている感じです。自分にはそんな力もないと思
うその先まで引き出されている感じです。

上沼昌雄記