「悪からお救いください」2012年7月16日(月)

夏の間に、20年近く使っている壁に取り付けてあるヒーターを取り替えようと思って、先週の水曜日に取りかかりました。壁から外に出る煙突が錆び付いていて離れないので、切り取ることになり、思いがけないほど時間がかかりました。午後3時半頃に、サイレンが聞こえ、飛行機が飛んでいて、あたりが騒がしくなりました。妻が先に様子を見に道に出ていました。私も出かけたら、近所の人も出てきて、隣の家のベランダから眺めたら、一山向こうから煙が出ていました。

私たちの近くから道が降りていて、一度渓谷にくださって、川向の町に通じています。その道にはヤンキー・ジムという名がついています。その川向こうで山火事が発生したのです。近所の人の話だと向こう側は結構の傾斜で、しかも数年来の体積が燃料になって、消火作業は難航しているようです。すでに5日目ですが、2500エーカーが燃えていて、鎮火率は30%となっています。土曜日の晩に一軒が延焼したと聞いています。

川向こうの町に私たちの教会があります。一度国道で下の町に行ってそこからこの分水嶺の上の町に行きます。山火事は渓谷の間で起こっているために、向こうからはあまり見えないことが分かりました。私たちのところからは煙だけですがよく見えます。また空からの消火活動のための飛行機も私たちの上を通っていくので、現実感があります。あと数日かかるような話です。

教会の人と、山火事がこちらに飛び火しないように祈ったらよいのか、風が押しやって向こうに、つまり教会のある町の方に向かうように祈ったらよいのか分からないという話をしました。「悪からお救いください」と主の祈りを、深く考えないでというより、自分中心に祈っていることに気づきます。

今回の山火事の煙の上がり具合を一山向こうに見ているのですが、その一山が11年前の、あの同時テロ多発事件の一ヶ月ほど前に、山火事で燃えたところなのです。その山は川のこちら側で、私たちから一谷降りた向こうにあり、夜中真っ赤に燃えているのを見てきたのです。初めて経験した山火事で、恐怖感に襲われたことを思い出します。そしてその数週間後に起こった同時多発テロのことを考えないわけに行かないのです。

この9/11から10年後に、すなわち昨年、東日本大震災が起こりました。3/11です。その間にも大きな災害が起こり、政治的・民族的な悪も起こっています。いまも起こっています。これからも起こります。山火事や地震や津波や集中豪雨を、自然災害として切り離して、邪悪な人間の思いだけが関わることを悪と見なしたらよいのか、考えないわけに行かないのです。西洋では1755年のリスボンの大地震と、あの第二次世界大戦のホロコーストのことで、同じ問いにぶつかっています。

「悪からお救いください」と真剣に祈っている私たちにとって、その悪とは、その悪から救われるとは、その悪に対する勝利とは、神の義とは、あの原発事故とは、と問われているのです。答えがあるわけではないのです。問いだけがあるのです。その問いを出すことで、答えの方向が見えてくるだけです。難しい仕事です。しかし、避けられないのです。みなで知恵を出し合って取り組んでいくときです。

上沼昌雄記

「禅寺と庭」2012年7月2日(月)

今回の日本での奉仕では印象的な男性集会や、今までとは多少異なる交わりをいただきました。そこでいただいた導きを続いて思い巡らしています。何かが発展しそうな感じです。そのような思いとは別に、心に残っていて、ことあるごとに思い起こすことがあります。友人の牧師が連れて行ってくれた禅寺の庭です。その庭を前にふたりで腰を下ろしてただ眺めていただけなのですが、しかもその庭には何か特別のものがあるわけでないのですが、いまだにその庭が心に浮かんできて、何かを語っています。

関西で牧会・伝道をしている水野健牧師は茶道をされています。毎年のように宇治の牧師セミナーで一緒になります。観光案内にない京都を案内しますよということで、前回はキリシタン関係のお寺に連れて行ってくれました。今回は「龍」をテーマにお寺周りをしましょうということで、彦根での奉仕の次の日に京都の花園の駅で落ち合いました。妙心寺という臨済宗のお寺で年に一度の懺悔の祈りがあって、それを観ることができると言うことで、水野牧師に付いていきました。観ながら禅のお坊さんたちが何を懺悔しているのか不思議に思いました。

確かに本堂の天井に大きな龍の絵が描かれています。次の建仁寺というお寺にも龍が掲げられていました。ともに臨済宗ですが、守りの象徴のように龍を観ているようです。言われてみると確かに怖いとか、異様だという感じがしないで、自然にそこにいるかのような感じがします。その辺はまさに禅宗なのかも知れません。

妙心寺の塔頭の一つで沙羅双樹の寺といわれる東林院でお茶をいただき、沙羅双樹の花をお坊さんの解説付きで眺めました。人が多すぎてゆっくりとすることができなかったのですが、沙羅像寿の花を見せながら説法をする世界があることが分かりました。続いての建仁寺はあの祇園の隣というか、その先にあって、妙心寺より寂しそうな臨済宗のお寺です。比較的近年に書かれた龍の絵を眺めた後に、座禅の修行に使われる部屋の並びに縁側に囲まれた庭がありました。観光客も少なく、その縁側の一つにふたりで腰を下ろして庭を眺めることになりました。

案内図で「潮音庭」とついているその中庭は、特に変哲があるわけでもないのですが、不思議に眺めているだけで落ち着きを与えてくれます。中庭ですので、向こうからただ眺めている人もいます。同じように何かを感じているのが分かります。花があるわけでなく、ただ数本の樹がその中庭にふさわしく置いてあるだけです。大きすぎて邪魔になることも、小さすぎて物足りなくなることもなく、しかもその建物の年代にふさわしく佇んでいるのです。禅寺はこの庭で勝負をしているのですねと、思わず水野牧師に話してみました。庭を見せるだけで伝えようとするものがあるのです。そういえば、石庭で有名な竜安寺も妙心寺の一つなのです。

いま家に戻ってきて、アメリカの大きな自然に囲まれているのですが、何かを置き忘れてきたような感覚がよみがえってきます。あの中庭はそのままなのですが、何か創造の作品のなかで失ってきたものに気づかされて探し求めているような感覚です。もったいないものを置き忘れてきてしまった感じです。 修道院には中庭があって回廊があって、そこに創造の回復のようなイメージをいただきますが、プロテスタントの建物にはその辺の感覚はないようです。 聖書にはあっても、私たちのキリスト教で失ってしまったのかも知れません。

メシアの到来には、荒野と砂漠がサフランの花を咲かせることがイザヤ書で約束されています。あの失ったエデンの園の回復です。その園を含めた新天新地が約束されています。全地がその創造の神を讃えることが黙示録で記されています。その約束を実現しようと、最上川の隠れ家の周りで花園が作られています。その約束を思い出させてくれるかのように、手付かずの知床半島の自然を今回は向こう側の海から眺めることになりました。

上沼昌雄記