土曜日に一日ポートランドの日本人教会の聖書塾でヨブ記を教えて来
ました。というより、塾生7名と聴講生と牧師ご夫妻も入れ、20名近
い方々と一緒にヨブ記を読んできたという方が正確です。一人では読み
切れないニュアンスやリズムが読み合わせながら伝わってきます。19
章まで辿り着き、途中を飛ばして、38章から最後までを読みながら、
ヨブの心と信仰、友たちの神学について語り合いました。深みと広がり
のあるヨブ記の朗読会でした。
日曜は日英の合同礼拝でした。その前に教会学校の一つで、比較的年
配の方々のグループで話をしてくださいということでした。朝食を牧師
ご夫妻と聖書塾担当の牧師と一緒にいただきました。3月の日本での帰
国者の大会のことが話題になりました。その折りに「遊牧民の神学」と
いうのが話題に出てきました。海外邦人とか帰国者ではなくて、すでに
国境を越え、文化を越えて遊牧民として共に生かされているのです。そ
うです。ノマドの思想がすでに哲学、社会科学で取り上げられているの
です。
そんな会話が切っ掛けになって、教会学校ではヘブル書11章でいわ
れている、自分の故郷を出て、天の故郷を求めている信仰の旅人として
望みを分かち合いました。生まれ故郷を出てから、今までの歩みで失っ
てしまったもの、旅人して傷を受けたこと、海難、戦争の難について
伺ってみました。それは天の故郷で回復され、さらにもっとすばらしい
恵みにあずかれるからです。
ご主人に付いてアメリカに来たのにもかかわらずご主人の死で道に
迷ったこと、ご主人の病で苦労したこと、戦争体験、父親を早く亡くし
て家族の愛を失ってしまったこと、信頼していた人に信じられないこと
を言われたこと、すでに何人かの方は前の聖書塾で人生の旅の苦難を
語ってくれましたので、それぞれその重さを噛みしめながら分かち合う
ことになりました。
一人のそれほど年配でないご婦人が、お見合いで結婚して東京に住み
ついたときに、夕陽がビルの谷間に沈むのを見たときに感じた絶望感の
ようなものを、旅人としての歩みの一コマなのでしょうが、象徴的なこ
ととして語ってくれました。笑いを持って皆さんが納得されていまし
た。日本海側の能登半島が出身と言うことです。夕陽は海に沈むものを
思っていたのが、あのビルの谷間に沈むのを見たときに受けた衝動は今
でも心の襞に深く刻まれているのです。鋭いかき傷です。
最上川沿いの隠れ家を日本での住処のようにさせていただいていま
す。その隠れ家の窓から朝日が山の上から昇ってくるのが見えます。そ
して夕陽は山の上に沈んでいきます。母屋のご主人は福島県の太平洋側
の出身です。朝日は海から昇ってくるものと思っていたました。しばら
く最上川沿いの風景に違和感を感じていたと言われます。この方とカリ
フォルニアのビーチで夕陽が太平洋に沈むのを眺めたことを思い出しま
す。
教会学校の学びの結論は、望みとして目指している天の故郷の風景を
どのように心に思い描いていますかという問いです。失ったもの、傷を
受けたものが今までの人生の旅であるので、天の故郷でいただけるもの
を望み見るのです。家族の愛を失った人には、愛と喜びに満ちた家庭が
待っています。傷を受けたからだは天の故郷で全く浄められます。
皆さんに伺う時間がなかったので、先ほどのご婦人に天の故郷の風景
が出てくるでしょうと確認しましたら、うれしそうに今でも海に沈む夕
陽を見たくなりますと言われます。そうです。天の故郷では、夕陽はビ
ルの谷間には沈まないのです。
上沼昌雄記