『通訳ダニエル・シュタイン』を読む」2010年11月 29日(月)

 クロスカルチャーのなかで聖書を読み、教会生活を送り、神学を
志していると、聖書の読み方も教会のあり方も、それを支えている
文化的なもの、時代的なものの制約を抜けきれないのだろうという
問いを持つことになる。さらに、その文化的、時代的な制約はまさ
に神学の枠として、聖書をある方向で読むことになり、教会のあり
方を決定づけているとも言えるのだろうと自問することになる。そ
れは究極的に、そのような文化的、時代的な制約や神学的枠を越え
た聖書の読み方、教会のあり方はどのようなものなのだろうかと問
いかけることになる。

 友人からいただいた『通訳ダニエル・シュタイン』(新潮クレス
ト・ブック上下)は、そんな文化的、時代的な色彩がこれほど濃密
な状況はないのではと思わされるなで信仰生活を送った実在の人物
をもとに書かれた小説で、それだけまた文化と時代を超えた聖書の
理解、教会のあり方、取りも直さず、信仰者の生き方を暗示してい
る。「ゲシュタポでナチスの通訳をしながらユダヤ人脱走計画を成
功させた若者は、戦後、カトリック神父となって、イスラエルは
渡った。」「惜しみない愛と寛容の精神で、あらゆる人種と宗教の
共存のために闘った激動の生涯」と本の上下巻の帯に記されている。

 最上川の近くに住んでいる農民作家の友人が、昨年新聞でこの本
のことを知り、読んだあとに、「これは信仰のない自分よりも、上
沼さんが読むのがいい」といってくださった。昨年は荷物の関係で
持って帰ることができなかった。この秋に本屋さん巡りをしている
ときに、この本がまだ書庫の前の方に置いてあって、評判になって
いることが分かった。それで持って帰って、読んだ。日本ではすで
に小説として評価されている。それ以上にこの本は、聖書のなかの
物語があちこちに散らされていて、しかも神学的な洞察に富んだ
「神学小説」とも言えそうである。

 ポーランドのユダヤ人で、身分を隠してゲシュタポでナチスの通
訳で働きながら武器を密輸し、ユダヤ人部落の撲滅の情報を伝えて
300人のユダヤ人のいのちを救った。身分がばれて女子修養会に匿わ
れているときにカトリックの信仰を持った。戦後カトリックの神父
としてイスラエルに渡る。英雄として取り扱われるより、自分たち
の信仰の裏切り者として取り扱いを受けた。カルメル山の麓のハイ
ファでカルメル会の祭司として他民族、他宗教のなかで活動をす
る。アラブ人キリスト者も登場する。この本の著者もユダヤ系ロシ
ア人でロシア正教会の信仰を持っている。何とも込み入った、しか
も濃縮された人種的、文化的、時代的状況である。

 このような身動きが取れないような人種的、宗教的な制約のなか
で、ブラザー・ダニエルは逆にその制約を超えたキリスト教のあり
方を模索し、実践していく。それは当然カトリックという枠を取り
払うことになる。時代的にはギリシャ・ローマ的な要素を取り除い
たキリスト教のあり方、それは当然初代の教会のあり方を目標にす
ることになる。すなわちユダヤ・キリスト教会の存在意味である。
「なぜなら、ユダヤ人のいないキリスト教は、普遍性を持たないか
らです。ユダヤ人を失ったことは、キリスト教にとって癒されない
傷となっています。ギリシャ・ビザンチン的要素は、多くの点にお
いて原始キリスト教の本質を歪めてしまいました。」(上211頁)

 このような理解は当然カトリックの枠を越えることになる。訴え
られてバチカンの本部に呼ばれることになる。実在の人物をもとに
しているので史実なのであるが、当時の教皇ヨハネ・パウロ2
世に会うことになる。実は40年来の知古なのである。ふたり
ともポーランド出身である。そのやり取りがどこまで事実なのか分
からないが、ブラザー・ダニエルがカトリックのユダヤ人の取り扱
いを弾劾している。そしてヨハネ・パウロ2世はその非を認め
ていく。ホロコーストの時の教皇の沈黙、イスラエル国家の非承
認、それ以前の十字軍などによる教会のユダヤ人迫害、その非を認めて
2000年3月12日のミサで正式に謝罪、懺悔を行った。

 このふたりのやり取りは、一度神学的な方向が決まってしまう
と、それを変えることが以下に難しいか、それ以上に変えることが
如何に意味深いかを語っている。下巻の真ん中ほどでのふたりのや
り取りは、ローマ書9章以下の理解も含めて、白眉である。一
方にユダ人でホロコーストの生き残りで、カトリックの信仰をもっ
ていながらそれを越えるような活動をする人がいて、他方でそんな
人の意見に真剣に耳を傾けるその信仰団体の頂点に立っている人が
いて、初めて教会の歴史が動いていく。そうでなければ異端という
ことで封じ込められて、教会の歴史はさらに深い闇の中に入ってしまう。

 実際にこのブラザー・ダニエルの信仰形態がカトリックに合わな
いといって訴えていくロシア正教会の祭司を、この作家は登場させ
ている。この部分は多分フィクションなのであろうが、作家自身が
ロシア正教会の信仰を持っていて、しかもこのロシア正教会の祭司
もブラザー・ダニエルによってその地位を獲得したように設定され
ている。裏切りの行為を同じロシア正教会の祭司と設定すること
で、この作家は、自分たちの非をも認めているかのようである。

 ただこの辺は作家の手法なのであろう。その訴えが動き出す前
に、ブラザー・ダニエルが交通事故で召されていくことにしてい
る。それはカルメル山で異教の神と闘った預言者エリヤの姿と重ね
るためであると言っている。この作家は、カルメル会の信仰のあり
方を伏線にしているようである。

 オスヴァルト・ルフェイセンという実在の人物は、実際にブラ
ザー・ダニエルと呼ばれていた。小説でダニエル・シュタインと名
付けている。そのシュタインという姓名は、ドイツ系ユダヤ人で、
同じようにカルメル会の女子修道士になり、アウシュヴィッツで殺
された哲学者でもあるエディット・シュタイン女史を思い出させ
る。多分そういう結びつきなのであろうが、著者に聞く以外にない。

 この本ではプロテスタントのことはほとんど出て来ない。ただブ
ラザー・ダニエルたちの礼拝場の修復のために、アメリカのプロテ
スタントの団体が多額の寄付をしてくれたこととして触れている。
ありそうなことである。またそうすることで、著者はプロテスタン
トもブラザー・ダニエルの信仰の動きに含めようとしているのかも
知れない。

 確かに自分たちこそは聖書を正しく理解して最も聖書的だと思っ
ているプロテスタントの人もいるかも知れない。しかしよく振り
返ってみると、そこでの聖書の取り扱いのツールは、ギリシャ・
ローマ的要素の上に、啓蒙思想を否定しながらその否定のために
取っている主知主義的な枠をもった歴史的、文化的なものであるこ
とが分かる。しかしこれは、モノカルチャーにいると見えない。ク
ロスカルチャーのなかで見えてくる。長い教会の歴史のなかでは、
それぞれがモノカルチャーのなかで、それぞれの信仰形態を聖書に
基づいて築いてきた。それなりに許されたことである。今は、クロ
スカルチャーでグローバルな時代になってきた。それこそカル
チャーを越えた信仰を考え、体験するときである。『 通訳ダ
ニエル・シュタイン』は、そんな信仰者の先駆けを再現しているま
れな小説である。

 もちろん、「モノカルチャー」「クロスカルチャー」というの
は、メタフォリカルな言い方であるが。

上沼昌雄記

「伝道的な教会!」2010年11月23日(火)

 ロサンゼルスから南東に100キロほど行ったところにリー
バーサイドという町があります。ひとつ山を越えた向こう側で、郊
外と言うより、町外れの独立した町という感じです。その町ですでに40
年近く伝道している牧師がいます。グレッグ・ローリーです。すで
にメガチャーチのひとつになっています。ハーベスト・クリスチャ
ン・フェローシップです。

 激しい雨が降っていたのですが、最初の礼拝にゆっくり間に合う
ように出かけました。15分前の7時30分に教会の
近くの交差点に来ました。すでに駐車場に入る車が列を作っていま
した。雨降りなので礼拝堂の近くに停めることができるかと思って
きたのですが、全く外れに近いところになりました。雨に濡れなが
ら会堂に入りましたら、すでに7割ほど埋まっていました。こ
んなに早くよく集まるものだと関心をしました。

 そして最初の礼拝からすでにビートに乗った演奏が始まりまし
た。東久留米の教会で3回の礼拝をしてきましたので、早朝の
1回目の礼拝はどちらかというと静かに始まるものと思っていました
ので、すでに熱気に満ちた礼拝に目が覚めました。グレッグ・ロー
リー牧師も、どちらかというと全開モードで語り出しました。バル
コニーが付いていて、会堂としてそんなに大きな感じではないのです
が、2300人の客席があるということです。 斜めから講
壇と会衆全体が見回せる一番左側の内側の通路側に座りました。

 グレッグ・ローリー牧師はしっかりと45分間説教をしてい
ました。アメリカの教会は賛美30分説教30分で、きっかり1
時間でまとめていくのが大方のようなのですが、この牧師はゆっく
りと時間をかけて、マタイ福音書12章から「赦されない罪」
について語りました。それで3回の礼拝の時間の配分が分かり
ました。2回目が9時45分で、3回目の礼拝は11
時45分です。多くの教会が礼拝を終えるときに3回目の
礼拝が始まるのです。

 最初の礼拝が終わって、すでに雨が上がっている外に出て、新鮮
な空気を吸って、2回目の礼拝には講壇の近いところに座りま
した。前列の真ん中の右側の前から5番目の列の真ん中に座り
ました。ようやく自分のスペースを確保できるほどに詰まってきま
した。そこに座ったのはグレッグ・ローリー牧師の服装に多少関心
があったからです。スクリーンにも映ってくるのですが、全体像が
分かりません。チャコールグレーのシャツといっても、高価なもの
ではなく、どこにでも手に入りそうなものです。それにチャコーグ
レーのジャケット、それも体にぴったりとしたもので、ボタンが閉
まるようなものではありません。それの同じ色のジーンズのような
ものをはいているのですが、ジーンズのようでもないので確かめた
かったのもあります。

 それは先が多少細くなるもので、60年代の若者が履いてい
たものを想像させます。ジーンズではなく、よれよれの感じです。
しかも履いている靴も先が尖っているのです。同じチャコーグレー
です。結構がっちりとした体型なので、おとぎの国に出てくるおじ
さんを思わせます。それでいて全く違和感がありません。どこでも
このスタイルでメッセージを語っています。グレッグ・ローリーの
スタイルになっています。

 45分の説教で、聖霊にそむく罪がどのように赦されないの
かを説明して、ヨナのしるしに結びつけて、キリストの復活から、
最後はしっかりと招きにまで導きます。最初の礼拝では招きはな
かったのですが、2回目と3回目は招きをしました。特
に3回目は時間的に若者が多かったので、促すようにしかも遠
慮なしに招きをして、前に出てくるように導きました。結構の人が
出てきました。3回目はバルコニーの真ん中の前列の左端に座
りましたので、出ていく人たちがよく見えました。

 グレッグ・ローリーは毎夏にあのエンジェルズのスタジアムで
ハーベスト・クルセードを行っています。それ以外のアメリカの各
地でもクルセードを行っています。シアトルで行った最近のクル
セードの模様をビデオで説教前に見せてくれました。3回の礼
拝のメッセージも、聖書をしっかりと解き明かしていながら、最後
は伝道メッセージで閉めています。そして3回とも聞いていて
も新鮮なのです。福音に生かされることには枯れることのないいの
ちが流れていることを身近に感じます。

 伝道的なメッセージ、伝道的な教会、それはアメリカでも日本で
も、福音派のいのちのように心がけてきたのですが、どこかでいの
ちを失い、マンネリ化してきました。それに代わるように、魂への
配慮、カンセリングに力を注ぐようになってきています。それでも
同じことの繰り返し、堂々巡り、内面的な人間関係の複雑化に陥っ
てしまいます。牧師は疲れ、礼拝も新鮮さを失ってきます。教会自
体が行き止まりのような感じになってしまいます。

 グレッグ・ローリーのメッセージとこの教会にはそんな行き止ま
り観はありません。何か打ち破るものがあって、溢れ出てくるもの
があります。すでにここで40年近く伝道をしていながら、な
お途上にあるという感じをしっかりと持っています。礼拝堂もメッ
セージもどちらかというと素朴です。当たり前の感じです。普通の
町にある教会です。ただ駐車場の向こうは飛行場です。開け放たれ
た感じです。どこかに飛び立とうとしている感じです。

 3回の説教を聞きながら、この立ち止まらないで破れるよう
な力は、グレッグ・ローリー自身の福音による変革の深さから来て
いるのだろうと、想像しながら、納得しました。親の離婚、家庭崩
壊という家庭環境で育ち、麻薬で過ごした10代の終わりに信
仰を持ったのです。そしてそのまま伝道生活に入ったのです。福音
によって変えられることの体験の深さが、今の伝道活動を支えてい
るのでしょう。自分が変えられたのだから、どのような状況の人も
変えられると信じ切っているのです。それはメッセージを聞きなが
らしっかりと感じ取れることです。誰もが感じ取れることだと思います。

 2年前にふたりの息子の長男を交通事故で亡くしています。
厳しい試練を通り抜けています。信仰の厳しさを体験しています。
想像もできないことです。

 先週の記事「聖書の権威?」に、同郷の友人の牧師がレスポンス
をくれました。会衆の必要に説教でどのように答えたらよいのだろ
うかというものでした。それに対して、チャック・スミスの教会のように
1万人の会衆を相手にしたら、目に見える会衆の必要という枠を越え
ているのでしょうと返事をしました。そんなことがあって、前から
訪ねたいと思っていたグレッグ・ローリーの教会を雨の中、出かけ
てみました。

 今回日本滞在の折、最上川の隠れ家での夕べの祈りの時に、ミニ
ストリーとしては結構多面的なことをやっていますが、自分のなか
の確信はみことばによって人が変えられていくことですと話しまし
た。そんな思いをよく分かってくださいました。同じ思いで、最上
川沿いで伝道しているこのご夫妻と、自分たちの生かされている原
点を確認してきたことを、グレッグ・ローリーの説教に接したこと
で、思い出しています。

上沼昌雄記

「聖書の権威?」2010年11月16日(火)

 今回いろいろな方のお話を聞き、またお話しをさせていただい
て、一週間前にカリフォルニアに戻ってきました。日本を離れる前
に北海道を旅していました。大雪山の向こう側はすでに雪の中でし
た。カリフォルニアの太陽のまぶしさに、一瞬別世界に入ったよう
な感じでした。両親は以前より安定しています。その分どのように
助けたらよいのか妻は工面しながら対応しています。母は礼拝でパ
イプオルガンを弾いています。

 その礼拝に出席しました。一部礼拝で、いわゆる伝統的なスタイ
ルです。二部礼拝は若者向けです。そのスタイルはともかくとし
て、礼拝は見事なパーフォーマンスです。それもアメリカらしくて
良いのですが、何度も聞いているこの牧師のメッセージでの聖書の
位置づけに、多少の違和感を感じます。内容も整っていて、パワー
ポイントで説明をしていきます。聖書も何度も引用します。かたち
の上では聖書的なメッセージです。

 それでもその視点は、私たちの必要のために、聖書をテキストに
してそこからノウハウを引き出すものです。かたちとしては主題説
教になります。そうなのですが、その形式ではなくて、聖書に対す
る姿勢があまりにも、自分たち中心、私たち中心なのです。すなわ
ち、私たちの必要のために、聖書からそのための処世術を引き出
し、提供していくものです。聖書がどれだけ自分たちに役立つかと
言うことが焦点になります。それは講解説教という形を取っても同
じことになります。

 どうも気になるので、礼拝から戻って食事をしているときに父に
正直に述べてみました。同じように思っていました。気になるの
は、僭越に聞こえるかも知れませんが、このような聖書理解で会衆
が霊的に成長するのだろうかと言うことです。また会衆はすでにこ
のようなハウツウものは飽きているのではないかと思います。それ
よりも会衆はまさに堅い食物を欲しているのです。これはたとえ講
解説教をしていても起こります。基本的に聖書を自分たちの必要の
ためのテキストのように見ている限り、かたちはどうでも、ただ自
分たちの世界に聖書を引き下ろしてしまうのです。問題解決のため
のテキストとしての聖書なのです。またそのように聖書を読むこと
を勧めるのです。

 このようなことを思い巡らしていると、今回の日本でのいくつか
の対話のなかで、あの100歳の大村晴雄先生とのことが浮かん
できます。引退後も、奥様を亡くされたあとも、ヘーゲル研究会と
イザヤ書の聖書研究会を今に至るまで続けています。全く失礼と
思ったのですが、今回の会話の流れのなかで思い切って聞いてみま
した。先生にとってはヘーゲルと聖書は同等なのでしょうかと。そ
うでないことは分かっていたのですが、聞いてみたかったのです。

 しばらく沈黙されて、ヘーゲルは哲学の文献に過ぎないと、それ
だけを当然のように言われました。分かっていることをなぜ聞くの
かという思いをもたれたかも知れません。それでもその一言で、
ヘーゲルをはるかに超えている聖書の位置づけを大村先生のなかで
知ることになりました。ヘーゲルの哲学大系がどうであっても、そ
れは人間の思考の産物に過ぎないのです。おそらく先生のなかには
ヘーゲルの言っていることは隅々にまで研究されている上で、なお
それを超えた聖書の神のことばとして位置づけているのです。それ
は同席された小泉氏にも私にもそのまま納得のいくことです。

 その一言を語ってくださって、そのあとは気持ちよさそうに、
ヘーゲルの論理学のロギークのロゴスがヨハネ福音書に端を発して
いることを、そのようには受け止められない哲学会のなかでの反応
を紹介しながら話してくださいました。その件は何度か聞いている
のですが、その度に力が入ってきます。聖書はヘーゲルをはるかに
超えているのです。そのことを、ヘーゲルを生涯学び続けるなかで
主張されているのです。聖書はヘーゲルの思想に影響していても、
なおヘーゲルの哲学を超えているのです。そうなので聖書を学び続
けるのです。イザヤ書をヘブル語で学び始めるのです。イザヤ書の
53章が一番好きのように言われるのです。

 自分なりにハイデガーを学び、ホワイトヘッドを学び、レヴィナ
スを学んできました。それが聖書に代わることはないのです。聖書
は神のことばです。大村先生との交流を通していただいた聖書への
姿勢です。今回大阪の天満というごちゃごちゃした通りの古本屋で
ジョルジェ・バタイユの『 内的体験 』を見つけまし
た。その続きでさらに2冊ほどバタイユのものを手に入れまし
た。私の読書と文学の指南役の友人に伝えましたら、そんな本を牧
師が読んでいいのですかと冗談めかして言ってきました。「無神学
大全」と言われるシリーズのひとつです。無神論ではないのです。
無神学なのです。宗教体験を大切にしているのです。聖書にみられ
る宗教体験です。

 聖書から私たちの必要のためのノウハウを引き出せるという姿
勢、それが主題説教でも講解説教であっても、それは結局聖書を私
たちの世界に引き下ろすことになります。私たちがマネージできる
ものとし聖書に取りかかるのです。そのように2千年の神学の
歴史で培われてきました。聖書の極意を把握したようにいう人がも
てはやされ、またそのように鼓舞されるのです。私たちがどんなに
聖書を学んでもなお捉えきれない神の奥義への畏敬はないのです。
神への畏れはないのです。自分が聖書を把握したかのように言うの
です。聖書の権威は、これが聖書の教えと主張する人たちによっ
て、地に引き下ろされてしまうのです。

上沼昌雄記

「最上川と信仰」2010年11月11日(木)

 最上川の隠れ家の周辺は神の介入で人の動きが激しくなってきて
いる。地域の人、信仰を持つ人、全体の動きをまとめる人、助っ人
のような人、庭の整備に集う人、そんな人の動きと同時に、周辺の
空間も落ち着きと暖かみを帯びてきている。神様の日だまりのよう
な雰囲気を醸し出している。

 東京のクリスチャンのフリーランスライターの友人の紹介で、隣
町の農民作家と知り合うことになった。隠れ家に滞在の折に温泉と
おそばを食べによく誘ってくれる。山形県は各市町村に温泉場があ
るという。一年前に聞いたこともない温泉場に連れて行ってくれ
た。月山を眺めながら透き通った湯船に体を休めることができた。
そしてすぐ隣の最上川沿いのカフェで、その時はおそばではなく
て、スパゲッティーを食べているときに、この最上川の上流にキリ
シタンの跡があると言い出した。

 それだけでなくて、山形の農民詩人として有名な真壁仁という人
の文章のなかに、最上川沿いの佐野原というところに隠れていた宣
教師が隠れきれなくなって、最上川沿いに酒田に下って、日本海を
渡って、さらにロシアを横断してローマのバチカン本部に帰った記
録が残っているということであった。事実としてありそうである。
また尊大なロマンスを感じさせる。ともかくこの友人の農民作家の
語ってくれたことに心が惹かれた。当然どこかで逃亡を助けたキリ
シタンもいたのだろうと想像する。

 今回この農民作家にお会いしたときに、その真壁仁の書いた文章
を持ってきてくれた。朝日選書の『流域紀行』という本の最上川に
関する文章のなかであった。次のように記されている。「何年かは
不明であるが、佐野原の宣教師が代官に追われて、最上川を渡り、
対岸の朝日岳山中に隠れた。村人はしばらく食物を搬んだ。その
後、山みちを酒田に出て、北海道、樺太、シベリヤをまわり無事本
国に帰った。戦後の27年、ローマから米沢の教会あて、地名
の問い合わせがあって、その帰国の道筋がわかった。」(176頁)

 この真壁仁という詩人は郷土史を綿密に調べているので確かな資
料に基づいているのだと思う。東北のキリシタン関係の他の資料で
も出て来ないこのような歴史をよく調べて書いてくれたと驚いてい
る。同時にその資料を確認したく思っている。真壁仁はもう一つ興
味あることも記している。それは昭和26年にこの佐野原とい
う部落で、女性の宣教師によって1村60名がこぞって洗
礼を受けて世間の注目を浴びたという。もともとはキリシタンの隠
れ里であったからである。

 こんな歴史を読んでいると、40年前にKGKの主事をして
いるときに、その佐野原の先の荒砥というところのホーリネス教会
の出身の姉妹が山大KGKの水曜会にいて、かなり奥地で活発な教
会活動がなされていたことを聞いていたことを思い出す。同時に
400年前の迫害と殉教の歴史が今にも人の心に深く影響して霊的な覚
醒を起こしているのだろうかと思わないわけにいかなくなる。最上
川沿いに神の日だまりができているのも無関係でないのかも知れな
い。キリストの信仰と殉教の血は深い水脈となって今に届いている
のであろう。

 ともかくこのことを紹介してくれた隠れ家の隣町の農民作家の方
と、真壁仁の文章に記されているこのふたつのことを共同で調べて
みましょうと確認をして、隠れ家を離れてカリフォルニアに帰って
きた。どんな資料に出会えるのか興味があるのと同時に、最上川沿
いから隠れながら400年前の北海道、樺太、シベリヤをまわり
バチカンまで戻った宣教師の足跡を想像するだけでワクワクしてく
るものがある。

上沼昌雄記

「MK」2010年11月3日(水)

 私の妻はMKです。Missionary Kid、すなわち、宣教
師の子どもです。当然兄姉6人みなMKです。よく日本で
の経験が話題になります。私がその場にいなければかなり深刻なこ
とも話し合っているようです。妻の友人で同じMKの人に何人
か会っています。またそのような人のことを妻から聞いています。
私たちと同じように日本人と結婚しているMKのことも聞いて
います。

 昨日、日本人のMKに会いました。以前にも会っているのです
が、MKというのは感覚として欧米人だけと思いこんでいると
ころがありましたので、この日本人のお子さんがMKであるこ
とをあらためて確認することになりました。彼女のご両親に宣教地
での経験をうかがうために、青函トンネルを夜行列車で通り抜け
て、早朝の札幌駅で友人が会い、昼に旭川の手前の、すでに紅葉が
終わって冬がすぐそこまで来ている小さな町にきました。15
年以上の宣教活動を終えて実家のあるこの町で高校3年生のお
嬢さんと、静かに、しかし楽しそうに生活をしています。

 今回はインタビューに伺うと言うことで、こちらの聞きたいポイ
ントで話をしたいと思っていたのですが、このご夫妻も自分たちの
経験を確認するように、ためらわずに、昼から夕方まで途切れるこ
となく話をしてくださいました。学校が終わってお嬢さんが帰って
きました。今回の私の訪問の目的を親から聞いていたようで、イン
タビューに快く応じてくれました。

 宣教地で生まれ、8歳の時にお姉さんを含めて4人家
族で日本に帰国し、この町に住みつきました。上のふたりのお兄さ
んはすでに家から離れていました。ホームシックになりお姉さんと
ふたりで泣きながら戻りたいと訴えていました。ただ自分はすぐに
友達もでき、陸上部で励むことができたのですが、地元の中学に
入ったお姉さんにとってはすでにグループが出来上がっていて、友
達もできず、自分より大変であったと、お姉さんに変わって話して
くれました。誰も自分たちのことを分かってくれる友達はいなかっ
たのです。それでも自分にとっては姉がいて、お姉さんにとっては
自分がいたことは救いだったのです。

 自分の心あることをとても上手に表現され、こちらがそれに乗っ
て質問することに、的を射た矢に反応するように受け答えしてくれ
ました。絵も上手に描くことができ、この2年ほどはその絵の
カレンダーが印刷屋さんから多くの人の手に渡っています。経験し
たこと、心にあることを気張らないで、スムーズに言い表しますの
で、こちらもそれに乗って結構遠慮なく聞くことができました。そ
うなので日本人でMKのコーディナーターになれますねと言い
ましたら、すでにそのような交流が起こされているようです。

 小学校の半ばで生まれた宣教地からも友達からも切り離されて、
日本人でありながら住んだことのない日本に強制的に帰ってきたこ
とは、自分にとっては神に翻弄されたことだと正直に言います。今
はそこにも意味があるのだろうと思うようになりました。ただ日本
になじめないままで留学しているお姉さんのことを心にかけています。

 ご両親へのインタビューの後にMKの視点からの話が加わっ
たことで、このご一家のストーリーの深さと広がりを知ることにな
りました。いずれ4人のMKの子どもさんたちが、海外で
の経験を踏まえてさらに広い恵みをこのご家族のもたらしていくの
だろうと、インタビューの締めくくりで思わされました。そして、
そのことが妻の家族のことと重なってきて、望みが新たにされ、う
れしくなりました。

上沼昌雄記