田の教会の2階に入りことができました。お忙しいなか教会の方々
が大変きれいにしてくださり、必要なものを整えてくださいまし
た。ともかく畳の部屋に布団を敷いて、長い旅を終えて休むことが
できました。石川兄弟が車を貸してくださっているので、次の日か
ら生活のために買い物にもでかけることができました。まだ雪が
舞ってくる気候で、ストーブのある部屋で妻とべちゃくちゃと語り
合いながら、2ヶ月半の短期宣教師としての生活を始めることがで
きました。
受難週とイースターを迎えることになります。教会で土曜日を
使ってエレミヤ書の学びをしてほしいという要請がありますので、
受難週のために同じ預言書のイザヤ書53章の「苦難の僕」か
ら一緒に考えてみたいと思いました。700年後にキリストにお
いて成就した預言です。それでそのままキリストの十字架の苦しみ
になるのです。しかしその前に、ともかく当時の人はどのような思
いでこの預言を聞いたのであろうか、それよりもどうして神はイザ
ヤを通してこのような苦難の姿をあえて語らなければならなかった
のであろうかと、不思議に思わされています。
「砂漠の地から出る根のように育った」(2節)と言われて
います。そうすると当然11章1節で言われている「エッ
サイの根株から新芽が生え、その根から若枝が出て実を結ぶ」と言
われている明るいポジティブな約束を思い出します。しかし53
章では全く暗いネガティブな約束なのです。この落差はどうしてな
のでしょう。
第二イザヤと言って別の人が書いたからだと言えば、そんな落差
は気にしなくても良くなります。むしろ同じイザヤが、53章
に来たときには、約束の僕を「見栄えもない」「悲しみの人」と言
わなければならない、それほどひどい状態に神の民が置かれていた
からだと思えて仕方がありません。その前の章でエジプトに下った
ことと、アッシリヤにゆえなく苦しめられたことが具体的に記され
ています。その民の逃れられない苦しみを代表するために、その苦
しみを一身に担うために「見栄えもない」若枝を備えるのです。
苦しみのなかにある人々に、神はその苦しみの極みを引き受ける
人を備えるのです。そうすることで神が民の苦しみを担っているこ
とを示すのです。当時の人にはただそれだけで慰めになったのでは
ないかと思われます。その人が懲らしめを受け、打ち砕かれ、傷を
受けることで、民の苦しみが昇華されかのようにして平安といやし
がもたらされるのです。
「しかし、彼を砕いて、痛めることは、主のみこころであった。」(10
節)何とも大胆な言明です。明るいポジティブなメシアの到来のた
めには、暗いネガティブなメシアの顕現が必要なのです。苦しみの
極み、そこに含まれる身代わりの神秘、代償としてのいやしと平
安。苦しみを静め、問題を解決することで救いをもたらすのではな
いのです。むしろ苦しみの極みが露わにされることで、主のみここ
ろが果たされるのです。
このことは700年後に見事にキリストにおいて成就するので
す。しかし、イザヤ書53章で言われていることは、当時の人
たちの心を励まし、生きる指針を示しています。当然私たちにも当
てはまるのです。誰もが苦しみを受けています。家族の苦しみを、
社会の苦しみを負っています。しかも私がその苦しみの極みを負わ
なければならないかも知れません。そうすることで他の人に平安が
及んでいくかも知れません。そうなることが神のみこころに叶った
ことなのかも知れません。
そんなこと思いながら短期宣教師としての奉仕を始めています。
上沼昌雄記