「一粒の麦」2009年3月25日(水)

 
ウイークリー瞑想

 先週末に持たれた全世界からの帰国者の大会All
Nations Returnees 
Conferenceは、想像をはるかに超える参加者が集いました。受付が間に
合わないほどでした。長い列ができて、自分の割り当ての部屋に入れた
のが真夜中というケースも起こりました。それでも忍耐強く待っている
姿は、ホテル当局者に良い印象を与えたようです。600名近いイベン
トを暮れのイクイッパー・カンファレンスに続いて処理するのは、JC
FNの主事たちにも多くの負担になりました。それでも何とかこなして
くれました。ただ頭が下がる思いです。

 JCFNは北米を対象にした働きです。今はヨーロッパ、アジア、オ
セアニアの諸国からの帰国者が日本に多くいます。それぞれの帰国者の
働きとタイアップして、全世界的な意味での集会となりました。ヨー
ロッパで音楽を研鑽された一流のアーティストが集会毎にすばらしい演
奏をしてくださいました。堪能させていただきました。

 直前になっても多くの帰国者が集ってくださったのは、それだけ必要
があることを示しています。文化の違ったところでキリストに従う恵み
を経験した人が、日本で沈黙を強いられているのかも知れません。違い
を出せないのです。差異は排除されるのです。同化されることだけが求
められるのです。息苦しさを感じている人たちが息を吹き返す場となっ
たのです。カンファレンスはそんな場を提供するだけです。カンファレ
ンスの実行委員会は、ただそのためだけです。

 そんな雰囲気を受け止めて、来年もしましょうと誰からともなく言い
だしています。その方向で動き出さしています。止めることができませ
ん。誰がどこで決定するのかも明確でないこの動きは、次の段階にさし
かかっています。そんな動きを感じながら、続いて同じ会場で一泊のJ
CFNの理事会を持ちました。感謝に溢れているのと同時に、実行部隊
に関わった主事と理事は疲労困憊で、目の覚めた鋭い理事会とはかけ離
れたものとなりました。それでも来年もと言うことはしっかりと受け止
めました。

 17年ほど前にJCFNに理事として関わることになったときに、こ
の働きに一人の姉妹のいのちが捧げられていることを知りました。最初
の修養会の帰り道で、事故で召されたのです。これからと言うときに若
いいのちが捧げられたのです。関わっている人たちにとって大きな痛み
となりました。JCFNのロゴは「一粒の麦」となりました。理事とし
て関わるときに、このいのちのために私も自分をささげることを求めら
れました。いい加減にはできないことです。

 現実には理事として何もしてきませんでした。主事たちが全力で頑
張っているのを後ろから支援するだけです。主事たち、若い人たちに全
面的にゆだねました。委員会には牧師を入れないという不文律を勝手に
作りました。出てきた問題の処理のための理事会と決めました。どんな
ことがあっても捧げられた一粒の麦を思い起こすことになりました。数
年前には献身的に奉仕をしてくれた姉妹がガンで召されました。もう一
粒の麦です。

 一粒の麦の継承、いのちのバトンタッチ、そんな輪がいま日本で広
がっています。誰も止めることはできません。いのちは溢れていきま
す。アメリカで留学生のためにと思って始まった働きが、日本で全世界
的な規模でその実を結ぼうとしています。捧げられた一粒の麦が、日本
でも豊かな実を結ぼうとしています。そんな深い神の導きを覚えつつ、
JCFNの理事としての責任を次の人にバトンタッチできるのは感謝で
す。

 上沼昌雄記

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「孤独な旅人」2009年3月20日(金)

ウイークリー瞑想

 「長年隠していた自分の父の事を語った事で、心の中の風向きが変わ
り虚無な北風から生身の暖かさが混じる春風へと状況が変化してい
た。」そんな書き出しで、出会った本から、エルサレム賞をいただいた
村上春樹のことを一人の友が書いてこられた。東大文学部のOB会のサ
イトに載せるためだと言います。

 出会ったと言っても、ブックオフでその本のタイトルが飛び込んでき
て、本の方が読んでもらうことを待っていたかのように、手にして近く
の公園でむさぼるように読むことになったと言うのです。それはジャッ
ク・ケルアックの『孤独な旅人』です。1960年に出た、まさにビー
ト・ジェネレーションの代表作です。その邦訳の初版ものがハードカ
バーの箱入りでブックオフに出ていたと言うのです。

 数年前にこの方が、私の文章を読んでビートニクと言ってこられまし
た。その意味を説明してくれました。ケルアックの出世作『路上(On 
The
Way)』のそのビートに乗った文章のことをビートニクと言うらしい
のです。さらにそのビートニクとスプートニクを取り違える話から、ま
さにスプートニクのように、恋に陥っていつ戻るか分からない旅に出た
ガールフレンドのことを書いた村上春樹の『スプートニクの恋人』を紹
介してくれました。

 シアトルから山奥に入った合衆国森林管理局の山火事監視員として
3ヶ月間一人で過ごした時のことを、ケルアックが「山上の孤独」と言
うことで『孤独な旅人』で記しています。『スプートニクの恋人』の初
めの方でそこからの引用があります。『荒野での退屈な孤独でさえも意
味がある、自分自身を発見したただひとりの自分自身を頼り、その結
果、真のそして隠れた力を学ぶのだ!たとえば空腹の時に食べ、眠たい
時に眠る事を学ぶように、、、。』

 そんなことで気になって、確か数年前に『路上』を英語で読んで、文
章がビートに乗って踊りながら駆け巡っていることが分かりましたが、
今度はこのロンサムトラベラーと言う『孤独な旅人』を読んでみたくな
りました。今は幸い河出文庫で出ています。成田に着いて東京駅で新庄
行きの新幹線との時差を使って、八重洲ブックセンターで手に入れまし
た。半分眠りながら列車のなかで読んできました。

 訳者は詩人でもあるというので、あのビートに乗ったリズム感のある
文章を見事に訳しています。同時にセンテンスとセンテンスの間が説明
なしに飛ぶように跳ねているので、読みやすいというのでもありませ
ん。だれにも理解されない、だれにも見られていない、あのアメリカの
栄華を極めたような時代を、一人勝手に、そして一人寂しく旅をしてい
る青年の姿が文章そのものからも浮かんできます。それはどれだけ社会
的に成功したと思っている人も、そこから出ていって旅人として初めて
真実に出会うことを、ケルアックが代弁しているからです。真理は孤独
のなかでしか見いだせないのです。真実な出会いは孤独のなかでしか起
こらないのです。

 全世界からの帰国者の大会に参加しています。昨日はフォーラムを中
心に帰国者の受け入れなどをテーマにしていました。意味のあるパネル
ディスカッションを聴きながら、牧師も教会も異文化を経験してきた日
本人クリスチャンへの対応を真剣に考えていることが分かります。すで
に宣教師の子どもとして、異文化体験どころか、異文化にアイデンティ
テーを持っている日本人もいるのです。

 日本の教会への適用、帰国者の受け入れのことを聞きながら、さて待
てよという気持ちが起こってきました。それは何か、日本の教会という
か、教会そのものが最終的到着地のような響きを持っているからです。
どの国の教会もその国の文化を一杯吸い込んでいます。それでも帰国者
の課題は、その国の文化のなかの教会から、別の国の文化のなかの教会
への移行ではないのです。さらに教会そのものが寄留者としての旅人の
最終到着地でもないのです。教会は旅人のその都度の礼拝の場です。

 約束の地を求めて旅をしている私たちは、この地上では安住の地がな
いという意味では「孤独な旅人」です。アメリカの教会を経験し、日本
の教会を見させていただいて、教会が余りにも、アメリカでも日本で
も、その地に、その文化に同化し、埋没しているために、寄留者として
「孤独な旅人」であることを誇りに持って生きたくなりました。

 上沼昌雄記

「他者としての日本への旅」2009年3月11日(水)

ウイークリー瞑想

 他者を視点に世界を見直しているユダヤ教徒の哲学者のレヴィナス
は、時間も他者と見ています。自分の思い通りに行かない、驚きとして
到来するからです。その究極としてメシア到来を認めています。来週か
ら4月12日のイースターまで日本に伺います。5月、6月と、9月、
10月の例年の奉仕とは別の訪問となります。レヴィナスのいう時間も
他者であるという意味を知らされています。桜を眺められるとは別に、
例外的な、驚きとしての会合が備えられているからです。

 19日から22日まで、全世界からの帰国者のカンファレンス、All 
Nations Returnees
Conferenceの参加が今回の主目的です。JCFNと
いう留学生の働きに理事として関わってきて導かれたことです。JCF
Nは北米だけですが、アジア諸国、ヨーロッパ、オセアニアと、日本人
が世界中に出て行って文化の違いのなかで信仰に導かれ、恵みを新たに
して帰ってきています。今日本にはそんな帰国者が多くいます。JCF
Nの理事会でその人たちの会合を日本でという思いが与えられ、今回初
めての集会となりました。主事たちは暮れのアメリカでのイクイッ
パー・カンファレンスに続いて全力投球です。昨日の報告では450名
の参加者と聞いています。どんな集会になるのか楽しみです。

 この集会に続いて22日と23日に日本で初めてのJCFNの理事会
を持ちます。トロント、アトランタ、デンバー、サクラメント、ハワ
イ、日本と散らばっている理事たちです。働きの必要と使命を感じてく
ださって犠牲的に奉仕をしてくれています。ロング・ビーチに本部を置
いて、日本の宣教のために立てられています。発足、設立と20年近く
理事として、理事会のまとめ役として関わってきました。そして次の若
い有望な人にバトンタッチをする時です。シカゴ在住のすばらしい女性
です。

 このサクラメント近郊に日本から移り住んで20年、その働きという
か苦闘を見せていただいてきた、みくにレストランの創業者で牧師の荒
井孝喜師の「みくに物語」になる本の出版記念会が、続いて24日の晩
に、新しいいのちのことば社の本社で執り行われます。ご夫妻で死ぬよ
うに働いてきました。私のミニストリーの理事をしてくれていますが、
戦場のようなキッチンに何度も伺いました。目の回るような忙しさのな
かでも牧師としての視点は全くずれないのです。そんなことを見せてい
ただいた証人として参加します。

 昨秋あの清里で、闇の本が出たこともあって、それぞれの闇を分かち
合うことになりました。自分のルーツに辿るような旅の分かち合いで
す。その時の男どもが武蔵野の森の奥で「闇なべの会」を30日の夕刻
に計画してくれています。闇の誘いなので万難を排して参加します。深
い森の奥を一度通過した男たちの晴れやかさが伝わってきます。

 同じ昨秋のことです。故郷前橋を訪ねて、高崎駅で新幹線に乗り換え
るために改札を通ったときに、一人の人が私を指さしていました。目を
上げてみたら高校の時の友人です。数十年ぶりの再会です。互いに見過
ごすこともないほど変わっていません。20分ほど立ち話で、同じよう
に教会にも一緒に行っていたもう一人の友人とも交流もあって、私が再
度前橋に戻って教会で説教することになっていたのですが、二人で聴き
に来ると言うことで別れました。当日講壇に立ったときに懐かしい顔が
うしろの方にありました。

 その日はふたりとも用事があって挨拶だけで別れました。この年の初
めコンピュータのアドレスブックを作り直す必要があって、ふたりのア
ドレスを入れました。ウイークリー瞑想を読んでくれています。調整を
しながらこの4月1日に前橋で、3人で合うことになりました。信じら
れないことです。まさにエイプリルフールにふさわしいことです。

 来週からの日本はエキストラで、しかも義務的な感じもあって、多少
気の重たいところもありました。しかし、エキストラはエキストラで思
いがけないことを主は備えてくれています。時間を他者として、手を開
いて待ち望むことでしか対応できません。さて何が起こるのか、心震え
ることです。

 上沼昌雄記

「村上春樹のメッセージ性」2009年3月6日(金)

 
神学モノローグ

 イスラエルの文学賞「エルサレム賞」を受賞した村上春樹の記念講演
の全文が3月2日と3日の毎日新聞の夕刊に掲載されたのを、友人が
PDFで送ってくれた。すでにYou
Tubeでその状景を観ることがで
きた。友人の添えてくれた言葉が同時に魅力的であった。「翻訳者は新
聞社学芸部の佐藤由紀さんというかたで、昔からとてもいい記事を書く
かたで、日本語文もまた味わい深いです。もちろん、村上春樹の講演内
容が言葉を失うほどにすばらしいのは言うまでもありません。」

 記事の全文はmainichi.jpにも掲載されている。読んでみて、
小説家としての村上春樹のメッセージ性に唸らされている。イスラエル
軍のガザ攻撃で1000人以上が死亡した後で、受賞拒否の助言、本の
不買運動の警告がありながら、それを講演で紹介しながら、講演後は満
場の拍手に囲まれ、もみくちゃにされながらサインをしていたと解説が
伝えている。イスラエルの人々は村上春樹のメッセージを見逃さなかっ
た。

 村上春樹は、マラソンとか食べ物、音楽のことは自分のこととしては
よく書いている。自分が一人っ子であることも書いている。親のことは
どうなのだろうかと思っていた。この講演で、昨年90歳で亡くなられ
たお父様のことに触れてきた。教師であり、僧侶であったお父様が、中
国戦線から帰ってきて、朝食前、仏壇に向かって長い心のこもった祈り
をしてきた。戦場で死んだ人みんなのため、敵も味方もみんなのためだ
と言う。その死の影の存在を、遺産として受け継いだと紹介している。

 <高くて頑丈な壁と、壁につぶされ壊されてしまう卵があるなら、私
はいつでも卵の側に立とう> 壁は文句なしに強力なイスラエル国家と
軍である。卵はガザの人々である。それをメタファーで表現した。その
メタファーが今度は逆にイスラエルの人々に伝わった。あのホロコスト
で亡くなった600万の同胞は卵以下であった。そして自分たちもいつ
でも卵以下になるのだと。

 壁は「体制(ザ・システム)」である。その壁の前では卵は勝ち目は
ない。ただ「私たち自身の魂も他の人の魂も、それぞれ独自性があり、
掛け替えのないものなのだと信じること」と言う。そして締めくくる。
「体制が私たちを作ったのではなく、私たちが体制を作ったのですか
ら。」

 村上春樹はほとんどの小説で戦争のことに触れている。そののろい、
闇を受け継いでいるとみている。『海辺のカフカ』で、少年カフカが森
の小屋でアイヒマンのユダヤ人殺戮計画に触れた本を読んでいる場面が
ある。太平洋戦争に関わることでこの小説が始まり、それに関わること
でまた締めくくっている。そのなかでの15歳の少年が失ったものを探
し求める旅をしている。そんな小説がイスラエルにまで届いている。パ
レスチナの人たちにも届くことを願っているのであろう。

 「死者への祈りの姿」が淵源として村上春樹のなかにあったと、解説
がまとめている。拙書『闇を住処とする私、やみを隠れ家とする神』
で、その村上春樹とユダヤ教徒の哲学者のレヴィナスに触れた。出版社
が、本の帯に「レヴィナスの哲学や村上春樹の描く井戸の底などを糸口
に」と書いてくれた。まさにレヴィナスのうちには「死者への祈りの
姿」がある。紛れもなくある。あの600万の同胞の死である。故郷リ
トアニアの家族が含まれている。主著『存在の彼方』を、その600万
の同胞とそのためにいのちを失った人々のためにささげている。

 レヴィナスはこの卵以下のように死んでいった人々のために哲学をし
ている。その「責任」が哲学だとしている。哲学の手前の倫理である。
難解な哲学書にしがみついて読めば読むほど、この死者の語りが届いて
くる。私に語りかけ、私を揺るがし、私を新しい旅に誘う死者の語りか
けである。旧約の民の語りかけである。

 『海辺のカフカ』で、大学闘争の内ゲバで無意味な死を遂げた青年の
ことを取り上げている。その恋人であった女性に少年カフカが不思議に
結びついてくる。その背後に戦争のことが伏線としてある。『アンダー
グランド』で村上春樹は、地下鉄サリン事件の被害者のインタビューを
し、『約束された場所で』で、オウム信者らをインタビューしている。

 何とも言えない、それでいてしっかりと私たちを捕らえている闇であ
る。レヴィナスと村上春樹は、このことばの手前の世界への入り口を示
している。記事を送ってくれた友人が、さらに何人かを誘って、この春
に武蔵野の森の奥で「闇なべの会」を計画してくれている。

 上沼昌雄記