一週間前に妻のCAJの同窓会がペンシルベニア州の西部でありました。東久留米にある宣教師の子弟の学校の1953年頃から64年頃までの、卒業していなくても、その間学んだことのある人たちの同窓会です。このグループの集いは、妻に付いて行って3度目になりますが、表現しにくい感覚をいただくことになります。実際にそんなに抵抗なしに交わりに加われます。私なりの異文化体験をしているからかも知れません。
当然なのですが、宣教師の子弟として、自分の選択なしに、異文化体験をさせられ、しかも話を聞き出すと、戦後まもなくマッカーサーの勧めに従って日本に宣教師として来た家族なのです。こちらが知らない戦後の混乱した日本を知っています。同窓生が話す内容はこちらが面影とだけ知っている日本です。そんな日本の話を、ペンシルベニア州の田舎で、外見は全くのアメリカ人から聞くことになるので、自分のいる時間と空間が一ひねり回転してしまった感じになるのです。
当時教師であった方がふたり集っていました。ふたりとも90歳を超えています。ですので、参加している方々もすでに75歳前後になっています。妻は最年少でした。みな年齢を重ねているのですが、同窓会には特別な思いを持っていることが分かります。参加者はカナダとオーストラリアをいれて全米からです。正直よく集うと感心します。しばらくして分かるのは、自分たちの高校生時代の異文化体験を分かち合える場唯一の場なのです。それぞれの生活の中ではできないことなのです。それで3年に一度の同窓会ですが、喜んで集まります。
私も自分なりの異文化体験をして、だんだん故郷がどこなのか分からない状態になってきて、多少参加者と分かち合える面をいただいています。そんなこともあって私をも仲間と受けとめてくれています。仲間なのですが、どのような仲間かと言えば、故郷を喪失している者たちの仲間とも言えます。大げさなのですが、天の故郷以外に心のより場を持たない者たちです。決して戻ることのできない旅をしている者たちです。
中国人の子弟の方で、大使館関係で日本に来て、CAJで勉強して、今はロスに住んでいる方に会いました。61年ぶりに同窓生に会ったということです。同じ東洋人なので親しくなりました。同窓生の強い勧めがあって重い腰を上げてきたが、来てよかったと繰りかえしていました。61年間にあった試練も語ってくれました。
神の民がエジプトから出されてから(それ以前からなのですが)、決して故郷に戻る旅をしていません。それはいまだに続いています。天の故郷に入るまで旅人としてこの地での使命を抱えています。そのゴールに向かって歩んでいます。そのためにエジプトを出たあとに神はその使命を明確に語っています。
「あなたがたは、わたしがエジプトでしたこと、また、あなたがたを鷲の翼に乗せ、わたしのもとに連れてきたことを見た。今、もしあなたがたが、まことにわたしの声に聞き従い、わたしの契約を守るなら、あなたがたはすべての民の中にあって、わたしの宝となる。全世界はわたしのものであるから。あなたがたはわたしにとって祭司の王国、聖なる国民となる。これが、イスラエル人にあなたの語るべきことばである。」(出エジプト19:4-6)
どこかでこの同窓生たちは神の大きな計画の中に組み込まれているように思えます。何とも余韻のしっかり残っている同窓会でした。
上沼昌雄記
Masao Uenuma, Th.D.
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