20年前に東京から、カリフォルニアの片田舎フォレストル
に家族に移り住みました。その教会に黒人の一家族がいました。そ
のご主人は召されて、93歳になるスラッツおばあさんがお元
気でいます。礼拝の前に誰にでも大きなハッグをします。体が特に
大きいわけではないのですが、その身振り、顔の表情、かける声か
らとてもおおらかな、まさに母親に抱かれるような感じを与えま
す。誰からも「スラッツおばあさん」として親しまれています。私たちの
3人の子供達にとっても偉大なグランドマザーでした。今でもそうです。
教会は今牧師を捜している状態です。候補者が交代で説教に来てい
ます。昨日はその関係はないのですが、このスラッツおばあさんの
お孫さんが、サンフランシスコ近辺から来てくれました。お孫さん
と言っても50歳近くにはなっていると思います。大統領選挙
に絡む発言が一つの経緯になって、前の牧師が去りました。直接に
は、スラッツおばあさんの10人の子供さんの末娘の方が関わ
りました。
フォレストヒルは、ゴールドラッシュの歴史の街です。今は、サク
ラメントのベットタウンといった感じです。スラッツおばあさん一
家は、戦争直後に木材関係の仕事で南部から移り住んできました。
そのような人たちが住み着いた一角がこの町にあります。ある種の
差別を受けてきたようです。何度か行き来をしながら、そんな歴史
を知ることになりました。牧師の政治的な発言で教会に来なくなっ
たときにも、訪ねていって話を聞きました。まさに、アメリカの一
端を知りました。
昨日は、従兄弟家族も駆けつけていました。気負うこともなく、静
かに、それでいて恵みにあふれて、キリストの払った負債の大きさ
を、マタイ福音書18章の、地上の王とそのしもべとの間の借
金の返済のたとえから語ってくれました。その前の週は、ある候補
者が自分を売り込む話だけをしていきました。何ともいやな感じを
持った後なので、ただ神の恵みの深さを淡々と語るメッセージに新
鮮な感動を持ちました。この地上にただ自分だけが住んでいたとし
ても、なお御子キリストを遣わしてくださる神の愛です。
そんなメッセージを聞きながら、そんなお孫さんの姿を見ながら、
スラッツおばあさんはさぞ心の中で誇りに思ったことでしょう。自
分の孫の誰かが同じように恵みに満たされて説教している姿を見た
らばと、想像するだけで心躍ることです。帰りの車のなかで妻が、
それはスラッツおばあさんの信仰の遺産だと強調していまし
た。10人の子供さんを困難のなかでも神の恵みと信仰によっ
て育て上げてきた、その報いを今いただいているのだと繰り返して
いっていました。妻も自分の孫の誰かの説教を聞いている姿を想像
しているようでした。
それにしてもアメリカでの説教は、こうしたらうまくいくとか、信
仰生活が祝福され、家庭も仕事もうまくいくというハウツーものが
多いのですが、また牧師はそれが保証できるかのように話をするの
ですが、ただ神の恵みをじっくりと味わうことは少ないのです。昨
日は、キリストによって支払われた代価の大きさを、ただそれだけ
を静かに語ってくださいました。そして、それだけで十分だという
確かさを伝えてくださった。そんな信仰が孫にまでしっかり伝わっ
ていること、何ともすごいことです。そこには、こちらが想像でき
ない困難や難しさがあってのことなのだろうと思います。
上沼昌雄記