「次世代の信仰者は」2015年4月30日(木)

 首都ワシントン訪問は孫たちとの時間とは別に、日本人教会での 
奉仕、ホロコースト・ミュージアム訪問と意義深いものとなりまし 
た。さらに学生時代から社会人とその地で生活している次女の泉の 
友だちに会うことができました。彼らのことはすでに泉から聞いて 
いたのですが、直接会って話すことができて、次世代の信仰者の生 
き方を垣間見ることができました。

 どちらも保守的な信仰の家庭で育ってきました。しかし親たちの 
信仰形態は継承していません。むしろ明らかに反発をしています。 
信仰形態というのは親たちがクリスチャンはこうあるべきだと思っ 
ている形です。またそれを守ることで信仰を維持できると思って、 
子どもたちに強要してきた形です。特に父親の信仰のあり方には反 
発をしていて、その傷が残っていることが感じ取れます。

 そのような中で神への信仰を守っています。むしろそのあり方を 
真剣に求めています。しかし親のようではありたくないとその生き 
方が示しています。一人の男性は、そのお兄さんは同じ理由で信仰 
から離れてしまっているようですが、本人は自分に合う信仰形態を 
模索しているようです。もう一人の男性は、父親は日本でも馴染み 
のある団体での教職でしたが、その偽善的な生き方には強い反発を 
持っています。そして自分に納得できるあり方を模索しています。

 話しながら、どうも泉の親のことに関心を持っていることが分か 
りました。私たちのことを泉がどのように友人たちに語っているの 
かは知らないのですが、泉なりに信仰を守っていて、彼らとはオー 
プンに語り合っているようです。私がN.T.ライトの本を翻訳 
したと伝えたら、一人の男性はmy favorite writerと言い、 
もう一人の男性はライトのことはよく聞いていて読んでみると言い 
ました。そんな泉の父親に関心があったのかも知れません。

 信仰と信仰形態は違います。信仰形態を守ることが信仰の継承と 
誤解しています。多くの若者がその信仰形態に反発して信仰から離 
れています。今回明らかに親の信仰形態を取らないで、信仰を守っ 
ている若者たちの存在を知り、応援したくなりました。結構辛いこ 
となのだろうと思います。明らかに親から受けた傷が残っているか 
らです。

 ロス郊外に戻ってきて、姪の結婚式がありました。この姪も親の 
信仰形態に反発して、自分なりの信仰のあり方を模索し確立してき 
ました。次世代の信仰者の生き方を恐れることなく示しています。 
自由がそこにあります。式もヨットクラブの野外で行われました。 
ダンスもありました。泉と義樹と私たちもそれに加わりました。同 
時にその光景を批判的に見ている目もありました。というか加わり 
たくても伝統的な信仰形態に縛られていて身動きができないでじっ 
としているしかないのです。

 JCFNの理事をしているときに、集会で若者たちが全身で神 
への感謝を捧げている光景を見てきました。ある若者は踊り回って 
いました。信仰形態から脱却できれば自由に自分の信仰を表現でき 
ます。その自由を認めて上げれば良いのです。どのように生きるか 
は本人たちの責任です。

 泉が家から出て東海岸に移って15年近く経っています。聖 
書研究で知り合った友だちたちのことは良く話で聞いていました。 
今回直接に会うことができて、次世代の信仰者の姿が印象深く残り 
ました。エールを送りたくなりました。

上沼昌雄記

「復活のからだへのこだわり」2015年4月14日(火)

 一昨日はワシントン日本人教会で続いての礼拝奉仕でした。イー 
スター礼拝にはルイーズは義樹家族と一緒に出席しましたが、今回は午後 
2時の礼拝に一緒の参加となりました。礼拝堂の前の満開の桜が私た 
ちを迎えてくれました。思いがけない花見となりました。

 第一コリント書15章の続きです。前半で復活がなければ宣 
教も信仰も実質のないもの、むなしいものであると言っています。 
それは私たちのためではなくて、神ご自身のミッションが完成する 
ためにどうしても必要なことだからです。すなわち、キリストの再 
臨と共に私たちもよみがえり、新天新地で神をほめたたえるためで 
す。その情景は黙示録に描かれています。

 その続きでパウロは、私たちの自然のからだである「血肉のから 
だ」と比較して、「復活のからだ」を「御霊のからだ」と呼んで、 
新天新地での私たちの姿を語っています。キリストの復活はその初 
穂なのです。ですから「朽ちるもので蒔かれ、朽ちないものによみ 
がえらされる」(42節)ことが、パウロにとっては当然なの 
です。一度血肉のからだで蒔かれたら、御霊のからだでよみがえら 
されることが、キリストのゆえに、キリストにあるものには必然な 
のです。

 「からだ」に最後までこだわっています。キリスト信じて救われ 
たらば天国に行く、それで終わりではないのです。その後の「から 
だ」があるのです。新天新地でいただくからだです。それがどのよ 
うなものなのかはイエスの復活のからだから推測する以外にありま 
せん。少なくともからだを持って神に栄光をたたえることになります。

 ギリシャ的な世界観では、血肉のからだを脱却して霊魂の世界に 
入ることが「救い」となります。「からだ」を持っていたら悪の世 
界から離れられないのです。肉の世界を脱却しなければなりませ 
ん。どのように霊の世界に入れるのか、まさに哲学者が悩み抜いて 
いるところです。

 私たちの救いの完成は「御霊のからだ」によみがえらされること 
です。そのからだを持って神の栄光をたたえるためです。それが務 
めのようにゆだねられています。からだをいただいている限り、そ 
の責任があるかのようです。しかしそこは「もはや死もなく、悲し 
み、叫び、苦しみのない」(黙示録21:4)世界です。

 復活のからだへのこだわりは私のうちにも増してきました。とい 
うのは、この希望をいただいているので、この世でどのように生き 
るのかということが問われてくるからです。それはまさに第一コリント書 
15章の後半のテーマです。次週の礼拝テーマです。

 礼拝後に牧師の上原隆先生をルイーズと共にお宅に訪ねまし 
た。 日本では難病に認定されている「慢性炎症性脱髄性多発 
神経炎CIDP」の2回目の治療が今週5日間予定さ 
れています。アメリカでは国の援助がないということです。また、 
昨年のキモセラピーよりも厳しいということです。しかし、先生の 
内なる人はしっかりと生かされています。何回か続くこの治療で先 
生が癒され、神の国のためにもう一度立ち上がれることを祈り、再 
会を信じて失礼をいたしました。

上沼昌雄記

「ホロコースト・ミュージアム」2015年4月9日(木)

 3度目の正直で、昨日首都ワシントンのホロコースト・ 
ミュージアムに行くことができました。開館が朝10時 
で、9時に着いたのですがすでに小雨の中30メートルほ 
どの列ができていました。すぐ後ろにオーソドックス・ジューの家 
族が並びました。声をかけたのですがうれしそうでなかったので、 
前の家族の話に耳を傾けました。東ヨーロッパの言葉のようでし 
た。ウクライナから25年前に移住してきたロシア系ユダヤ人 
家族でした。

 当然なのですが、イースターと過越の祭りは同じ時期なので、ユ 
ダヤ人たちがホロコースト・ミュージアムに訪ねてきていることが 
分かりました。同時に学校の春休みにもなっていて、子どもたちも含めて 
10時近くには相当な列が出来ていました。セキュリティーを通って 
中に入ったのは10時半でした。

 それまでウクライナからの家族と核心に触れることは微妙に避け 
て、小雨の中会話をしました。こちらがクリスチャンで旧約聖書の 
理解のためにヘブル語を学んでいること、そしてスペインでカト 
リックに迫害されたユダヤ人マラーノの歴史を学んだことがあるこ 
とに、関心を示してくれました。そのご主人が私のうしろのユダヤ 
人家族がイディッシュ語で話をしていることに気づいて声をかけて 
いました。東ヨーロッパからのユダヤ人家族になります。中に入る前の1 
時間半、ユダヤ人家族に囲まれていたことになります。

 エレベーターで3階に上がって、そこから1階に下り 
るような形で展示されているホロコーストの歴史は目を覆いたくな 
るものです。しかし、生き残りの人たちのインタビューを中心にし 
た9時間のビデオ『ショーア』を観て証言を聞いていたので、 
映像として改めて確認することができました。アウシュビッツなど 
の収容所の解放された場面は何千という遺体の処理をしているとこ 
ろで、モニターは低いところに置かれていてその前に子どもたちが 
見られないように胸までの高さで壁が付けてありました。のぞき込 
まなければならないのですが、釘付けにされます。

 収容所までの貨物列車、履き残された何万という靴、刈り取られ 
て売買に使われた髪の毛、ガス室の扉、それらの現物に直面して、 
その臭いと当時に悲鳴が聞こえてくるようでした。煙として消えて 
行った人たちと家族の写真が3階までの吹き抜けの四面の壁 
いっぱいに貼り付けられていて、その中を通り過ぎるときにはその 
人たちのための証言を求められていることを実感します。命の危険 
を冒してユダヤ人を助けた人の中には『命のビザ』の杉原千畝さん 
の写真も掲げられていました。

 一通り見終わったのがすでに午後2時を過ぎていました。中 
にはカフェもないということで昼食はあきらめて、地下の静かなと 
ころで休んでいました。前の壁には子どもたちがタイルに描いた何 
百という絵が飾られていました。そのなかの一つに目がとまりまし 
た。真っ黒に塗りつぶしたタイルに赤字でWHYと書かれていた 
だけでした。どうしてこのようなことが同じ人間の中で起こったの 
かという子どもの偽らない問いです。

 誰もがその問いを問われています。特にヨーロッパはホロコース 
ト後を生きなければなりません。それまでの価値観がすべて崩れて 
しまったのです。まさにポスト・モダンです。避けられないことです。

 WHYという問いをいただいて4時間過ごしたホロコー 
スト・ミュージアムを後にしました。 外は小雨模様のどんよ 
りとした一日でした。

上沼昌雄記

「復活がどうして大切なのか?」2015年4月6日(月)

 義父の看病で奮闘していた私たちを見て、長男夫婦が自分たちの 
子どもの春休みに合わせてワシントン郊外に来るようにと言うこと 
で一週間前にまいりました。それに合わせていつも伺っているワシ 
ントン日本人教会の上原先生にお伝えしましたら、折り返しのメー 
ルで先生が新たに次の治療に入られたことを知りました。

 昨年のこの時期にも伺ったのですが、そのときはこれからキモセ 
ラピーの治療に入られるというときでした。それが無事に終わっ 
て、どうもその影響のようなのですが、末端神経の損傷を受けてし 
まわれたようです。「ペリフェラル・ニューロパシー」と呼ばれる 
もので、具体的には「慢性炎症性脱髄性多発神経炎CIDP」 
で、日本では難病の一つと言うことです。

 先生のこの治療のために、昨日のイースター礼拝とあと二回の礼 
拝奉仕をすることになりました。30年近くこのワシントンを 
中心に忠実に日本人伝道をされて来られた先生の回復を祈りなが 
ら、3回の主日の代役をさせていただいています。治療が功を奏し 
て宣教活動に復帰されることを信じています。

 いただいた機会にパウロが復活について58節に渡って述べ 
ている1コリント書15章を3回に分けて説教しようと思 
いました。昨日のイースターは1節から28節までで、特 
にパウロが「最もたいせつなこと」、またキリストの復活がなけれ 
ば私たちの「信仰はむなしい」と言われていることに焦点を合わせ 
て話しました。

 私たちの習慣的な感じでは、イースターはイースターの日だけで 
終わって、後は忘れて過ごしているところがあります。信仰者の意 
識としては復活より十字架に思いが向けられています。すなわり、 
キリストの十字架で罪が赦され、神の子とされたと言うことで、後 
はこれで天国に行けるという安心感と同時に、赦されたのになお罪 
の意識に苦しんでしまう面があります。復活が大切だとは分かって 
いても、意識としてはかなりうしろの方に後退してしまっています。

 パウロは復活が最も大切だと言っているのですが、しかしそれは 
私たちのためと言うより、神ご自身にとって避けられないことなの 
で、大切だと言っているようです。すなわり、死がアダムによって 
入ってきたことに対して、今度は死に対する勝利が第二のアダムと 
いわれるキリストによって入ってくることが、神ご自身にとって必 
要だったからです。「最後の敵である死」が滅ぼされなければなら 
ないのです。

 それは当然信仰者の意識にも関わってくることですが、それより 
もというか、その前に、天地万物を造られた神ご自身がもう一度天 
と地を新たにするためにどうしても死に対する勝利が必要なので 
す。 そのために私たちもキリストの来臨の時に復活に預かれ 
るのです。その初穂として神はキリストを死者の中からよみがえら 
せたのです。 復活は何と言っても神のミッションの完成のた 
めなのです。紛れもなく「これは、神が、すべてにおいてすべてと 
なられるためです。」(28節)

 そのように捉えると、14節で言っているように、復活がな 
ければ宣教も信仰も実質のないものになるとまでいうパウロの心意 
気に共鳴できます。こちらもそのような思いで生きることができる 
のだと、イースターが過ぎて、言い聞かせることできます。

上沼昌雄記